>>132

教えていただき、感謝です。
覗きにいって、ラピス嬢の頑迷さを鑑賞、あきれはてさせていただきます。

イエスの肢体であるキリスト教徒の共同体について、パンセを開いてみたら、
偶然出てきましたので、ここに記します。


パンセ 482
・・・・神は天地をつくられたが、天地は自分の存在の幸福を感知しないので、
神はそれを意識する存在、すなわち、考える肢体が一つの全体を構成するよう
な存在をつくろうとお望みになった。なぜなら、われわれの肢体は、それらの
結合の幸福、それらの驚くべき理解の幸福、それらに精神を吹き込み、それら
を成長させ存続させるために自然が配慮してくれる幸福を感じないからである。
もし死体がそれを感じ、それを知ったならば、どんなに幸福であろう。だが、
そのためには、死体はそれを認識する理解力と、普遍的な魂の意志に同意する
よい意志とを、必要とするであろう。しかし、理解力を授かったにしても、肢
体がそれを自分の養分としてとるにとどまり、他の肢体におくることをしない
ならば、それらはただ不正であるだけでなく、また不幸であり、したがって、
それらは互いに愛し合うより、むしろ憎み合うことになるであろう。肢体の祝
福は、その義務と同様に、それらが属している全体の魂、すなわち肢体が愛し
ている以上にそれらを愛している全体の魂の導きに、同意するところにあるのだ。


今日は、嫁が病院に行って検査を受けるので、その付き添いで出かけます。
長く不在しますが、また覗きに来ます。