てす
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動物の言葉が分かるのを否定したが、自分も近年猫が話かけるのを聞いたことある。
妙に人なつっこいヤツだが、通りすがりに・・
「アレは聞きちがいだろう・・」
と後日否定するようになったが・・・
「僕がネコ語を話せるわけ」(庄司薫著)
なんて本もあるけど。
ようつべ動画で
[ 猫 しゃべる ] で検索すると、たくさん出て来る
とりあえず
猫 しゃべる
https://www.youtube.com/watch?v=H4r5YslEmVo
=^・ ・^= 2000年 学校の怪談
2002年 朝霧の巫女
2004年 ふたりはプリキュア
2005年 魔法先生ネギま
2006年 涼宮ハルヒの憂鬱
2007年 ナイトウィザード The ANIMATION
2008年 ストライクウィッチーズ
2009年 東京マグニチュード8.0
2010年 いちばんうしろの大魔王
2011年 魔法少女まどか☆マギカ
2012年 ハイスクールD×D
2013年 キューティクル探偵因幡
2014年 ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル
2015年 聖剣使いの禁呪詠唱
2016年 装神少女まとい
2017年 ひなろじ from Luck & Logic
2018年 刀使ノ巫女
デート・ア・ライブ
http://date-a-live-anime.com/
みにとじ
http://minitoji.jp/ ヘルムステッターという人の「なぜ、あの人は上手くいくのか?」という本ば、自己啓発型のテキストだけど、身・口・意について考える材料にはなるだろう。
言葉を口に出すのと、あるいは声を出さずに思考したり表現するのと、どちらが速く鋭く可能か?
古舘伊知郎の実況を聞かされると、あの芸当をエンタメだけでなく、日常のあらゆる場面で使えると思わせる。 真言は、声に出して自分の声調で唱えるのと、無音で心の中だけで唱えるのと、効果はどちらが高いのだろう?
ウィキペディア参照
真言
初期仏教
比丘が毒蛇を避けるための『カンダ・スッタ(蘊経)』が挙げられる
(人間の言葉が通じるのか?わからないけど、とりあえず)
蛇を含むすべての生類に慈悲を示し
その慈悲の力で毒蛇に咬まれることを避けようとする
護身・除災を目的とした呪文である
人間に限らず
山川草木や生類すべてに
一切悉有仏性なので
無明に依存することのない
般若の智慧と慈悲をもって
六神通
他心通 (人間に限らず)他の心の働きも知る
ということかもしれない おじゃる?
たとえば
毒蛇が咬みつくと
その咬みついた毒蛇自身に
因縁果報が戻って来るので
智慧と慈悲をもって
咬まれることを避ける
これから年末年始
5ちゃん鯖が落ちるかもしれないので、とりあえず
サイバー攻撃↓可視化ツール
Kaspersky Cyberthreat real-time map
https://cybermap.kaspersky.com/ja
2ちゃんねる避難所@2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ
http://www.2nn.jp/refuge/
サーバダウン(鯖落ち)超情報
http://rosie.5ch.net/operatex/
ひだ =^・ ・^= まり
https://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2
↑ 5ちゃんが落ちたら、ご利用くださいませ ヨロ おじゃる m(_ _)m 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:8ab2431905831dacf8b4fc1cebc2f355) 1980年代の姫神のアルバムの中で、タイトルは忘れたけど、曲の終わりが僧侶達の声明三昧に入っていく渋いサウンドがあった。
ああいう音楽は好きだなあ。 >>658
そう。これこれ。
よくぞ探したなあ。
しかし、この映像からなかなかお目にかかれない盛大な葬儀にあやかれたような感じだ。 >>603
「美味しんぼ」に仏跳牆という超豪華料理と、雪鍋という精進料理が出てくる。
どちらも僧侶絡みの料理
雪鍋なんてネーミングは、寒寒として好ましくないなあ。
>>661
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
散りゆく桜と人生の儚さという無常に依りて
実有ではなく仮有なる空性であるからこそ
味覚を感じる働きが、現れ、変化して、滅している
相互依存している世界の中においては
相互に依存している
仮設としての
眼耳鼻舌身意
色声香味触法
ということで おじゃりますな? 今、「たけしの超常現象」観てるけども、大槻センセ、韮沢サン、秋山サンなど、みんな爺になったなあ・・・・
まさに諸行無常だけども・・・・
昔はみんな若かった。 昔の「特報リサーチ200X」というテレビ番組で、代表的な脳内麻薬の色が、ウパニシャッドの3グナの黄、赤、青の色に対応するかのような内容の化学特集がありました。 ところで、「ゲーテの色彩論」なんて古い思想が、ポストポスト構造主義の1つのサンプルとして並べてある5ちゃんねるスレがあったけど、
ゲーテの色彩論を知ったのは、吉本隆明からであった。
ゲーテは詩人としては自分は大したことないと謙遜しつつ、色彩論には凄い自信を持っていた・・・という・・・・
特命リサーチ200X
https://web.archive.org/web/20090102212514/http://www.ntv.co.jp/FERC/200x_index.html
https://web.archive.org/web/20081217143903/http://www.ntv.co.jp:80/FERC/research/index.html
色彩論
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
光と闇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E5%BD%A9%E8%AB%96
↑↓関係ある? おじゃる?
ゾロアスター教など、その他諸々
二元論
善と悪
陰と陽
光と闇
仏教では
相互依存している
二元論も手放し超えて → 涅槃 ポストポスト構造主義では、ニュートンの色彩論とゲーテのそれが対比されている?
ゲーテがユニークなのは、色彩の背後にある光と闇について思考している点らしい。
ここに仏教でいうところの、「法界」への暗示があるのだろうか? それとエッカーマンって、ゲーテに抑圧されてて、ゲーテが死ぬまで結婚出来なかったというエピソードは、何となく阿川佐和子みたいだと思う。
法界
相互依存している世界の中において
散りゆく桜と人生の儚さという無常に依りて
地水火風の微細な粒子に分解して
そして、その微細な粒子も滅して逝く
それゆえに
理法界
(仮設としての)
すべての物に実体はなく、空性である
理事無礙法界
実体がなく空であるという理と
(仮設としての)ものごとが妨げあわずに共存している
般若の智慧によって観照された
対境としての(仮設としての)一切法の姿
たとえば
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
…さらに無の世界も超えて
平等性智をもって
移り行く世界の様をありのまま見つめている
八正道の正見(苦集滅道の智慧と慈悲) ゲーテのドッペルゲンガー体験は、未来の自分を幻視した有名なフシギ体験。
ゲーテは額のチャクラが感応したのだろうか?
高知能の人の特権か?
南方熊楠もまたしかり? 相互依存の世界にあって、自らを無明と化す・・・なんて表現見て、思い出すのは浅田彰の「構造と力」の中にある、近代的自我のあり方についてフランス哲学の、とりわけラカンの思想だね。
無論、フツーの人が無明と化せる訳ないから、鏡像段階とか自我を何やら構造化させて難解に捉える思考になる訳で、おじゃるさんはその点、シンプルでええね。
ラカンとアラカンの違いというか・・・
> フツーの人が無明と化せる訳ないから
たとえば
大乗の
般若心経とかの場合は
行深般若波羅蜜多時
般若の智慧によって
対境としての一切法を観照して
涅槃の世界は
無明を
滅し尽くしているので
それゆえに
現れることもなく、滅することもない
− これに対して −
上座部 パオ・セヤドー
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
無明が現れて → 省略 → 渇愛が現れて → 省略
上座部とかの場合は
通常、基本的には
とりあえずは(仮設としての)無明を前提として
苦集滅道という対機説法で
普通、通常では(仮設としての)無明前提で おじゃります
(↑上座部とかの場合は)
おじゃるの場合は
上座部も
唯識も
肯定なので
それゆえに
仮設としての
相互依存によって
(相互依存しないものは)存在しないにも関わらず
(相互依存しないものが)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性は
無明からの依存によって現れて
↓
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
中観自立
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
それは、火自体の側にある固有の要素だ」という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
おじゃるの場合は
無明に依存しているので
それゆえに
『火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
それは、火自体の側にある固有の要素だ』
という中観自立に執着している。ということなので おじゃります
たとえば、もし
執着を手放したのなら
それは中観帰謬である?かもしれない
中観帰謬の場合は
無明を前提として
この無明を手放しせよ
と導いていく
それゆえに
仮設としての
無明に依存して
妄想に依存して
分別されなければ、その法が火として設定されない
(無明に依存して、妄想に依存している)
汝の言う「誰も気づいていない山火事」も
いま(無明に依存して)我らによって分別されている
(自相、自性は)存在しないにも関わらず
(自相、自性が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性は
無明からの依存によって現れている
中観帰謬の場合は
無明からの依存によって現れている
遍計所執性を手放しせよ。と導いていく
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
仮設としての
無明に依存して
妄想に依存して
分別されなければ、その法が火として設定されない
あるいは
無明に依存して
分別するのなら
(仮設としての)その法が火の自相・自性である。と妄想される場合もある
自相(自性)を想定しているような
私たちの普通、常識的な考え方に近い立場というのは
無明に依存しているという対機説法になるので
それゆえに
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index1.html
これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって(自立して)存在していると信じ込んでいたからです
しかし
− これを対処するために −
相互依存している世界の中においては
すべての事象は独立してではなく
原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは無常(であり
空性である)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません 探偵モノドラマだと、「現代の呪縛を破った人間、神恭一郎」(スケバン刑事)なんて表現もある。
カッコいいのである。
「火の精神分析」を書いたガストン・バシュラールという人は、フランス人の独学者ですな。 スピノザの「エチカ」みたいに、神と諸々の属性・・・・といった具合に、一元化して考える事も可能でしょうな。
おじゃるさんは、人生の、輪廻の最終段階の階梯外しを見るでしょうか・・・・
> 呪縛を破った(呪縛を破って逝きましょう!)
神恭一郎が登場する
漫画、OVA、ドラマとか見たことないので、わからないけど
((中国経由の)日本の大乗ではなく)
インドとか
ミャンマーとか
チベットなどの場合は
仮設としての
無明を前提として
この無明の世界から解脱して逝きましょう
というのが↓普通で
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
初期仏教
…
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛が絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
般若の智慧と慈悲によって
対境としての一切法を観照して
無明と渇愛を手放して逝きましょう
というのが初期仏教の対機説法で おじゃります 階梯
おじゃるの場合は
階梯?階段、段階的な
上座部の対機説法が、わかりやすくて良い。という感じだけど
呼吸を 3秒も見ることもできないので おじゃります
http://pao.hamazo.tv/c601110.html
…
他のことや妄想や思考などが入らないように
呼吸に30分〜1時間、集中する(気づく)ことを継続します
上座部の場合は
第一禅定から → 第二禅定へ。というように
階梯?段階的に進めていくのが普通です
スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して
「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も手放し超えて
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
(この彼岸に到着しているのなら階梯も手放して外している?)
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
散りゆく桜と人生の儚さということで
2002年 絶体絶命都市
2006年 絶体絶命都市 2
2009年 絶体絶命都市 3
2017年 巨影都市
2018年 絶体絶命都市 4
基本的には
ふざけた物語だけど
部分的には
真面目な
シリアスなところもあるかもしれない
巨影都市
https://www.youtube.com/watch?v=MnP6BOXf064&index=33&list=PLyqi9vd697GJd8zKzSNe39J9R52BH1WXh
絶体絶命都市 4
https://www.youtube.com/watch?v=CHBCI2zCkiU 理趣経 松長有慶の解説本
https://goo.gl/images/7s1PNX
〇十年前に買って、本棚の片隅に埋もれている。
この全集は、ブックカバーのデザインが秀逸でしたな。 芥川賞作家で、仏教について書きたがる人というと、玄侑宗久以外に三田誠広がいるね。
阿含宗の機関誌「アーガマ」で書いてた「青春のアーガマ」
玄侑氏は若い頃、坊主職の父親に反発してたとのこと。でも、実家の後を継ぐと、同じように葬式仏教を肯定する立場になったとのこと。 >>682
おじゃるさんは保息時間が短い?
釈尊の十二縁起のある段階に達すると、長い保息が出来なくなるという体験を、書いてたブログがあったけども?
十二縁起のフローチャートの流れの、もう1つの方のプロセスを、同一方向の解脱のプロセスと解釈していた、そのブログは瞠目に値すると思いましたよ。 そのブログは、立方格子思考の好きな傾向の人で、立方格子(RippoKousi)の頭文字を取って、R氏と名乗ってますな。
> 十二縁起のある段階に達すると、長い保息が出来なくなるという体験を、書いてたブログがあった
おじゃるの場合は
仮設としての
無明に依存して
阿頼耶識は、激流のごとく、暴流の如しで
さとりに達するための障害(覆)がある
有覆無記の
我癡・我見・我慢・我愛を主体として
我所もあり・我もあり
いつも妄想の渦の中に巻き込まれているので
それゆえに
呼吸を 3秒も見ることも出来ないので おじゃります m(_ _)m
> 十二縁起のフローチャートの流れの、もう1つの方のプロセス
無明が消滅すれば行も消滅するという逆観のこと? おじゃる?
とりあえず
仮設としての
輪廻肯定なので
https://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
…
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
変化しないものではないので
それゆえに
因と縁の双方の縁起が相応一致して
業による果報によって
今この五蘊が滅しおわっても異蘊相続していく
此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識
→ 「苦しい」という『想い』が現れる
此れ無きが故に彼れ無く。此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
→ 「苦しい」という『想い』を手放して滅していく >>658
これではなく、「常夜」という曲だったような気がする。
> 常夜
姫神 北天幻想
https://www.youtube.com/watch?v=MCXjYazepp0
http://www.billboard-japan.com/goods/detail/293163
姫神 北天幻想
01:大地炎(も)ゆ−秀衡のテーマ−
02:月のあかりはしみわたり
03:平泉−空−
04:白鳥伝説
05:遠い音
06:組曲「北天幻想」
イ:序〜北狼の群れ
ロ:毛越寺
ハ:北天を翔ける
ニ:常夜
↑これ? おじゃる? >>691
この中の06番目の組曲の「ロ」の毛越寺のパート。
28分台あたりのトラック部分。 あと数日したら、お目にかかる「ゆく年くる年」のさきがけ音声みたいな・・・
で、その後は「今夜もさだまさし」という、近年の定番。
> 僧侶達の声明三昧に入っていく渋いサウンドがあった
> 28分台あたり
27分以降から聴いてみました
おじゃるには
なんの経典を唱えてるのか?わからなかったけど
天台宗?真言宗?の
承狂元密教僧なら
なんの経典を唱えてるのか?わかるかもしれない
予想としては
観音経か?
般若心経か?
準提功徳頌か?
あるいは密教経典か?
ちなみに
http://enlighten.fc2web.com/kannonnkyou.html
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
私は汝のために簡単に説こう
観世音の名を聞き、観世音の姿を見て
観世音を念じて空しく過ごさなければ
諸々の苦しみを滅ぼすことができるであろう
苦しみを滅ぼし、そして → 安心立命へ >>694
「摂足帰命礼」しか聞き取れなかったが、伸ばし方が天台風だと思うよ。
何の文章かはググれば出ましたので、おじゃるさんヨロシク。(笑)
>>695
いつも
ご教示ありがとうございます
摂足帰命礼
接足帰命礼
五体投地
尊者の足下にひざまずき
頭の先を地に付け
両手で相手の足先を手に取り
額に接触させることが最高の敬礼方法とされていた
帰依(きえ)
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
私はブッダに帰依いたします
(私は仏に摂足帰命礼いたします)
普礼真言(ふらいしんごん)
一切の如来の御足を礼拝し奉る
(一切の如来に摂足帰命礼し奉る)
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。そのために摂足帰命礼いたします
たぶんこんな感じの対機説法かもしれない おじゃる? 帰命頂礼、帰命頂礼、御仏様よー♪
こんな俗謡を、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で、伊予の海賊、傀儡が歌と踊りで宴していましたなあ。
吉行和子あたりが中心になって。 >>696
残念。(笑)
我此道場如帝珠 十方三宝影現中
我身影現三宝前 頭面摂足帰命礼
総礼伽陀、と言うらしい。
因みに「摂足帰命礼」の読み方は、「せっそくきみょうらい」。
>>698
失礼いたしました スマソ m(_ _)m
http://tobifudo.jp/newmon/okyo/kada.html
総礼伽陀
我此道場如帝珠。十方三寶影現中
我身影現三寶前。頭面攝足帰命禮
声明の一種
伽陀は声明の一種です
日本の伽陀は漢字を音読みし、母音を延ばすように読みます
延ばした母音の部分は装飾的な、かなり長い節が付きます
これで おじゃりますな? 長母音といえば、中学生時代の音楽教師に、どこぞのお寺で、
「おしようさん」
を出来るだけ長く、息の続く限り長く唱えて競う「行」があるというのを聞いたことがある。
ウグイスの鳴き声を、真似る寺もあるけど。 え?
通俗な意味合いでの、のど自慢だと思ってたけど、呼吸法などを鍛えて、意識まで変革させる意図まであるの?
通俗な意味合での
男女合体にも宗教が隠されている(かもしれない?)
再生へ向かう迷いの中有
シパ・バルドゥは
通俗な意味合での
男女合体により
母胎より誕生して
キエバエ・バルドゥとして、この世に現れる
そして
ヤブユム
男女合体
空性の智慧【女性】
慈悲の方便【男性】
女性から → 男性が生まれるが如く
大いなる智慧により → 大いなる慈悲が現れる
智慧【女性】と方便【男性】の結合という意味において
十七清浄句
(般若の智慧と慈悲による平等性智として見るのなら)
男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
というような秘密宗教が隠されている(かもしれない?)
間違えました!訂正して、お詫び申し上げます スマソ m(_ _)m
× 智慧【女性】と:方便 【男性】の結合という意味において
〇 智慧【女性】と:慈悲 【男性】の結合という意味において
方便ではなくて
智慧による → 慈悲 今朝の面白新聞記事
福井県の僧侶が僧衣を着て車を運転したら、交通違反切符を切られたが、違反金を支払わず裁判に発展する可能性もある・・・というもの。
檀家や葬儀場へ馳せ参ずるのに、やや薄着の僧衣で出かけるんだろうけど、警察も融通が利かなくなってきたのか?
こんなことが↓あったんでつね?知りませんでした
https://mahorobashoin.com/shoin/news/6420/
県の規則とは?
福井県道路交通法施行細則の
「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」という規定
僧侶の多くは日常的に僧衣(改良服)で運転しているのが実情で
(こんなことで青切符を切られていたら)『法事に行けない』 警察も色々変質しつつあるのかねえ?
大相撲の八百長が発覚(八角)した時に、警察がタニマチから離脱したからだろう・・・と囁かれていたし。
見て見ぬふりは相手次第?
坊主ギライの警官ならば・・・・
↓知りませんでした
タニマチ(谷町)とは相撲界の隠語で
ひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、無償スポンサー
大相撲の八百長が発覚(八角)した時に、警察がタニマチから離脱したから
という噂もあったんでつね?
↑知りませんでした おじゃる 昨年、訳ありで真言宗の儀式で、位牌から戒名の一部の霊を空性に還元する?場面に出会えた。
ひじように珍しい儀式で、通常の葬儀などであげる読経とは違ったお経だった気がする。
檀家の仏壇前の場合と、お寺の本堂で唱えていたダラニ?も、初耳であったなあ。
>>710
天台宗?真言宗?の
承狂元密教僧なら
何の
儀式?
お経?
唱えていたダラニ?
もわかるかもしれない
検索する為のキーワードを教えて頂ければ
おじゃるが、そのキーワードを基にして調べてみます
通常の仏教も難しいけど
秘密宗教(密教)系は
もっと更に難しい(かもしれない?)ので 位牌の中から、ひじように古い戒名を抜く為の儀式。
旧家も現代の核家族化の波が押し寄せて、古い戒名から縁を切りたい?といった具合かな?
しかし、こんな密儀を独学者が伝授されてますかねえ?
https://obousan.minrevi.jp/kaimyo-hitsuyosei/
つけなければいけないもの?戒名の必要性について考える
…
戒名をつけないと位牌はどうなる?
人が亡くなると、仏式で葬儀を執り行う際は、白木の位牌を用います
これは仮の物で
忌明けとなる四十九日を目途に漆塗りの正式な位牌へと交換します
位牌は、故人の魂が下りてくる拠り所と考えられおり、通常は仏壇に祀ります
…
位牌をつくったら
故人の魂を入れてもらう儀式(開眼供養/開眼法要)が必要となります
四十九日の法要の際に行うことが一般的です
_ _ _
たとえば
この
故人の魂を入れてもらう儀式(開眼供養/開眼法要)
このときのものが
> ひじように珍しい儀式
> 通常の葬儀などであげる読経とは違ったお経だった
> お寺の本堂で唱えていたダラニ?も、初耳であった
ということかも?(間違ってたら スマソ m(_ _)m ) それは葬儀がすんで、四十九日の法要までに喪主が手配した位牌に、僧侶が霊を入れる儀式。
そうではなく、過去帳と照らし併せて、位牌の書かれてある戒名の霊を逆に抜く儀式。
複数のご先祖様で、自分から縁が遠いと認識した人物の霊を空性に還元する?という・・・
失礼いたしました
たぶん↓これでつね?
https://www.hidamari-b.jp/contents/ihai-kaigenkuyo/
新しい位牌に行う儀式、魂入れ(開眼供養)について
…
傷んだ位牌のつくり替えについて
…
古い位牌から魂抜き…
そして
古い戒名から縁を切りたい?
その為の
> ひじように珍しい儀式で、通常の葬儀などであげる読経とは違ったお経だった
ということでつね?(たぶん)
(たとえ正式に伝授されてなかったとしても)
たとえば元密教僧なら
そのような法要?供養法?があるかもしれない
という噂は知ってるかもしれないでつね?
> 霊を空性に還元
このキーワードのままで検索すると
「オウム真理教などは
(空性還元など)仏教的「空」の意味を正しく理解する人は絶無でした」
とかいうサイトがでてきます
ちなみに
ID:D1SnkwoS師匠の話とは関係がないものとして
地水火風の(極限に)微細な粒子に分解して − 空性
そして(完全に)滅し尽くす − 涅槃
地水火風空識 − 六大
失礼いたしました(たぶん)関係ないでつ 故人の魂は輪廻するとして、位牌に宿る?とする魂は、それに対してどんな位置関係なんだろうかなあ?
おじゃるの場合は
どの宗教団体の信者でもないけど
たとえば
年始とかの
密教寺院の護摩法のときに
聞き取れるのは
釈迦如来
薬師如来
阿弥陀如来
大日如来
宝生如来
弥勒菩薩(慈氏菩薩)
文殊菩薩
地蔵菩薩
准胝観音
不動明王
普礼真言
護身法
(大呪・中呪ではなく)
小呪の方で
これ以外の真言(マントラ)は難しくて聞き取れない
1500円くらいで真言の経典を売ってるけど
一部の真言しか書いてない(全部は書いてない)ので おじゃります
たとえば
古代エジプトとかの場合は
バー(魂)とか?カー(精神)とか?が位牌のようなものとかに宿る?
ウパニシャッドとかの場合は
生命を与えるアートマンをもって
[現象界の]名称と形態により展開したものとか?が位牌のようなものとかに宿る?
中国とかの場合は
魂とか?魄とか?が位牌のようなものとかに宿る?
インドからの宗教観
↓
中国からの宗教観
↓
日本が受け継いでいる?
日本の神道の場合は、どうなのかしらん?
とりあえず
神仏習合ってことで良いのかしらん? おじゃる?
ウィキペディア参照
日本の
神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強い
祖霊信仰もしくは祖先崇拝
既に死んだ祖先が
生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰である
中国、朝鮮、日本(とりわけ沖縄)など東北アジアのものが特に有名である
ふ〜む =^・ ・^= にゃるほろ
日本の神道のことは別としても
結局のところは
中国、朝鮮、(沖縄?北海道?)からの影響?
↓
日本の本州へ?
アイヌは、北海道を主な居住圏とする先住民
ユタは、沖縄県と鹿児島県奄美群島
ということであるらしい?
> 位牌に宿る?とする魂は、それに対してどんな位置関係なんだろう
サーンキヤの
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れ
プラクリティから様々な原理が展開(流出)し
ウパニシャッドの
かの神(=有)は
生命を与えるアートマンをもって
[現象界の]名称と形態とをはっきりと展開し
死んだ祖先の方々と
今、生きている人々を相互に依存するための
仏性からの真如縁起するための
そのための位牌みたいな? おじゃる?
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat29/post-99.html
護摩の火と空海
…
護摩の思想は
インドから中国を経て空海に及ぶ頃にはこの火の行事が高度に思想化され
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼くという思想に至ったと解説する
拝火の起源はバラモン教よりも古いゾロアスター教にもある 護摩といえば、昔日蓮宗の葬儀に出た時に、正式な護摩壇ではないが、ドラム缶に木などをたくさんクベて、強い火力で上昇気流を発生させていた。
アレは、死者の魂を上昇させてるのかなあ・・・という妄想を抱いた。
アニメ「火垂るの墓」でも、妹の葬式で兄が火を焚いてるシーンがラストにあったけど。
単に火葬してただけだったか? 伊丹十三の「お葬式」という映画の中で、棺が火葬炉の中に入れられるシーンを、炉の中にカメラを入れて、中から撮影してる。
死者の視点・・・と、評論家は述べたが、死者の魂がまだ近くに居たら、自分の肉体の最期も見届けるのだろうなあ・・・ >>716
https://youtu.be/PdvL_lKhHNE
「大往生」の作者。永六輔による「仰げば尊し」の講話。巧みな話術。
>>722-725
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
> 「仰げば尊し」の講話。巧みな話術
ちなみに
おじゃるの場合は
つい最近まで
『かごめ、かごめ』は
チドリ目カモメ科の鴎(カモメ)のことだと思っちょりました
『カモメ、カモメ、籠の中の鳥は〜』
かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀が統べった
ちなみに
その当時
総べていた徳川家康の
(江戸設計の天海密教僧の?)
日光東照宮の奥宮(奥社)に
https://tochigi-seeds.com/wp/wp-content/uploads/2017/03/DSC00876%EF%BC%BFs.jpg
亀の上に鶴が乗っちょります
https://tochigi-seeds.com/nikko-toshogu-okumiya
ありがとうございます m(_ _)m
『火垂るの墓』の動画
1時間24分以降から観ました
ウィキペディアに
「ヒンドゥー教でも、最も多い葬送手段は火葬」と書いてあるので
たとえば
ゾロアスター(拝火)
↓
ヒンドゥー
↓
後期大乗
↓
中国
↓
日本
↓
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼くという
仏性からの真如縁起による
護摩供養による
火垂るの墓の、節子の火葬である(かもしれない?)
そして、節子は
見た者には幸運が訪れる
家に富をもたらす座敷童子になったのである(かもしれない?)
> 死者の魂を上昇させてる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%AD%82
バー(魂)
「霊魂」の概念に最も近いものであるとされる
霊魂と同様に「バー」は
持ち主が死んだ後も生き続ける人間の一側面であるとエジプト人たちは信じていた
墓から飛び立ち来世で「カー」と合流する人頭の鳥として描かれることもあった
カー(精神)
「カー」は
生者と死者を分ける霊的な精髄を指すエジプト人の概念である
カーが身体を離れる時に死が起きるとされた
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死んで中有(幽霊)になって
やがて母胎に入り
中有は滅して生有が生じ
生有に阿頼耶識が結合して出生に至る
これは
生有と阿頼耶識の結合により…
バー(魂)とカー(精神)の合流により…。に似てる
1926年12月25日〜1989年1月7日
昭和の幻想文学か?
昭和の古き良き時代か?
欧米か?
ということで
1981年
10月14日 うる星やつら
https://anime-update2.site/view/4487438019/
1996年
4月13日 地獄先生ぬ〜べ〜
2000年
10月22日 学校の怪談
『うる星やつら』と話しが似てる
2008年
To LOVEる
https://anime-update2.site/view/4487420552/ 幻想文学というと、「怪人赤マント」の話なんか、まさにそうだな。
うる星の中のパロディ作品
ウィキペディアに
錯乱坊(チェリー)
『称名念仏を唱える』と書いてあるので、浄土宗?浄土真宗?
『曼荼羅』と書いてあるので、密教も関係がある?
天台宗は
融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの学僧を輩出する
と書いてあるので、天台宗?
↓このアニメも浄土系のような感じがするけど
あまえないでよっ
https://anime-update2.site/view/4487426060/
護摩を焚いてるので、たぶん密教だと思う…
たぶん
念彼観音力と唱えてるので
観世音菩薩普門品第二十五 >>733
八宗兼学という?
作家の故・森敦が、若い頃どこぞで学んでいたとある対談集で読んだ。
承狂氏もそうだろうか? 森敦という人は、若い頃数学者を目指していて、川端康成、横光利一などの旧い世代の文学者と交流のあった、かなりの変人らしい。
ウィキペディアには
森敦(もりあつし)
1951年(昭和26年)8月下旬
鶴岡市にある
真言宗の古刹・龍覚寺の住職の勧めで翌年春まで湯殿山注連寺に滞在する
なので真言宗?
_ _ _
「千里眼」
御船千鶴子の実験をしてた
福来友吉(ふくらいともきち)
東京帝国大学助教授
↓
学会追放されて?
それから高野山大学教授へ
_ _ _
芦屋道満(あしやどうまん)の弟子である
承狂元密教僧は
真言宗?天台宗? 森敦は奈良の東大寺に行ったり、瑜伽山へ行って鈴木大拙に教わったなんて言ってるね。
ウィキペディア参照
鈴木大拙(すずきだいせつ)
彼の著作群は膨大な量に上るが
その多くが《霊性の自覚》や《即非の論理》を巡るものとしてとらえることができる
たとえば『禅論文集1-3』は
禅における霊性的自覚つまり悟りの具体相と心理的過程をとらえている
_ _ _
たとえば
鈴木大拙にとっての霊性?悟り?
宝珠殿にとっての
知るものと知られるものの二元性を越えている?アートマン?
「違うものなのかもしれないけど、それでも似てる!」というような感じもする
↑佛教論議スレの参照も ヨロ m(_ _)m 鈴木大拙の「日本的霊性」は読んだ。
妙好人という凡夫が、念仏を唱える日常のあらゆる断面を的確に捉えた、緻密で博覧強記な文体は凄いものの、鈴木大拙師本人の悟りとは違うものではないの? 大学者の中には、鈴木大拙とか、高峰一愚なんてへりくだった名前に反して、研究対象の重厚さに圧倒される人がいる。
イヤミだよ。 山寺の ポンポンポン
和尚さんが ポンポンポン
鞠(真理)をつきた(尽きた)し
鞠(真理)は無し >>742 >>745
こんなことするの、日本の坊主だけでしょ?
南伝の僧侶なら、絶対やらないハズだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています