● 今年でデビュー40周年 松田聖子・田原俊彦が圧倒的に偉大と言える2つの理由

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2020年は、日本のアイドル史における大功労者である
松田聖子と田原俊彦が歌手デビューから40周年を迎えた年です。
1980(昭和55)年にふたりがデビューシングルをリリースする直前まで、
アイドル界は過渡期を迎えていました。

女性アイドルの頂点に君臨していた山口百恵が、
同年3月に俳優・三浦友和との婚約と芸能界引退を発表。
国民的ブームを巻き起こしたピンク・レディーの人気はすでに低迷しており、
さらに70年代後期デビューの女性アイドルのなかには、
山口百恵に迫る存在が生まれていない現状がありました。

男性アイドルのトップを走っていたのは
70年代初期にデビューした西城秀樹、郷ひろみでしたが、
両者とも“脱アイドル”が迫られる年齢に差し掛かっていました。
ちなみに、70年代後半はジャニーズ事務所から
何人もの男性ソロアイドルがデビューしましたが、
誰も大ブレークに至っていません。

そんなこともあり、松田聖子と田原俊彦が世に出たのは、
世の中が新時代のアイドル登場を待望しているタイミングだったと言えます。

デビュー2曲目で“百恵超え”を果たした松田聖子

特に女性アイドル界では“ポスト百恵”が求められていました。
そして、4月に『裸足の季節』という曲でデビューした松田聖子は、
すぐにその本命と目されるようになります。
オリコン週間シングルランキングで2位となった2曲目の『青い珊瑚礁』をきっかけに
人気が急浮上。次の『風は秋色』で初登場1位を獲得。

この2曲は、芸能界を去る山口百恵(10月に引退)の同年の各
シングルを上回るセールスでした。

田原俊彦は瞬時に西城秀樹、郷ひろみを上回る

一方、田原俊彦は1979年に同じジャニーズ事務所に所属し、
そろってテレビドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)にレギュラー出演していた
近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として人気が爆発。
そこから、1980年6月に最初にソロデビューします。

デビュー曲『哀愁でいと』は、同年のオリコン年間シングルランキングにおいて、
男性アイドルのなかでトップの順位(10位)となる大ヒットでした。

このように、松田聖子と田原俊彦は、短期間でアイドルシーンの勢力図を一変させ、
芸能界に80年代という新しい時代の到来を印象付けたといっても過言ではありません。

また二人は以前、山口百恵と三浦友和が出演していたチョコレートのCMで共演、
その年の大みそかにはそろってNHK『紅白歌合戦』に初出場。
翌年にはNHKの歌番組『レッツゴーヤング』で司会を担当するなどし、
アイドル界の新しい顔としてのイメージを決定的にします。

これと前後して、河合奈保子ら80年にデビューした他の女性アイドルの人気も上昇。
同年12月の近藤真彦の歌手デビューもあり、
アイドルのマーケットは拡大していきます。

(後略)

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