さて、他の板で「心」とは何か?というスレタイがあって、そこで「宗教板は偏りがひどい」とあったので、宗教用語無しでちょっと書いてみようと思う。

心とは何か?という問は、実に様々な問題を内包しているが、俺なりの答えは既に出ている問題なので、冗長になるのを気にしないで良いなら、だらだらと重複してかけるんだが、読む方が大変だよな。(笑)
まぁ、なるだけ簡易にやっつけてみよう。
自己認識と適応性、この二つが機能している生命体には心があると言えるだろう。
つまり、哺乳類のみならず、昆虫や菌類まで心はあると俺は考えている。
もちろん、人の心とはかなり違うものだろう。
「自己認識」は同種まで及ぶものもあるだろうし適応行動が自殺になる場合すらある。
まぁ、人も似たり寄ったりの場合はあるが。(笑)
ちょっと視点を変えて、
この心ってのの進化の歴史を考えると新人や原人のある時点でいきなり生じた訳はないから哺乳類の時代から何らかの意思はあったはずだ。
その前の爬虫類はどうか?じゃあその前の魚類は?更に更にその前は?
魚類のヒレが進化して現在の指になった様に何らかの「心」の原型があったはずだ。
それは脳髄か?
ならば脳髄がない個体は心がないのか?
脳髄が神経細胞から構築された時点で「心」は生じた?
しかし、だ。
ならば、脳髄と単なる神経細胞群と神経細胞すらない場合は、つまり魚類以降とそれ以前の多細胞生物と単細胞生物にはどこかでそれほどの断絶があるのか?
ここで肯定するのはキリスト教的なパラダイムの支配下にある奴らだ。
(^。^)「キリスト教的な」位の宗教用語は勘弁な?(笑)
更に言うなら、物質と生物という断絶さえ「心」の原型は越えた「普遍」性を持つ。
前から書いている様に、俺は気功をちょっとやってて、その過程でこの結論に至った。
だから科学的論拠はない。(笑)
心ってやつを変えるのは実に難しい。ドグラマグラでは確か「脳髄が脳髄を騙す」とか書いてたが、実に様々な視点から観察し推測しなくてはならないからだ。
だから東洋の宗教では禁欲的なものが多い。
現代人には実践が難しい話だな。(笑)
だが禁欲と言っても盲従しろってのとは話が違う訳で、かのバカカルト信者みたいなアホらしい屁理屈に丸め込まれた亡者になってはそれこそバカらしい。(笑)
それは科学でも何でも同じ事。
やはり冗長になってしまったな。(笑)
今回はここでおしまい。 
続きはまた今度。(笑)