【'50s〜'60s】カバーポップスを語ろう2【日本語詞】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ジャズ、ラテン、ハワイアン、カントリー&ウエスタン、ロカビリー、ティーンポップ、イタリアンポップス(カンツォーネ)、
フレンチポップス、リバプールサウンドなど1950年代から1960年代に日本の音楽シーンを席巻したカバーポップス
(日本語に訳詞されたポップス)について語りませんか?
前スレ
【'60初期】カバーポップスを語ろう【日本語詞】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1283948376/ >>241
ミコちゃんの「子供じゃないの」は当時は「子供ぢゃないの」という表記だったね
「すてきな16才」という表記は今も昔も変わらない >>242
後藤久美子
ゴールデンベストが出たのはびっくりしたけれど
コロムビアはチャコちゃん、金井克子、松島トモ子とか
2枚組ベスト出してくれてるね
でもトモ子ベストにシンデレラ入れなかったのはあり得なかった
佐川満男(ミツオ)も2枚組にしても良かったのに
今は幸せかい以降の楽曲より先に初期のベストが出たのも
びっくりだったけれど BS-TBS
SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜
1月21日(日) 23時00分〜23時54分
「ダイアナ」ポール・アンカ▽オールディーズの名曲を本人が語る
「ダイアナ」は1957年に、カナダ出身のポール・アンカが歌い、大ヒットさせたオールディーズの名曲。
全米・全英No.1を獲得したほか、世界中で900万枚以上のセールスを記録したといわれている。
プロのソングライターとプロの歌い手が分業でレコードをつくっていた当時、ポールは16歳にして、
自らこの曲を作詞作曲し、歌った。この曲の大ヒットで一躍、人気者となった彼は、続く「君は我が運命」、
「ロンリー・ボーイ」などでスター街道を上り詰めていく。曲のタイトルとなっている「ダイアナ」は、
思春期のポールが出会った女性の名前だという。ポールにインスピレーションを与えたダイアナとは、
どんな女性だったのか・・・
2016年の再放送 誰が歌っていたかわからないが
大人になりたい
夢のデイト
伊東ゆかり
悲しきクラウン
恋の約束
バケーションは弘田三枝子と伊東ゆかりだったかな
藤木孝
240000のキス 24000は平尾先生バージョンもねっとりしてていい 元祖沖縄アイドルの沢村みつ子さんは10年前の2008年に
お亡くなりになっている 「オールディーズがやって来る」は良コンテンツだった
コーラスグループ勢ぞろいだった回が良かった
「ザ・プラターズからザ・ピーナッツまで」
ダーク、デューク、ボニー、スリー・グレイセス、キング・トーンズ・・・
ダークさんはマンガさんが抜けて3人だったけれど
デュークさんは吉田さんや飯野さんがまだいて
ボニーさんは大町さんもいた
あれは2000年あたりの放送だったのだろう
グループを存続させていくのも大変
プラターズも色々とトラブルがあったようだね 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
VFK07 1958年2月8日は第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催された日
それから60年、記念すべき年
http://d.hatena.ne.jp/chocoramastudio/20111028/1319798061
なぜウエスタン・カーニバルの前に日劇が入るのかというと、ウエスタン・カーニバル自体は
昭和28年(1953)から東京ビデオ・ホールにて年二回づつ開かれ、日劇で行われた前年秋には
計八回目となるウエスタン・カーニバルが開催されている。日劇が会場になったのは初めてと
いう意味で、正確には第一回日劇ウエスタン・カーニバルとなる。東京ビデオ・ホールでの
ウエスタン・カーニバルはその後も継続的に続けられて、日劇と区別するためにビディオ・
ウエスタン・カーニバル(当時の表記)と呼ばれた。
第一回日劇ウエスタン・カーニバルでは寺本圭一がクレジットのトップになっている。
ロカビリー三人男として知られるミッキー・カーチス、山下敬二郎、平尾昌章は名前が
離れていて、最初から三人男として売り出されていた訳ではないことを示している。
出演者としてクレジットされているのは他に岡田朝光(ウェスタン・キャラバンのボーカル)、
関口悦郎(清川虹子の息子)、中島そのみ(後のお姐ちゃんトリオの一人)、朝比奈愛子
(雪村いづみの妹)、水谷良重、羽鳥永一。羽鳥が罫線で隔てられていて別扱いなのは
日劇所属のダンサーであるため。また水谷良重もナカグロ(黒い点)で他の出演者と
別扱いになっているのは、東宝宝塚劇場の火災で出演していたミュージカルが出来なくなり、
ウエスタン・カーニバルに急遽出ることになったためで、この出演者中もっとも一般的に
知名度が高かったのは寺本圭一ではなく水谷良重である。水谷(女優・水谷八重子の娘)は
当時、伊東深水(日本画家)の娘である朝丘雪路、東郷青児(洋画家)の娘、東郷たまみと
三人で七光会を結成し歌手活動に力を入れていた。 岡田朝光さんがダイアナとか歌っている映像があがっているね
真っ白なおじいさま ヘイ・ポーラ、けんかでデイト、素敵な新学期の
ジャケットと曲が流れた
スタジオでヘイ・ポーラをデュエット カバーポップスが陽の目を見るのはこの先もないのだろうな
ルーツなのに
本当に寂しい 2か遅れのミコちゃん
ハッピーバースデー〜セブンティー・・・
ミッチーが生きてたら今日が誕生日だった
そして明日は記念すべき日 坂本九が「悲しき60才」「すてきなタイミング」を歌ってた頃が懐かしい ホキ徳田さん、まだ生きていた!
なにげにホキさんも漣作品を歌っている
ミーナの「別離」
歌手としてよりもいただきますの印象の方が強いけれど 歌手としての記憶は全くないけど、いただきますは薄っすら覚えてる。 梅木マリというブスな歌手もいたっけ
鈴木やすし、木の実ナナのホイホイミュジックスルールにチョイ役で出てた 想い出のダイアナというのもあったが
涙のテネシーワルツという曲もあった ポールアンカが初来日したとき、素行の悪さで一気に評判を落とした プレスリーカバーは清野太郎の「冷たい女」が一番好き
訳詞もいいと思う
和製プレスリーといえば佐々木功やほりまさゆきもいいけれど、
60年代デビューだからちょっと出遅れ感があるね
清野はその後アメリカに渡ってプレスリーの前で歌も披露したこと
ある人だよね
初期の音源はCD化されたけれど、サヨナラ・エルヴィスもCD化してほしい 日本で初めてプレスリーをカヴァーしたのは小坂一也だろ 昔のソノシート付きブックで洋楽がよくカヴァーされてたが、大抵ダークダックスみたいな
グループがビートルズをやったりしてて原曲のイメージぶち壊しだった。
唯一ケーシー浅沼という人のプレスリーのカヴァーが雰囲気出てて上手かった。 手頃な価格なんで買ったら写真だけは本物を使い中身は別の楽団、歌手だった
ソノシートが流行った時代が懐かしい ケーシー浅沼さん、チキチキマシン猛レースの人だね
小坂さん自身がプレスリーとかのロックンロール系の曲は
自分の声質に合わないからあまり歌いたくないと言っていたような
やはりカントリーの人だからね >>275
パット・ブーンやコニー・フランシスは、評判よかったね
小坂一也といえば、ライフルマンの主題歌 仕事欲しさに愛人を殺した克美しげる
カヴァー歌手の末路は惨めでブザマだったな 青山ミチはヤクで何度もパクられた出来損ないのアイノコだった ポール・アンカは16、17で自作の曲がヒットして調子こいてしまったのも無理はない
歳をとってから若い頃のことを反省している発言もしている
フランキー・ライモンみたいな一発屋で破滅した短い生涯のような
悲惨なことにならず長く活動できているのは良かったね
ジーン・ヴィンセントの来日も好評だったんじゃない?
東京以外でもツアーやったみたいだよね
兵役の時にけがをして日本の病院に入院していたこともあるという噂もあるけれど
あれは本当なのだろうか?
ジーンの日本語カバーは、雪村いづみの「ビー・バップ・ア・ルーラ」と
スリー・ファンキーズの「ミスター・ロンリネス」くらいだろうか
平尾「ジザベル」ゆかり「月あかりの下で」あたりはジーンのオリジナルではなかったし
英語で歌っているのなら他にも存在しているね ニール・セダカも来日しているんだよ
ポール・アンカとはダンチのお行儀の良さだった ボビー・ヴィーも来日している
そのとき同行したのがドンとボブ二人だけのベンチャーズ ジーンよりも先にワンダ・ジャクソンが来日しているんだよね
本格的なロカビリー歌手が来日した最初だと思う
ジーンとワンダは同じレコード会社に所属していたし、ワンダの
フジヤマ・ママのヒットがなかったらジーンの来日もなかったのかもしれない
今なら大炎上するような歌詞の楽曲が若いロカビリアンにも歌い継がれる
スタンダードナンバーになっているんだから皮肉なもの ボビー・ライデルも来日しているぞ
当時のアメリカで人気のあった青春歌手だった ボビー・ライデルはヒナヒナした感じのヤサ男だったな
でも声量があった
フォー・ゲット・ヒムは全米5位にランクインされた彼最大のヒット曲 言うまでもなく日本での代表作は「ファンキールックのお嬢さん」
競作だったけれど、中島潤まで歌ってたとは!
マイウェイの訳詞でお馴染み
「青春スインギン・スクール」「星空の花売り娘」・・・懐かしい カントリー&ウェスタンから転向して流行歌手になったのが北原謙二と城卓也
それぞれ一発屋で終わったが 北原謙二のカヴァー曲では「北風」がいいね
オリジナルはモノラルだけど、北原のはステレオだし カバーでも歌謡曲でも1発も飛ばせない人が
いっぱいいるんだからどっちか当たれば大成功 パパはニュースキャスターではじめて見た藤木
コメディ路線の人だと思っていた ジェリー藤尾なんていう歌手もいたっけ
坂本九とよくテレビ、映画などで共演していた
二人とも故人になってしまった >>307
亡くなったのはジェリー伊藤でしょ。伊藤さんと英語であそぼで共演してた
ミクも若くして亡くなったけど。 とん平のヘイ・ユウ・ブルースはミッキーさんのプロデュースだったのか 紅白出場歴のある
島崎雪子、河野ヨシユキの誕生日
鹿内孝の77歳の誕生日でもある >>314
'50s〜'60sでもなければカバーポップスでもない 平尾さん=作曲家、音楽スクール、審査員など
ミッキーさん=プロデューサー、俳優、落語家など
二人は業界で生き残るためにいろいろやっていたけど
敬ちゃんは自身が歌う以外に何か副業とかやっていたのだろうか
歌だけでは食っていけなかったと思うんだけど カヴァー歌手から演歌歌手、俳優、タレントに転向して食って行けた人はマシ
そのまんまで消えた人、人殺しに落ちぶれた奴もいた そんな克美しげるの命日がやってくる
聖者になんかなれなかったけれど行進しよう 紀本ヨシオなんていう歌手を知ってる人は相当な年配だぞ 紀本ヨシオって
♬海に行こうよ サマーホリデー の人か? 「サンキューダーリン」をカヴァーしたカヴァー歌手だよ 「シェリー」のフォーシーズンズの映画、今やってるよ
当時のポップスファン必見ですね 尾藤イサオもプレスリーのカヴァーで売り出した歌手
TVのスパークショーでワンナイトを歌っていた 健康そのものの尾藤さん、目の病気だったんだね
今は元気だからいいけれど、衰えてヨボヨボになった尾藤さんは見たくないなぁ 和製プレスリーの佐々木功はまだ生きてるのだろうか? 大脱走マーチがCMで使われているから紀本さんを思い出すね 乾杯トークそんぐで北風歌っている映像あった
倒れる少し前だよね
胸が熱くなった >>326
ジャージー・ボーイズはもう何年も前の映画だよ
ブロードウェイでその前にミュージカル化されていたし
日本で舞台化もされている
今年も再演があるよ
当時の日本には和製フランキー・ヴァリのような人は
いなかったね
シェリーのカバーも九重、ピーナッツ、伊藤アイコなど
女性歌手だけだった サザンオールスターズ「いなせなロコローション」に
フランキー・ヴァリが出てくる
オールディーズ讃歌 アストロノウツの「太陽の彼方に」に歌詞をつけて歌った藤本好一というヘンな歌手がいたな 田川譲二の「太陽の彼方に」はアストロノウツの演奏にそのままヴォーカルを
のせるという暴挙だったっけ。 藤本好一はお行儀の良い青春歌謡歌手っぽかった
田川譲二はかなりのワルだったようだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています