【'50s〜'60s】カバーポップスを語ろう2【日本語詞】 [無断転載禁止]©2ch.net
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伊藤素道とリリオリズムエアーズというコミカルなコーラスグループがいた
リトル・ダーリンをカヴァーして面白おかしく聞かせてくれた
忘れられないのがローハイドにおける鞭の効果音にスリッパを使って笑わせた >>340
Tボーンズの「真っ赤な太陽」にも、歌詞がついていた
この手の曲は、英語の元歌詞があったのかどうかも、よくわからない >>344
「夢見るシャンソン人形」の「た」を「ら」で唄ったのもその人たちだったかな
わらしのうらは、誰でも聴けるわー
みんなわらしの すがらも見えるわー ザ・ヒットパレードの映像、残ってるのもあるんだね
後期のミコちゃんの人形の家、画質悪かったけれど
貴重なものが見られた
当時の映像がきちんと残ってたらなぁ
さすがに生まれてないからリアルタイムでは見ていない ワンマン社長だったくせにいい人扱いして持ち上げ過ぎだった うちの地方にフジ系のテレビ局ができたのが69年の終わり頃で、その時は
まだザ・ヒットパレードやってたんだね。見た記憶がないから、ネットされて
なかったのかもしれないが。 系列局で遅れて放送されるときはダビングしたビデオを送っていたらしい
地方局に捨てられず残ってないもんかねえ 中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりの三人娘のなかでは
やはり園まりがいちばん可愛かった 鈴木やすしは愛嬌あるキャラで役者としてもうまくこなせた 勝ち抜きエレキ合戦の司会をしていたのが鈴木やすしだった
外人バンドに対しても英語で対応していた 鈴木やすしが単身で訪米したときのエピソード
ヘンな場所に迷い込んしまったとき、数人の不良アメ公に囲まれてしまった
とっさに「俺は空手を教えにアメリカに来たんだ、なんならお前らにも教えてあげようか?」と身構えたら慌ててアメ公たちが逃げて行った
その当時から空手は知れ渡っていた 救いようのない青山ミチを、いつもかばっていたのが
後輩ハーフの泉アキだったな
ヒロシーーーーー オンリーと呼ばれていた女性たちだね
シナトラの「オンリー・イズ・ロンリー」も、この頃の曲だったかな 白人や黒人の混血児はすぐ分かるが、朝鮮人との混血は分かりづらかった
でも、ブサイクな顔と言動ですぐ分かった ノーキー・エドワーズ、死去
上の方でボビー・ヴィー来日の話が出てたね
ノーキーも含めたベンチャーズが来日したのは1965年か
wikiより
初来日は1962年のことで、ドンとボブの2人が東芝音楽工業(のちに東芝EMI)のイベントに参加し、
ベースとドラムは日本人が担当した。ボブの回想によると、ベースはなんとウッドベースで、
「とにかく何もかも滅茶苦茶だった」とのことである(ほとんど演奏できなかったために結局ドンと
ボブ二人だけの演奏にすぐ切り替えたという)。ちなみに同時に来日したのはボビー・ヴィー
(後に共作のアルバムをリリースする)、ジョー・アン・キャンベルであったが、観客のほとんどは
日本側の出演者であったスリーファンキーズのファンだったという。
当時のアーティストの来日なんてこんなものだったんだろうね
そして、ジョー・アン・キャンベルが来日してたとは、びっくり! 追記
当時四人ではなくドンとボブ二人だけの来日となった原因は、日本側が用意したギャラが
二人分しか用意できなかったためである。
そういえば、ジョニー・アリディが昨年末に亡くなっていたことをつい先日知った
日本で当時カバーされたのは「甘い暴力」平尾昌章くらいかな
フランス語や日本語はロックとは合いづらいものだったのを、先人たちが苦労したことが
今に受け継がれているんだよねぇ プレスリーから影響を受けたリーゼントヘア
当時は不良扱いされた CD化されていないカバーポップスでCD化してほしいものを
教えて下さい 敬ちゃんの発売当時の「恋の片道切符」はCD化されてたんだね
知らなかった
B面の「褐色のブルース」はされてないよね
このカップリングは平尾さんと同じだね「恋の片道切符/黒のブルース」
ミッキーさんは雪村さんとのデュエットでB面が
「おゝキャロル」
これは当時のニール・セダカのシングル盤と同じカップリング >>376
そんな呼ばれ方、ほんとにされてたの?
共通点がほとんど見当たらないけど
「悲しき願い」と「朝まで待てない」では、落差がありすぎる 命日命日とうるせえ野郎だな
人間は年をとるとみんな死んで行くんだよ
しつこすぎるよ、てめえは ああやってアップすることでカバーポップスが再評価でも
されればいいけれどそんなこともないし
ただの自己満足だよね
必死にコレクションした人間にとっては、本当に不愉快 ただただ文句を言わずに自ら話題を出す
そうしないとただの終わったスレになる
題名のない音楽会で「カバーポップスの音楽会」というのを
やっていたね
https://twitter.com/i/web/status/974858304324161537
50〜60年代は日本に欧米の音楽がドッと入ってきた時期
クラシックがベースになった曲も結構あるんです!
クラシックベースのカバーポップスってどんなのがあっただろう?
有名どころだと、ピーナッツがカバーした「情熱の花」
麻生京子の「ハンガリア・ロック」なんてのもあるね カヴァー全盛時代は才能ある作曲家がいなかったし
アメリカンポップスをコピーしてたほうが楽だもの 元々は、渡辺プロ社長のアイデアからブームになったんだね
結果的にカバーポップスは、日本のポピュラー音楽が成熟するまでの、つなぎ役をはたした
まあ、今の音楽の現状を見て、成熟しているかどうかは、意見が分かれるけど ♬
シロシロシロシロ クインシロー
月火水木金土日〜 エブリデー毎日飲んだら
やがて色が 白くなってきて
当時は、肌色差別の商品CMがいっぱいあった
ロゼット洗顔パスタとかも
当時のカヴァー歌手でまともな英語が話せたのは雪村いづみだけ 雪村いづみ、「火の玉ロック」含む4曲入り7inchアナログ発売
https://natalie.mu/music/news/266335
雪村いづみ「火の玉ロック〜ゴールデン・ロッキン・フィフティーズ Ep」収録曲
SIDE A
01. 火の玉ロック(Great Balls of Fire)
02. フジヤマ・ママ(Fujiyama Mama)
SIDE B
01. セブンティーン(Seventeen)
02. 恋人になって(I Want You To Be My Baby)
雪村いづみ「火の玉ロック〜ゴールデン・ロッキン・フィフティーズ Ep」
[アナログ] 2018年2月28日発売 / 2160円 / クリンクレコード / NJS721
こんなの出てたんだね これ、レコード盤なの?
だとしたらレコードプレイヤーのない人は聞けないじゃん ホームセンターとかでも普通に売ってるよ、レコードプレイヤー
レコードからデジタルに変換みたいなのも色々とあるし ジミー時田も英語が堪能で訪米したときに日系アメリカ人と間違われたぐらい
流暢な英語を話せた 「ドレミの歌」は言うまでもなくペギー葉山が訳詞して歌ったものが有名だけれど
いくつかの訳詞がある
岩谷時子訳で歌ったのが、宮城まり子
九重佑三子も歌っているが、これもまた別の訳 ラジオ深夜便でカヴァーポップス歌手特集を聞いた
ピーナッツ以外はまだ存命中なので驚いたよ ラジオ深夜便
曲目リストがあった
ロマンチックコンサート ジャパニーズ・ポップス:懐かしのポップス・ヒット・カヴァー
バルコニーに坐って 山下敬二郎
ステキなタイミング 坂本九 & ダニー飯田とパラダイス・キング
月影のナポリ 森山加代子
パイナップル・プリンセス 田代みどり
ルイジアナ・ママ 飯田久彦
恋の片道切符 平尾昌晃
悲しき少年兵 藤木孝
G.I.ブルース ささきいさお
ロコモーション 伊東ゆかり
レモンのキッス ザ・ピーナッツ
可愛いベイビー 中尾ミエ
ヘイ・ポーラ 梓みちよ & 田辺靖雄
霧の中のジョニー 鹿内タカシ
ミスター・ベースマン 九重佑三子 & ダニー飯田とパラダイス・キング
ヴァケイション 弘田三枝子 藤木孝と鹿内タカシは俳優に転向して新境地を見出した
悪役専門だったけど >>401
リアル世代で、しかもあまりマニアックでない人が選んだみたいだね
あとの世代の人だと、こうはいかない ダイアナ、24000、シェリーを外したから
ちょいとだけ変化球 藤木孝の歌いながらのいやらしいアクションが印象に残ってる
ツイスト1、24000回のキス、アダムとイヴの物語などね 選曲を言い出したら、キリがないけど
ヒットの度合いなら
悲しき雨音、ビーマイベイビー、アイドルを探せは入れるべし 悲しき雨音はやっさんヴァージョンが一番好き
ちょっと効果音がオーバーだけれど 「ワシントン広場の夜は更けて」は元々はインストルメンタルだが
日本では歌詞をつけてカヴァーされた
日本人好みの曲だったしね 「アカパルコのお転婆娘」ってオリジナルは誰なんだろう?
あれもなんとなくインストに歌詞をつけているように思える
「若さを唄おう」もベルト・ケンプフェルト楽団のインストで
1番の歌詞の一部分を2番の歌詞の最初に持ってくるという
ワシントン広場と同じパターン使ってるね
どれも漣さんの訳 いしだあゆみは数曲カバーポップス歌っているけれど
その前に「石田良子」名義でもいくつかソノシートで楽曲を残しているんだね
ヘレン・シャピロの「夢見る恋」「子供じゃないのよ」
コニー・フランシスの「かわいいベイビー」「大人になりたい」などなど
聴いてみたいものです ソノシートの世界は奥が深いよね
聞いたこともないような歌手の名前がぞろぞろと出てくる そういえば梅木マリって歌手いたよな
チャールストンでキッス >>414
雑誌で、よく通信販売してたね。4枚200円ぐらいで。
一回だけ買ったことがある
ルート66とかが入ってた レコードを買えなかった貧乏人はソノシートで我慢するしかなかった 東京ビートルズの7inchも出るね
こんなつまらないもの出すなら未CD化の音源を
もっと復刻させてほしいよ ビートルズ公演の前座の内田裕也のアニマルズの歌は意外と良かった
トラブル、とかあの手のタイプの曲だと幾分かマシに聴こえるんだろうね CMソングなら、シルヴィ・バルタン
♬ドライブウエイに春が来りゃ イエエイエイエイ ↑
命日だの誕生日だのにこだわるこのバカ、しつこい ヴァケーションやワンサカ娘と同様の季節ものなら
カレンダーガールに春の日が出てくる
上を向いて歩こうにも春の日が出てくるけど
夏秋とあって冬はないんだね
映画でのみ冬の日という歌詞も歌われている 恋のパーム「スプリング」ス
この胸のときめきを ダスティー・「スプリング」フィールド
春はホント、思いつかない ヴェルヴェッツの「スプリング・フィーバー」は名曲だと思う
誰かにカバーしてほしかった
A面の「夢のお月様」は紀本ヨシオがカバーしたけれど 四月ならなんたってパット・ブーンの「四月の恋」だろ 春はエロの象徴でもある
売る春もあれば、春歌とか春画なんてのもあるし
シルヴィの「アイドルを探せ」も春というワードが
効果的に使われていて、処女喪失を思わせるような内容になっている
日本語のカバーは綺麗な言葉で綴られているけれど あの有名な映画の「太陽がいっぱい」って日本語でカバーされたのだろうか? 旗照夫がまだ存命だとは驚いた
日本におけるジャズシンガーの草分けだった 戦前からジャズはあったんだから草分けではないんじゃない?
存命のジャズ歌手の中では最高齢なのかな、84歳
もっと上の人いそうな気もするけれど
カントリーだと、大野義夫さんとかウイリー沖山さんとかがいる ジャズといえば、当時のふつうの日本人は
洋楽全般を、ポピュラーとは言わず、ジャズと言ってたね 小坂一也が初めて三波春夫に会った時に「ジャズの方はお洒落な服来てますね。」
と声を掛けられたと言ってた。カントリーなのにね。 タモリがフジヤマ・ママとルイジアナ・ママを
かけ合わせたパロディソングやってるけれど
春の歌になっている 戦前からアメリカの洋楽は十把一絡げでジャズといっていた
フランスだけはシャンソンそのまんまだったけど グッチ裕三がNHKの番組でボビー・ダーリンの「Beyond the Sea」
を歌っていて、ジャズ歌手のボビー・ダーリンと紹介していた
ジャズ歌手とよぶのはちょっと違和感あったね
ジャズもレパートリーにはしていたけれど
この曲はラ・メールだから元々はシャンソンだね
ボビー・ダーリンのカバーはいくつかあるね
日本語カバーだと、九ちゃん「おんぼろ汽車ポッポ」
平野こうじ「初恋の並木道」スリー・ファンキーズ「電話に御用心」
尾藤イサオ「匕首マッキー」とかかな
英語カバーだと、ミコちゃんの「マック・ザ・ナイフ」
鹿内タカシ「ビューティフルベイビー」とか エディ・コクランの「バルコニーに座って」
当時のロカビリー三人男がそれぞれ音源を残している
山下敬二郎(渡舟人・訳詞)
平尾昌章(音羽たかし・訳詞)
ミッキー・カーチス(英語詞、実況録音盤)
当時の歌手でエディ・コクランの音源を残しているのは
この曲だけかもしれない 甲本ヒロトが「コクランのズンタ・タッタ」紹介してたとは!
日本盤のB面は「サマータイム・ブルース」
50年代にはこの曲の日本盤って出てなかったんだね
ヒロト 「みんな元気だったかな?甲本ヒロトです。ここからは僕がやります。
まずは一曲 聴いてください。エディ・コクランで、『コクランのズンタ・タッタ』」
コクランのズンタ・タッタ(CHERISHED MEMORIES)/ EDDIE COCHRAN
ヒロト 「エディ・コクランで、『コクランのズンタタッタ』でした。リズムの感じが、
ズンタタッタ、ズンタタッタなので、『コクランのズンタ・タッタ』という邦題をつけた、
担当者に拍手です。原題は『チェリッシュド・メモリーズ』直訳すれば、大切な思い出。
別にこのまんまでも良かったと思うんですけれど、『コクランのズンタ・タッタ』の方がずっと楽しいです。
愉快な邦題といえば、他にも、リトル・リチャードの『あたしゃカックン』なんかも人気だし。
この番組では、ランデルズの『ゴキゲン火星ちゃん』とか、ジョナサン・リッチマンの
『ヘイ、可愛い昆虫さん』とか、色々紹介してきました メリー・ホプキンの「悲しき天使」や
ジリオラ・チンクエッティの「雨」
このあたりが、カバーポップス最後のヒット曲になるのかな
クリフの「しあわせの朝」や「コングラチュレーション」のカバーも聴いてみたかった 11PMの朝丘雪路さんがお亡くなりに
いくつかカバーポップスも残している
初期の音源をCD化してほしい 内田正人という名前に既視感があったのは
キングトーンズか
この人も日大出身なんだね
脳梗塞で倒れてからも活動していたけれど、最近は表舞台から遠ざかっているようだね
昨年愛弟子の新しいボーカルを入れてCD出していたとは 中尾ミエさんの、「おじさまとデイト」は
あれ、日本の曲だったんだね。カバーとばかり思っていた
ザ・ヒットパレードでも唄っていた気がするけど 微妙に時期が遅れるが、雨の御堂筋
一夜限りの昭和歌謡特集
次回 | 8月25日(土) 18:00〜18:30 放送
MUSIC FAIR【よみがえる昭和歌謡の名曲たち】
懐かしいメロディーを秘蔵映像で「恋のバカンス」「ルビーの指環」「時の流れに身をまかせ」「雨の御堂筋」「長崎は今日も雨だった」「また逢う日まで」他
https://www.fujitv.co.jp/MUSICFAIR/ コニーフランシスの「夢のデート」 は 当時伊東ゆかりで聞いた記憶があるんですが、
レコードで出ていたんでしょうか?誰か教えて! >>460
うちの姉がよく唄ってたけど
レコードが出たかどうかまでは
コニー・フランシスのカバーなら
日本人歌手は大体出してると思うけど 「フジヤマ・ママ」がヒットしてしまった60年前の日本・・・
ヒット曲「タキ・タキ・ルンバ」で「長崎のように爆発しそうな尻」 日本法人「誤解を招きかねない」と指摘
世界的なヒット曲「タキ・タキ・ルンバ(原題Taki Taki)」に「尻が長崎のように爆発する」という歌詞があり、
配信するユニバーサルミュージック日本法人の指摘を受けて、歌詞を変更していたことが13日、分かった。
「タキ・タキ・ルンバ」はスペイン語と英語で歌唱されている楽曲。仏出身の米ミュージシャン「DJスネイク」が
9月28日から世界各国で配信しており、歌手のセレーナ・ゴメスらも参加。「ナガサキ」のくだりはスペイン語で
歌われており、原爆の被害を軽視しているとも受け取られかねない内容になっていた。日本法人は配信後に
「日本では誤解を招きかねない」と歌詞の変更を依頼。国内での宣伝活動を見合わせた。
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10月9日発表のミュージックビデオでは「ナガサキ」という歌詞が「サキサキ」に変更されており、今後、
インターネットの定額音楽配信サービス上でも差し替わる予定という。
原爆をめぐっては、人気韓国男性グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーが原爆を描いたTシャツを
着用していたことが批判を呼び、テレビ朝日が9日夜放送の音楽番組「ミュージックステーション」への
BTS出演を見送っている。 すっかり過疎ってしまいましたね
第1回日劇ウエスタンカーニバルから60年
U.S.A.が話題になっても元祖であるカバーポップスに注目が当たることも全くありませんでした それでもクリスマスの季節になると、漣さんなどが訳詞をした
クリスマスソングが歌われたりと、楽曲はひっそりと残り続けます
今年のレコード大賞では山下達郎のドゥーワップCDが賞をもらっていました
当時流行していたロカビリーに反旗を翻すように始まったレコード大賞第1回の
大賞受賞曲が、ポール・アンカの「君は我が運命」を下敷きにした曲だというのは
なんとも皮肉です 伊東ゆかりは一通り復刻されましたが、その中に
「夢のデイト」がないということは、当時は音源を残していなかった
と考えるのが妥当かと思います
この曲の訳詞は当時コロムビア専属の浜口庫之助が担当し、
コロムビア所属の丘優子が歌っています
コニー・フランシスの日本語盤もハマクラさんの訳詞で歌われています
伊東ゆかりの曲を編曲された森岡賢一郎さんや、一緒にお仕事をされていた
前田憲男さんなどカバーポップスの編曲家の方々の訃報もありました ロカビリー映画「女は抵抗する」がDVD化されたことは
今年良かったことでした
ぜひ「檻の中の野郎たち」などもと思います
これからもいろいろと復刻されますように >>460, 461, 463, 466
夢のデイト、丘優子のがつべにありました。懐かしいですね。 「悲しき願い」は、尾藤イサオのカバーが有名だけど
鹿内孝の歌詞が、いつも気になっていた
♬誰のせいでもありゃしない みんなおいらが悪いのさ
の部分が
♬みんなおいらが悪いのか そんな話があるものか
になり、最後は
♬誰のせいでもありゃしない みんなお前が悪いのさ
とくる
どこかで、もう一度聴きたいな 最近ユーチューブでカバーポップスハマって聴いてるんですが、星野みよ子はここで大丈夫?
好きな声で凄く気に入ったのに全然情報が無くて寂しい。
CDも出てないんですかね?
しかも検索したら娘さんのブログで亡くなられたってあるし。 梓みちよさん
有名なのは、「こんにちわ赤ちゃん」や「二人でお酒を」だけど
ここの人たちにとっては、田辺靖雄とマイカップルで唄った
「ヘイ・ポーラ」や「けんかでデイト」が思い出深い曲だと思います
ご冥福を ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています