ラーマクリシュナvsアルボムッレスマナサーラ
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ラーマクリシュナ
「万教は同根。真理にいたるにははしごでも縄でも
階段でも、どのような道を辿ってもたどり着く。
無相の真理、有形の神、どちらも正しい。
その人に相応しい形をとって現れる。
大事なのは熱烈に求めることだ」
スマナサーラ長老
「一神教は間違い。大乗仏教も間違い。
上座部仏教のみが人を悟りに導く」 悟りは全ての人にとって理想であるべきなので、現時点で凡人だろうと努力を諦めるべきじゃないと思います。
「弟子に準備が出来たとき、師が現れる」という言葉もあるし、相応の時期になれば展開は訪れると思いますよ。 最近スマの本読んでるけど、ただの生臭坊主じゃねえかこれ。
全てを悟ったような顔してるけど、色々と論理矛盾してるし… ラーマクリシュナは神の化身だったわけで(実際はしらんが)、仏教の一派の長でしかないスマナサと比べるのもどうかと思うけれど このご時世、しかも日本で、っていうんじゃしょうがないよ。悟った人ならまだしも。
ラーマクリシュナ関係だって、せいぜい僧団の坊さんたちが論文書いて売ってる程度。 こいつと苫米地英人の対談本が発売中止になったようだが、
両者に共通してるのは「同じような本を少しずつ内容を変えて何冊も何冊も出してる」という点。 こいつって輪廻転生信じてるんだな。
釈迦はそれ否定したのに…
「この世に起こる現象の全てに、偶然というものは一切ありません」とか。
他の宗教を無根拠と批判しながら、お前のそういう考えも無根拠だろ。
こいつオカルトじゃん、ダメだわと思った。 ラーマクリシュナったって釈迦に比べればただのバカでしょ。
万教は同根なんてのも間違い。
「神はいる」みたいな論理的に間違った宗教で真理が得られるわけがない。
計算機みたいに、インプットがそもそも間違っていたら正しい答えなんか絶対に出てこない。 >>133
それはどうかなぁ。アプローチの仕方が釈迦と違ったっていうだけだと思うな。
コタムリトだけじゃなくて、ほかの書籍も読んでみた方がいいと思うよ。
ゴールにたどり着いた人の間で優劣はないでしょう。 釈迦も単なる一宗教家だが。
どっちも、同じてんかん体質だとは思うが。 スマナサーラも釈迦の教えを語ってるから偉そうに見えるだけで
本人はまだ全然悟ってもいない、俗人に毛が生えたレベルでしょ。
仏道に何十年もかけてるのに未だにこのレベルかという気がしてならない。
輪廻転生とかオカルトを真面目に語ったりしてて情けないよ。 それは日本ヴェーダーンタ協会の常駐坊主も一緒。
話す内容が啓蒙書のたぐいの焼き直しだったりするし 色んな坊主がいても結局誰も悟ってなんかないじゃん。
本人は悟ったような顔してるけど。
あいつら見てると悟るのなんか無理だし、別に悟らなくてもいいと思うわ。
宗教もほどほどが一番。 そりゃ、悟ってる必要ないもん……。お布施さえもらえればいい。悟ったふりして有難い話を焼き直して話してれば満足するのが多いんだもの。 スマナサーラくらい人相が並外れて悪く、発言が腐っていると
ダメ坊主ってわかりやすいが、大体はグレーゾーンなのでは。 スリランカ人では普通なのかも?スマナサーラさんよく知らないけれど。
どっちにしても、霊性に関する質問してみれば分かる。小学生の道徳授業かよ、みたいな返事だったり、お前らに分かるのか、みたいな横柄な態度だったり。
あと周囲の人間の様子。無愛想でいかにも胡散臭いのが張り付いてるようだとアウト。 仏教では一切皆苦で、苦の原因は生にあると言う。でも自殺は苦悩の解消にはならないよね? では、無明とは縁起の理法を知らない事言うけど、要は滅尽定に入らないとダメらしい。さて、あなたは出来ますか? いや、自殺すればすべては解決するよ。
釈迦も人生は無意味で下らないものだという真理を認めたし。
でも、じゃあ今すぐ人間は全て滅んだ方が良いということになる。
それはまずいんで、釈迦は因果だの輪廻転生だのの方便を使った。
「死んで終わりではありません。魂は輪廻します。真面目に生きないとレベルの低い世界に生まれ変わります」と。
でもそれはよく考えれば明らかにオカルト。 スマナサーラはあくまで上座仏教を語り継ぐ装置。
本人に徳があったりするわけではない。 壊れた装置だから、そこらの学生の方がましだけどな。 本人の人格については疑問に思うところもあるが、そういう部分は無視しとけばよろし。
上座仏教が仏教のオリジナルに最も近いのは事実だし、それをネイティブに日本へ伝えてくれる存在としては有用だろ。
でも良くも悪くも釈迦のコピーなんだよね。
ラーマクリシュナみたいな人物とはそもそも比較できない。 スマナサーラは嘘や妄想が多いから文献学やった方がマシだけどな。 スマナサーラ「なぜ死を恐れるのですか?死を経験したことなどないでしょう?」
死が楽しそうなものだったらみんな死に憧れるわ。
「死ぬって気持ちよさそう。俺も早く死にたい」と思ってるよ。 スマナサーラは悟ってるわけじゃないでしょう。長老が知識豊富なのは当たり前。それすら怪しいとのことですが 悟ったからといって人生が無意味で下らないという事実に変わりはないんだけどな。
みんなが悟ったところでどうなるか…
とりあえず物質的なものに対する価値はなくなる。
みんな農業でもしながら原始時代みたいな生活をする。
…そんな世界が良いとも思えない。 スマナサーラ。
厨二病みたいな問題提起を勝手にしておいて、幼稚な答えしか用意してないんだよ。
仏教とか思想の問題云々以前に、人間的に浅薄で経験不足だからどうしようもない。
13やそこらで出家して働くことを知らず、布施や国費でのうのうと暮らしてきた老人。
こいつが他人に対して優位を装うには胡散臭い瞑想体験や、バッタもんの権威しかない。
自らの信条に自信がないからか仏教用語を使って紡ぎ出された、その思想の卑しいこと。 スマナサーラって日本人でいうと誰的なポジションなの? >>151
少なくとも、放射能で壊れそうな人、町、国よりマシかも。 素人ですがスマナサーラ氏ってなんで評判悪いのですかね? スリランカ仏教の異常性に一切、触れず他宗教や他の思想、立場を攻撃する。
差別を否定する割に長老のスリランカ仏教シャム派にはカースト差別があるのに触れない。
オウムを叩く割にスリランカ仏教の異教徒大虐殺に触れない。
ヴィパッサナーは最近、作られたのに上座部の瞑想でしか悟れないと嘯く。
スリランカ仏教には呪術、占星術が満載なのに他宗教がやれば叩く。
自分は呪術をやるくせに、他宗教がやれば死ぬほど攻撃する。
こんな体たらくの癖に仏教は科学だと言いくるめ、その割に科学的知識は皆無。
そうかと思えば都合に応じて科学まで否定する。
漢字が読めないくせに道元の研究をしてわかっているふりをする。
(道元はスマナサーラが批判する法華経の狂信者)
よその宗教が迷信だと叩いたかと思えば釈迦はブラックホールを知っていたとかほざく。
餓鬼が周りにいるとか統合失調症全開の幻を見ている。
自分が攻撃されたら弱く、批判者は地獄行きだとまで言ってしまう。
自分達に金を払えば功徳になるなんてカルト丸出しの妄言をはく。
言い出したらきりがないが、長老は洗脳された人間の見事な症例なんだよ。
自分の強迫観念を必死で他人にまで植え付けようとしている。
知れば知るほどあの長老は嫌になるよ。大体、マトモな面構えじゃないでしょ。 日本のラーマクリシュナミッションとは仲がいいんだっけ スリランカ内戦の原因を作ったのは植民地主義者とキリスト教徒です。
ちなみに私は仏教徒ではなく、いかなる団体にも属してはいません。
↓
「民族・宗教分断政策 デバイド・アンド・ルールとは何か?」
デバイド・アンド・ルールは民族間を分断し、民族同士が力を結集しないように、
あるいは民族間を争わせて宗主国が統治しやすいように、宗主国への抵抗を和らげる植民地支配政策のひとつです。
職業や宗教による民族分断の手法もあり、例えばヒンズー教徒と回教徒を仲たがいさせるなどあります。
第二次世界大戦以前、イギリスはアジア植民地支配の覇者でした。インドでは一定のインド知識層を優遇して懐柔し、
民族内で差別化したり、インド独立運動の宗教的分断を図り、親英的組織をつくり、宗教間で対立するよう仕向けました。
インドやミャンマーでも現在、後遺症に悩んでいるといわれています。
インド
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/1998/0606.html
ミャンマー
http://www.badauk.com/sinjiru/Islam_10.html
スリランカ
http://blogs.yahoo.co.jp/pinkorangedesert/48249920.html
パレスチナ
http://www.ijournal.org/IsraelTimes/mepeace/plo.htm
やっぱ宗教家ってみんな怪しいですね。
あんま信じないことにします。 日本テーラワーダ仏教協会のサイトってコンテンツ充実してるな。
このサイトがあればスマナサーラの本読む必要がない気がする。 それに比べて日本ヴェーダーンタ協会のサイトの貧弱さと来たら 昔のスマ本(「人付き合いの処方箋」に再録されてる)に、
「ちょっと偉そうに言うだけでもいけないのです。
相手には優しく教えてあげるべきで、相手に反感をもたれるのは
その人が悪いのです。智慧が足りないのです」
って言葉が載っていてえらく感動したもんだ。
でも数冊読んで、自分のいったこととマ逆のことばっかりやる人だと・・・
人物の底が知れた気がした。 あくまで心構えを語ってるだけだよ。
スマ自身は比較的最近の本にすら「駅のホームで俺の近くでタバコ吸ってる奴がいたから蹴り飛ばしたくなった」とか書くような人物。
やっぱ俗世に紛れて生きていては悟れないんだね。
悟るというのがいかに大変か、俺ら俗人なんかには絶対悟れないということがわかる。 悟ってもまた元に戻ってしまうことがあるらしい。
阿含経には、悟っては元に戻るということを6度も繰り返したゴーティカという人物の記述がある。
スマナサーラも過去の修業時代に悟りを得たのかもしれないが、少なくとも今は悟っていないだろう。 問題は、「ブッダの経典の日本語訳をさらに解説した」というところじゃないか?
岩波文庫のスッタニパータを読んでも「〜に5つ〜に7つ」とか暗号じみた部分もあって
考えなければ、もしくはある程度仏教に詳しくなければチンプンカンプンという要素もあった
スマの唯一の利点は「経典の引用からさらに仏教用語の解説を行った」というところ
だから、スマ独特の発言に至っては放置で充分
もちろん指摘してたださなきゃマズイんじゃないの?という危機感を持った人もいたけど、
こればかりはゴーダミー精舎の人間がスマに依存しきっていて客観的に発言できないのが問題
ゴーダミー精舎の人間も精舎から離れていろんな書籍・経典・仏典を読んだ上でスマを批判して
「自分は修行が足りない」とスマに自覚させないと…と思う
つまりは、スマは学僧であって真の覚者じゃないということ
だからスマ独特の持論は本気で放置プレーしないと毒されてしまう恐れがある(これは繰り返し何度も言う) 【お布施で成り立つ出家宗教の矛盾】
スリランカの現地の上座部とその信者との関係を見る限り、釈迦の教えと離れた部分も見受けられます。
お坊さんが尊敬されているのはいいのですが、スリランカの信者はひざまずいて挨拶しています。
信者たちはお坊さんを一種の超能力者だと確信していて、拝んだりお布施をするといいところに行けるという、
バラモン教的な思想が残っているのです。
私がスリランカに行ったときに実際に経験したのですが、あるお坊さんがお布施をしてくれたお金持ちの信者に
「あなたたちが出掛けていた間、私たちで交通安全を祈願していました」と言ったのです。
祈願で鉄道の脱線事故や飛行機の墜落事故が防げると考えるのはオカルトでしょう。祈願しようがしまいが、
交通事故が起こる確率には何の影響もない、というのが釈迦の教えなのです。
上座部の中で勉強されている内容は釈迦のオリジナルの教えかもしれませんが、信者に対してしていることには、
他の宗教と何ら変わりがない部分があるのです。あえて信者に対してそういう誤解をさせて成り立っている部分がある
のではと、スリランカでは感じました。大多数の人々は、御利益がなければお布施しようと思わないからです。
出家者と信者の間にはかなり乖離があります。お布施によって維持されている出家宗教はそういう矛盾を内包しているのです。
−苫米地英人 『お釈迦さまの脳機能学』− スマナサーラみたいな人というのは一体何が楽しくて生きてるんだ?
生の本質は苦であるし、苦しむ時間が長くなるだけだから長生きなんてとんでもない、ということらしい。
解脱というのは要するに、もうこんな下らない世界に生まれてこないようになるため。
仏教はわからん。 上座部の坊主もパーリ語経典が唯一絶対のものであり、そこに至上の価値を置いている。
ある意味気の毒な人たちだ。 >>171
いや、そこで「苦集滅道」なんでしょう
「苦」を観察し「苦」の原因を見つけ「道」を見いだし「苦」を「滅」する
…そして「滅」した方法つまり「道」を説いたのがお釈迦様なんだけど、
その辺の方法を今も仏教で行っているかどうかというところに目がいかないと
葬式仏教とか今のお坊さんの袈裟はなんだありゃ(破戒僧的な何か)とかそういうことになる
そりゃ葬式仏教でも致し方ないと思っている人もいると思うが
そうだったらせめて葬式や49日での説法で遺族に対してわだかまりを和らげる説法が必要ではと思う
…死んだ人の遺族は形見分けや遺産問題とか納骨とか残されたことが一杯あるんだから
だから本当はスマ長老が大乗仏教の僧侶だとしたら相当に忙しく、なおかつ経典読んだりして勉強しなければならず
修行も行かなければならず相当ハードな人生を送っていると思う
そこでスマ長老が上座仏教で葬式とかどうするんじゃいと議論が出てこないから
日本人にとって?な話になってスマだけが非難される
もちろん「スリランカの上座仏教」にカースト制の差別意識があるのはこのスレでも出ているが
スマ長老は確かスリランカでは修行や勉強しなかったんじゃ…というのがある
だからスマ長老を「スリランカの僧侶」とみる前に「日本以外の他の上座仏教の国で修行した僧侶」とみないと酷い目にあう
上座部仏教こそが釈迦の教え!
キリスト教(笑)
イスラム教(笑)
仏教は科学!
釈迦の教えは真理!
こいつの本、全部こんな感じだからな。
そして宗教は科学であり真理であるなどといいながら「死んだ瞬間の心の状態で来世が決まります」などとオカルトを真剣に語る。 >>174
そうすると結局>>169になりますね
で、ある程度知識を得たら岩波文庫のスッタニパータとかダンマパタとか
「ブッダ最後の旅」とか読むことを強くお勧めしますね
もちろんもっといい翻訳・解釈本があるというのならここで推薦してもいいかと思いますが
ただ、そこまでスマ長老が言わなければならない理由の一つは「大乗仏教」に対する警句なんでしょうね
もちろん他宗教に対する批判(悪口)はマズイしスピリチュアルじみた教えは覚えない方がいいでしょうが
上座仏教の性格上お釈迦様の教えを尊重するという意識はあると思います
それでももうそろそろスマ長老は森へ帰った方がいいと思います
アチャン・チャーのところで弟子入りしても構いませんから
きっと書籍書いていてもゴーダミー精舎の人間は先鋭化するでしょうし盲信者もたくさん出てくるでしょうから
それよりラーマクリシュナ一派のヒンドゥイズムで
「写真を飾って置けさえすれば神聖なパワーを得られて幸せになれる」
という考え方のほうがよっぽど日本では広まらないと思います スマの経典解説本読んだことあるけど、悟ってない人間が釈迦の教えを語るのは、やってはいけないことだという。
釈迦の教えを自分で解釈して語るのは邪見であると。
であればスマにはそういう本を書く資格がそもそもないということだw 長老に通低しているのは、他人はダメで自分はOKという独善ですよ。
こんな人に仏陀のエセ権威を持ち出されて出来た組織は当然、カルトです。
批判精神で集ってるなら、まずホラ吹き長老が標的にされるはずです。
しかし信者は張り子の虎の権威主義と、他者批判にばかり熱狂している。
採算や結果を度外視し、自己保身にだけ長けた長老亡き後の動向にも注目です。
単なる病に正当化の理論的枠組みを与えている無責任グルなき後どうなるか。 >>173
正直、テーラワーダはキチガイすぎてついていけない。
スマがキチガイすぎといった方がいいか。
スマ自身がかなり邪見を持っているように思う。
スマの本を何冊か読んでの感想。
テーラワーダ仏教にとって、価値のあることは智慧の開発のみ。
物質的な価値は全く認めない。
医学の研究も「いくらやったってどうせ死ぬんだから」と切り捨て。
「災害で壊れない建物を造ろう!」と頑張ってる人がいても、「自然現象に逆らえるわけないんだから」と切り捨て。
それらは全て無常を理解していない愚者の貪瞋癡にすぎないそうです。
本当にテーラワーダの坊主は何が楽しくて生きてるんでしょうか。
テーラワーダを信仰すると、人生なんて本当にどうでもよくなってしまう気がします。 仏教も色々な宗派があるので一概に仏教は駄目と言えないが
やはりテーラワーダ(スマ)はキチガイなのでは。
悟る、というのは無常を理解することらしい。
だがスマの語る無常というのは
・我々は瞬間瞬間生まれ変わっており、今の自分と1秒前の自分は別人
・誰かに殴られて、「仕返ししよう」と考えるのは愚か。さっき私を殴った人は無常によって既に別人なのだから
これだと例え人を殺そうが、殺したのは過去の私であって今の私ではない、別人のしたことなのだから無罪、ということ。
こんなのは釈迦の教えではないと思うが。 >>179
たしかに詭弁を立てればマズイ部分はある
> ・我々は瞬間瞬間生まれ変わっており、今の自分と1秒前の自分は別人
> ・誰かに殴られて、「仕返ししよう」と考えるのは愚か。さっき私を殴った人は無常によって既に別人なのだから
ここまでは「非暴力・非服従」のガンジーとも共通点をもっており、人間の共有道徳としてはまずくない
しかし
> これだと例え人を殺そうが、殺したのは過去の私であって今の私ではない、別人のしたことなのだから無罪、ということ。
> こんなのは釈迦の教えではないと思うが。
人を殺したら地獄に落ちる(人を殺してはいけない)ということもスマ長老を含めおおよその仏教・宗教で言われていなかったっけ?
「なぜ人(生きもの)を殺してはいけないか」ということに日本人で見事に返答をできたのは
「バカの壁」シリーズを書いた養老孟司がしっくりくるかも
答え
殺した生きものは二度ともとに戻せないから(生きていたときの状態に戻せないから)
これは原文に忠実じゃないけど、「バカの壁」「死の壁」「超バカの壁」を読んでみるとわかる
>>179への結論:岩波新書の「読書力」齋藤孝著を読み・学習すべし
>>179が先ほどの仮説を立てたこと自体>>179が何かに病んでいるように見える
それは決して人間として「頭がおかしい」という意味ではなく「スマ長老を腐して批判したいだけ」という意図的な発言にみえるから
日本人はThe Book(聖書)ではなくBooks(日本に出回っている書籍群)を読みふけり成長した
スマ長老はどちらかというとThe Book(テーラワーダ仏教経典)であり
他の大乗仏教の仏典をdisることはしても「そういう考え方もある」と許容しないで読むことはしなかった
要するにスマ長老は「典型的日本人じゃない」んだよな 仏教学ぶのはいいがスマの本はやばい。
テーラワーダも原理主義すぎて怖い。
そんだけ。
大乗仏教の方が幸せになれるかもしれないお。 >>178
> テーラワーダ仏教にとって、価値のあることは智慧の開発のみ。
それ自体は悪いことではない。ただ、生活は在家に守られているということは出家僧侶は知らなければならない。
だから智慧ある僧侶は在家信者に説法をし、信者が敬うというシステムができている、そしてお布施。と。
> 物質的な価値は全く認めない。
物質に執着するのを恐れるのは出家僧侶から見れば当然なのだろう。しかし在家の救いはそうではない。
> 医学の研究も「いくらやったってどうせ死ぬんだから」と切り捨て。
これは個々の価値観の問題で医学の研究がある程度進むと
「苦しみながらも1年延命する方法をとるか、延命しないで苦しまないで半年の命を選ぶかどちらにするか」
と医者が選択を選ばせることもある。
従って医学の進歩は出家僧侶にとっては肯定しないが、俗人にとっては必要な問題。
ただ、ここで出家僧侶が言いたいのは「人は必ず死ぬから残された人々(遺族)に迷惑をかけないようにしなさい」
「人は必ず死ぬから今『余命○○年』と言われても慌てないようにしなさい、粛々と後片付けしなさい」
といういわゆる「心構え」を話しているだけである。医学とは直接関係ない。医学の発展は医者がやることである。
スマ長老の表現がアレなのは仕方が無いのだからそうやって「始めに批判ありき」な言葉尻で責めるのは共感できない。 続き
> 「災害で壊れない建物を造ろう!」と頑張ってる人がいても、「自然現象に逆らえるわけないんだから」と切り捨て。
「無常」によると自然現象が発生するしないに関わらずじわじわと建造物が壊れていく様が分かるようだ。
完全に崩壊する前に手直しする姿勢を取るのが俗人には大事だと思われている。
自然現象に対応すれば人命が救えるのではないか、財産が守れるのではないか、
家屋が守れるのではないかという仮説はありえる。
しかし、出家僧侶にとっては命や家屋や財産の執着になり反論へと進む。
> それらは全て無常を理解していない愚者の貪瞋癡にすぎないそうです。
こればかりは出家僧侶も在家信者も修行しながら勉強し続け「本当はなんだったのだろう」と見極める必要があります。
そのモチベーションがお釈迦様であり、瞑想による「智慧の獲得」であり「智慧による喜び」であり、経典なのです。
テーラワーダの坊さんって大乗坊主と変わんないぜ。スマほど精神状態は酷くないが。
サンガに貢いだら功徳で背いたら地獄行きって大衆を洗脳しているから生活は安泰だし。
瞑想オナニーに浸れる変人以外は、普通の楽しみでニート生活を満喫しているよ。
そんなにパーリ仏典が好きなら乞食しながら野宿してればいいのに。
実際にやってることといえば、オカルトで俗人を騙して布施を掠め取ることだろ。
口先はブッダだが中身は俗人と変わらん。
だめだこりゃ。 釈迦は末法を預言していたといいます。
しかし、仏教が本当に普遍的な真理であって素晴らしいものなら、なぜ仏教は衰退するのでしょう。
なぜその普遍的な真理への道を歩む人が減っていくのでしょう。
それは、宗教というのは情念によって選択されるものだからです。
真理などどうでもよいのです。
宗教というのはあくまで「人間を幸福に導くもの」にすぎない。
人は結局、自分にとって心地よい宗教を選択するだけ。
仏教は正しいと思うけど嫌いだから信仰しない、という態度を責めることは誰にもできません。
やはり仏教は俗人を幸福にするものではないのです。
当たり前です。
俗世間で幸福とされているものを一切否定しますから。
なぜ世界で最も広く信仰される宗教が仏教でないのかは、つまりそういうことです。 世界三大宗教のひとつは上座仏教ではなく大乗仏教。
ダライ・ラマは世界的な存在だがスマナサーラは…
そこ考えればあとはわかるな? 宗教人工で言えば仏教はとっくに三大宗教から、凋落している。
その中でスリランカから逃げてきた男が作った日本のカルトなんて論外。
本人は羊のような日本人を相手に宗教的に寛容なこの国で他宗教を叩いておるが。
どうしても他宗教を敵に回したいならYouTubeで英語で腐った法話をあげな。 ま、少なくともニコニコ動画で瞑想方法を公開しているだけじゃまだまだだろうけどな>スマの影響力
YouTubeでなにがしかの説法を後悔したらどうなるかは興味ある
けど、鈴木大拙の「真宗入門」くらいにしかならんだろうという予想ができて… 最貧国出身の劣等感だらけの似非エリートに好きなように喋らせたら
問題だらけだったってだけの話だが騙されてしまう人がいるのがなぁ。 「そのとき、うぬぼれの心を起こした比丘、比丘尼、信男、信女は五千人を
くだらなかった。これらうぬぼれた増上慢は悟ってもいないのに悟ったと思い違いをし
みずからの傷を後生大事に抱えたまま小賢しく釈尊の前から退席した」(法華経)
これらの五千人の増上慢の末路は・・地獄・・
「イエスは言った、今わたしと同じ鉢で食事をしている者がわたしを裏切ろうとしている
その者はいっそ生まれてこないほうがよかった」
ユダ「まさか、それはわたしのことですか?」
イエス「そうかも知れない」ユダは呪われた金貨を投げ捨てると首つり自殺して
地獄へ堕ちた
これらの諸宗教のエピソードから「増上慢」とは誰のことか
はっきりわかるであろう お釈迦様だけが唯一絶対に正しいのだから無条件で信じなさい
哀れな坊主です(-人-) なんで、こんなアホみたいな宗教信じちゃうんだろー。
瞑想で心が進歩する、悟れるって長老を見て心が進歩してるって考える方がおかしいよ。
そうかと思えば
「悟り直前の僧侶が罵詈雑言はいて、荒んでましたが悟りました」(大意)。
みたいな、矛盾丸出しのホラまでアビダンマ解説みたいな専門で吹聴する。
おいおいお前、瞑想で心が進歩するって言ってただろ。基準が適当すぎるぞ。
お前の売りで商売道具である瞑想と、その僧侶は無縁だったのかよ。
そういやお前の瞑想は最近作られた、贋作だってバレてるしなぁ。
大体、お前が定義するような悟りってあるのか。科学ならちゃんと証明しろよ。
『怒らないこと』(サンガ新書)なんてものを出しておきながら自分は常に怒っている。
せめてお前の、セクトの憐れなボランティアぐらい大事にしろよ。
日本人を遅れているなんて言うくせにスリランカは差別や迷信まみれ。
一方で自分はスリランカでは嫌われていたし、スリランカが嫌だとも言う。
お前は、ひとりでどんな高みにいるつもりなんだよ。そりゃ嫌われるわ。
自分は批判というか悪口を言いたい放題で「批判は気にするな」なんて言う。
お前、どれだけ唯我独尊で反省能力ないんだよ。本当は評判が気になる癖に。
肯定的評価の流布や自慢話には必死な癖に。批判されるまでネット好きだったじゃん。
でも今はネットを肥溜めと呼んで、批判封殺しようとしてるもんな。
法華経や聖書を、ボロカスに叩いたかと思えば自分は迷信を信じている。
聖書や大乗経典信じてる奴らに、お前の国はしてやられっぱなしだよな。
その間に母国の民は低レベルな民族扮装に夢中で進歩しないもんなぁ。
仏教国が内戦って恥ずかしくないのかね。結局、他宗教いじめってコンプレックスでしょ。
大乗仏教がやって来ても、スリランカの仏教徒は論破して追い出したなんて嘘つくなよ。
余裕でお前の国でも大乗仏教が信じられていたじゃん。ただ権力に取り入っただけじゃん。
口からでまかせ、ばっかりで言ったそばからブーメランが刺さるよなー。
空虚な自分を慰めてきた、言葉の集成が今の法話なんだろ。
瞑想中かなんか知らないけど、一人で微笑むヤツってやっぱり気持ち悪いでしょ。
そもそも法華経では現代の日本のすさまじい光景が未来記として
予言されている
「正しい修行をしている比丘はしばしば僧院から追放され・・・
悟ってもいない者が六神通を得た阿羅漢のように供養され・・・
人々の心は禽獣にひとしく何が正しい物事の道理なのか理解できず・・・
正しい大乗の教えを誹謗中傷し、刀や杖、石や瓦を投げて迫害し・・・
世の中には大地震などのすさまじい大恐慌がおこり、飢饉(失業による破産や自殺と解釈できる)にさらされる
等々・・・
これらの原因はすべて法華経誹謗の罪が原因である
法華経を守護する諸天善神は日本の荒廃したありさまを見ても法華経誹謗の邪見の輩を打倒するため
日本国を見捨てると日蓮が警告した鎌倉時代によく似ている
悪夢が再びあらわれるのか?
この国に悪魔が徹底的な攻撃をしかけてくる
ゆえに早く僧形の悪魔の魔説を捨て、大乗の正道、「法華経」に回帰せよ
この国の日々滅び行く姿を・・・これ以上見たくない
仏教って貧しい国向けの宗教だよな。
スリランカみたいな国に生まれたらそりゃ仏教は受け入れやすいよ。
「この世で価値のあることは解脱だけ」なんていう宗教は日本では拒絶されます。 スマナサーラ教のような淫祠邪教が、跳梁跋扈するのは現実社会での
梯子はずしに、耐えられない人達に妄想世界でのレベルアップの道を
示しているからだと思います。
何の結果も出さなくても内輪の基準で自己完結できる絶好の現実逃避です。
当然、スマナサーラがそうであるように宗教的価値を追及するふりをして
俗物的な価値観を追及するようになるのがお決まりですが。
そもそも心の進化という理念の俗っぼく胡散臭いこと。
スマってパーリ語できるんだよね?
パーリ語も日本語もできるという意味では貴重な人材のはず。
修行も学問もかなりハードコアにやっただろう。
でも仏教って出家相手の宗教でしょ。
正直ついていけないわ。 てか、「仏教学者中村元」訳の経典を訳し直して、さらにパーリ原語も付け加えて
ハードカバーで売ればそれでいいんじゃね?
中村元の訳が悪いわけじゃないけど、仏教用語や解説がなまじ出てこないから
7つとか5つとか文章中に出てきても何が7つで何が5つなにか分からんということばかり
2代目中村元が仏教解説も加えてなおかつ原語もきちんと出版して普及させれば
スマ長老みたいなのに教わる必要がなくなって、アンチスマもいなくなる
本気で日本でお釈迦様の言葉をきちんと浸透させたかったら日本人が訳して解説しないと
あの長老だからダメとかじゃなくてどんなに当たり障りのない長老であっても
多分これから先宗教板で上座仏教のアンチスレを立てて叩き続ける
…今の日本の仏教学はどうなっているんだい…誰もやらないのかなぁ ここまで嫌われたのはあのスマナサーラ長老だからに決まってんじゃん。 >>202
だが、スマナサーラ長老がいなければ小池龍之介につながることもなく、瞑想や上座仏教を知ることはできなかった
昭和やバブル景気のころに上座仏教や「お釈迦様の言葉」がメジャークラスで広まったかといえばそうではなく、
たとえ中村元の訳書を効果的に宣伝していたとしても普及に無理があったのは今まで生きてきた人間ならだれでも分かるはず
正直「ミャンマーの瞑想」とか「手放す生き方」なんて昭和やバブル景気の頃に広まっていたと思うか?
広まっていたら、俺等の人生もっと変わっていたわ それは単にあなたの中でスマナサーラが肥大化してるだけだと思うよ。
中沢がいなきゃチベット仏教は広まらなかった、和尚やTMがなきゃ瞑想は
ここまで注目されなかったってのと一緒のもの言いでしよ。
スマナサーラは昭和のオカルトブームの延長線上でしょ。
言ってることがオカルトそのものだし、信者はあっち系統だし。
今のスピリチュアル系統とかなりシンパ被ってるじゃん。
昭和から連なるムー系統の本の意匠を変えたバージョンに過ぎないでしょ。
変な選民思想や権威主義はオウムにも通じるし。スリランカ仏教は大虐殺してるし。
出版側は、わかっててやってるよ。お得意様の客層はいつの時代も同じだから。
スマやスピ風のオカルトや異常性抜きの、上座本って売れてないし。
スマナサーラのオカルティックな、妄想やカルト性を批判する流れに
ヒステリックに反発してきたのが奴のシンパだったわけだし。
ミャンマーの瞑想法だって奴があんなにありもしない効能を謳わねば
フェイクだってバレなかったわけだから、そういう意味での功績はある。 >>57-58
偽善宗教ありがとう教信者は氏ね。生長の家だけは絶対に許さん。消え失せろ。 >>204
そこまでいうのならあなたは上座仏教や「お釈迦様の直接の言葉」をどのような方法で知ったのですか
どんな書籍で知ったのですか
スマ長老の影響が何らかの形でなければ私は中村元の「スッタニパータ」さえも読むことはなかったと思います
そして、自分の檀家の大乗仏教の宗派にも興味を示すことなく何も知らないまま過ごしていたことでしょう
それこそ恐ろしいことではないでしょうか >>206
俺はスマナサーラが、で張る前から原始仏典も大乗仏典も読んでいたよ。
スマナサーラは、今みたいに変な信者ができるずっと前から見ているよ。
何で自分の体験を一般化しているのか知らないが、導入なんて人それぞれだよ。
>>206
自分の場合はやはり一時のスマナサーラ(ヴィパッサナー)ブームから
入った。ニ、三冊読んで、この人はなんかメンタルやばい・・・と思い、でもヴィパッサナーは自分に
とって目新しい概念だったので、海外の、特にアメリカのマインドフルネス関連の
書物を読み漁った。
スマナサーラって、日本にはどういうビザで滞在してるの?期限切れとかないの? スマさんの著者に「怒りはいけない・・・」とかあるけど会った人に言わせればすぐにキレる人らしいじゃん? 単純に、東京でティッシュ配りしてるヤツの方が
悟ってるでしょ。 手を慎み、足を慎み、言葉を慎み、最高に慎み、内心に慎み、心を安定統一し、一人でいて、満足している。
―その人を<修行僧>と呼ぶ。
口を慎み、思慮して語り、心が浮つくことなく、事柄と真理とを明らかにする修行僧―彼の説くところは優しく甘美である。 スマの本で「人生はゲームです」ってのがあったけど、仏教的に言えば「人生は罰ゲームです」の方が正しいよね… 長老は信者や国家に寄生して生きてきて、本当に困ったことがないから
本当にゲーム感覚だったのかもしれない。言葉もいい加減で重みがない。
ゲーム感覚だから、あんなに無責任なのかもしれない。 人格が破綻してるからなあ。しかも、どんどん酷くなっているし。
受け狙いで毎回、矛盾することを言う糞みたいな説法が金になっちゃったし。
キチガイじみた信者がわんさかいるし、このまんま餓鬼道に邁進するんだろう。 要するに生活が保障されてる僧侶は
だんだん傲慢不遜になる
ヤツラに低賃金労働者の痛み苦しみなんてわかるわけない
社会経験が不足してるから人情の機敏にも疎く、自分でも気が付かないうちに
人を傷つける
それはスマナサーラもメダサーナンダも同じ
甘やかされた坊やには世の中のことなんてわかるわけがない 底辺労働者の苦しみといってもな?
そんなのスマに言わせれば
・もっとお金が欲しいと思うのは不幸の始まりです。得たもので満足しなさい
・仕事が辛いなら転職しなさい。仕事はいくらでもあるのだから、そんなことで悩んでいるのは視野が狭いです
・なんのために働くのか、などと考えるのは病気です。生きていくためには働かなければならないのです
これで終わりだからな 自分は小さなことが思い通りにならないだけで激昂するくせにな。 でもこないだのワタミの過労死の件とか、ああいうのって単純に馬鹿だと思う。
ワタミだけを責める気にはならん。
自分より仕事が大事、ってどんだけ視野狭窄なんだと。
辞めたら仕事がなくなって生きていけなくなるとか、そういう変な妄想に囚われてるからああなる。 寄生虫人生のスマナサーラが、とやかく言う問題ではないわな。
ニート根性丸出しの戯言を世間知らずの、お前が言うなって感じ。 >>224
それはそっくりそのままメダサーナンダにもあてはまる スマナサーラみたいに人生は無意味だって斜に構えるのは簡単だ。
そこで自分は、輪廻からの解脱や悟りという信仰に基づく意味を追求するのは詐欺だ。
社会的価値は無意味だと冷笑しながら社会や信者に依存し欲と恐怖で人を支配する。
自分がすがる意味にすら無自覚で、自分の言葉を真剣に生きようとしない。
あらゆる価値を否定しておいてディオゲネスや良寛をやるなら尊敬しよう。
こいつに出来るのは適当な基準を設けそこで自分を優位に見せかけるだけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています