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敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2010/09/26(日) 03:40:09ID:aFgRDPWp
と思ってました
2ちゃんねるを見るまでわ
0424老クリスチャン
垢版 |
2017/11/14(火) 14:27:16.26ID:XZ/usM0u
【信仰の話 -1-】
キリスト教のお話しをします。

キリスト教を伝えようとしたり、あるいはキリスト教を学ぼうとするとき、私はそれを次のように言い換えてみたいと思います。
私たちが伝えなければならない、あるいは学ばなければならないのは 「キリストの福音」 である、と。

この 「キリストの福音」 とは、根本的には、個人の神学や哲学である以前に、先ず 「教会の宣教」 の内容であって、教会はその誕生の時から今日に至るまで、「福音の宣教」 をその使命として歩んで来ました。
それは、聖書を通して私たちに届けられた 「神からの知らせ」、「イエス・キリストによる救いの知らせ」 であります。

「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」(IIコリ 5:19)
「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」(コロ 1:19-20)
0425老クリスチャン
垢版 |
2017/11/14(火) 14:28:01.61ID:XZ/usM0u
【信仰の話 -2-】
ここで 「和解」、「平和」 の主体は神であって、その対象とされているのが 「世」、「人々」、「万物」 であることに注目しましょう。
キリストの福音とは、「神」 と 「世、人々、そして万物」 の間の 「和解、平和」 の知らせなのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハ 3:16)

以上から明らかなように、「キリストの福音」 は救済史(神による救いの歴史)の目標であり完成であって、それは終末の神の国到来によって完結するのです。

「わたしたちの本国は天にあります。 そこから主イエス・キリストが救い主としてこられるのを、わたしたちは待っています。」(フィリ 3:20)
「死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。 アーメン。」(信条)
0426老クリスチャン
垢版 |
2017/11/15(水) 10:18:50.35ID:wBSjrm8o
【信仰の話 -3-】
「キリストの福音」 は、その本来の性格から、この世の一つの真理や道徳、社会規範や世界政治の目標とは、区別されなければなりません。

教会は昔も今も、多くの善き業や奉仕をこの世に対して行って来ました。
また教会は、この世の平和のために、あるいはこの世の改善と進歩のためにも、多くの貢献を果たして来ました。
しかしそれらは、教会の第一の使命である 「福音の宣教」 に付随する行為であって、決してそれらがそのまま 「福音」 ではないのです。

「あなたの神である主を愛しなさい」 が第一であって、それを抜きにして 「隣人を自分のように愛しなさい」 が福音なのではありません。
あくまでも、それは第二の掟なのです(マコ 12:29-31)。
0427老クリスチャン
垢版 |
2017/11/15(水) 10:19:31.95ID:wBSjrm8o
【信仰の話 -4-】
この 「福音の宣教」 は、本質的に、神から 「教会にゆだねられた」 ものであることを理解する必要があります。

私たち一人一人が福音を信じ、福音に生きるのは、教会という交わりに於いてであることを、使徒信条は 「聖徒の交わりを信じます」 という言葉で宣言して来ました。
初代教会は 「交わり」 という言葉で、彼らのミサ(礼拝)を表現しました。

「わたしたちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(Iヨハ 1:3)
「ミサの祭儀は、・・・・・ 全教会にとっても、地方教会にとっても、また信者一人ひとりにとっても、キリスト者の生活全体の中心である。
・・・・・ そして、他の聖なる行為とキリスト者の生活のすべての行いはミサに結ばれ、ミサから流れ出、ミサに向かって秩序づけられている。」(ミサ総則 1)
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