2011年(主日A/B年) 11月6日 年間第32主日
知 6:12〜16  Iテサ 4:13〜18  マタ 25:1〜13

「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。」(Iテサ v.16)

キリストが世の終わりに来られるパルーシア(παρουσία)は、キリストの栄光が見える形で現れる日です(マタ 16:21,24:30)。
イエスも原始教会の使徒たちも、このことを語るときにはいつも、伝統的なユダヤ教の黙示文学的表現を用いました。

「わたしたちは ・・・・・ 救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いに与らせるように定められたのです。」(Iテサ 5:8-9)

しかし私たちは、福音によって語られたこのキリストの栄光を、今は土の器に納めているようにして持っています。
それはただ信仰によってだけ、主の方に向き直ることによってだけ悟ることが出来るものです(IIコリ 3:14-16,4:3-4,6-7)。
この期節に教会は悔い改めて、使徒パウロとともに宣言します。

「主イエスを復活させた神が、イエスとともにわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」(IIコリ 4:14)と。

・・・・・ 以下、本文参照。
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