【'50s〜'60s】カバーポップスを語ろう2【日本語詞】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ジャズ、ラテン、ハワイアン、カントリー&ウエスタン、ロカビリー、ティーンポップ、イタリアンポップス(カンツォーネ)、
フレンチポップス、リバプールサウンドなど1950年代から1960年代に日本の音楽シーンを席巻したカバーポップス
(日本語に訳詞されたポップス)について語りませんか?
前スレ
【'60初期】カバーポップスを語ろう【日本語詞】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1283948376/ 平尾さん、生きていたら80歳の誕生日
陽気にジングル・ベルと行きましょうか
しっとりと別れのワルツ(蛍の光)の指揮を添えて 平尾さんと数々の曲でタッグを組んだ作詞家の山口洋子さん
平尾さんのロカビリー時代の追っかけやってたんだね 由比さおりのマシュケナダとか八代亜紀のヒットロードジャックのような
誰もが知ってるメロディーのありましたら教えてください
以外な人が歌ってると嬉しいです >>211
質問の意味が、わかりにくいけど
現役の人気歌手が、古いポップスを唄っていて
しかもそれが有名な曲、ということ? クワイ河マーチの、サル・ゴリラ・チンパンジーを思い出した・・・
ゆかりさんは来年でデビューから60年になる
サントリー胡麻麦茶のCMでは大脱走マーチが使われてるね 50's、60'sのカバーポップスを語るスレではスレチになる気もするけれど
歌い継いでくれている人がいるということで語るならいいのかな
前川清がオールディーズカバーのアルバム出しているね、日本語カバー率が
低くて原詩で歌っているものが多いけれど
内山田洋とクール・ファイブ時代にも
ニール・セダカの「きみこそすべて(You Mean Everything To Me)」のカバー
「恋さぐり夢さぐり」
エルヴィス・プレスリーの「I Want You,I Need You,I Love You」のカバー
「夢待ち人」なんてのも出している >>212
211ですがすみませんレス遅くなりました
そうですねJazz等を下敷きにした洋楽ポップスを日本人の意外な人が歌っているという意味です
八代亜紀さんは演歌の方ですから、そのような意味合いです >>214
ありがとうございます!
前川清さんですか!意外すぎます。面白そうです探してみます! 小柳ゆき「Lovin' you」→「レモンのキッス」
オレンジレンジ「ロコローション」→「ロコモーション」
こういう変化球系の曲もあったら知りたい 今日は大瀧詠一の命日
「さらばシベリア鉄道」の歌詞にある通りに「十二月の旅人」になった
元歌の「霧の中のジョニー」といえば、克美しげる
この曲も漣健児の訳
意外と漣作品が多かった 1月 訃報・青山ミチ(ヴァケイションなど)
2月 訃報・瀬高明(ジプシー・ウーマンなど)
3月 訃報・かまやつひろし(ティーンエイジ・ブギなど)
4月 訃報・ペギー葉山(マンボ・ロックなど) 訃報・曽根幸明(サニー曽根、藤田功)(ローハイドなど)
5月 訃報・北原じゅん(作曲家、エレキ番組審査員)
6月 訃報・鈴木カツ(音楽評論家)
7月 訃報・平尾昌晃(監獄ロックなど)
8月 スパーク三人娘としての活動終了を発表
12月 デューク・エイセス解散
その他
チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、ハンク・ハンター訃報など
あとよろしくお願い致します 「カウライジャ」→「星は何でも知っている」→「夜空」 奥村チヨ引退
最初に登場したのは、シルビーバルタンの「わたしを愛して」でしたね 和製シルヴィ・バルタン
東芝からコロムビアに移籍したミコちゃんの
穴埋め的存在というか、初期の歌い方はミコちゃんだった フレンチポップスのカバーは中尾ミエが一番いいな
中途半端なベストしか出てないからこのあたりの楽曲が
埋もれてしまっていて悲しい フレンチポップスの話題をしていたら
フランス・ギャルさんの訃報が 学年だとゆかりさんと一緒、1947年の昭和22年生まれ
フランス・ギャルのカバーは中尾さんが一番多いみたい
4曲かな
夢みるシャンソン人形
恋はおとなしく
