私がムスリムになるまで アラビヤ語研究室 奥田敦教授・植村さおり講師インタビュー【第2部】
http://sfcclip.net/2014/10/8783/

奥田:ムスリムになったのは、イスラームについて学ぶうちに、そうならないことに理由がなく、説明もつかないことに気付いたからです。
元々は学問としてイスラームを学んでいたのですが、知れば知るほど、その正しさを信じざるを得なくなりました。
聖クルアーン(コーラン)には当然のことしか書いていませんから。
本当に乱暴に言えば、人間ならまわりの人間に優しくしなさい、困っている人がいたら助けなさい、そういうことが書いてあります。
僕は、それは正しいと思ったのです。

「教育者として、ムスリムとして、大人として」アラビヤ語研究室 奥田敦教授・植村さおり講師インタビュー【第3部】
http://sfcclip.net/2015/01/13198/

アッラーと日本の神様

奥田:そして、それを唯一の従うべき神としようというのがイスラームです。

日本には野球の神様とか、トイレの神様とか、いろいろな神がいますよね。
よく「最後に野球の神様が笑ってくれた」という言い方をすることがある。
それはそれで、日本人らしい信仰の形なのかもしれません。

でも、野球の神様は野球をやる人の神様であって、ほかの分野にも出てきて何かをすることはないですよね。
ほかの人は、水泳の神様を信じていたり、お金を神様みたいに信じていたり、SNSに依存していたりする。

イスラームの神というのは、そういうバラバラなものではないのです。
むしろ、そのすべても包むような、完全な一個のものとして捉えられている。

日本人は、どうしても森羅万象を分けてしまって、自分に関係するところに神を見てしまう。人間関係でも同じかもしれません。
これに対しイスラームでは、むしろ森羅万象の後ろ側を見ていきます。
となると、自分たちが頼っているものも、あなたがすがっているものも、手繰っていけば結局同じもので、
すごく大きいもので、みんなを受け止めてくれるようなものなんだよ、と考えるのです。
積極的にそういう存在を受け入れて生きている人たちが、イスラーム教徒ということなのです。