創価学会
正式名称は宗教法人創価学会。現在は創価学会インターナショナル(SGI)の日本組織である。
当初は日蓮正宗内部の宗教法人格を持たない法華講として発足し後に独自の法人格を取得し上部団体の正宗と完全に分裂し現在に至る。本部は東京都新宿区信濃町。

シンボルマーク
1977年3月、「八葉蓮華」がシンボルマークとして定められた「八とは色心を妙法と開くなり」という日蓮の御書の一節を踏まえ、八の葉が幾重にも広がるデザインになっている
元々創価学会の仏壇には日蓮正宗と同じ「鶴丸印」が使われていたが、『破門されてからは八葉蓮華』を積極的に使用するようになる。

1988年に池田の提案をもとに創価学会の旗として「三色旗」が定められた。
ポールから順に青・黄・赤という色の三原色が使用され、青は「平和」黄は「栄光」赤は「勝利」を意味する。
ルーマニアの国旗やチャドの国旗とほぼ同一である。


【昭和52年路線】
1977年(昭和52年)1月の教学部大会において、池田は「創価学会は在家・出家の両方に通じる役割を果たしているから供養を受ける資格がある」、「創価学会の会館や研修所は現代の寺院である」、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」などの発言をする。
これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判。翌1978年には、学会が法主日達の許可を得て赤沢朝陽に本尊を謹刻させ、入仏開眼法要をしていた事実につき、山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。


1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。
67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。
日顕、さらには学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎も学会を退会して正信会に参加した。
これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。
その結果宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。
後に池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。