日蓮正宗要義 再読。

ここでは「頼綱は十月十五日、遂に指導者と目された
神四郎、弥五郎、弥六郎び三人の首を切る」(P202)と記されています。
斬首は戒壇之漫荼羅の日付の3日前(因師の記述では2日前となる)であることを暗に認めています。

この本の記述で滑稽なのは「大聖人の大曼荼羅本尊…一には・個人の
場合はほとんどの本尊に受者の名前が書かれている。
二には特別な意義と目的の下に顕されるか、またその時々の境地より
顕発される本尊で授与書が示されていない…本門戒壇の大御本尊は唯一究竟の大目的の下に“大聖人境界中の弥四郎国重の願いによって顕され”」(P205)たというのです。

何を混乱しているのかわかりませんが、特別な意義を目的の下に顕された
漫荼羅は受者の名はがないけれど、唯一究竟の大目的の下に顕されると弥四郎国重の名前が書かれ、さらに本門戒壇とも書かれるというのは一体全体、何を言っているのでしょうか。

ここで注視すべきは日精・日量が波木井嫡男とし、それを翻して、
昭和31年布教会として日達が神四郎とした弥四郎国重は、
今度は「大聖人境界中」の人物とされてしまっている点です。
境界中の人物と言うことは実在の人物ではないと言う意味になるでしょうか。
よくまあ、コロコロ変わるものであると呆れます。

こんな文章を要義などと言って読まされ、疑うことを否定された
法華講信者は実に気の毒であると思うばかりです。

戒壇之漫荼羅に「仏滅後二千二百廿余年等と云云、御端書、
右為現当二世造立如件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆当、
弘安二年十月十三日」と書いたのは“日蓮正宗大石寺第31世日因上人”であるわけです。いまでいう「御法主上人猊下様」の記述であるわけです。
その弥四郎国重が、日蓮境界中の人物…言葉を換えれば架空の人物…なので、
受者の名でもないも同様と言っているのか、あまりの迷文に意味が取れません。

10月15日の斬首によって10月12日(13日)に本門戒壇の大御本尊を建立という矛盾を慌ててもみ消した狼狽が今度は「弥四郎国重は架空の人物、名前は書かれていないも同様」と記すことになったのかと揶揄の一つも投げつけたくなります。