天地真理ちゃん4
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>>401
聖子のスレでやれ!P・Lのスレでやれ
こんなとこまで出張ってくるな!糞が! 当時の歌番組の動画がもっとあったら
間違いなく天地真理再ブームがあっただろう 個人的には後々にひょうきん族
出てくれた時、じゅうぶんに
うれしかったけどなぁ 一過性のブームで消えたから例えるなら
抱っこちゃんとかフラフープみたいな感じ
カバーで歌われる曲も水色の恋と思い出のセレナーデだけ >>411
天地真理はバンバンボールだったのか・・・ 週刊現代79年7/5号では、新曲もなくテレビ出演もなく、
「エレンス・パック」のCMも茶の間の話題になる程のアピール度はない。
アンマンみたいな真理ちゃんの姿と野太い声では、
昔を知るファンには可哀想な真理ちゃんと映り、
若い人には何だあのオバサンはということにもなりかねない、
との評価であった。 週刊文春79年7/5号ではかなり辛口の記事が載っている。
紆余曲折をへてようやくカムバックになった真理だが、
かつての白雪姫のイメージとはガラリと変わってしまった。
彼女のCMを見てもお分かりの通り、
顔はまるで整形したみたいだし、髪の毛も染めている。
再び真理ちゃんブームが呼べるのか大いに疑問。 「ひとかかえの愛」
真理ちゃん総研の評価は高いが
正直なんのインパクトもない凡作。
こんなもん1979年に売れるわけがない
曲は良くないわ容姿は良くないわで
ベストテン入りなど夢のまた夢、といったところ 26歳という、まさに歌手として最も成熟する時に、突如として病気降板
二年半という流行歌手としては致命的な空白を作ってしまった
しかも病気降板という、元気で健康的なイメージを崩壊させた天地真理
しかもその病気が心の病という、わけの分からない、当時の社会通念では
偏見をもたれる病気だったので好奇の眼で世間は見た
そこからの復帰は、復帰ではなく、一からの出直しの覚悟がなければならないはずが
栄光の過去を引きずり、その延長線上でものを考えた真理は甘かった
すでに女性アイドル歌手の激戦市場における真理のすわるべきイスはなかった 真理が復帰した79年は「魅せられて」が大ヒットした年であった
心機一転、真理が例えば金髪に染めてどぎつい化粧でこの歌を
フルファルセットでなく地声で歌ったら、もしかして復帰は成功したかもしれないと夢想する
しかし真理とそのスタッフは過去の栄光のイメージ<健全な清純>を守り通して撃沈した
この選択は今では天地真理の曲の一貫性を守ったことで
天地真理は一つの完成された曲の体系を作り上げた歌手として
芸術的に高い評価を、善いイメージを自分に与えた 80年代になるとタケちゃんマンに出たり吹っ切れた感じだな
もはや清純とかセクシーとかどうでもいいみたいな >>423
本人はいつまでもみんなの真理ちゃんでいたかった
しかし仕事が無い困窮状態では脱ぐしかなかった
残念ながら脱いでもさほどの話題にしかならなかったが 79年
八神純子
想い出のスクリーン
ポーラー・スター
名曲 訂正:天地真理が「魅せられて」を歌ったらどうだったか、という夢想は間違い
天地真理は、あの顔と性格と声質とが歌と一体化したことで人気を得たわけで
逆に言えば、天地真理はつぶしの効かない歌手だった
愛らしいアップターンノーズの「魅せられて」は全く合わない
皆、噴き出してしまう 真理の反抗的言動は紅白に落ちて次の年76年当初からあったらしい
それほど紅白落選がショックだったし、その不満の矛先をナベプロに向けた
そのことを紅白拒否のフォーク勢に相談し、反体制の思想に染まる
それがだんだん目立ってきて77年1月13日についにラジオで
新曲「二月の風景画」を出す直前なのに「私はこの曲好きじゃない」と
いってしまい、あっけに取られた、ナベプロもついにここまで来たかと
さらにその日の夜のテレビ番組での「のど自慢大会」の優勝者に
トロフィーを渡す態度がなっていなかった、ということでナベプロは謝罪
真理を入院させる約束をする
そして1月23日に「過労と精密検査」という名目で東京専売病院に入院
落ち目とはいえ天地真理へのオファーはビッシリあった
それらを全てキャンセルしたから違約金問題が発生したかも
うつ病という診断は反抗的言動の真理への罰だったと言えよう
反体制思想は病気なんだよ、とナベプロは本人に言い聞かせ、本人も転んだ 芸能評論家になりたかったけどなれなかった人のブログみたいになってるし
書かれてることと言えばさんざ言い尽くされたことばかりだし
今さら昔のことはどうでもいいんじゃ
