説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学

 なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。

 新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。

 私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。

 よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。

 この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。

 「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。

 それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。

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