涙のシャンソン日記
すてきな王子様 レコード大賞、録画していたのを見ていた
ペギーさんの紹介でシャンソン歌手と紹介されていた
細かいことだけど、シャンソンも歌っていたけれど、シャンソン歌手ではない
んだよね
何か紹介をつけるとすると、ポピュラーソング歌手とかかな
本当に細かいことなんだけど、ちょっと寂しくなった
フランス・ギャルの訃報はネットでも大きく出てる
夢見るシャンソン人形はカバーもよくされているし、CMとかでも起用
されている普遍的な楽曲だから認知度は高いね フランスギャルのcdでも買おうと思っていたら
亡くなった フランス・ギャル
たどたどしい日本語で歌った
夢みるシャンソン人形(岩谷時子・訳)
すてきな王子様(安井かずみ・訳)
の2曲が入っているベストCDがすでに発売されているからお買い求めです
今月、紙ジャケでボーナストラック付きのアルバムの復刻もあるようです
夢見るシャンソン人形+2にはこの日本語版の2曲がボーナストラックで入ります
ほりまさゆきに続けと、
カバーポップス歌手のシングルベストやアルバムの復刻もお願いしたいものです 夢見るシャンソン人形はアイドルの虚しさを歌った歌
歌唱力のある人間が歌い上げたからといって、曲は生きないと思う
もちろんミコちゃんや中尾さんのものもいいのだけれど
原曲のアンニュイな魅力にはさすがにかなわない
なにげに細川ふみえヴァージョンが良かったりもする
涙のシャンソン日記は中尾さんのがいい味を出している
安直な邦題だけど 金子由香利って2010年に引退してたんだね
知らなかった マージョリー・ノエルは2000年に亡くなっているね
同じ年にミッチー・サハラさんも 何年か前に、レスリー・ゴーアやアンディ・ウイリアムスが亡くなっている
自分にお迎えが来るのはいつか、この頃からよく考えるようになったけど
最近、はしだのりひこ、フランス・ギャルと立て続けに同時代歌手の訃報を聞いて
もう自分にも明日すぐにでもやってくるべく、身も心も備えようと改めて思っている
長らく聴いていない曲も多いから、時々は触れたり
そういうささやかな楽しみで、余生を過ごしますかな 飯田久彦
悲しき街角
花咲く街角
さらば街角
ルイジアナママ
コーヒーデート 「さらば街角」は飯田久彦盤はなかったような
倉光薫だけかな
ひよっこの「若い広場」
歌詞の「シルエット」「ハートがドキドキ」はハーマンズ・ハーミッツ
「愛の言葉を」はミコちゃんの曲のタイトル
「ベルベット」はチャコちゃんもカバーした「ブルー・ベルベット」
ポンポンポンというのはよくありがちなメロディーだけど
コーデッツの「ミスター・サンドマン」を真っ先に思い出した デル・シャノンには、「街角のプレイボーイ」という曲もあった
あまりヒットせず、たぶんカバーもされなかったと思う >>234
飯田久彦懐かしいな
ポケットトランジスター
トランジスターシスター
という曲もあったな 悲しき街角はうっかり八兵衛さんも歌っていた
ハッピーバースデー セブンティセブン〜 中尾ミエ Vチョコ
弘田三枝子 ルックチョコ
九重祐三子 ロッテガーナ
ミエさんのVチョコは、すごい勢いで、CMもガンガン流れたけど
一年ぐらいで見なくなった
ルックとガーナは長寿 森山加代子
月影のナポリ
月影のキューバ
シンデレラ
弘田三枝子
子供じゃないの
素敵な16歳 上原ゆかりで思い出したが
「可愛いベイビー」の後藤久美子(初代)、あの子今どうしてるんだろう
55年ぐらい前だから、60歳前後か >>241
ミコちゃんの「子供じゃないの」は当時は「子供ぢゃないの」という表記だったね
「すてきな16才」という表記は今も昔も変わらない >>242
後藤久美子
ゴールデンベストが出たのはびっくりしたけれど
コロムビアはチャコちゃん、金井克子、松島トモ子とか
2枚組ベスト出してくれてるね
でもトモ子ベストにシンデレラ入れなかったのはあり得なかった
佐川満男(ミツオ)も2枚組にしても良かったのに
今は幸せかい以降の楽曲より先に初期のベストが出たのも
びっくりだったけれど BS-TBS
SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜
1月21日(日) 23時00分〜23時54分
「ダイアナ」ポール・アンカ▽オールディーズの名曲を本人が語る
「ダイアナ」は1957年に、カナダ出身のポール・アンカが歌い、大ヒットさせたオールディーズの名曲。
全米・全英No.1を獲得したほか、世界中で900万枚以上のセールスを記録したといわれている。
プロのソングライターとプロの歌い手が分業でレコードをつくっていた当時、ポールは16歳にして、
自らこの曲を作詞作曲し、歌った。この曲の大ヒットで一躍、人気者となった彼は、続く「君は我が運命」、
「ロンリー・ボーイ」などでスター街道を上り詰めていく。曲のタイトルとなっている「ダイアナ」は、
思春期のポールが出会った女性の名前だという。ポールにインスピレーションを与えたダイアナとは、
どんな女性だったのか・・・
2016年の再放送 誰が歌っていたかわからないが
大人になりたい
夢のデイト
伊東ゆかり
悲しきクラウン
恋の約束
バケーションは弘田三枝子と伊東ゆかりだったかな
藤木孝
240000のキス 24000は平尾先生バージョンもねっとりしてていい 元祖沖縄アイドルの沢村みつ子さんは10年前の2008年に
お亡くなりになっている 「オールディーズがやって来る」は良コンテンツだった
コーラスグループ勢ぞろいだった回が良かった
「ザ・プラターズからザ・ピーナッツまで」
ダーク、デューク、ボニー、スリー・グレイセス、キング・トーンズ・・・
ダークさんはマンガさんが抜けて3人だったけれど
デュークさんは吉田さんや飯野さんがまだいて
ボニーさんは大町さんもいた
あれは2000年あたりの放送だったのだろう
グループを存続させていくのも大変
プラターズも色々とトラブルがあったようだね 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
VFK07 1958年2月8日は第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催された日
それから60年、記念すべき年
http://d.hatena.ne.jp/chocoramastudio/20111028/1319798061
なぜウエスタン・カーニバルの前に日劇が入るのかというと、ウエスタン・カーニバル自体は
昭和28年(1953)から東京ビデオ・ホールにて年二回づつ開かれ、日劇で行われた前年秋には
計八回目となるウエスタン・カーニバルが開催されている。日劇が会場になったのは初めてと
いう意味で、正確には第一回日劇ウエスタン・カーニバルとなる。東京ビデオ・ホールでの
ウエスタン・カーニバルはその後も継続的に続けられて、日劇と区別するためにビディオ・
ウエスタン・カーニバル(当時の表記)と呼ばれた。
第一回日劇ウエスタン・カーニバルでは寺本圭一がクレジットのトップになっている。
ロカビリー三人男として知られるミッキー・カーチス、山下敬二郎、平尾昌章は名前が
離れていて、最初から三人男として売り出されていた訳ではないことを示している。
出演者としてクレジットされているのは他に岡田朝光(ウェスタン・キャラバンのボーカル)、
関口悦郎(清川虹子の息子)、中島そのみ(後のお姐ちゃんトリオの一人)、朝比奈愛子
(雪村いづみの妹)、水谷良重、羽鳥永一。羽鳥が罫線で隔てられていて別扱いなのは
日劇所属のダンサーであるため。また水谷良重もナカグロ(黒い点)で他の出演者と
別扱いになっているのは、東宝宝塚劇場の火災で出演していたミュージカルが出来なくなり、
ウエスタン・カーニバルに急遽出ることになったためで、この出演者中もっとも一般的に
知名度が高かったのは寺本圭一ではなく水谷良重である。水谷(女優・水谷八重子の娘)は
当時、伊東深水(日本画家)の娘である朝丘雪路、東郷青児(洋画家)の娘、東郷たまみと
三人で七光会を結成し歌手活動に力を入れていた。 岡田朝光さんがダイアナとか歌っている映像があがっているね
真っ白なおじいさま ヘイ・ポーラ、けんかでデイト、素敵な新学期の
ジャケットと曲が流れた
スタジオでヘイ・ポーラをデュエット カバーポップスが陽の目を見るのはこの先もないのだろうな
ルーツなのに
本当に寂しい 2か遅れのミコちゃん
ハッピーバースデー〜セブンティー・・・
ミッチーが生きてたら今日が誕生日だった
そして明日は記念すべき日 坂本九が「悲しき60才」「すてきなタイミング」を歌ってた頃が懐かしい ホキ徳田さん、まだ生きていた!
なにげにホキさんも漣作品を歌っている
ミーナの「別離」
歌手としてよりもいただきますの印象の方が強いけれど 歌手としての記憶は全くないけど、いただきますは薄っすら覚えてる。 梅木マリというブスな歌手もいたっけ
鈴木やすし、木の実ナナのホイホイミュジックスルールにチョイ役で出てた 想い出のダイアナというのもあったが
涙のテネシーワルツという曲もあった ポールアンカが初来日したとき、素行の悪さで一気に評判を落とした プレスリーカバーは清野太郎の「冷たい女」が一番好き
訳詞もいいと思う
和製プレスリーといえば佐々木功やほりまさゆきもいいけれど、
60年代デビューだからちょっと出遅れ感があるね
清野はその後アメリカに渡ってプレスリーの前で歌も披露したこと
ある人だよね
初期の音源はCD化されたけれど、サヨナラ・エルヴィスもCD化してほしい 日本で初めてプレスリーをカヴァーしたのは小坂一也だろ 昔のソノシート付きブックで洋楽がよくカヴァーされてたが、大抵ダークダックスみたいな
グループがビートルズをやったりしてて原曲のイメージぶち壊しだった。
唯一ケーシー浅沼という人のプレスリーのカヴァーが雰囲気出てて上手かった。 手頃な価格なんで買ったら写真だけは本物を使い中身は別の楽団、歌手だった
ソノシートが流行った時代が懐かしい ケーシー浅沼さん、チキチキマシン猛レースの人だね
小坂さん自身がプレスリーとかのロックンロール系の曲は
自分の声質に合わないからあまり歌いたくないと言っていたような
やはりカントリーの人だからね >>275
パット・ブーンやコニー・フランシスは、評判よかったね
小坂一也といえば、ライフルマンの主題歌 仕事欲しさに愛人を殺した克美しげる
カヴァー歌手の末路は惨めでブザマだったな 青山ミチはヤクで何度もパクられた出来損ないのアイノコだった ポール・アンカは16、17で自作の曲がヒットして調子こいてしまったのも無理はない
歳をとってから若い頃のことを反省している発言もしている
フランキー・ライモンみたいな一発屋で破滅した短い生涯のような
悲惨なことにならず長く活動できているのは良かったね
ジーン・ヴィンセントの来日も好評だったんじゃない?
東京以外でもツアーやったみたいだよね
兵役の時にけがをして日本の病院に入院していたこともあるという噂もあるけれど
あれは本当なのだろうか?
ジーンの日本語カバーは、雪村いづみの「ビー・バップ・ア・ルーラ」と
スリー・ファンキーズの「ミスター・ロンリネス」くらいだろうか
平尾「ジザベル」ゆかり「月あかりの下で」あたりはジーンのオリジナルではなかったし
英語で歌っているのなら他にも存在しているね ニール・セダカも来日しているんだよ
ポール・アンカとはダンチのお行儀の良さだった ボビー・ヴィーも来日している
そのとき同行したのがドンとボブ二人だけのベンチャーズ ジーンよりも先にワンダ・ジャクソンが来日しているんだよね
本格的なロカビリー歌手が来日した最初だと思う
ジーンとワンダは同じレコード会社に所属していたし、ワンダの
フジヤマ・ママのヒットがなかったらジーンの来日もなかったのかもしれない
今なら大炎上するような歌詞の楽曲が若いロカビリアンにも歌い継がれる
スタンダードナンバーになっているんだから皮肉なもの ボビー・ライデルも来日しているぞ
当時のアメリカで人気のあった青春歌手だった ボビー・ライデルはヒナヒナした感じのヤサ男だったな
でも声量があった
フォー・ゲット・ヒムは全米5位にランクインされた彼最大のヒット曲 言うまでもなく日本での代表作は「ファンキールックのお嬢さん」
競作だったけれど、中島潤まで歌ってたとは!
マイウェイの訳詞でお馴染み
「青春スインギン・スクール」「星空の花売り娘」・・・懐かしい カントリー&ウェスタンから転向して流行歌手になったのが北原謙二と城卓也
それぞれ一発屋で終わったが 北原謙二のカヴァー曲では「北風」がいいね
オリジナルはモノラルだけど、北原のはステレオだし カバーでも歌謡曲でも1発も飛ばせない人が
いっぱいいるんだからどっちか当たれば大成功 パパはニュースキャスターではじめて見た藤木
コメディ路線の人だと思っていた ジェリー藤尾なんていう歌手もいたっけ
坂本九とよくテレビ、映画などで共演していた
二人とも故人になってしまった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています