>>872
>うわぁ〜天理教入ってる! 恥ずかしぃ〜!

まあ、こういったことだけは言ってやるな。
この自分が子供の頃に住んでいた所の筋向いの家の人が、この自分が小学校5年のときに天理教に入信。
「恥ずかしながら、この儂は天理教に入信することになったがぜよ」なんて本人から聞いたことがあるんだけど、
この方の場合は身上ではなくて「事情」が重なっての天理教への入信だったわけで、
そうして高知の自宅を3か月間空家賃を払いながら天理の修養科へも。

それでこの方の場合、事情あって離婚ののち、2人の息子さんを引き取るも、母親恋しさから父親の元を離れ、
2年後には母親の元に。

この方の愛人とやら再婚者とやらの勧めで天理教に入信。
…それはもう、過去のことを懸命に詫びながら、ただひたすらに理を伏せ込むことに専念し、
それこそ悲壮感タップリの形相で修養科においても理の伏せ込み。

ま、どんなに”強い”ように見える人であったとしても、宗教に頼らざるを得ない境遇に陥ることならば
長い人生においては付き物なのかも知れないわけだから。

とにかく、この方の”事情”を逐一知らされていた者としては「ああ、難儀やろうなあ…」と考えざるを得ない。

誰かさんみたいに、道楽半分で修養科に出向き、仲間内でアホなことばかり言い合って通ってきたのとは大違い。

…それと、これだけは言っておきたいんだけど、感話で様々な人が涙ながらにする身の上話を聞いているうちに
いかな道楽半分であったとしても、「このテメーであっても悩み事は幾つかあるものの、そんなテメーが今悩んでいることなんざ、小さい 小さい」と本心から思わされたんだから。