太田裕美その2
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/前スレ
太田裕美
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1487599608/l50 リアルタイムでファンだった年代はこち亀の秋本治氏とか裕美さんと同い年かやや上あたりでしょ。
福岡さんは裕美さんと同い年だったかな。でも元々はキャンディーズのランちゃんファンだったそうで。裕美さんの担当ディレクターになったときも裕美さんの曲をあまり聴いたことなかったらしい。 しあわせ未満は清貧の思想だよね 清貧の美学
デフレ時代の今こそ似合う歌だ 男が甲斐性無しでビンボーなだけかと。
裕美さんの優しい歌声で二人のハッピーエンドが予感させられてしまうけど、
結末は比較的リアルなとこで煉瓦荘あたりかと。
ビンボーすぎてピッツァハウス22時にもならない。
リボンだったら目も当てられない。 女の子の頭の中がスワンのうちが花
最高のハッピーエンドでもドールだな。 やっぱ陰鬱な曲に行き着いてしまうのね……
そんな時は「失恋魔術師」か
「しあわせ未満」のダメ男は嫌い 別れたあと、男は社会人を立派に勤めてしあわせな家庭を持つんだけどな、
元カノがこっそり覗いてSummer and Samba
よりを戻して不倫関係で冬の蜂 お前ら全然わかってねえな
貧しいから駄目とかそんな視点しかないのか まつもとにああいう歌詞を書かせた時代性とか
そういうところに考えがいくだろ普通
80年代には絶対あんな歌詞はまつもとでも書かないわけで 12月は大阪の歌舞伎座 庄野真代との共演 観に行くよ
大阪だと毎年10月に君と歩いた青春コンサートやってるけど
メンツが同じなので さっきNHKでシベリア鉄道流れたけどいいわ
裕美ちゃんの伸びやかな甘い歌声が
下半身を刺激するわ >>433
“元祖学園祭の女王”と呼ばれた裕美さんには、あなた自身も言われた様に、
そう呼ばれるだけの実績があった訳で、他に挙げられた顔ぶれを裕美さんと
同様だとするのは強引過ぎるよ。
それに、>>431 で言わんとするのは、その事では無くて、学園祭云々以下の文だしね。
あと、裕美さんが平凡・明星等に登場機会が少ないのは、>>421 さんが言われた、
アイドルと一線を引いていたというより、(たとえ気持ちの上で好きで無かったとしても)
両サイド掛け持ちによる手一杯が本当の所ではないかと思っている。 「学園祭が最盛期の頃だったから、学園祭に出さなくちゃいけない。かといってあの時代、
学園祭はニューミュージックのプロダクションがみんな握っていたから、
そこへ食い込まなくてはいけないというんで、ペニーレインでユイの社長の
後藤(由多加)と話しているうち意気投合して、協力してくれると言うので。
それで、山本コウタローとウイークエンドとか、ユーミンのコンサートの前座に
スケジュール、バァーっと組んでもらった。
(太田裕美ヒストリー より抜粋) 《テレビ中心だったアイドル歌手、だが太田はフォーク・グループと一緒に
学園祭やライブ活動に力を入れた。》
(NHK名盤ドキュメント、番組ナレーション)
「アイドル系や歌謡曲のテレビ番組に出てると、『裕美ちゃんってフォークの
人たちと一緒にコンサートやってるんでしょ?』とか言われたり、
フォークの人も、『裕美ちゃんはテレビにも出てるんだね』って。
両サイド的にも不思議なタイプの人が出て来たと思われていたかも知れない。」
(太田裕美、同番組より) 裕美さんがデビューされた頃、歌謡曲のアイドルは、テレビやラジオに出て、
雑誌の取材を受け、レコードはシングル中心で、アルバムはシングルにならない曲や
カバー曲等の寄せ集め。
フォーク系は、テレビには出ずにラジオの深夜放送でPR活動。アルバムに力を入れて
コンサートで披露する、といった好対照な世界。
そんな中で裕美さんは、「両方の良いとこ取りというか、二人分の歌手活動だった。」と。 アイドル歌手のように、テレビやラジオに出演し、雑誌にも登場する。
そして、フォーク歌手のようにコンセプトアルバムを発表し、NMスタイルの
コンサートツアーを行なっていた裕美さん。(年間約130本、実に3日に1回の割合)
この後半部分を知らずに、「太田裕美って、テレビや雑誌でそんなには見なかった」
と感じる人は、太田裕美という歌手の半面しか捉えていない。 同時期のアイドル歌手がしていなかったコンサートツアーを行なっていた裕美さん。
当時、シングルレコードの歌詞カードには、ツアー日程が載っていた事も。
そんな裕美さんなれば、テレビや雑誌で観る機会も他のアイドル歌手に比べて、
多くはなかったし、又シングル曲のリリース間隔も少し長かった。
他の売れているアイドルの多くが3か月に1枚ペースだったのに対して、
裕美さんは4か月に1枚だった。(これが精一杯だったか、あえて少し長くしたか?) 白川Dの方針で、彼が主導した間はライブ盤が出る事は無くて残念だった。
だから、同時期のアイドルが出していたライブ盤を眼にすると羨ましかったな。
裕美さんのように数多くのコンサートをしていた訳では無いし、
そのスタイルも違うけど。ホールでやる歌謡曲の歌番組のイメージ。
司会者が居て、曲間にトーク。「それでは次の歌に参りましょう」というような。
オーケストラをバックに歌う歌謡曲的なスタイル。「○○ちゃん祭り」とか
「誰それリサイタル」みたいな…。そういう自分好みでないものでも、
ライブ盤のレコード・ジャケットを見ると正直、いいよなあと思っていた。 フェイスブックで入っているコミュニティに本名で太田裕美の人がいて、名前を目にするたびに心がざわつく 裕美さんが全盛期の頃、自分みたいに小中学生だったのはコンサートなんか見に行ってないんですよ。
First Quater やツベにアップされたのからかろうじでコンサートが伺い知れる程度。
それでも、初ソロコンサートの「はじめに愛があった」や、イルカとデュエットの「ミモザの下で」
、デビュー二年目か三年目にコンサートで歌った「ひとりごと」なんかを聴くと、とても良いわけ。
アルバム世界とはまた違った裕美さんの声なわけ。カバー曲とかもいろいろ聞いてみたいわけ。
「一人ぼっちの海」とか好調な歌声で聞けるかもしれないわけ。
だ か ら、
ライブアルバムBOX「まごころコンサート Part1~10 豪華ブックレット付」 出してください。
同時にハイレゾ配信販売でDSD128かDSD256もお願いします。 >>467
んなこと言わないでよん
チミだって欲しいでしょ? 途中から不自然なほどsageでの書き込みが増えているが自演か? ほんとどうでもいい昔の話を延々とかいてるやつはアルツハイマーなんかね
若年性アルツハイマーとか
ほんとどうでもいいよ
フォークか歌謡曲か 筒美京平松本隆コンビでうれた ユーミンや他の
シンガーソングライターの書いたアルバムも出した12ページの詩集
アルバムに1−2曲は裕美の作曲もはいってた 後の聖子もそんな感じ
今は駄作のセルフアルバム地獄を見せられてる聖子オタとジュリーオタ
裕美さんはいい曲しか出版しないからまだまし >>472
ジュリーはともかく松田聖子というネームバリューは今でも活きているが、聖子ファンは惰性で続けてそう
まあ裕美さんも最後にオリジナルアルバムを出したのは12年も前になる
あと1回ぐらいは可能性があるか? >>466
>アルバム世界とはまた違った裕美さんの声
私も裕美さんのライブ盤はずっと願って来ました。特にデビュー当初の頃の
ライブ音源は喉から手が出る程…。
前スレで
>売れる前はしっとりしててよかった
>あれが理想郷、戻れないユートピア
こんなレスがあったけど、羨ましい。
ここ数年のソロライブで、スタンディングの盛り上がりを楽しみに
していた自分ですけど、一方で『まごころ』『短編集』の頃の未体験な
ライブ音源を切望しますね。お声だけでなく、コンサートアレンジに依る
アルバムとは違った楽器編成とか別フレーズ等、サウンド面の楽しみも大きいですね。 デビュー前後にメイツで2回(1回?)聴いたことがあるが、弾き語りのムードはあるがジミ〜な印象だった
あるファンサイトがデビュー前の写真を載せているが、本当にあんな感じのジミ〜な女の子だった
売れてからファンになったクチだから、その後とは全く違う雰囲気のライブだった そりゃおまえの感性がキングオブボンクラだったからだろう! 当時高校生位まででは裕美さんファンでもコンサートなんか行った事ない者が殆どだと思うんですよ。
つべにある「夜のヒットスタジオメドレー」聴いても、カバー曲だって凄く良いわけです。
新たに当時のライブアルバムが出るとしたら、オールソングス・コレクション買った人なら興味あると思うんですよ。あれ何セット売れたのかな?再々々々販だから最低でも予約分2500セット・・・4000セットぐらい売れたのかな? 裕美さんのコンサートに初めて出掛けたのは高1の時だった。
年上の人達に混じって、私も幸福な時間を過ごさせて貰いました。
話に出ている「一人ぼっちの海」や「恋の予感」もそうですが、他にも
「グレー&ブルー」や「白いあなた」といった裕美さん自作の曲をピアノの弾き語りで
歌われていたのが印象深い。これらの曲はアルバム発売時に限らず、
よく選曲されていたと思う。 ごく初期は エレピ フェンダーローズとギタリストの男と2人でデパートの屋上なんかで
やってたまごころこんさーと それは関東圏の人しかみたことないだろう
木綿からは全国ツアーになったけど
1976 自分も高校生だったけど観に行ったよ まだ紙テープを投げる習慣があって
出てきて開口一番 痛い痛い!ボコンボコン 紙テープの芯がマイクに当たる音 >>484
松崎さんという専属の人だった
裕美さんが最初にギターを習ったのは、確かこの人
今なにしているんだろ 484だけど
まつざわひとし ていってなかったか
紹介の時 AGの松沢等さん、色々と加入・脱退のあったバンドメンバーの中で、
永く在籍して裕美さんを支え続けた方ですね。
コンサートの中で、裕美さんのPfと松沢さんのAGだけのコーナーが設けられる事が
あったが、お二人の息の合った演奏はとても素晴らしかった。
コンサートアレンジで奏でられるお二人のコンビネーションプレイ
に依る「袋小路」や「一人ぼっち海」は最高だった。 まつざわひとしは単体なんだよ バンドじゃなくて
バンドはコットンケーキ(ローラーコースター)77年の夏にバンドがやめて森田公一トップギャランがバックを勤めた
その後コズミックララバイに交代 45年目...1974/11/01(1年目)〜2018/11/01
45周年...1975/11/01(1周年)〜2019/11/01
俺もうダメかもしれんな 当時コンサートの他では、サイン会やテレビ・ラジオの公開放送等で裕美さんを
目にする機会もあった。 東京の人は 銀座NOWの司会で観れたんじゃないのか 「裕美もドッキリ!」スターどっきり報告!
プーブークッションをさりげなく拒否して微笑み、「あらら〜」と
三波さんを困惑させていた裕美さん。 「報告」で憶えているのは、「九月の雨」と「失恋魔術師」の頃、出演されていた回。
一つは、市ヶ谷・CBSソニー社屋で収録中の裕美さんが、折しも起こった
爆弾騒ぎに巻き込まれるというもの。
もう一つは、林の中?でインチキ占い師か何かによって妙な踊りやら振りやらを
させられるとかいったものだった。 ドラマで見せたへそまで見えるパンチラだろ
そんなんやるなら水着グラビアやれよとw あれは夜ヒットや隠し芸大会もやってた疋田Pの番組なので
歌手はみな断れなかったんだよ 今やったらパワハラ セクハラで問題になるような
どっきりが多い。 視聴者観覧ハガキが当たったかして河田町まで行ったんだな確か。 とんねるずの石橋のように、ヤングタウン東京観に行った人もいるだろう。 「一千百万人の音楽」でののど自慢参加者への一言、「裕美の音楽コーナー」、
ゲスト歌手歌唱前の質問。裕美さんの出番は基本こんな感じだったかな?
毎週のように、ラジオを聴いては会場の様子を漠然とイメージしていたけれど、
何かの時、ヤンタンのステージ後方からのカメラアングルがテレビで
流れた事があって、裕美さんを始めレギュラー陣の後ろ姿や明るいステージ、
暗い客席等をほんの数秒間視た事がある。 「裕美の音楽コーナー」は基本、裕美さんのその時々のシングル曲が
歌われていたけど、稀にコズミック・ララバイと一緒にNEW ALBUMから
「自然に愛して」「太陽写真」「SHOWER GIRL」 等を演っていた憶えがある。
また、「木綿のハンカチーフ」や「雨だれ」が歌われる事もあった。 https://www.youtube.com/watch?v=X8z0fDIZtC0
デビュー1年目の75年、貴重な映像
軽やかに先頭を走る百恵サンの後ろをムキになって走るランちゃん...裕美サンはドン尻
悦ちゃんは流石の走りっぷり、やっぱりカッコいい 佳孝さんのビルボードライブ、行きたかったな。裕美さんの事を
「可愛い、可愛い」と盛んに言われていたそうな。コラボ観たかった。
前に、偶然新幹線でバッタリ遇って盛り上がったって話されていたよな。 もちもち坂に、ひとつまみでも〜♪
コレ書いた人のせいで… TBSチャンネルで1975年のレコード大賞やってたよ
かわいかったよ 12ページの詩集が心地よい季節になって参りました。 13日 筒美ッ子ということで何曲か筒美京平の曲を二人でやってました。
井上順のお世話になりました 中原理恵の東京ららばい
大瀧の曲 夢で逢えたら は始めて聞いた 久々に「スカーレットの毛布」を聞いたら歌詞を間違って覚えていたことが分かった
あなた=毛布 → あなた=あなた
羽根の袈裟なら恋も分かれる → はねのけたならこのまま帰る
笑顔下さいな → 笑顔くれたら
太めの街 → 氷雨の街 新歌舞伎座初出演だったようで
隈取り化粧してこないといけなかったのかなwって言ってましたけど
ここは歌舞伎はほとんどやらないですね 歌とお芝居中心 テレ朝の「日本の名曲グランプリ」で、女性歌手楽曲部門(アイドル編)で
木綿のハンカチーフが「最も人気の曲」に。 スカパーが見ることができる環境にある人
明日の朝7時から1975年のレコード大賞の放送があるよ
新人賞で出てくるよ レコード大賞かわいかった
今とあまり変わってなかった 片平なぎさも変わってねえな、と思ったら来年が還暦だったのね……太田裕美は早生まれだけれども今年63なんだもんな 裕美さんの若さは驚異的。「良い年の重ねかた」「あんなふうに可愛いまま年を…」
といった裕美さんに対する言葉を見聞きする。つべに上がっている「木綿」の
動画のコメントの中で、約30才程も年齢を勘違いされていた。10年位前の
放送だと思われる「NHK歌謡コンサート」に出演の裕美さんの映像を見て、
「当時の映像でしょ?」だって。50幾つの裕美さんには、木綿のヒット当時だと
勘違いさせる程の若さがあったんだね。 昨日土曜の塩野義ミュージックフェアに鈴木雅之とでてたね
大瀧の歌唄ってた。 >>531
最近はやや年相応になってきたが、40代50代ぐらいの頃はマイナス10歳は若く見えた
10年ぐらい前の番組で、ピアノを演奏している手がアップになったとき、自分のツレと同じ主婦の手だなと妙に感心した記憶あり >>534
10年くらい前のイベントで握手したら、家庭の主婦的な手の荒れ方でなんか親近感を覚えました 裕美さんが還暦を迎えられた頃、【徹子の部屋】に出演され、ピアノの弾き語りで
「雨だれ」を披露されていたが、それを観たどなたかの言葉だが、マニキュアも
していない指先に見入ってしまったとか、普段は家事をきちんとされている人
なんだろうと。 「雨だれ」の弾き語りと言えば、話に出ている1975年のレコ大は、弾き語りを
させて貰えず観ていてやっぱり残念。風邪が治りかけだという裕美さんに
森光子さんが、「あなたは風邪よりピアノを弾くんだ。」とアピールしてくれたり、
小川哲哉アナがイントロ部分で「ピアノの弾き語りでデビュー、フォーク調の
ソフトなフィーリングがファンに支持されている。」との紹介はあるが…。
あと、「下町育ちの勝ち気な女の子。」とも。不自然にワンハーフっぽく
短縮されているよな。各々2分前後の持ち時間って感じだ。 こんな人いるんだね
ttp://www.youtube.com/watch?v=XO47b8d5bko ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています