2010年(主日C/A年) 11月7日 年間第32主日
IIマカ 7:1〜14  IIテサ 2:16〜3:5  ルカ 20:27〜38

ニケア・コンスタンチノープル信条で “死者の復活” と書かれている部分が、使徒信条では “からだの復活” となっています。
この用語法は、“肉の復活” ではないという神学的な主張に基づいているのです。
それは初代キリスト教の宣教を、ギリシア的・プラトン的な霊魂不滅信仰から区別する明確な表象なのです。

西欧人でも日本人でも、人は肉体的に死んでも、そのまま引き続き霊の世界で生きているという考えに馴染んで来ました。
墓の中でか、霊の世界でか、はたまた天国でか、その同じ人が生き続けているという理解です。
当然、復活と言うことがあるとすれば、それはその人の生涯の “続き” ないし “第二幕” であって、“七人ともその女を妻にした”(ルカ v.33)という過去を背負っているわけです。 それが “肉の復活” です。

「この世」(ルカ v.34)と 「次の世(来るべき世)」(ルカ v.35)との間には全き断絶があるのです。
それは “続き” でも “第二幕” でもありません。
「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(21:27)というような表現も、この断絶の象徴以外の何ものでもありません。
“天上の体と地上の体”、“自然の命の体と霊の体”、“土からできた人と天に属する人” という使徒パウロの対比(Iコリ 15:35-49)の意味を理解する人だけが、“からだの復活” という用語の神学的主張を受け入れることが出来るようになるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
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