月刊カドカワ1995年7月号42ページ

作詞家・三浦徳子
とにかく声量がありましたね。スタジオで彼女の歌をはじめて聴いた時、いくらでも声が出るんで驚きました。
マイクがいらないくらいで、今現在の声とは全く違ってたんじゃないでしょうか。
ディレクターーの若松氏から、彼女からのどうしても歌手になりたいという手紙のことを聞かされたり、
ご本人に逢った時頬がうすーいピンクで清純そのもので、その時、彼女の基本カラーをスウィートなピンクにしたいと思ったことを想い出します。
「青い珊瑚礁」の“渚は恋のモスグリーン”という歌嗣はピンクに合う色として出てきたんです、たぶん。
今から考えるとヒットのいちばんの原因は、作曲の小田裕一郎さんの歌い方にあったと思います。
最初の頃は小田さんから口伝えでレッスンを受け、それから歌ってましたから。
“あ−っア、わたしっのォ こオいはアー”という母音をしゃくりあげるような歌い方は、小田さんのくせなんですよね。