ふきのとうファンはおらんか パート5
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細壺さんと山本さんの2人による
叙情派ハーモニーフォークデュオ
ふきのとう ふきのとうのふきのとうによるふきのとうのためのスレッド >>1乙です
「春の雨」アカペラバージョンが好き
前にYouTubeに有ったんだけど
消えちゃった? あ 腕の中=ゴンドラ って意味かな
山木さん詩人だなぁ〜 >>26
分からない。
山のロープウェイは間違いなく藻岩山だと思うけど。
>>27が書いてるとおり比喩なんだろうなぁ。 ふきのとう再結成に向けて新しいプロジェクトを発案したい。 >>31
プロジェクトを立ち上げるには資金が必要だよ。
確かふきのとうファンで2億3,992万円貯金があると自慢
してたやつがいたけどそれを全額拠出したらどうだろうか。 我々に原資がたった2億3992万円しかないのは正直きついけどふきのとう再結成のために何ができるだろうか? W初夏Wの聖地巡礼して来た。
大通り公園、時計台、地下鉄 >>40
Thnak you for your support !! 地下街(ポールタウン オーロラタウン)も行かなきゃ… 昔、中央バスで36号線飛ばして彼女の待つ狸小路に向かったものだ。 >>43
Thank you for pointing out my mistake. 北海道は冬ごもりの準備の時期だと思うけど、大通り公園では焼きとうきびを食べることはできますか? デビューして間もなくした頃、ふきのとうは雨降り道玄坂という曲を出すがこれには当時迷いや違和感を感じた覚えがある。
山木さんのような真面目な人がいきなり東京に出て新しい女性と恋愛するとは思えない。
道玄坂という場所も場所だけに・・・
山木さんは背伸びしすぎちゃったのかな?
山木さんは山木さんらしく札幌で培った思い出を糧に自分らしい詞を書けばいいと思う。
雨降り道玄坂は個人的には失敗作だと思っている。 「白い冬」も「雨ふり道玄坂」も
主人公は 本当は男だよね? たぶん山木さんの詩のオリジナルは札幌市街の場所だったんだろうけど、例えば真駒内とか。
それだと分かりづらいのでプロデューサーが変えさせたのかもしれないね。
だけど道玄坂か?としっくりこないけどね。 雨ふり宮の森
雨ふり真駒内
雨ふり宮の沢
雨ふり中の島
雨ふり新発寒
この中に元歌がある(たぶん 山木さんも細坪さんも北海道には住んでないの?
東京住まい? >>58
そこまで公開して個人情報保護法的に問題ないの? >>59
それはしらんが、山木さんは自宅兼事務所だから誰でもわかる(笑) >>60
そうですか。
じゃあ今度御歳暮に箱菓子でも持って自宅に遊びに行こうかなあ。 山木さんは優しいから遊びに行ったら北海道仕込みの手料理とか振舞ってくれるかもしれないね〜 マジで?
北の錦か何か日本酒も持っていった方がいいかな? >>48
当時、道玄坂のスタジオをよく使っていて
道玄坂の言葉の響きから曲ができた
とインタビューで言ってたよ。
余談だけど、天野さんがANNで道玄坂はタヌキやキツネが出るような
寂しいところと言ってた記憶があるわ。 >>65
マジ?
危うく家族で箱菓子と日本酒持って訪問するところだった。 >>64
ふ〜ん、そうなんだぁ。
ただ東京人からすると道玄坂と聞くと円山町のイメージがあるけど、山木さんは円山町のこと当時知らなかったのかな? >>68
知らないで書いちゃったっていってたような、 >>64
天野さんが言ってるのはススキノでは?
だけど天野さんの出身地は一関だから違うか。
でも1970年には道頓堀劇場も出来てたし、そもそもこの辺りは歴史ある花街だから天野さん道玄坂の話しじゃないんじゃない? >>69
やっぱり。
山木さんおっちょこちょいなところあるからなあ。 おまえら雨ふり道玄坂をディするな
昔、道玄坂上から世田谷方面行きのバスに乗って帰る彼女を見送ったことがある
大切な思い出の曲だから 雨ふり道玄坂は、自分の書いた曲だけど、どうも歌詞がしっくりこないと
前に山木さん言っていたよ。
自分の中にある内容じゃない歌詞なのかと思いましたよ。 >>70
免許取り立てで、道玄坂付近を走ったらすごく寂しい林のようなところに出て迷ったという話。
1970年半ばだから、まだ林も残ってたのかな。 >>73
いい曲だと思うけど 山木さんらしい優しい歌詞 >>74
1980年頃から渋谷はトチ狂ったのかもしれない。
そしてバブルを過ぎて今じゃ渋谷の駅周辺や訳分からなくなってるよね。
ちゃんと考えて都市計画考えろよと。
今更手遅れだけど。 だけどこうやって話し合ってるといろいろな情報が得られるね。
やっぱりファンどおしのコミュニケーションが大切だと痛感しました。 >>77
40年くらい前の記憶ですからね。
お互い補完修正しあって語り合いましょう。
>>70
天野さんは生まれてから保育園まで一関、小学校1年から6年までは東京で
父親の仕事の都合で福生や北区、赤羽あたりと転々としたそうです。
NSPデビューして雅叙園ホテル→世田谷の風呂ありアパート→渋谷エピキュラス裏のアパート >>78
いい流れだね。
ふきのとうをこよなく愛する僕たち自身がコミュニケーションをとって仲良くなることは大切なことです。 >>73
70年代後半からみんなマイカーを手に入れて彼女とデートしてた記憶がある。
モテるやつは車持ってたなあ。
まさしくこの時期、ユーミンの絶頂期を迎える時期もあって、恋人同士がバスでお別れするという光景がなくなりつつあったんだと思う。
それが山木さんのしっくり来ない原因じゃないかなぁ?
でも、また最近の若者は車を買わないらしいので山木さんは時代を三十年先読みしてたのかもしれない。 雨ふり道玄坂
あの頃は私鉄沿線とか野口五郎の歌が
流行ってたから便乗したんでしょ
作風が何となく似てるw
坪作の美しく燃えてとかねw 雨ふり道玄坂は 白い冬を意識して
テーマを秋冬の時期の別れにして
曲調も売れそうなメロディーやサビにして作った…と どこかで読んだ
(ベストアルバムの中の 制作秘話だったかな) '美しく燃えて'は野口五郎風だけど
'雨ふり道玄坂'はちょっと違う
強いて言えば坂本冬美風かな??
坂本冬美は'白い冬'をカバーしてるし ふきのとう再結成でメインボーカル坂本冬美という手もある。 雨降り道玄坂って渋谷のヘルスにハマった山木さんが
ヘルス嬢をストーキングした歌でしょ?
そういうのが許された大らかな時代、それが昭和w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています