そのうち摘発されて、「措置命令(旧排除命令)」が下されるのは年2、30件程度しかなかった。

それで摘発されるのは、よほど悪質か運のない業者ということになる。

中には、その「景品表示法」があることすら知らん業者もいたという。

せやから、当時の新聞販売店が、その法律の存在を知らずにそうしていたとしても、それほど不思議でも何でもなかったわけや。

当然やが、それが違反やと知らんかったら、いくらでもエスカレートするわな。

中でも、奈良県のK市でのそれは、俗に「拡張戦争」と呼ばれるくらい凄まじいものがあった。

ワシの過去の拡張人生において、その頃が一番過激な時やったと記憶しとる。

また、これほど稼げた地域、時代も珍しいやろうと思う。

まさに、拡張員にとって古き良き時代やったということになる。

奈良県は昔からA新聞の強い所として知られとるが、この地域だけは、Y新聞、M新聞、S新聞と全国紙各社とも、かなり力を入れていて勢力的には、ほぼ拮抗していた。

シェアもA新聞だけが30%台で、後はいずれも20%台を維持していたさかいな。

ワシはこの頃、S新聞の販売店に「専拡」として大阪の拡張団から派遣されていた。

K市にN台という住宅街がある。

その中央辺りの広い道を一本挟んだ両サイドにA新聞、Y新聞、M新聞、S新聞といった全国紙の各新聞販売店が軒を連ねていた。

表向きは、それぞれの新聞を購読し合うという、どこにでもありがちな友好関係を保っているように装われていたが、その内面では敵対意識が相当に強かったと記憶しとる。