同性愛だけが信仰上の問題ではない。
同性愛以外にも家族道徳を否定する性的堕落は沢山ある。
しかし問題なのは何故かそうした堕落の中で同性愛だけが特別に赦されるべき罪であるかのごとく主張する人
達がいる。
例えば進んで売春する人達を軽蔑することはなんら問題にされないのに、同性愛に堕ちる人達に同じことをすると差別だと非難される。
そうした非難してくる人達が言うには、同性愛は先天的なもので本人の選択ではないからだという。
しかし全ての同性愛者が本当に完全に先天的な原因で同性愛になったとは到底思えない。
完全に先天的なら一卵性双生児は片方が同性愛者ならもう片方も100%同性愛者のはずだ。
しかし実際は同性愛になる確率が二卵生双生児と比較して高いというだけだ。
つまり先天的に同性愛になりやすい人は確かにいるが、先天的要因だけではならないことがわかる。
先天的にギャンブル依存になりやすい人やアルコール依存になりやすい人がいることが分かっているが、だからといって本人が依存症になった責任が全くないと言えるだろうか?そうではあるまい。
同性愛も同様である。自分の現実の性別と向き合わず不自然な性に逃避した責任は当人が負うべきだ。
同性愛を選択した人は売春をしている人と同様の覚悟をすべきなのだ。