We Are HOUND DOG [ハウンドドッグ] Act3
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HOUND DOGについて(6人DOG復活に向け大友康平について)語りましょう!
前スレ We Are HOUND DOG [ハウンドドッグ] Act2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1459923459/ >>219
早かれ遅かれこういう現状の結果にはなってたと思うけど05年のマザー通さずの
営業がなければ予定されてた25周年のツアーは行われ、もう1,2枚のアルバムが
発売され10年の30周年くらいまではやってた可能性はあると思います。
>>220
DOGとほぼ同期でまだやってるモッズやラフィンノーズのようにインディーズで
音源発売し必要最小限のスタッフでライブハウスツアーだったら今でもできてたと
思いますが一度は栄光を見てるから無理でしょうね? >>221
武道館、ドームまでやったバンドだしな
2005年の段階でバンドのモチベーションもメンバーにより大きな差があったのは大きいかな モッズやラフィンとかと根本的に違ったのが
大友がミュージシャンじゃなかったということだな
音楽が好きじゃないんだよ
そういったのが見透かされてるから、後輩ミュージシャンからリスペクト表明されることもない
ライブハウス廻りで音楽やってる人達はやっぱ
音楽が好きで、暇さえあればギター使って曲作りしたりしてるしバンドが好きなんだよ >>223
それはあるなボーカリストでありつつも作曲もやらんし音楽が好きなのか?という根本の問題はある >>223
なるほどね。
後輩バンド、ミュージシャンのインタビューなんかからも
MODSの森山の名前やラフィンノーズって出てくるからね
大友(HOUND DOG)って聞いた事ないw
あの福山のMODS好きも有名でいまだに
お忍びでライブハウス行って一番後ろから見てるらしいし そりゃカリスマの中のカリスマボーカリスト遠藤正明さんの足元にも及ばないからな 浜田省吾や桑田圭祐、佐野元春、石橋凌あたりは現役で音楽やっていてかっこいいもんなあ
それにちゃんと後輩ミュージシャンに尊敬されていてインタビューなんかでも名前が出ることが多い
でもドッグというか大友の影響でデビューしましたとかそういうのは聞いたことないな 同世代アーティスト
1954/04/17 高見沢俊彦
1955/12/14 世良公則
1955/12/16 松山千春
1956/02/26 桑田佳祐
1956/03/13 佐野元春
1956/07/20 石橋 凌
1956/09/22 鈴木雅之
1955/04/19 鮫島秀樹
1955/10/11 橋本章司
1956/01/01 大友康平
1956/02/19 八島順一 >>228
別格の鈴木雅之と桑田がいるから他は総じて駄目だな 長渕忘れてた
1956/09/07 長渕剛
ちなみに新御三家とも同世代
1955/04/13 西城 秀樹
1955/10/18 郷 ひろみ
1956/02/23 野口 五郎 前後の世代。意外と若かったり意外と歳食ってたり
1952/10/22 タケカワユキヒデ
1952/12/29 浜田省吾
1953/04/07 甲斐よしひろ
1953/07/09 稲垣潤一
1953/08/07 桑名正博
===============
1957/10/25 宇都宮隆
1957/10/03 大沢誉志幸
1958/08/12 陣内孝則
1958/09/13 玉置浩二
1958/12/05 原田真二 チャゲアスとか、小室哲哉も近い世代だね
氷室とか布袋はちょっと下かな
音楽的な才能でいったら、桑田、佐野、小室が突出してるな 大友って俺の親父より上だったのかよw
ガチでジジイじゃねーか
ハウンドドッグで唯一名の知れた生き残り組 大友康平 >>229
桑田はまだしも鈴木雅之が別格って確実に個人的な趣味だろw ベスト・オブ・ボーカリスト フロム・ジャパン 男性部門(歌唱力、容姿、地位などを考慮し決定)
1位 玉置浩二
2位 久保田利伸
3位 大友康平
4位 草野マサムネ
5位 森重樹一 マザーはとっくに終わってたわな
たかが大友一人潰せない時点で察し マザーは80年代後半の邦楽ロックがメジャー化していく時期に一瞬のきらめきを放っただけだったな
結局は強引なやり方で尾崎は離れレッズは解散しデビューさせる新人バンドはことごとく不発
90年以降でまともに売れたのってドッグ全盛期とはカラー違い過ぎる及川ミッチーぐらいだろ
それも後に「円満」とはいえ契約終了で縁切りされてるし bridgeがヒットし、それ以降も同じような曲ばっか
シングルで出したのは失敗だったと思う
SONGSは名曲だったから、売り上げ落ちてきた
95〜6年にはシングルで売り出すべきだった
まぁ、ヒットしたかどうかは分からんが。
バンド崩壊後にシングルで出たときは
もったいないと思ったな >>241
SONGSを発売する時は解散するときって公言してたんだよ 大したバンドじゃないからボーカルしかいなくなっても成り立つんだろ 集客力、売り上げについては一時期すごかったよ
問題は年を経ていく度にファン離れと新規ファン獲得を怠った結果が末期のHOUND DOGだよ ff〜売り上げが上がっていきゴールドで最高潮に達し
そこからBACK TO ROCKまで落ちていくけど翌年の
ブリッジでゴールド越えでリバーも少し落ちるにとどまり維持したけど
それ以降の急な売り上げ、動員の落ち方は凄かったな BRIDGEを歌わせてもらえないから紅白辞退したのはいいな 新曲やれないってことで紅白蹴ったはいいけどffはライブでやらなくなったことないし欠かさず当時もやってたからffでも紅白出といたらよかったのにな 戦略でしょ
落ち目だったDOGを目立たせるための
実際にワイドショーでもスポーツ紙でも大きく取り上げられたし爪痕は残せたんじゃない?
普通に出て普通にff歌っただけでは話題にもならんしね
bridge歌わせてもらえてもNHKに要求飲ませたって話題になってただろうし
福田さんの作戦勝ち
俺は出て欲しかったけどね 武道館15DAYSとかやってた頃は既に柏舘さんが社長になってた 衛生事業に参入した失敗の責任をとって社長はやめてたよね 社長だろうが会長だろうが実権握ってたのは福田氏でしょ
オーナー企業なんだから当たり前
お荷物発言も会長だった福田氏だし 大友に舐められてたのは確実だからどっちにしても所詮弱小事務所なんだよなぁ 舐められてたのは大友なんだよなぁ
舐められてなかったらあんなふざけた待遇なわけない
弱小事務所なのは否定しない 弱小だけどそのワンマン社長がいなければドッグは間違いなく売れてないからな
連続公演にせよ初挑戦の大舞台にせよ企画は全部事務所発だから
大友からこれをやろうとかそういうのはほとんど無かったはず 企画、プロデュース力のある人だったよ
HOUND DOGとか福田さんいなかったらソニーに契約切られて解散だった 確かに企画力、プロデュース力はあったんだろうね
決して不良ではない尾崎をメディアに出さない事で10代のカリスマ的なイメージを作り上げたのも福田さんのプロデュースだろうし
ただ世間知らずのアーティストに対して夢を語って不利な契約をしてたのはいただけない
印税のピンハネとかね 弱小じゃなかったら好き勝手する大友を潰せないわけないがファンはavexマンセーのヤクザじゃないんだからそのへんの力関係はどうでもいいな >>258
福田さんの肩を持つわけではないが自身の夢を託して
尾崎の才能を福田さんが見込んであらゆる投資とワガママを許して必死に守ってきた側面が
印税の30%トップオフだったかな
契約の内容は最初の頃とM&Cと契約した時で少し変更したのだろう
尾崎に関しては世間知らずの子供だったのは確か
晩年の尾崎が業界に食い物にされたガキと自著の文章で触れているのは事実だと思う。
ソニーと喧嘩してマザーがM&Cを設立した理由も
HOUND DOG、尾崎を売りたいのだけどマザーが望む資本金をソニーが捻出してくれないからと理由を挙げてたけどね >>248
その当時ffがライブメニューになかった時期があったよ。なんのツアーか忘れたけどその時一度だけ組み込まれてなかった。
佐賀市文化会館でだけどもしかしてこの日だけなかったのかなぁ。 実際のとこ大友以外の全員がマザーとつるんで解散しようとしてたなら笑えるよな
マザーがメンバーを巻き込んで解散に進めてたのは裁判でバレたからな >>261
たまたま日替わりメニューでやらなかったんじゃね? >>261>>263
BACK TO ROCKツアーは基本的にffはやらなかったけど
数ヵ所やってると記憶してる
96年のアクロスは日替わりアンコールで半分くらいの会場でやったんじゃないかな?
それ以降05年までは外れることなかったはず >>264
確か、BACKtoROCKの、名古屋センチュリーホールは、FFしてないはず BACK TO ROCKからRIVERぐらいまではffはやらなかったりやってもアコースティックver.だったりしてたと思う
まあFLYって曲も出来たのもあるんだろう、いつまでもffばかりじゃない俺たち!ってのを意識してんのかなと当時は思ってた 全くやってないってことはないよね
bridgeの頃は6+10でff聴いた記憶あるよ >>264
んーBACK TO ROCKとアクロスの間のツアーだったと思うんだけどなぁ。
ffやらなかったというのが強烈な印象に残ってる。 RIVERツアーの時の大友さん、なんかステージ上で不機嫌だったなぁ。観客動員が落ちてきてたからかな?鳥栖市文化会館だったけどステージ衣装が遅れてみたいな話してたからピリピリしてたのかもね。その時の悲しきプリテンダーは無茶苦茶カッコよかった思い出がある。 楽曲の完成度も去ることながら大友康平がNO OBJECTIONツアー前後から高いパートが歌えなくなってきて誤魔化すようになって来たのもファンが離れた原因かなと 好きになったのはOVER LANDからだけどそれ以降、最後の6人の武道館までほぼ毎年ライブ行った。4人ドッグも1人ドッグも行った。最後の6人の武道館を生で見れたのはいい思い出、、もう10年以上前の出来事なんだなぁ、、俺も年をとったはずだ、、 良いバンドだった
80年代のバブル期だから通用したのかな 大友のブログによると
来月のライブ
ライブで初めてやる曲があるらしい。
そんな曲あるかな?って思ったが
考えてみると今話題になってる
BACK TO ROCK以降はけっこうあるんだよな >>271
そりゃ大友ファンが殆どなんだからそうなるわな >>275
あんなスケジュールだと喉を酷使しすぎて寿命がちぢんでしまったんなか >>276
ボーカルの声帯は替えがきかない楽器だというが大友はいかにもちゃんとケアしなそうだよな
不摂生といい自己管理だめだろ スケジュールに加えてタバコ吸うわ
酒飲むわ
自己管理ができてないね
ポリープできても放置してツアーやってたのが裏目に出た >>279
生き方から入りやがてはビジネスになるもの >>269
思い出した。ff 93年のリバー、前半〜中盤はffやってない
中盤の夏の野外〜後半戦にメニューに組み込まれるようになった
その前年のブリッジは全会場アンコールでやって95年のROCK MEは記憶にない
96年のアクロスが日替わりでffやって以後はほとんど外れることがなかったと思います >>269
思い出してきた。>>264にBACK TO ROCKは基本的にffやらなかったって書いたけど
まだやってた。まさかの2曲目でやってたff。途中メニュー変更かな?
ff外れることもあったけど基本的にはまだやってたツアー。 BACK TO ROCKツアーはオープニングのOVERLAND JOURNEYが印象に残ってる(VOICEの曲
あと声が出なくなってたからなのか、おちょくられた夜をアレンジ変えておとなしめバージョンでやったりとか
ツアーロゴの入ったシャツを着た単ちゃんにMCで照明当てて「色が変わるシャツ」とか寒いことやってたのも印象的だな ff、spiritsでブレイクしてからのライブはよかった
というかそこまでのライブはかっこよかったなあ >>284
そうそう。当然ニューアルバム(BACK TO ROCK)からのオープニングになるかと思ったら
前作からのOVERLAND JOURNEY!全く検討つかなかった。その後の2曲目が
「愛がすべてさ」サビの部分を歌い蓑輪さんのキーボードがはいるff
>>285
ライブも良かったし大友も全てがかっこ良かった
85年〜86年の渋谷公会堂、武道館の完全版の映像、再来年の40周年に
発売にならんかな? >>287
その時代に行きたかったですね。
俺が行ったのは90年代の福岡サンパレス5days。その時代でも充分熱かったです。 オープニングが炎のランナーから赤ちゃんの泣き声に変わった時がありましたよね?
あれってなんのツアーでしたっけ?蓑輪さんがつくった?みたいな話だったけどいつもの炎のランナーじゃなくて少し残念な気持ちになったのを思い出しました。 それこそBACK TO ROCKツアーでしたっけ?それかNo objectionツアー?そのあたりだった記憶が、、
ホンギャー、ホンギャーって感じだったと記憶してるんですが、、 >>284
TシャツネタでならOVER LANDツアーのTシャツだったか6人の写真がプリントしてあってズボンに入れると蓑輪さんが隠れるみたいな事も言ってた時がありましたねぇ オープニングのOVERLAND JOURNEYのツアー覚えてます。懐かしいなぁ >>290
ブリッジ?大阪城ホールも、鳴き声?違いました?あれ結構好きですよ。 >>293
ブリッジツアーでしたっけ?なんせ遠い昔の記憶で、、、ただ赤ちゃん鳴き声ではじまったんでいつもと違う衝撃を感じだのは覚えてます。 >>288
いいね福岡
bridgeの頃まで各所5日とかやってたかな
よく5日とかやってたなと思う 福岡はサンパレスか国際センターが定番だったのが
ROCK MEのAct.1から市民会館になって本格的に動員ヤバいんだなと思ったな
まあ4人ドッグの時なんかドラムロゴスっていうライブハウスにまで落ちてたけど
「うちはホールでしかやらない」とか言ってた時期が長かったからさすがに驚いた 人気が落ちてもライブハウスでやってくまでのやる気はなかったんだろうなってのはこのスレでもよく言われてるね
DRUM LOGOSは昔店員が怖かったな 大友康平のソロコンサート、heavenツアーが福岡サンパレスであったんだけど客席ガラガラで埋まってなかったもんなぁ。今の大友がハウンドドッグにこだわってるのはこのツアーの失敗があるんじゃないかとずっと思ってる。 >>296
4人ドッグの時初めてロゴスでしたね。その時披露した八島さん作曲のfight for loveはその後のゴタゴタでシングルやアルバムで出ることはなかったのが残念です。 >>296
福岡市民会館になったのはROCK MEからでしたっけ?あれ以降福岡のツアーイベントで都久志会館や電気ホールもあったけどずっと福岡市民会館でしたね。 2000年くらいの時くすミュージック関係の福岡でのコンサートが中止になったのはなんなんだったんですかね?くすミュージックが関係してなかった(?) 春日市ふれあい文化センターのライブだけ中止にならなかったんでなんかゴタゴタがあったんですかね? >>298
ソロって言っても人に書いてもらった曲たちだしな
興味ない人の方が多いだろう >>290 >>293 >>294
ブリッジだと思います。
その鳴き声みたいな後に新SEがはじまり嵐の金曜日へ!
それが終わりブリッジの1曲目に入り一気にヒートアップ
ブリッジを中心にしながら定番を織り交ぜた良いツアーでしたな
レアな所ではSeptembe Rainが中盤のバラードで来てびっくりした記憶が。
通常、本編ラストひとつ前でやってたラストヒーローがアンコールのラストで
これがまた良かったです。 SKYツアーは行かなかったけどつべの映像を見たら本当にステージに何も無くてびっくりしたな
全盛期はどんなにシンプルなステージでも照明なんかが結構びっしり建ってたから
金銭的にも厳しかったんだろうな
NO OBJECTIONなんか金かけてたんんだよな、今思うと
ブロックみたいな凝ったステージが少しずつ移動して最後は男坂のラストみたいな階段になってるという・・・ >>304
SKYツアーはホールツアーで初めて大きなスクリーンがあって、歌をバックに色々な場面や画像が流れて今までとは違ったコンセプトだなと感じた。
たしかにあの階段のステージは今でも強烈な印象が残ってる。 >>306
6人の武道館までは増毛してなかったよね。 ドッグのコピーバンドで一番いけてるボーカルは誰かおしえろください 若い頃からDOGが好きでCDも欠かさず買ってたけどそれもAcros The Rainbowまでだったかな
それからCDも買わなくなったし情報も追いかけなくなった
だから解散騒動とかもリアルタイムでは知らなかったよ
でも不思議と嫌いになるまではいかなくて手持ちのCDやYouTubeなんかでライブ動画は見てた
動画とか見てても、声出なくなったなー、でもライブ面白そうだなーとしか思ってなかったんだけど
最近、嫁がツタヤディスカスに入会したから久しぶりにDOGでも聴くかなー、やっぱりDOGはライブっしょwってことで【Lucky and Happy】を借りてみた
唖然としちゃったよ、、
目からの情報が何もないなかで耳だけで改めて聞いてみると声が出てないどころの話じゃなかった
はっきり言ってしまうと下手すぎる
本当に悲しくなった
どんなに曲調やスタイルが変わっていってもライブだけは間違いないと思ってたのに1曲めから聴くに耐えなかったよ
それでも最後まで聴いたけどね
酔いながらこのスレ見てどうしても書きたくなってしまった
すみません Acros The Rainbowまでは、買っててそれ以降
買わなくなったのは、Acros The Rainbowが
ダメで見切りをつけたのかな?
あのあたりから、急激にセールス、ライブ動員
落ちたよね ROCK MEツアーってあんなにたくさんやる意味あったのかとは思う >>311
BACK TO ROCK辺りからはもう惰性で買ってたかなー
だからAcros the rainbowで見切りをつけたわけじゃなくて徐々にDOGの『新譜』に興味が失せて、完全になくなったのがそこら辺だっただけだと思う
昔の曲は当時も今もヘビロテだしね なるほど。
そういう人が多いんだろうね。
それが、セールス、動員によく表れてるよね。
確かに個人的にもバックトゥ〜は、ガッカリした記憶あるな。
初期は、ほんといい曲、作品あるだけに残念。 >>309
ありがとう、ぐぐってみる
つべ見てると、メーリングドッグの髪の長い人とかギターはそこそこうまい人が多いんだけど、ボーカルはみんな駄目だね
やはり若い頃の康平の声とパフォーマンスは格別だったね アマチュアでHound Dogのコピーバンドやってる奴らは所詮アマチュア。
要するに疑似メンバーに成りきる行為をしてるだけ。
特にボーカルは全盛期の大友に成り切ることで自己陶酔してるだけ。
むしろハウンドドッグに全然影響受けてないボーカリストが歌った方が個性が出ていい感じに聞こえる。
上で出てる菊池健一はドッグのコピーバンドのボーカルというよりも、
ギター弾き語りのシンガーソングライター系の人だから。
それが八島本人とずっと(10年近く)一緒に活動してるんだから人生わからないもんだよ。 自分もAcross〜までシングルもアルバムも買ってライブも行ってたけどそこまでだったな
AmbitiousとOnly Love&Destny以降でピンとくる曲が無くなったけどライブは楽しかったから・・・
VOICEでもう「あれ?」って感じだった
BRIDGEなんか嫌いではないしカラオケブームもあったんだろうけど何であんなに売れたのかよく分からない感じだった
>>312
動員落ち出したバンドの苦肉の策だったんじゃないかな
BLOODS LIVEが伝説みたいになってるからもう一度無謀なロングツアーにチャレンジしようみたいな感じの話だったと思う
曲と同じで焼き直ししか出来ないのかというw >>317
まあそんなことをROCK MEの本では書いてあったよね 個人的には夢の島のピークも折り返しになった第五回東京夢の島のやつかなと思う
曲もたくさんやってくれて楽しかった 大友オフィシャルで
今度のライブの本編ラスト当てクイズやってるな?
意外に難しいよw
本編ラスト1曲前なら簡単、ラストヒーローかKnock Me Tonight
アンコールラストも簡単、嵐の金曜日かラストナイトラストタイム
果たしてクイズの本編ラストは・・ >>310
分かるわ、あのライブアルバムはひどいね
一曲目からボロボロだし♪関係者の皆さんもモアベター、とか歌詞は寒いし
つーかあの頃はアルバムの初回限定版なんかも消しゴムとか何か子供だましのオマケみたいなの入れてたりとかほんと酷かった
セルフカバーアルバムも「これじゃない」感が強くてあれ好きな人って居たのかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています