// www.geocities.jp/burke_revival/blogshakaihoshou.htm EDMUND BURKE(エドマンド・バーク)の系譜
 
真正自由主義(伝統主義、真正保守主義 // counter.geocities.jp/ncounter.cgi?id=burke_revival

保守主義の哲学---現代自由人は福祉国家という結果平等の刑に処せられている。21世紀は「覚醒の世紀」である。

―――――保守主義(哲学)の神髄―――――

2−4「社会保障制度」=「租税制度(=政府による私有財産の強制没収)」+「給付制度(=政府による所得の強制移転)」

2−6「福祉国家」という幻想――福祉政策の窮状
2−7「福祉国家」という幻想――医療保険

3−2福祉支出浪費の真因
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・・・2−5 Mr.マリック、セロなどの一流マジシャンもびっくり――世紀の超魔術としか表現できない「社会保障制度」
 
 
2−6 「福祉国家」という幻想――福祉政策の窮状

―M&R フリードマン『選択の自由』、日本経済新聞社、170〜173頁(ここから)―

「社会福祉政策の窮状」を討論するのは、社会福祉制度を討論するよりは、はるかに短くてすむ。

その理由は、この問題に関しては、広く人びとの間に意見の一致があるからだ。
現行の福祉制度の多く(→例えば「生活保護」など)の欠点は、人びとに広く認められるようになった。
援助を受けている人びとの名簿は、社会の経済繁栄が進めば進むほど、長大なものとなってきた。

ますます巨大化する官僚機構は、人びとに奉仕するというよりは、行政上の書類をあれこれといじくるためにだけたいへんな努力がつぎ込まれている。
 
福祉プログラムに対する不平も増大してきたが、人びとの不平の対象となるプログラムの数も増大の一途をたどってきた。
貧困者を助けるということで制定されてきた連邦プログラムだけで、100以上もが雑多に存在している。

その主要なものをあげるだけでも、社会保障制度、失業保険、老人医療保険、扶養児童家族、所得補償補助、食料スタンプ等々がある。
その他にも、大半の人が一度も聞いたことがないような多数のプログラムもある。

・・・いずれにせよ、これらのプログラムの行政を運営するためには、そのどれもが官僚機構を必要としている。

社会保障制度のためだけで、毎年1,300億ドル以上の支出が行われているが、これに上乗せして、前記のいろいろな福祉プログラムのために毎年、約900億ドルの支出が行われている。

連邦政府のセンサス局の調査にしたがえば、1978年のいわゆる貧困水準は、非農村4人家族の場合で(1家族・1年当たり)約7,000ドルであり、これ以下の所得しかもっていない家族を全員総計すれば、約2,500万人にのぼると推計された。

・・・そのうえ、たとえ前記のセンサス局の推計を基礎に計算してみても、このことは、貧困水準以下の人びとに対して、現行の諸福祉プログラムは、
一人につき年間3,500ドル(→900億ドル÷2,500万人=3,600ドル→丸めて3,500ドル)もの支出を行なっており、これを4人家族の単位でいえば、1家族当たり、
14,000ドル(→3,500ドル/人×4人=14,000ドル)の支出をしていることになる(→??1家族1年当たり7,000ドルが貧困水準の基準であるだが…)。

すなわち、上記で貧困水準といわれた水準(=約7,000ドル)よりは、約2倍も大きな所得を支出していること(=「大矛盾?」)になる。
このことは、現行社会保障制度のいろいろな資金がもれなく「貧困者」へ行っているとするならば、アメリカには一人も貧困者がいない(=「大矛盾?」)ことになり、
少なくともすべての人びとがたいへん快適で豊かな生活をしているはずだ(=「???」)。

ところが、明らかにこれらの資金は、主として貧困者へは渡っていないのだ。その一部は、巨大な行政機構のきわめて魅力ある高い賃金体系を維持するために、吸い取られてしまっている。