それよりこれから先のことを考えたほうがいい
まずはアタック真理ちゃんの再放送が楽しみだ 真理ちゃん総研面白いな
1979年にはもう既に別人になっていた
ということがよく分かった
やっぱり1976年に完全引退した人ですよ >>402
このひとりじゃないのが
演奏、歌ともに最高回
映像ないのが残念 >>433
実質 活躍していたと言えるのは72-74まで
74年暮の紅白ではうつ病かアパシーが酷くて
能面のような顔つきでアグネスのバックダンサーやってる >>431
罰でうつ病になるのではないよお爺ちゃん
そういうのはオカルト霊能者に大金取られるタイプ 都合が悪くなると病気療養は有名人のよく使う手段だが アグネス、桜田淳子、真理ちゃんも
当時の輝いた姿を自分は大事な思い出にしている 紅白に落ちた理由の一つがアグネスに席を奪われたことだろう
真理はなぜ完全に自分とかぶっているアグネスを事務所はわざわざ
香港から連れて来たのか理解できなかった
それじゃ同じ事務所の同僚どうしで生死を賭けた闘争をしろと言うようなものだろう
そこは巨大な事務所の泣き所でもあった
アイドルという新しい市場を開拓した真理に気をよくしたナベプロは
二の矢、三の矢を放って、もっと会社を大きくしようとした
そういう資本の論理が真理には非情なものに映ったし
不信感を醸造するもの以外の何ものでもなかった
2chに「お前の目つき悪いんだよ!」と真理がアグネスに暴言吐いたという投稿が残っている
紅白に落ちて、そのショックから立ち直る方法として真理は
紅白の権威自体を否定しているフォーク勢の考え方に共感することになる
それはかつて早大フォークソングクラブの準会員として、早大の学生会館に通ったとき
反体制の騒然とした雰囲気を横目で見ていた懐かしい自分を思い出すことでもあった
高校時代クラシックからフォークへ関心を移したのも、やはり時代の影響があったからだ
若者の良心の拠り所は反体制、その音楽的表現がフォークで、フォークこそ私の進むべき道
しかし巨大資本にたった一人で立ち向かう真理はドン・キホーテにすぎなかった
たちまち「お前、病気」とされ入院させられた
しかし真理の心も奥底には反体制の種火がずっと残っていて
30代以降のヌード、AV、数々の破天荒な自虐的発言、ヤのパーティ出席など
反体制的天地真理として生きて来たのだった 時系列でいうと、うつ病になったから笑顔無くして奇行に走ったので
売れなくなったからうつ病になったのではないよ フォークが反体制の時代は70年頃で終わってて
大規模なデモなど安保反対運動は1969年夏頃までに収束。
全共闘世代の残党が70年71年の中津川フォークジャンボリーで暴れてた程度のアングラでしかなかった。岡林信康がはっぴいえんどのバックで歌ってたのもその中津川です。
70年デビューの吉田拓郎はポスト全共闘のフォーク歌手
72年にソニー移籍 天地真理 浅田美代子などの楽曲提供もしている。74年に岡林信康もソニーに移籍 数年の隠遁生活から全共闘的な反体制運動に決別したと発言
このあたりの我々から私は〜に変わる私小説的歌詞の変遷を
知ってるなら天地真理が反体制フォークに影響受けたとかアホなことは言わないよ
赤い鳥や五つの赤い風船などは70年当初 政治を引きずってたけどもすぐにやめてしまった。 70年代はまだまだ反体制的ムードは盛り上がっていた
75年国鉄8日間ゼネスト
75年サイゴン陥落
78年三里塚闘争の末やっと78年成田空港開港 吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室等の四人で
既成のレコード会社の体制的体質に反発して
新レコード会社「フォーライフレコード」を設立したのが75年 >>452
それ一般学生の全共闘違うよ 中核派だよ
プロ新左翼
音楽の世界では60年代後半プロテストソング風なのが
出てきてすぐ消えた 岡林信康も71年に逃げた。
代わりに井上陽水 吉田拓郎らが非政治 私小説的な歌詞で台頭 反体制プロテストといえば中川五郎やら加川良
売れなかったのを思想を言い訳に。
GSやってた沢田研二は今になって反原発運動 安保反対運動が盛り上がってた1968年に
中嶋みゆきは16歳の高校生
荒井由美は14歳の中学生
中嶋は世情 (シュプレヒコールの波が)
荒井由美はいちご白書をもう一度
という曲書いてるが実体験ではない その時代の空気感で
書いた曲
天地真理は68年国立音楽大学付属高校の17歳の高校生
安保闘争は69年1月安田講堂陥落 5月新宿フォークゲリラ
夏ごろにはもう収束してたのです。
翌70年は大阪の万博 72年には札幌五輪 吉田拓郎 結婚しようよ 73年オイルショック 同棲時代 四畳半フォークのかぐや姫 神田川 妹 赤ちょうちん 流行る う〜ん、頼むからビリビリに愛ってなんだろもウプして。。。 アサヒ芸能79年7/19号によると、真理の曲を書いている森田公一氏も曲作りそのものに悩んでいたという。 愛・つづれ織りにしろひとかかえの愛にしろ駄作。
森田公一の才能が枯れてしまった時期なんだから仕方ない 森田から筒美京平に担当変えても売れなかった
旬が終わったということ
麻丘めぐみ 南沙織ですら2-3曲のヒット後泣かず飛ばず
百恵や聖子の売れ方はバケモノだった。 76年頃森田公一は自らバンド率いて青春時代という曲をヒッチさせた
77年から毎年夏に太田裕美とジョイントライブやってて
森田はcm曲や天地真理へ提供した曲をステージで歌ってた。
まったくオーラが無かったのはご愛嬌
森田の中でも既に終わった人扱いだった。 >>455
いまから整形すればいいんだ
当時にもどすべき >>464
ほんとだ!14秒あたりに真理ちゃんが映ってるw >>446
うつ病になってたら果たして大きな会場で十数曲もの歌を、ちゃんと歌えただろうか
76年8月の日劇リサイタルの「想い出の渚」がYOUTUBE で聴けるが
その素晴らしい歌唱にいつも惚れ惚れするよ
歌を歌うというのは最も精神が充実した状態でなければ不可能だろう
それに精神医学というのは医学の中で一番歴史も浅く
未だに手探り状態だということ、まして今から50年も前なら
誤診は当たり前、と思わなければならない
人の心を科学で認識しようとすること自体、科学の傲慢という意見もある >>451
天地真理は当時アルバムオリコン上位を独占していたフォーク勢が
チェリッシュを除いて誰もが紅白出場を拒否していることに紅白の権威の否定
ひいてはテレビ局や芸能界の体制側に加担する体質への批判的姿勢を見た
自分の紅白落選をきっかけに体制に不満を持った真理がフォーク勢に接近するのも不思議ではない
当時、吉田拓郎が「結婚しようよ」「旅の宿」でそれまでの反体制的曲から転向したこと
ユーミンが自分はプチブルだと宣言したのも分かるが
それでも若者の心は革命への希望からの挫折感、しらけという空虚な精神状態にあっただけで
反体制から体制側に考え方が切り替わったわけではない
なぜなら本来、青年というのは世の中のとば口に立って
世の中の矛盾、欺瞞を自分の正義感に照らして
世の中を変革しようとするのが本質なのだ
歴史を見ても社会革命の主役は常に若者だった
その最後の末裔が1970年頃の全世界的に拡がった学生運動だった
いつの時代も社会は体制側(保守)と反体制側(革新)は対立し、その中で政治的にも揺れ動き
全体としては体制側がいつも権力を握って来た、それは国際関係とリンクして決まって来る
東西両陣営の冷戦構造の中に否応なしに組み込まれた戦後日本、米国の支配
そして78年の毛沢東死去による文革の終焉と、鄧小平の改革開放路線の開始は中国の資本主義化であり
1990年の東欧・ソ連のマルク主主義の放棄は資本主義の勝利、地球規模の資本主義の絶対化を見る
それと平行して進められた、1980年のレーガノミクス、サッチャーイズム、中曽根民活は、貧富の差を拡大する
新古典主義経済にすぎないが、本来、若者の本質、特権である、体制批判も音無しだった フォークと言っても吉田拓郎は音事協ナベプロに取り込まれてたし旋律は皆 歌謡曲です。 ロック風歌謡がGS
フォーク風歌謡が拓郎陽水 70年以降は思想に関係ないところで自作自演歌手が売れた。 天地真理も太田裕美も
そいう自作系の歌手の提供曲を歌ってた。
天地真理が反体制フォークにのめり込んでたという話も
ソースもありません。 さよならだけ残して」
原案:田口叔子
作詞・作曲:吉田拓郎
、5thアルバム「若葉のささやき/さよならだけ残して」に収録、
72年-73の話 拓郎はオデッセイというレーベル作ってもらってSONYでプロデューサーもやってた。
天地真理が売れなくなってフォーク勢に近づいたという事実もない そもそも拓郎の行ってた広島修道大はアホすぎて全共闘がなかったよ。それでノンポリでバンド活動してた。
転向なんてとんでもない元々思想がないから
https://ameblo.jp/kanasikitensi/entry-12805329579.html 真理ちゃんもZと書かれた白いヘルメット一度でも被ってたらなぁ 若者が保守化してきたのは80年代に入ってからだ、すなわち若者は
何の批判的心も持たない周りと一体化して親の庇護の中で幸福に過ごしている子供から
いきなり金と権力側に加担する大人になって、社会は出来損ないだ!
と反発する青年期をパスするようになったわけ
反体制はダサいとバブルに浮かれるほうを選ぶ若者が多くなったが
芸能界というのは、もともと小沢昭一が言うように、瓦乞食になることを自ら選んだ自由人
すなわち反骨精神、反体制的な人々だったわけで、渡辺晋も始めはウエスタンカーニバルという
音楽的に社会の秩序をぶっ壊す若者のエネルギーを演出して成功したわけだ
その伝統を引継ぎ70年代の歌手たちも、保守的な演歌を除けば、皆反体制的精神は
心に秘めていただろう、それは社会は概ね正しく営まれていることを悟る大人
国家と富を承認することが高貴な精神の持ち主であって、それを批判することは下賤なのだとする
大人の分別を現わすのだということを拒否する自由人の心の持ち主たちである 芸能界で一旗揚げようとする若者は、自分の顔を全国にさらして人気を得ようとするが
そういうのは、良家の子息のすることではないわけで、天地真理は国立音大高校で
それは一番分かっていたことだろう、同級生たちはほとんどが中流以上の家庭で
始めから分別があり、音楽は良妻賢母のたしなみ程度と考える若者だらけ
その中で天地真理は母子家庭で何が何でも音楽で自立したいというハングリー精神を
持っていたはず、だから天地真理は体制的音楽のクラシックよりフォークに惹かれた
そういう反体制的精神は、30代すぎても、ずっと保っていたはず 考えてみれば、天地真理って完全にビートルズ世代だよな、ビートルズの影響とかあったのかな? >>475
もう妄想で作り話やめろよ
天地真理は反体制フォークにまったく影響を受けてません
受けてたらその種の楽曲をアルバムに入れたりステージで
歌ってただろうがステージでは拓郎の春の風が吹いていたら
とか結婚しようよを歌ってる
日本でいうフォークソングて薔薇が咲いた系統だからね
#
この対談で「結婚しようよ」みたいな曲が好きといってますが、ライブ盤で「結婚しようよ」「ある雨の日の情景」と「春の風が吹いていたら」を歌っているので、本当に好きだったようです。 いわゆる岡林とかボブディランとかの反体制フォークの影響は受けていないだろうが
反体制というのをもっと広い意味で捉えたら、私の一連の投稿の意味がわかるだろう 音楽的には森山良子、ジョンバエズが好きだったという
ジョンバエズの「ドナドナ」なんか反戦フォークなんだけどな ヤフオクで12年ぶりのテレビ出演って、読売新聞のテレビ欄で大きな写真入りで記事がのっているな >>477
妄想ではなく、推論なんだな、週刊誌記事もどれほどの信憑性があるか分からないし
天地真理本人の言葉も、間違いあるし(例えば、ナベプロ辞めて入った事務所の社長が×××だったの、
<ヤ〇ザ>とテレビで言ってるが、勘違いだろう)冗談も結構言ってるし
真理を探るには真偽をふるい分け、少ない情報から、一番、真実らしい像を
推論によって構築するしかないのだよ 森山良子系統ではない、世にも珍しい真理ちゃんの四畳半フォーク。これまた珍奇の地声歌唱でお聴きください
https://youtu.be/ZRQNMCduAt4
かえって女の子らしさが見える >>482
もしこの歌い方で歌っていれば声を潰していなかったかもしれないね
まあ人気が出たかどうかはわからないが。 >>483
日本初白雪姫アイドルにはなれなかっただろうが、もっと長く歌手活動があったかもしれないね。。 前に円広志がファルセットは歌手生命が短いって言ってたわ
一時期だけど綺麗な歌声で和ませてくれた真理ちゃんに心から感謝です >>476
真理ちゃんはビートルズとは無関係
感銘力がなかった
自分が歌える曲にしか興味もってない 真理ちゃんの唄声は今でもファンを和ませてくれます
いつまでも白雪姫です ジジイになったけど、いつまでも
白雪姫の小人のひとりです いまは「白豚姫」???
アグネス見習わないと!
67歳でもあの容姿やぞ! 足太い。麻丘めぐみとは大違い
もともと太りやすい体質なんだろう
あと振付がおかしい
この人は基本振付なしのほうがあってる
https://www.youtube.com/watch?v=vG4jqvZsZO4 ミニにタコ(ミラーマン田代まさし)っていうギャグです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています