北山修を語るスレ
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新しく立て直しました。大変申し訳ありませんでした。
フォークル、作詞活動、精神科医と様々な面で活躍した北山修氏について語ろう。 「ピンクの戦車」ならAKBが歌っていても違和感を感じない >>326
多様化したし、「時の人」っていなくなっちゃったね。 サムは声は良いのに音痴だからもったいないなw
まあそこがいいんだけども。サム好きやわ。 サムの書いた詞で最高傑作だと思うものは何?
わいはダントツで「風」 のりちゃんの曲も素晴しい。 詞が最高傑作というより
詞と曲がぴったり合っていたのは、「冒険」かな 秋元康は5000曲以上の曲を作詞してるけどサムは何曲ぐらい作詞したんだろう? 「さらば恋人」の
いつも幸せすぎたのに気付かない二人だった
ここ好き まるで人の気持ちが分からない精神科医のような一節ですね(笑) 「戦争を知らない子供たち」は賛否が分かれた
右派は勿論のこと左派でも戦前生まれの人は反発する人が多かった >>347
それでいいんだよ
高田渡の自衛隊に入ろうは
勘違いされて防衛省か自衛隊からオファーが来てさらには、
自称左派系からも文句を言われ
右左なんか気にする必要はない イムジン河とかなんちゅう歌の歌ってるんだよって感じだねー。
国と国との約束すら守れない国民資質とはなんなんだろう? そういうことではなくてさ・・
私このスレの住人ではないし、特に北山のファンというわけでも
ないし、はしだが死んでから、たま〜に覗くようになった程度だけど
ただフォークル再結成のときに(三人目が坂崎のときの)
「何も朝鮮半島のことだけを意識してるわけでもなくて」みたいな北山
のコメントが印象深くてね。「人と人とを分断する壁は今でも世界中
いたるところにあるんです」 とかそういうメッセージがね。
特に北山のファンというわけでもない、このスレの住人でもない私にも
印象深かったよ、と。 >>350
しつこい荒らしだと思っていたが、やはりチョンだったか >>353
「恨」は千年続く民族だそうだな
お前の場合は、年末から湧いてきたので、まだまだこれからか
そんな、憎くてたまらない国に、なぜ住んでる? >>347
詞そのものが酷いからな。
このスレの上の方で誰かが書いているけれど、寺山修司の「戦争を知らない」とくらべたら、小学生レベルの内容だよ。 サムは1997年に結婚したけど2002年には離婚している。 >>361
美容外科医の娘と歯科医の息子は30代だから、それだと計算が合わない。
それとも、何度も結婚したのか? やっぱりサムだと一般的にTRFのサムだと思うから別のニックネームにした方がいいですよね? >>366
TRFのサムはちゃんと登録された名前でニックネームではありません。
”おちゃむ”はどうでしょうか? 僕のお父さんは「おさむ」ですが、おさむと呼ばれています
「おさむ」にしませんか? またサムのあだ名議論が始まりそうだなwサムが一番シンプルでいいと思う。 北山ちゃんはキスマイが元祖だからファンからクレームが来ると思う。 じゃあなんならいいんだよおおおおおおお!!!(笑) 71の老人にサムだのおさむちゃんだのニックネームをどうするという発想自体が
ダサいしキモいよ。この歳になったら北山でいいじゃないか。 >>379
かたすぎる。
もういいアイデアなさそうだから、おちゃむで決定にしよう! サルジイだよ。あるいはサム爺。これだとアムロの元夫と区別できる。 >>381
ごめん。
サルジイでなくて、サムジイかサム爺ね。
根拠は、東京新聞の御真影だよ。 サム爺のあの素晴らしい歌をもう一度コンサートよろしく!! 今日の林修先生の初耳学で林先生は論文の被引用回数を重要視してたね。
サム爺の論文は被引用回数が少ないけど林先生はサム爺のことどう思うんだろう。 >>389
そもそも存在自体を知っているのかどうか。 林先生は東京大学卒だから昔のフォーク歌手には興味ないかもしれない。
ましては学者としての存在は全く知らないであろう。 >>280
あれなんでしたんか?
加藤和彦がやりたがったのか
北山がわざわざやりたいってのはないと思うね
しかし加藤和彦ってわけわからん音楽するようになって迷走したな >>393
トノバンもサム爺も自分たちの音楽を21世紀に伝えて行きたいという強い思いがあったんだろうね。 金だよ。
安定収入のある北山はともかくとして、加藤は浪費家だから金が欲しかった。
今回の「あの素晴らしい」も、周りの連中は金が欲しいんだ。それを察して、興行師が動いた。
北山は「すべてお膳立てしてくれれば、出てやるか」ということだろう。 だからサム爺は乗り気じゃないので新聞広告では他の出演者が顔写真入りなのに自分だけ似顔絵(永六輔作)にしたのか。 サムより年上でもここでは爺をつけて呼ばなきゃならんのかw 現役欲じゃないの?
加藤は金もそうだろうけど、人つまり孤独感だと思う 色んな意味でフォークルメンバーの中ではのりちゃんが一番幸せそうだったな。
病気は可哀想だったけど。 サムの書く詞はふるさとが多く出てくるよね なんでだろう あ、ここではサム爺って呼ばなきゃいけないのね(笑)
このスレ初めてだから知らなかった ごめんなさい サム爺は若い頃からずっと、他の職業シンガーと一線を画してきたが、それで周りから反発されなかったのだろうか? >>401
杉田二郎の、男どうし にもやっぱり
ふるさと の歌詞が… 結局おまいらは精神科医としてのサム爺と名誉教授としてのサム爺と作詞家としてのサム爺
どれが好きなんだよ サム爺で才能があったのは作詞だけで
、それも両手で余る程度。 フォークル時代テレビで観た北山の印象は、いつも背広姿でリーマン風。「この人
本当に音楽やるの?」って感じ。3人の服装がバラバラなのが良かったよね。
桂小金治が司会をするワイドショーに出て、最初ははしだが「帰ってきたヨッパライ」
を普通の速度で歌い、2曲目に「悲しくてやりきれない」を歌ったのだが、「悲しくて
・・・」は初めて聴いたのに一回で歌詞もメロディーも頭に残った。それほどインパク
とがあった。小学校4年生の春休みだったと思う。 >>413
リアルタイムでフォークル見たとかうらやまC
平成生まれの辛いところはリアルタイムで現役時代を見れないこと。 ヒット曲出した女性歌手は
ベッツイ&クリス、クライマックス藤沢、エンドレス林竹
牧葉ユミ、トワエモア山室、あたりか >>414
ギリ、リアルタイムでフォークル見てる
あとバースデーコンサートと
北山修作品集とかいう
アナログ盤が家にあるよ >>419
シモンズは知らないけど、ピンクピクルスは「天使が恋を覚えたら」、由紀さおりは
「初恋の丘」が北山が詞を書いているよね。 >>420
シモンズは「遅れてきた少女」だった。
いずれもヒット曲と言うほどではなかったよね。 >>413
サトウハチローだからね。
一流の作詞家のもので、サム爺ではない。 サム爺とか騒いでいるのは1人だけな。
そんな「寒々しい」呼称など誰も使う気しねーわ。
北山でいいと思うが、それで嫌ならおさむちゃんの方がまだ寒々しいのよりいいわ。 オサムちゃんというと殿様キングスを思い出すw
北山修は深夜放送パックインミュージックのDJもしていた
当時小学生だった小森まなみは北山の大ファンだったそうだ >>425
「おさむちゃん 」だと、「ぼんち」になるぞ。 吉田拓郎と同い年とは意外だった
北山が学業に専念するために芸能界を離れた翌年に拓郎がブレークした印象がある
二人は会って話したことがあるのだろうか? >>430
あるよ。確か深夜放送「パックインミュージック」で北山が学業に専念するため、その
DJをやめ後釜が拓郎だったはず。だから引き継ぎなどで面識はあるはず。
いつか拓郎が、「それまでは年上だとばかり思っていて、北山さんなんて呼んでいたが
年が同じことを後で知ってからは、やあ、北山って感じになったよ。」と昔言っていた
のを覚えている。ただ接触期間は短いでしょう。逆に加藤和彦と拓郎は当時からよく付
き合っていた。 >>431
そうでしたか
そういえば2人とも話上手でしたね
作詞北山修作曲吉田拓郎の歌を作って欲しかった
いや今から作ってほしい >>431
「結婚しようよ」のアレンジは加藤だしね。 >>432
吉田拓郎は詞先で曲をつけたはず。「旅の宿」や「襟裳岬」など。
対して、北山は「あの素晴らしい」のように曲先だから、合わなかったのでは。 拓郎は加藤和彦なんかとも同じだけど、拓郎は少し下積み時代があるからね
結婚しようよの時の加藤和彦は有名でしたもん
年が上と思っても仕方ない
岡林や高田渡や加川良なんかもそう思ってたからね
拓郎は自作以外は岡本さん後に松本隆なんかと組んでるけど、拓郎は関西地盤のフォーク連中とは体質があんまり合わなかったみたいよ
杉田二郎は東京に来て事務所同じだから、毎晩ディスコに行く仲間だったがw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています