【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践11 [転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
M禅師が戒律違反で会が中止とあった。
具体的に何をしたのかが掲載されておらず、一方的にHPに書いてあるだけ。
もしかすると、取り巻きが厳しい戒律チェッカーだったんじゃないのかな?
戒律も厳しくあてはめてしまうと、スッタニパータに出てくるコーカリアのようになってしまう。
ちなみに戒律チェッカーだったコーカリアは亡くなって地獄へ行った。
事実をきちんと公開してくだされ。 パーラージカだからなあ…
チェックの厳しさの問題じゃないだろう 世の中では、五戒を守らない人は、それを守る人と比べられないほど多いのです。
お釈迦様のたとえを借りるならば、五戒を守る人が「一握りの土」であり、守らない人が「大地の土」のようなものです。
この人々とぶつからないように、調和を守って生きるために、守る人が知恵を絞らなくてはならないのです。
仏教は、知恵を開発するために実践するものですので、五戒を守ることも知恵の開発の基礎とならなくてはならないのです。
知恵の基礎になるならば、五戒は、一般道徳の次元を越えて、本当の仏教の戒になります。
ただがんばって苦労して、守るだけだったら、他人より、すぐれた「モラルのある人」になるだけです。
ですから、他人からいつも離れて逃げることは、あまり認めることはできません。
五戒を守る人は、他人のこともその尺度で見て、「私は五戒を守っている。この人は守っていません」と判断したがります。
これは、自分が他人より優れているという優越感を招きます。この優越感は差別意識であって傲慢です。煩悩です。心の汚れです。
心の汚れを落とす目的で仏教徒になって、逆に、汚れをつけてしまうことは、あまりにも矛盾です。
他人の行為、行動は、どうであろうとも、他人に対しては、差別感が心の中に生まれないように、常に「気づく」べきです。
形だけの戒律は、性格的に頑固であるならば、簡単に守れます。あまり自慢になりませんね…。
形式的に戒めを守るよりも、平等の心(差別意識のない心=upekkha-)を持つことの方が優れています。 パーラージカといえば淫・盗・殺・妄
M禅師の法話は以前何回か聞いたが至極全うで自分の境地や神通は語っていなかったしサンガの和を乱している様子はなかった
殺人なら警察沙汰のはずだが報道はない
とすると淫か盗かね
事実かハメられたか
そんな人物には見えなかったがまあオレの目なんかそんなもんだってことだろうw 「盗」と仮定して、豪華なものを好む方ではなかったように思うので、該当しにくいかなと。
「淫」と仮定して、禅定の方が快感が大きいのではないかと思うので、あるのかなと。 なさげだなと思いながらも、疑念がうっすら残りつづけるのが辛い。 事実確認をしてから判断するのが、理性的な態度というものでしょう。
袈裟を着ているから比丘というわけではないし、
袈裟を着ていないから悪人ということでもありません。 セクハラに関していえば、被害女性の証言と、その他の物証があれば、すべての証明は終了です。
事実関係は、時間と共に明らかになってくるはずです。 ちなみに被害を受けた女性信者の数は、一人ではありません。ここ数年で複数です。
ちょっと触っただけとか、そういうレベルでもありません。
具体的には言えませんが、事態はもっと先に進んでいますし、さらにもう一段階、二段階と
先に進展してしまって、すでに取り返しのつかないインパクトを被害女性の人生にもたらしています。
事が表沙汰になるまでに、長い長い潜伏期間も経て、ようやくいま表沙汰になってきただけです。 なんか変だな。
オウムが入り込んで禅師をハメようとしているとか、
悪意ある魂胆を感じるわ。 袈裟を着て、お釈迦さまの権威も笠に着て悪質なパワハラやセクハラをする人を見つけた時、
それはいけませんよと諭すこと。
これは、仏教に対する信頼を損なう行いでしょうか。
三宝への冒涜を意味するのでしょうか。
思い込みで判断する前に、まず事実確認を先にしてください。
そして冷静になってよく考えてください。 事実確認をすれば、誰が嘘をついているのかは白日の下にさらされることとなります。
事実確認さえせずに判断するとしたら、その姿勢、その態度こそが問題ではありませんか。 >>828
その発言は、
「貴方が事実を知っている」ということと同義なのですが、
貴方は当事者ですか?
それとも、当事者から直接事情を聴取された方ですか? >>824 それは禅師のせいにして話しているだけということではなくて、
ちゃんと裏はとれてるのですか。
中の人っぽいので、正確なところを教えて頂きたく。 被害というのが本当なら、きちんと手口ややり方を公表して、同じような被害者が出ないようにすべきじゃないのかな。 要は、疑いの目が向けられない立場を悪用した行為なわけですが、
疑いの目が向けられない立場というのは、盲従する人たちがいて
はじめて成り立つものでもあると思いますよ。 性的なサービスをさせていたと。そういうことを言いたいのだろうか。
前、日曜に参加したことあるけど、絶対に付き人?が側にいる感じだった気がするが。 >>832
あなた本当に関係者?
もしスタッフでまだマハーカルナー法友会のHPの制御をもってるのなら、トリップ使えばスタッフであることの証明は出来るけどそこまでする気ある?
もし本物のスタッフでないか、そこまでしないなら、匿名性の高い環境で多くを語らない方が良いのでは?
この件が本当なら被害者女性が公に語ってくれるかどうかに掛かってるんだから
俺はそれを待って判断するよ
みんな判断しかねて色々言ってるだけで、結局は事実が出てくるのを待つしかないと思ってるんじゃないかな 裁判ではっきり答えがでるでしょう。
他者に頼らず 自己を拠り所とし
法を拠り所にせよ…お釈迦さまの
最後の言葉です! 裁判なんてあるのか?
なんというか、今回の嫌疑が掛かっていることが信じられないような人だったからこそ、
事実についてきちんと知っておきたい感が強い。
仏教、テーラワーダが好きなのに、不信についてなってしまいそうだ。 ×不信についてなって
○不信になって
信心が消えそうで、指がちょいブルブルくるような新境だったりするw もうダメだなw
×新境
○心境
漢字すらちゃんと変換確認できてないw 仕事で話していた内容そのものに嘘はないと思う。
ただ、表裏のある人ではありますね。
プライベートの顔は、仕事の顔とは別人です。
普段の生活で、どこかのサンガに所属しているわけでもないし。
帰依処はブッダ、ダンマ、サンガですよね。
特定の個人じゃないはずです。
しっかりして下さい。 いやいや、もう僧なるものが不信になりそうなのですよw
プライベートは違うとか。
それが本当になら、そうかもしれないと思えるくらいの説明が欲しい。
そうでないと、何もかもが信じられなくなりそうだ。そのくらい、立派で理想のイメージだったよ、俺にはw >>840
はいはい、落ち着いてw
自灯明 法灯明ですよ。 厳しいことを言うが、日本で在家生活を送っているのだから、
もともと出家の定義には当てはまってはいないのでは。 もう人物は見ないで耳だけ貸せと。
あ〜、政治家ぐらいに思っておけばいいのか。
どこか虚しい風が胸をふきぬけるけど、これが自灯明、法灯明なのかも。
少し心整理してみますわw 時間薬、 無常…… 最近 マハーカルナー禅師の事を知ったのですが、そもそもパオ日本分院がどのような経緯で 個人的な会に変わったのでしょうか?瞑想を習いに行こうかと迷っていましたが 信頼できる集まりなのかどうかが分かりませんでした。 信じてこの人のようにまっすぐ歩もうと思ったその自分の気持ちに間違いは無いんだから、良いんじゃないすかね
そうじゃなくて何があってもこの人について行こうって思っちゃうと他灯明?なだけで >>844
去年の途中までは、パオ森林僧院日本道場という名前だったはずですよね。かつて出版されたサンガジャパンの別冊にもその名前で掲載されていました。 >>846
そうなのですね!
なぜ 変更があったのか
きちんと 説明があれば
良かったですね〜 >>844
実はそこが謎に包まれてる
何の公式表明も無い
去年の年末くらいだったかなパオ森林僧院日本支部からマハーカルナー法友会になったの >>847
私は会に行ったことはなくて、そのサンガジャパン別冊のほかにはmk4u.infoのウェブサイトしか見ていませんでしたが、会の名前が変わった理由の説明は見つけられませんでしたね。これは何だろうと気にはなっていました。 当事者双方に公開質問状を送ってみるというのも、ひとつの手ではあるかも知れませんね。
そこに自ずと透明性の程度が現れてくるでしょう。 証言や物証が出てこないと確証は無いわけだが
いまだにHPが戻らないということは現場のスタッフ全員が禅師を見限ったってことだろ
これは相当のことだよ >>848
去年の後半だったと思います。正確な記憶はないですが。
私は会に行ったことがないので、もし会で名称変更の理由の公式発表がすでにあったのなら、会に参加してない私が知らないだけなんですけど、
本当に公式発表が無いのだとすると、情報の出し方というものが釈然としないですね。今回のことも少しそういう趣きがあります(ただし事実なら「告発者」のプライバシーに抵触するので、公開できる情報が簡素なものだけになるのは理解できますが)。 Wikipedia仕事早いw
早速今回の件が反映されてる
マハーカルナー傳修院ってのができるみたい >>851
そうです。
ですから、「クーデター」ではないですね。
「クーデター」という単語を用いるのは、言葉による印象操作です。 >>848
それはちょうど参加したとき聞けたよ。
たしか、パオ森林僧院と、法友会をきちんと分けたくて、
別途、ダンマに関するサイトをつくるという話だった。現時点で存在してないけど。 >>842
ちょっと心整理してみると、
たしかに「比丘 」とは言ってなくて、「禅師」なんだなと。
じゃあ禅師なら何が違うんだという話もあるが、
そこはオブラート包んで優しくいこうという感じなのかもしれない。日本万歳。 >>855
たしかに、サンガジャパン別冊1でも、パオ森林僧院日本道場という名前だけが載っているわけではなくて、
連絡先としてはマハーカルナー法友会という名前でメルアドが載っていますね。
それだけ見ると、別々の組織としてあったんだな、という感じはします。
会に出てないので憶測ですけど。 >>857
ただ、すごい急に変更してて、
会場の参加者がざわついてたのはあった。
本当のところ、別の理由があるんじゃないかというような空気漂ってたよ。 >>839>>842
で、結局、
貴方は、事実確認できてるの?できてないの? >>828 >>858
説明にもし納得ができなければ、その場にいた人は戸惑いますよね。
サンガジャパン別冊1を持っている人は、そこに載っているプロフィールと、最近や今後のプロフィールを見比べることができると思います。公刊された本の中ではあれが一番詳しいかと思いますね。サンガジャパンも全てを読んではいませんが。 >>856
パーリ語名の後ろに「禅師」と付ける名乗り方(呼び方?)もあるんですね。正式なものかどうかは知りませんが、他のかたはだいたい、○○長老か○○比丘という形だと思うので。
漢字で書いた名前の後ろに禅師と付ける方は沢山おられるでしょうけれど。 禅師の言うことを法に照らして納得していた人はあまり動揺はないだろうが
禅師「を」信じてついてってた人は納得できないだろうなあ
後者だと今まで費やした時間が全部サンクコストになっちゃうもの
これほど自灯明法灯明という言葉が重いとは 罵詈雑言が書き込まれることもなく、
炎上もなく、まるで御葬式のような静けさが漂うような感じは、
さすがに禅師という感じはする。
表面だけみてやれれば、完璧な先生でいてくれるだろうから、事実がどうだろうが、会場にいけば幸せな修行?ができるのかもしれない気がしてきた。 Acariyaというのは必ずしも比丘を意味するわけではないみたいですね。これを見ると。→ https://dhammawiki.com/index.php?title=Acariya
Wikipediaではその言葉を名前に含めていますけれど、それは僧侶の名乗りとして普通のことなんでしょうか?上座部では。
比丘戒を受けたなら、名乗りにbhikkuというのが含まれていてもいいと思うのですが、そちらは含まれていないんですね、Wikipediaでは。Wikipediaが正確かどうかはともかく。 在家の人々のセックスについて、仏教では特に何もいっていませ。
よこしまな行為はするなといっているだけです。仏教で性行為をどう見ているかといえば、子孫を作る行為なのです。
愉しむための行為ではないのです。性行為が楽しみであるのは、DNAの働きです。
子孫を作り育てるというのは大変な苦労なのです。ですから何の楽しみもないと、作らないおそれがありますね。
それでちょっとした「あめ玉」を与えたわけです。しかし、もらうあめ玉よりは、その後すべき仕事の方が何十倦も大きいのです。
夫婦が一生仲良くして、子供が独立するまでがんばるということは大変なことなのです。そこまで親には責任があります。
そんなわけで、仏教ではフリーセックスは禁じられています。法的にきちんとした自分の相手でなければ性行為はしてはいけないことになっています。
そこで夫婦が仲良くして、子供をちゃんと育てることは、仏教では一つの善行為だといっています。
ただし冥想中は、セクシュアルなことは邪魔になるんですね。
瞑想とはものにとらわれない別世界を作るものであり、セックスというのはものすごく相手にとらわれる行為です。
そのときには徹底的に外の世界に支配されてしまうのです。ですから出家者には男女関係は禁じられています。 ものにとらわれない自分の心を守るために、行動としての、男女関係が禁じられているというわけではありません。
行動として男女関係を持たないことはそれほど難しいことではありません。大事なのは行動よりも心の状態です。
相手と関係を持たなくても、欲のあるまま戒律を一生懸命守ろうとするあまり、女性の姿が目に入っただけでもかえって心が汚れ、
どんどんコントロールできなくなって精神的な病気になってしまう恐れもあるのです。
だいたいやるなといったら余計やりたくなってしまうのが「心」というものです。
そのように当然起こってくるであろう精神的な問題も、仏教では計算済みです。
たとえば男性の出家者が女性の信者に説法を頼まれても、密室では決して話してはならない、
もう一人、大人の男性がいなければならないといったさまざまな戒律が厳しく定められています。
女性に触れたら毒蛇に触れたように感じなさい、女性の声を心地よいと聞くのではなく災いの元だと
思って聞きなさいなどの話もあります。
一瞬ぎょっとするようなこれらの教えも女性を馬鹿する観点で作られたきまりではなくすべて、
心を守り、修行の成功を目指すためなのです。
女性の出家者についても、性に関しては男性の出家者と同じように厳しい戒律が定められています。 とにかく事実が知りたいw
貶すとか中傷するとかじゃなくて、
自身の思い込みを解消して、見解を正し、現実に向かい合うために。 >>865
その辺はよくは分からないが、マハーカルナー禅師に限っていえば、法友会の瞑想会では禅師か先生のどちらかでしか呼ばれてなかったと思う。
自分も最初は違和感あったが、瞑想の先生ということでそうしているかなと。 暗黙の前提として、比丘として振る舞っていたし、みんなもそういう風に認識していたでしょう。
だからこそお布施も奉仕も、比丘に対する時の作法を持って行っていたわけだし、受ける方もそういう風に振る舞っていたはずです。 比丘だと思ってスタッフは仕えていた。
しかし、そうではなくて、プライベートは自由な感じだった。
ちょっと自由過ぎて、実際は許容の限度を超えていたが、
最近まで明るみにでておらず、明るみにでると、それは法友会の活動をすみやかに停止することを決断させるレベルだった。
事実がどうかは分からないが、表面的に見えている事態としてはこういう感じかな。 >>869
呼び方は、呼びかける人の判断で色々な呼び方がありえると思うんですが、正式な名前となると、
1つだけに決まるのではないかと思うんですよね(詳しくは知らないのですが)。
その正式な比丘名が、もしもどこにも公開されてないとなると、それはそれで不思議です。 事実は不明なものの、あくまで男女関係の問題が今回の原因なら、
女性はあまり近づくべきじゃなくて、男は別に平気ということか。比丘であることさえ期待しなければ。 とはいえ、好みの問題もあるだろうから、
厳密には若めの好みのタイプの女性は近づくなというところかなw 日曜瞑想会には何度かお邪魔していた者です。
今回の件に関して、法友会からメールも貰ってます。
内容は他言無用とのことで明かせませんが。
法友会のスタッフの方々は、修行歴もあり、人格も立派な方々です。
スタッフの方々のご尽力により、瞑想会は毎回滞りなく開催されていた事を知っています。
今回の騒動は情報が余りにも少ないため私も正直混乱しています。
だからこそこういった所で情報を得ようとしているのですが。
しかし、改めて思うのはこういった時にこそ普段の行いが試されるという事ではないでしょうか。
無用な誹謗中傷は控え、憶測で妄想を回転させることなく、続報を待ちたいと思います。
皆様に心の平安がありますよう。 思うに、
比丘だと思っていたのに違った、
比丘じゃないのに布施などを受けるとことに
納得がいかないということがあるなら、
ちゃんと法友会のページに、スタッフとしての考えとして書いたほうがいいんじゃなかろうか。
今の状態だと、なぜスタッフが皆投げ出してしまったのか、
説明として不十分に感じる。
参加者は、スタッフを信頼して通っていただろうから、
もっと言葉があってもいいんじゃなかろうかと。
また、禅師へのメッセージが込められた行為だったら尚更、ちゃんと伝えた方がいいんじゃないかな。
長年の信頼を裏切ったという事実がもしあるなら、全部コンテンツ消した気持ちも分からなく無い。 Twitterみると、いま、修行者名簿をみて、
一件一件メールを送られてると書いてる。
一方的に消してしまったなら、その意図が伝わってなかったとしてら、
スタッフも辛いかもしれないけど、それはお互いに辛いことになってるんじゃないかって。
みんな幸せになって欲しいから、
ちゃんと、伝えて、伝わって欲しいように思う。 お釈迦さまなら どのような対応をしたのだろうか?…マハーカルナー禅師の現在のツイッターを見る限り やたらと言葉が多いような気がしてならない…(完全に被害者で管理責任などはどのように感じているのでしょう)
スタッフの書き込みとご本人の書き込みがあり違和感を覚える。 言葉少ないよりも、多い方がいいと俺は思うよ。言葉すくなかったら何にも分からないから。
少なくとも、禅師に、
修行者を育てる熱意は感じてたし、
今のTwitterみても、その熱意は伝わる。
でも、たぶん今回の一件が何によるものなのか
分からないから、混乱してる部分もあるんじゃないかと思う。
今まで為していない悪を為さない。
既に為した悪行為を繰り返さない。
今までに為していない善を行う。
既に為した善を増大させる。
うろ覚えであれだけどw
今回の一件について、どういう風に対処されるべきかを冷静に考えて、
そうなるように仕向けてくれると有り難いなと思う。 しかし「新しい次元の修行があなた達を待っています」って殺し文句だなw
ものすごく相手を理解していて、どう言えば食いつくかを熟知している感が否めないw オレ修行者登録してたからスタッフからのメールの内容は知ってるけど
被害女性のすでに苦しい状況を考えて、情報源の特定を避けるためにあえて淫・盗・殺・妄どれとも定まらないようにするような事が書かれてた
まあそれは分かる
でもこの場でスタッフらしき人物が淫だって言ってしまったら、もう全部の情報を公開して対決するしか道は無くなるんじゃないか?
そんな事できるのか?
被害女性の立場に寄り添うなら下手なことは言えないはず
だからここにいるスタッフらしき人も、本物のスタッフじゃなくて、一修行者が義憤で先走って余計な事まで言っている可能性を捨てられない 事実確認が先。
判断は後。
あれこれ考えているのはぜんぶ推測=妄想。 ではクーデター説もありということだな。
スタッフが結託しての完全な自作自演。
ま、その方が正直言うとありがたいよw 被害女性、事実なら警察行けよと。
マハーカルナー禅師には本当に迷惑な話だったw >>885
まあそれは強者の論理だけどな
普通行けないだろ
普通に考えたら合意の状況なわけだから行き損だ >>882
責任ある立場なら、2chで真偽不明の「戒律違反疑惑の内幕」のようなものを公言するだけで済むはずがないですよね。会の参加者に向けてやるべきことがあるでしょうから。 >>877
比丘でない人が「布施」を受けるのが戒律違反になるのかどうかは知らないのですが、
師がじつは比丘でないとしても、
師の教えを受ける人たちがそれを問題視せず納得して容認しているなら、
その当事者どうしでは、とりあえず問題ではないですよね。外部からの批判はありえるでしょうけど。 セクハラ狂言をスタッフが真面目に受け止めたのもあるんじゃないのかな。
本格的な上座部仏教を潰すための大乗仏教系教団の刺客だったら闇が深そうだわ。
変な憶測を広めないためにも、ダンマリ決め込んでいないで、
事実や問題をある程度明らかにしないと。
山奥にある隔離された所じゃないし、ネットが普及した情報社会の中にあるわけなので、
社会性を踏まえた対応をしないと。
これじゃあ世間知らずの子どもの集まりに思われますぞ。
特にスタッフの対応がまずいですなあ。
パーリ仏典に忠実な原理主義者の行き着く姿も感じられて、
現実にうまく対応と適応ができていない様子。
これでは世間からも不安視されていつかバッシングされるようになりますよ。
マスコミにかぎつけられたら格好の餌食になりますな。
なんだかなあと思いますね。 >>888
激しく同意w だからこそ、何がスタッフをここまでの行動に走らせたのか、きちんと説明すべきと思う。
やってないことの証明は難しいし、実際問題できないとサスペンスで言っていたwww
「やった」って言うなら、それ相応の証明、説明がないと。 そもそも、もとから本当に比丘でないとか、昔は比丘だったけど今は還俗しているとかだったら、
そういう人が、比丘が守るべきとされている戒律を破ることは「罪」なのか? という、
問題も起こってくるのでは?
道徳的な善悪とは別に、「戒律違反にあてはまる罪か?」という。 >>891
そうなんだよな。
「根拠のない誹謗中傷」とあって、
「事実無根の誹謗中傷」とはない。 裁判所に、被害者の証言と共に証拠が提出されれば、そこではじめて公表できる形式
で事実関係がまとまるでしょう。
関係者以外は、それまで待つしかないでしょう。 >>889
> 本格的な上座部仏教を潰すための大乗仏教系教団の刺客だったら闇が深そうだわ。
それは推測としては面白いけど、やるならテーラワーダ協会の方じゃね?w >>893
裁判って誰がやるの?
禅師のは、ただの脅しじゃないかと思うけど。 厳密には比丘じゃないから戒律違反では裁けない
状況から合意ありと見なされちゃうから裁判にもできない
これは…自分がスタッフだったら悩むなあ… >>895
ああそうか
禅師の方から裁判起こしてもらえば解決なのかw 師の人柄を慕ってきた人には瑣末なことかもしれないですが、
パオメソッド修了という師のプロフィール(サンガジャパン別冊1の361頁にそう書いてあって、mk4u.infoのかつてのコンテツにもそう書いてあったと思う)について気になることは、
もしもパオメソッドの修了のためには比丘になっていなければいけないという制度だった場合には、
比丘でない人が「修了」することは論理的にはありえないということになりますから、
師が比丘であるかないかという問題は、そこのところに関わってきます。
修了したあとで還俗したのならともかく。
パオメソッドの修了のためには比丘にならなければいけないのか。
比丘であると認められていた人の名簿がミャンマーのパオ僧院にあるなら、そこに師は載っているのか。
載っているなら、師が比丘になったタイミングと「修了」のタイミングはどちらが先か。
修了者の名簿がミャンマーのパオ僧院にあるのかどうか。あるなら、師はそこに載っているか。
こういったことは、ミャンマーのパオ僧院の事務局に問い合わせれば、記録に照らして明確に分かるでしょうから、
「非公開の場で誰それに○○をした」といったような、記録の残りにくいタイプの事案よりはずっと調べやすいと思います。
公開の場での師の人柄だけでなく、パオメソッド修了という師のプロフィールも重視して指導者選びをしてきた方は、
こちらのほうは気にならないでしょうか。 >>898
よく分からないけど、禅師の知識や瞑想の指導力は疑う余地もなく素晴らしいと感じた。パオどうのとか、比丘かどうかどか、正直どうでもいい感じがしたよw どうしてもすっきりした解決が今すぐ欲しくなっちゃうね
それが自分の弱さだとわかっていても 状況を双方からみると、
禅師にすれば、どこかに首謀者がいて、首謀者から派遣?された誰かにスタッフはそそのかされたと思っている。
首謀者を確認したいけれど、それにはスタッフに、「第三者」が誰なのかを確認し、その人々をそそのかした人を特定せねばならない。
スタッフにすれば、第三者は庇うべき人間であるので伝えられない。
更に、スタッフ以外の人間には箝口令を敷くよう「第三者」は仕向け(首謀者の言うままにやった)、首謀者は情報が全く出ないようにした。
誰かが描いたシナリオなら、本当によく描けているw まあ陰謀論だからそれ考えるの最後だけどw
どちらも悪くなかった!という解決を求めたい気持ちはわかる これだけ情報がないと何も考えようがないが、
スタッフは、誰から話があったかを特定せずに、ホームページにあるようにボカした形で禅師に確認すれば良かったのに、なぜそれをしなかったのだろう、というのが最後の疑問かなw
それを行っていれば、ただの第三者からの伝聞にはならなかったのに。 >>899
人柄に惹かれるというのは分かります。
この師のことに限らず一般論として。
ただ、もしもですが、パオメソッド修了という公表されたプロフィールに嘘があった場合には、
宗教者としての経歴に嘘があることになり、
それは、戒律違反かどうかという問題とはまた別に、
人としての信用問題になりうるものでしょう。
要するに、喋っていることを信用してよいのかどうかという、
問題がつきまとうことになる。 >>906
どうなんだろう、俺はそこまでの疑いはないなw
禅師の話は、ガチの仏教で、スマナサーラ長老の話に似た感じだったもので。 個人的には計算高い目つき。演技くさいしゃべり方などで人としては信用に足らぬと判断した。 >>907
会で師に直接お会いになっている参加者が、師の人柄や指導者としての振る舞いをみたうえで信用するのは尤もだと思います。 禅師の話を聞いていて眠くなった。抑揚がない機械的な口調で
心が入ってない言葉だからか。
話してることはまともだけど、それだったら自分で経典読んだほうがいいかなと思いました。
セクハラされたなら、ダライラマ法王事務所に訴えると、事実関係を調べたうえで
「クロ」なら法王事務所のサイトで「要注意人物」として公開されます。 >>908
たしか、何かの経典の中で、話をするときは始めも中程も終わりもよく、ゆっくりと語るようにといった話があるので、それを忠実に行った結果、演技に映るのかもしれないw 初期仏教を学びたいが、信頼できる師を教えてください(^^) 会に出ているとスタッフの方々と直に話すし誠実さとダンマを追求する熱意も知ってるからね
あの人達が一人残らず結託してでっち上げで禅師をハメるとは考えられないな
会に行ったこと無い人から見ると禅師の言葉しか響かないんだろうけど >>913
本当にそうなのですか?
少なくとスタッフが行った行動は大人げない。
世間知らず過ぎます。
企業でいえば危機管理対応がまったくできていません。
真面目であろうがなんだろうが、社会常識の欠落さを感じさせます。
この調子ではパナウェーブの白装束断やオウムのように、
独りよがりの正しさに酔いしれた仏教マニアの集いにしか思われませんよ。
ひいては、これが上座部仏教や真摯な修行者への
悪いイメージを作るあげることに加担してしまうでしょう。
言葉は悪いが学者バカと同じ。
これだけネットが発達している社会。
もっと適切な対応をしないと炎上は広がります。 まあ、今この瞬間も、mk4u.infoの管理人と会の参加者との間で、
メールのやりとりが活発になされてると思いますが、
そういうやりとりは、会の参加者を一堂に会して、
可能な範囲で「疑惑」の詳細を情報公開する、
その後の会のあり方を皆で協議して決める、
といった対応のほうが良かったのではないか
とは思いますね。
外部から見ていると。 >>914
対応の良い悪いと、つまり能力の話と
どちらが真実を語っているかは別です
私が言っているのは、スタッフ個人個人は誠実な方であるということと、
あの全員が結託してでっち上げの相談をするシーンが想像できないという事ですよ
繰り返しますが、社会的能力の有無と真偽は別です >>916
>社会的能力の有無と真偽は別です
それはその通りです。 >>915
活動停止の連絡後、少なくとも俺にはそういうやりとりはない。
会場で知り合った人にメールしてみたが、返答もなしw
何なんだとしか言いようがないwww
Twitterみても、様子見な感じばかりだが。 袈裟を着た状態で嘘をつく人がいた場合、
証拠と証言を公開できる形式に整える前に、公の場で話すと
袈裟の権威で無批判に信じてしまう人が一定数出てしまうので、
それは被害者にとっても、その支援者にとっても不利でしょう。
「クーデターの首謀者」、「謗法の悪」としてラベリングされてしまいますし、
そういう信頼をくじかれた状態で業務なり、連絡なりをしなければならなくなる。
苦渋の決断ではあったと思います。 サンガというのがコを重んじる組織なら、
今回の活動停止決定がどんな合議を経ているのか(いないのか)といったことは、
関係者なら気になるんじゃないでしょうか。 一度でも比丘が参集してパーティモッカを行っているところを見たり、聞いたりしたことがありますか。
ないはずです。 >>921
「法友会」自体はサンガと呼べるものではないのですか? 在家の集団は、サンガに該当するのでしょうか。
在家の集団が無価値と言っているわけではありません。 >>925
律に定められた厳格な定義に照らして、法友会がサンガにあたるかどうかは、私はわかりません。
律の規定を厳格にあてはめず、広義に「仏教を学ぶ者の集団」といった意味でサンガと呼ぶことは可能では?
ただ、その場合は、合議制がゆきとどいていなくても律違反とはならないのかもしれませんね。 今の状態だと、少なくともスタッフの行動が幼稚すぎて、信じるには値しないと感じてしまう。これじゃぁ夜逃げも同然。
かといって、モヤモヤしたまま、禅師の新しい会に行くのも心が晴れない。
なにせ初日から当初予定されていた御布施のイベントだからなw >>916
> 繰り返しますが、社会的能力の有無と真偽は別です
そういう反応が独りよがりということ。
たぶんあなたに言っても通じないでしょう。
なぜならあなたも経典の文言や教えにとらわれているからです。 >>919
袈裟を着て嘘をつく、ということの重さが分かります。 説明聞くなら初日だろうが、そこに行けるほど心が固まらないw 話を聞くなら、双方から聞くのが理性的かつ公平な態度というものではないかと思います。 >>931
そのとおりです。正当な理由がないのに質問に答えない、といったことを続ける側こそが怪しまれてしまうでしょう。一般的には。 スタッフが既に逃げているというか、きちんと説明に出てこない時点で、相当怪しいとみることも出来るなw
禅師はメールで質問を受け付けてる。 お釈迦さまの法輪をまわせるのは自分(たち)だけで、他の長老、他の流派、他の部派は
すべて下っ端の雑魚だ、というような態度に強い我執を感じます。 >>928
いやいやいやw
経典の話とか全然してないじゃないですか
どうしちゃったんですか急に
能力と真偽は別って普通に理解できる話ですよね? >>935
そんな印象、俺はないな。
どちらかというと、それってスマナサーラ長老の方に当てはまりがいい気がするよw 正法に出会えた喜びがある時、その反動で、自覚的にせよ、無自覚的にせよ
他の流派や部派がかすんで見える経験は、多くの方がされていると思います。
誰しもが通る道なのでしょうが、それは正法が悪いのではなくて、正法に対峙する
人間の側の未熟さが問題なのだと思います。 たとえ正法に出会ったとしても、宗教と人間にまつわる問題がなくなったわけではないということでしょう。 一応初日に説明聞きに行くかと漠然と思ってたけど
独りよがりだとか経典の教えに捕らわれてるとか
ドン引きだわ
こんな団体だったか、ここ >>940
いや、端からみてて、話が噛み合ってないから
ちょっと違った人達が合流してきたのかもしれないw 日蓮系は、いまが末法という立場だから
正法があることが前提の話はでてこないでしょう。 思考パターンがそっち系だと思うよ、印象だけど。
フレームワークがあって、とにかくそれに文字通り当てはめてる感じ。
なんか昔、日蓮系の新興宗教に勧誘されたとき、まさにこんな感じだったwww 自力と他力は、完全に突き抜けると、どのみち同じところに出るので
実は両方とも正しい。 智慧がない人には自力の道は無理だろうけれども、
智慧のない人は信で突き抜けると、いずれ智慧に達する。
と思う。 修行を完成し、悟りを開いた聖者に明確に見える特色は、徹底的に落ち着いていることです。
悟りというのは、悟った人にしかわからないものですが、「この方は完全に落ち着いているのだ」ということだけは誰にでもよく理解できます。
あわただしい世の中で、常にあらゆる問題の網に引っかかる生活のなかで、よくもそんなに落ち着いていられるものだと不思議に思うほど落ち着いています。
聖者はどういう心をもって生きておられるのでしょうか。
心の中にはポジティブな欲のエネルギーも、ネガティブな怒りのエネルギーも消えています。心に欲があるといろいろなことをしたがります。
すべてを手に入れたくなります。怒りがあるとき、いやなものすべてを壊したり否定したくなります。両者ともよく動きますが、心の気付きは
まったくありません。ただ感情に酔ってしまって、何かをいい加減に無責任にやっているだけです。
聖者はすべてを「今の瞬間」にしぼります。ものを客観的にありのまま見ますが、欲や怒りの感情では見ません。心に妄想がないから、
ものはしっかり見られます。したがって、しっかりと自信をもって行動できます。
今の瞬間にやらねばならないことだけ確実に完全に行いますが、それを過去の妄想に邪魔されて混乱することはありません。
未来に対する希望という妄想にも行動を侵されることがありません。
普通の人は目的があって行動しますから、今の瞬間の行動はこれからの目的達成のための準備のようなものと感じますから、
集中力は今やっていることではなくまだ実現していない将来の目的に向かっています。
死ぬまで将来のために準備するのであって、明るく今を生きているのだという実感を体験することはできません。
その人には今の瞬間にやっていることはそれほど大事ではありません。結果的には人生は中途半端なものになっています。
それが苦しみを生み出す原因です。将来実現するべき目的がありますから落ち着くことは不可能です。
聖者の心には「生きる目的」という苦しみの原因はないのです。 やっぱ少なくとも禅師のところで学んでないよな。
情報も出てこないし、
ここは瞑想してkusalaにして初日どうするか考えるかなw 今の瞬間だけを充実させ至福感を感じ、完全に生きているということができないのは心の問題です。欲と怒りの感情が生まれるのは「私が」というエゴがあるからです。
それは巨大な妄想です。エゴイストは行勤する前も行動するときも、何でも比べてみます。いいか悪いか、損か得か、みんなやっているかいないか、褒められるかけなされるかなど、
きりがなくなります。
心のこの働きを仏教では mâna(慢)といいます。エゴを捨てれば mâna は消えます。それは何が悪いのかと思うかもしれませんが、人間の苦しみの原因を究明すると
すべてが mâna に基づいていることを発見できます。社会や人が気になる、自信がなくなる、自信過剰になる、今まで(過去)の生き方を悩む、将来が気になるなどのすべてが、
何かと、自分というエゴを比べることから現われる現象です。
聖者は真理を体験しているので、エゴという妄想概念は消えています。心は自由で、活発です。
悩むことは何もない。徹底的に落ち着いています。我々と同じく社会に生きていますから、
病気になることや親しい人に死なれること、天災に遭うこと、他人から誹誇中傷されることはありますが、
エゴがないのですから、そのようなことで悩むことはまったくありません。
大地のように、山のように落ち着いています。心が濁っておらず、巨大な湖のようです。
身口意の行為はとてつもなく落ち着いて平安で美しいものです。
どんな状況のなかでも、聖者が生きている姿を見ると、それに惹かれない者はありません。
どんなに混乱している人も、聖者を見るだけで落ちつきます。
この混乱の社会に必要なのは、ひとりでも、真理に目覚めた人の存在です。
一般の人が聖者を発見する方法は、いるだけで周りの人々を落ちつかせるほどの落ちつきの威力です。
“村にせよ、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい” どういったら良いのか。
パーリ三蔵の (C) が、まるで特定の個人に帰属しているかのように思っていませんか。
もともと誰が説いたものでしたか。 >>949
はじめまして、失礼ですがスマナサーラ長老様でしょうか? >>898
サンガジャパンvol.20の142頁によると、1997年にスリランカの大長老ピヤッダシ師から比丘戒を受けたとありますね。
その僧籍が今も残っているか(有効かどうか)、
調べる方法が無いではないと思います。 冷静に考えて、
自分のスキャンダルがもし事実なら、詳しく語ることなく、サッと流して、明るい未来を強調し、場にいる人を誉め、気分を高揚させることに注力するのではないかと思う。
初日に参加して、どのくらいの時間、スキャンダルの問題の話に時間を割くかで、真偽のほどは意外と分かってしまうかもしれない。 更に言えば、
Twitterで「古いHP」から「おどろおどろしいバイブレーションを感じる」などと、感覚的なコメントで近寄ることを止めているが、
もし内容が事実と異なるならば、
「事実と異なるから見なくてよい」と言えばいいだけの話。
あの歯切れのよい、無駄のない禅師らしくないコメントと言わざるを得ない。
もしこのまま事実を明確に否定するコメントを出さないならば、クロである可能性が濃厚とみる。あくまで俺の結論だがw >>953
はい、まあ何か読んだもので不快になるのは、ある意味自分の責任ですから、それはいいですよ
でもあなたちょっと怖いですよ、心配
普段の自分を思い返してみて、他人が自分と違う推測を述べたからって…自分らしくないなって感じたりしませんか?
失礼ながら、心の中でいろんなものがごっちゃになって怒りのぶつけ先を探してる感あります
冷静にね >>954
たぶん 禅師もしくは スタッフがこの投稿を読んでますから 戦略たてているのではないでしょうか…どちらが真実だとしてもね >>957
そうですね。しっかりと説明を聞きたいところです。
もしご覧になっていらっしゃるならば、
もう一点、不思議な点があって、この背景を考えると一つのストーリーが見えてしまうので、
是非、説明をお願いしたいw
新しい会を立ち上げる前に、
なぜスタッフとの間での対話をもって
疑いを晴らそうとなされなかったのか。
お願いします。 一つのというよりも、複数のストーリーが見えるのだが、
どれも余りよくなくてw
ちゃんとした説明が欲しい。 運営スタッフは複数筋から被害相談を受けていて、証拠も揃っているのに
当のご本人は嘘を貫き通す決意が固く、その姿勢を一切崩さない。
嘘の付き方にも特徴があって、事実を切り貼りするかたちの嘘が多い。
発言のひと言ひと言は事実だが、全体としては嘘の印象を与えるという
印象操作を多用します。
しかも、被害女性とは個人的な人間関係があるため、公の場から離れた
ところで女性に対して口止めを計ります。。
そういう状況ですから、話し合いにはならないでしょう。 ダライラマ法王事務所に連絡すれば、事実確認が取れれば「要注意人物」として
インターネットで世界中に知れわたっちゃいますよ。
過去に日本人の老師や、チベットのリンポチェが上がってました。
仏教指導者の女性に対する性的破戒には断固とした姿勢をとられていますね。 女性への口止め工作が一番警戒されるべきポイントと思われます。 >>960
その「嘘の付き方」についてよくは知らないが、
宝経には以下のようにある。
四諦を如実に観ぜし仙人(預流果)は、
……(途中略)
身、口、意にて悪を犯すことになりとても、
彼はそれを隠蔽すること能わず。
知見に達した者は隠蔽すること能わずと言わるるなり。
此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。
此の真実により、幸いあらんことを。
俺は、禅師の話からみて、預流果以上はいってるんじゃないかと思ってる。
「隠蔽すること能わず」、明確な嘘は付けないんじゃないかと推察する。 >>960
そういう大事なことこそHPに掲載すべきですよ。 法友会のスタッフの方々は、皆さま誠実に、一所懸命にダンマの修行をなさる方々で、禅師を心から信じてサポートしてきたことと思います。
今回の件ですが、スタッフの方々はダンマに従い最善の判断をなさったことでしょう。詳細な説明の不足に皆さまの疑問、不満が生まれることも承知のはずです。
しかしそれすらやむ負えない。要するに、それだけの想像を絶する大問題があったということです。公表できる事実が揃うまで、私たち部外者は見守るのみです。
私たちの知りたいという欲求が、誰かを傷つけることになるかも知れない。それだけは知っておいて下さい。スタッフの一部の方も勝手に情報を流さないようお願いします。 預流果だというなら預流果でも構わないのですが、被害の訴えに関しては
証拠と事実に基づいて、是々非々の対応がなされるべきでしょう。 >>960
とはいえ、その「証拠」をみていないから
話が本当かどうかは保留だが。
やはり、そんなことをする人物とはみえないものでw >>966
×やむ負えない
⚪やむを得ない
×スタッフの一部の方
⚪スタッフ以外の一部の方 >>969
スタッフが騙された可能性もあるのだから、
スタッフのことを全面肯定して述べるのもどうかと思うよ。
一切、証拠をみていないのだからw 最後の肝心な部分を間違えました…。
スタッフ以外の修行者の方、法友会HP以上の情報を流さない方が良いと思いますよ。ご考慮のほどお願いいたします。 スタッフが狂言に振り回された可能性もあるね。
あとスタッフも被害女性も結託した一味で、
オウム残党やアーレフの工作員という路線はないのかなw
尊師のお株を禅師に持っていかられると困るので、
禅師をハメて陥らせたというストーリーなら別の意味で不気味ですな。
ま、いずれにしてもきちんと説明してくださいね。 >要するに、それだけの想像を絶する大問題があったということです。
分かりました。 一応真面目な修行者なのでw
さっさとニッバーナ入り致したく。
このようなザワザワが起こらないことを願っています。 法友会の全員が加入しているメーリングリストがあって、メンバーなら誰でもがそこにメールを送信できるという状態にはなっていなかったことが伺われますね。ここを読んでいると。
メーリングリストがないからいけないと言いたいわけではないですが。 >>973
あくまで推測です。
誤解を招く言い方をして申し訳ありません。 で、>>828は、
自分も事実確認できていないのに判断してる同じ穴の狢だったてことね。
ID:v/7Hl+Sh = ID:iLVYt0Aj っぽいけど。
で、>>961さんは、証拠に基づいて判断して、ここに書き込んでいる、とw 事実確認が先であるという指摘が主なメッセージです。
しかし、事実確認そのものは公の場で行うものであって、匿名掲示板にそれを求めるのはナンセンスというものでしょう。 師匠が悟っているかどうかは誰でも気になる問題です。
先ず、第三者に識別出来ないと思います。
思考パターンと判断基準が一般の人と違いますが、普通の生活では第三者にまったく気がつかないように生活するのです。
知りたがる方がもし仏教をかなり詳しく勉強して理解しているならば、なんとなく推測だけ出来る可能性があります。
しかしその場合でも厳密な判断能力をもっていないと、鋭い人でないと誤解で終わります。
仏教について感動ばかりする人であるならばまた無理です。反発意識をもっている人にもできないのです。
悟り、解脱とは自我意識=(私がいると言う自覚)は現象であると経験することです。
解脱した人にとっては「私が悟りました」と言うことさえも成り立たないのです。 ですから悟りを開いてない、一般の方には自分の心の状態を言いません。同じレベルの人々は互いによく知っています。
一般のレベルで知り得る方法は比較してみることです。そのとき「煩悩」の概念を使用します。
煩悩のことは悟らなくても皆にあることだから理解できるでしょう。貪り、怒り、嫉妬、憎しみ、悩み、
愚かさなどがあるかないかは調べれば良いのです。 そのときでも貪りだ、怒りだ、と誤解してしまうこともよくあります。
例えば叱ったとしましょう。怒りで叱るのは普通のことです。悟った人も相手が叱らないと
真剣に励まない性格であるならば「叱る」しか方法がなくなるのです。ですから、「人を叱った。怒りがある」と決めたら間違いになります。
ただ単に他人のことを一々知りたがる性格の人が自分を調べていると分かったら(そのようなことは悟りの人に簡単にばれます。)
そんな場合は煩悩がないことを気付かれないようにするのです。
本当のことを言うと、悟りを開いてこころを平安にした方は「私が悟ったと」自分の立場を認めて欲しくて馬鹿なことを言わないが、
論理的に具体的にこころの状態を堂々と他人に説法をすることによって(悟っているか)判断できるのです。ですが、第三者が全く気がつかないのです。
そもそも悟りや解脱は第三者に関係のない話です。 苦をなくすために真剣に修行する人のみが、それを気にするのです。
しかし、その人に本当に必要なことは誰が悟っているかいないかではなく、正しい修行方法です。 サダーパリブータ菩薩を、ご存知でしょうか。
自身はどんなに軽んじられ、蔑まれても、決して他の人を、他の生命を、軽んじなかった菩薩です。
もし、禅師が、ダンマに熱過ぎる今まで通り潔白な方であるとしたら、もちろん尊敬しますが、もし、そうでなければ。そうでなかったとしても、決して軽んじてはならないのです。
なぜならば、自分の中にすべてがあり、その自分の中にある禅師のイメージを、蔑むだけに他ならないからです。世界は自分自身です。
人もない、動物もない、空っぽがみえるでしょうか。
人生など最初からなかったのだという真実に対する気付きが、ありますれば。
何も起こっていないのです。
これこそが、欲と怒りを離れ、善からも離れる出世間の中道です。
この人を、バッデーカラッタの人といいます。常不軽、サダーパリブータの人でもよいです。
真夏の日に、板橋区まで、アビダンマ講座に通った日々が懐かしい。
主人公
顔晴ろふ あ
でも
四悪手だとかわしにはよーわからん。
原始仏教戦士でないのでねわしわ。
そんなものないでしょう。
白隠禅師坐禅和讃にも、悪趣いずこにありぬべき、寂滅現前する故に、となとな。
ばかじゃないの?
妄想の世界は。
これだから仏教徒嫌い。
ブッダダンマサンガに至る道の山は、ブッダダンマサンガである。
ブッダダンマサンガが心から抜け落ちれば、本当の仏教に出会う。。
もー知らん。
まあーがんばってくれ。みんな。誇りもて。 お釈迦様が、いる。
いや、いた。
それだけでしょう。
お腹いっぱいです たとえ各々の部派が方便に過ぎないとしても、
やっぱり、他人が乗ってる乗り物を壊しちゃまずいのではないか。 事実確認できるようになるのを待つのはいいんだけど、出来るようになるのかね?
オレは無理だと思ってるんだけど
だって被害女性にとってそう言う事実を公開したり対決するのは大変なハードルでしょ
普通に考えて絶対無理というか、もし公にするとしたら、大変な勇気だよ >>986
もっと根本的なことをいえば、「被害者」が「女性」であることの「証拠」もまだ公表されていないはずですよね。
「被害者が公表をためらうような被害である」かどうかすら、今は明白ではないでしょう。なぜなら、mk4u.infoにはその通りに書いてあるわけではないのですから。 まあオレはもう事実確認するまでもなくて
禅師から案内が来てマハーカルナー傳修院のHPを読んだ時に
すーっと正解が見えたっていうか、気持ちは決まっちゃったので、どうでもいいんですが。
でも修行者登録してた皆さん本当にショック受けてますかね?平気なんじゃないの?
オレ全然無いというか、「あー、アビダンマの話を聞けるとこ無くなっちゃったなあ」くらいで、
正直、行きつけのレストランが1軒潰れてまたしばらく自炊(自灯明)か、くらいの感じでしかないですよ。 >>987
>もっと根本的なことをいえば、「被害者」が「女性」であることの「証拠」もまだ公表されていないはずですよね。
あー、そっか。そうですね。
ごめんなさい。瞑想会常連メンバーだけに来てるメールの内容で分かる話でした。 https://twitter.com/Mahakaruna00/status/926806086497198080
「自分は被害者です」と名乗りうる人物が本当にいるなら、このツイートのような言い方はとても支持できませんね。
これでは「『加害者』が『被害者』を祝福する」という意味になってしまうから。
「祝福されて再度迎え入れられるべき人」としてしか認めない、つまり「被害者性は認めない」と言っているのと同じことではないですか、これは。
仏教徒であるからといって、ある出来事の意味づけを「仏教的な意味づけ」だけに絞る必要はないと思いますよ。
このTwitterアカウントが師ご本人かどうかという問題はありますが。 >>989
そうですか。
>瞑想会常連メンバーだけに来てるメールの内容で分かる話
「そういうメールが本当に来ている」ということの「証拠」も確認しがたいのが、こういう匿名掲示板の危ういところですね(989さんを批判しているわけではありません)。 宗教体験 学ぶ→ 宗教体験と続けていたことが問題なのかもねえ。 >>992
そうですよね。
私もこの場でメールの情報を公開することが不適切であることは分かってたんですが、
ちょい前まですっかり前提になって話が進んでたので。
本当に不用意でした。だからごめんなさいです。 以前には悪い行ないをした人でも、
のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。
ーー雲を離れた月のように。
(真理のことば 第13章「世の中」より)
みずから悪をなすならば、みずから汚れ、
みずから悪をならないならば、みずから浄まる。
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。
人は他人を浄めることができない。
(真理のことば 断言12章「自己」より)
考え方はみな違うと思うけど、
俺は少なくとも「師」として受け入れる以上、仏教者としての姿勢は求めたいと思ってる。
ただダンマを学ぶだけか、瞑想を学ぶだけならどうでもいいが、
俺の中では、仏教の教えに沿うことが「主」で、生活は「従」なイメージなので(あくまでイメージねw)
指導者に、「自己を正してから他人を正す」ことは求めてしまうかな。 誤字が二カ所あったので訂正。すみませぬ。
みずから悪をなすならば、みずから汚れ、
みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。
人は他人を浄めることができない。
(真理のことば 第12章「自己」より) HPの他者批判の一方的な書き込み。
善からぬ波動が伝わりました。
禅師のアルカイックスマイルの裏には攻撃的な面もあるようですね。 >>995
>指導者に、「自己を正してから他人を正す」ことは求めてしまうかな。
ですよね
オレもあの傳修院のHP読んで正解が一つに絞られた瞬間にすっと冷めましたからね レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。