松田聖子は福岡県久留米市出身。
高校生の頃からオーディションを受け始め、
1978年にコンテストの九州大会で優勝したのをきっかけにスカウトされ、翌年上京。
80年4月、18歳の時に「裸足の季節」でデビューした。
透明感のある歌声は徐々に人気を集め、
7月3日に「ザ・ベストテン」にスポットライトで初出演。
続く2ndシングル「青い珊瑚礁」は、本人出演のグリコアイスのCMソングに。
爽やかな曲調と歌声でヒットの兆しを見せ、
新人アイドルへの周囲の期待は大きく高まっていく。

そんな中、「青い珊瑚礁」は8月14日にザ・ベストテンに8位で初ランクインすることに。
この日、聖子は札幌での仕事の後、夜に空路で東京へ戻るというスケジュールだった。
注目の新人アイドルの初登場を華やかに飾ろうと考えた番組プロデューサーは、
なんと羽田空港から中継することを企画。
しかも到着ロビーではなく、タラップを降りてくるシーンからカメラで捉え、
飛行機を降りたその場(駐機場)で歌ってもらうという前代未聞のプランだった。
到着時間をもとに緻密な計算のうえ演出が考えられた。
また航空会社や関係省庁からの許可と協力を得るため、
プロデューサーは空港に通いつめて調整を重ねたという。

そして放送当日。久米宏が「第8位!青い珊瑚礁」と発表し、カメラが羽田空港に切り替わると、
聖子が乗った飛行機が、まさに今ゆっくりと駐機場に停まろうとしているところであった。
ドアが開き、真っ先に出てきたのは、淡いブルーのワンピース姿の松田聖子。
タラップを降り、カメラの方へ駆け寄り、
たった今乗ってきた飛行機をバックに「青い珊瑚礁」を歌ったのだった。
中継は大成功を収め、この番組史上でも屈指の名場面となった。
慣れない環境で、リハーサルなしにも関わらず、
聖子が伸びやかな歌唱力で堂々と歌う姿は、
大型新人の登場を十分に視聴者に印象づけたことだろう。
ちなみにこの時、飛行機の到着が予定よりも5分早くなると聞いて焦った番組プロデューサーが、
航空会社の担当者に「飛行機の速度を落としてください!」と、
無茶なお願いをして驚かれたというエピソードが残っている。

「青い珊瑚礁」はその後も順位を上げ、9月18日には、自身初の1位を獲得。
1位になったお祝いに、彼女のリクエストで、
人の背丈ほどもある大きなケーキを形どったセットが用意された。
ここで、見覚えのある弁当箱に入った、手作り弁当が目の前に。
「聖子さん、これ誰が作ったか分かりますか」「…母ですか?」。
実は番組スタッフが地元・福岡にいる聖子の母親に弁当作りを依頼し、
わざわざ日帰りで取りに行ったのだった。
涙ぐんでいるところへ、福岡と中継がつながり、画面に聖子の母親が登場。
「よく頑張ったねえ」と母親からお祝いの言葉をもらい、
聖子は感激に顔を歪め「お母さぁーん…!」と泣き顔に。
さらに、父親とも電話がつながり、「よかったね」と祝福され、涙ながらに歌った。
「青い珊瑚礁」は3週連続で1位を記録、11週ランクインするヒットに。
またこの年の紅白歌合戦に、同曲で初出場を果たしている。