>>312
南無阿弥陀佛は、阿弥陀様に帰依します、という意味となる「念仏」ですよ。

その雑で根拠不明な分類で、どうして「多田の題目」がマシだろーと驚いてばかりいるだけなのか、不思議ですが‥(苦笑)。

因みに、鎌倉新仏教と云われるものは、(座)禅を抜けば、他力(本願)ですよね(苦笑)。戦乱と神風が吹いた元寇、天変地異が頻発し、明日の命の保障すら怪しい動乱期だったようです。
さらに、仏教は末法に入り、釈尊が見通された通りに法が途絶えてしまった時期でもあり、世相は不安な時代であったと評されている様です。
旧仏教は、所謂、上流階級だけに取り入り、庶民からは遠い存在だったそうです。
そんな不安な世相から、所謂、鎌倉新仏教と云われたものが幾つも誕生したとあります。
大雑把に言えば、無学無教養、文盲かつ貧困に病に喘いだ無力な庶民を何とか支えたいとの絶望的状況から発生した様です。
こうした背景では、難解なインド哲学仏教などは庶民には馴染まず、負担のない簡便な手法をと模索し、魂までも受け止められる様にと、謂わば駆け込み寺の様なものが「他力本願」だった様です。
念仏だけで成仏できるとか、何かにすがるものを、虐げられ見捨てられた衆生庶民の側にも開かれました功績は、(抜苦与楽の狭い視野だけに限定しましても)評価はされてる様です。
但し、それは思想背景を支えた慈悲と開祖の思想が素晴らしい訳で、残念ながら救済菩薩への道へと至るにはまだまだ努力を重ねなければならないでしょうけれども。
末法無明にあった旧仏教からすれば、理不尽な不満に逆恨みをされてしまったコトでしょうし。

ですが、罠を仕掛けられて無駄死にさせられたイエス様の思想には、(一念発起で)「信じる者は救われる」
とある様に、鎌倉新仏教での他力本願の側面も併せられてます。
ですから、鎌倉時代前後では方便としては一切他力を「禁書としてイエス様と全く同じ手口でハメて犬死にさせた魔女狩り魔術で断罪」するではなく、
「末端から突き上げてでも聖徒サイドから」は一定程度は隣人と評価しても宜しい「カト」は考えられる余地を拓いた様です。