【'50s〜'60s】カバーポップスを語ろう2【日本語詞】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ジャズ、ラテン、ハワイアン、カントリー&ウエスタン、ロカビリー、ティーンポップ、イタリアンポップス(カンツォーネ)、
フレンチポップス、リバプールサウンドなど1950年代から1960年代に日本の音楽シーンを席巻したカバーポップス
(日本語に訳詞されたポップス)について語りませんか?
前スレ
【'60初期】カバーポップスを語ろう【日本語詞】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1283948376/ >>160
「ドリーム・ラバー」探してみました
ビクターファミリークラブが販売元の「想い出のザ・ヒットパレード」
という12枚組のCDの1枚目に入っていました
歌唱・演奏はクレイジー・ウエストになっています
誰が歌っているのかはわからないですが
入手は結構困難ですね、このCD
自分はオークションで手に入れましたが >>161
仲本工事さんはドリフ加入前にクレイジー・ウエストでヴォーカルしてましたね。
多分そのレコードよりは後だと思いますけど。 >>158
157です。亀レスすみません
ビーマイベイビーは、唄う人は多かったけど、
レコーディングされた数は、それほどでもなさそうですね
今にして思うと、当時のポップス歌手は相当なレパートリーをこなしていたんですね
本家の歌手の数倍、ピーナッツクラスだと10倍以上は唄っていたと思います 佐川さんはゆかりさんとの歌手としての格差がつらくて
離婚したと話していた
たしかにゆかりさんは歌手として凄い人
華やかさというよりも、静かな凄みのある歌手なんだと思う
九重夫妻はどっちが上というのはないから、続いているね
同業者で女が上に立ってしまうとたいていの夫婦は続かない 九重夫妻は共同作業者だからね
つなき&みどりは別れてしまったけれど
そういえば、ポールとポーラは結婚はしなかったんだね
日本のマイカップルも結婚はしなかった
田辺、九重夫妻はそれぞれが別々にヘイポーラを
デュエットしてたのが、今ではマイカップルの曲も
二人で歌っている
ヘイポーラは向こうでもヒットはしたけど、日本語訳の
曲として定着していて、もはや日本の歌になっているね
日本語で歌うと「ヘイヘイヘイ」というのが歌謡曲風に
なる不思議
けんかでデイトは仲浩二と小野ヒロ子も歌っている
仲本工事と仲浩二は別人 >>166
もう、だいぶ前ですよ
「恋のパームスプリングス」だけでなく
地名入りのヒット曲は、多かったですね
「想い出のサンフランシスコ」
「ルイジアナ・ママ」
「ワシントン広場」
など
聴いてみたかったのは
「パサデナのおばあちゃん」
「花のサンフランシスコ」
「マサチューセッツ」
これらの曲のころは、カバーが下火になっていましたからね >>162
貴重な情報ありがとうございます。
クレイジー・ウエストでしたか。歌は前田彰さんですね。
ググってみましたがCD発見できず残念ですが、諦めずに探します。
>>167
花のサンフランシスコ
郷田哲也が歌ってるのをTVで何度か見ました。
つべにレコードがアップされてます。ドラムはパープル・シャドウズに
行った大場さんです。 前田彰という人の名前ははじめて聞いた
パサディナのおばあちゃんを下敷きにした
スパイダースの「エレクトリックおばあちゃん」ってのがあるね
かまやつさんの遊び心
過激な歌詞はフジヤマママを意識してるのかな
これがのちにみんなのうたの「コンピューターおばあちゃん」
につながっていく ポール・アンカの「ラブ」とかリッキーネルソンの「トラベリンマン」とかは
世界が出てくるね
ポール・アンカの曲にはジャパンが出てくるけれど、トラベリンマンには
出てこなくて、平尾先生のカバーでは独自に着物姿の日本のハイティーン
ガールが出てくる
カバーポップスではないけれど、シュレルズの「おかしな、おかしな、おかしな世界」
という曲はたどたどしい日本語の歌詞が出てくるね >>169
「弘前のおばあちゃん」とは、べつの曲? 曲がヒットしたころ、その歌詞の一部を
当時の日本人がどのくらい知っていたかという、歌詞認知度ランクがあったら
Sランク(ほとんどの日本人が知っていた)は
「可愛いベイビー」
「ヴァケーション」
でしょう
その次のAランク(Sほどではないが、多く知られていた)
となると、どのくらいあるでしょう?
「悲しき16歳」 ♬ヤヤヤーヤ ヤヤヤヤ
「パイナップル・プリンセス」 ♬パイナップリンセス
「ヘイ・ポーラ」 ♬ヘイヘイ、ポーラ
「子供じゃないの」 ♬子供じゃないのよー
「プリーズプリーズミー」 ♬カモン カモン
「悲しき願い」 ♬誰のせいでもありゃしない
「太陽の彼方」 ♬乗ってけ乗ってけ
「夢見るシャンソン人形」 ♬わたしは夢見るシャンソン人形
まだまだありそうですね。 >>174
「ルイジアナ・ママ」ですか。この曲もそうですが
「月影のナポリ」、「恋の片道切符」、「悲しきカンガルー」などは
サビの部分はよく知ってるけど、歌詞は正確ではない、そんな人が多かったと思います
TV主題歌ですが
「ローハイド」の、♬ローレンローレンも、Sランクかもしれません えじれじーればー
サンライトツイスト、別名ゴーカートツイスト
サンライトツイスト=伊藤アイコ(元タイトルのまま)
恋のゴーカート=青山ミチ(独自のタイトル)
太陽の下の18才=木の実ナナ(映画のタイトル曲を引用)
同じ曲なのにタイトルが多数あり
三者三様の味がある 徹子の部屋にじゅんとネネが出てたけど、クッキーズ時代はカヴァーは
出してますか?
ホイ・ホイ出身は三田明、布施明、東山明美、村上進、湯原昌幸、槇みちる、
ほかには誰がいますか? 木の実ナナ、鈴木やすしはMC
望月浩もホイ・ホイ出身だね コニー・フランシスは、数多くのヒットを出しましたが
同じ大御所でも、ブレンダ・リーは、ほとんどカバーされていませんね
シャンソンの競作ぐらいで、話題になることがなかった
もし、何かオリジナルがあれば、教えてください >>180
当時同じテイチクだったこともあるのか、田代みどりが5曲ほど歌ってますね。
個人的には「ごめんなさい」が好きです。
カヴァーが少ないのは、カントリー系なので弾け方がちょっと古かったかもしれません。
どちらかというと、逆カヴァー?の「ワン・レイニー・ナイト・イン・東京」
などが人気だったかも。 うたコン「平尾昌晃メロディー 永遠に」
2017年9月26日(火) 19時30分〜20時15分 NHK総合
▽作曲家・平尾昌晃特集▽ロカビリーから歌謡曲まで時代を彩った名曲の数々
▽出演:アグネス・チャン、五木ひろし、中条きよし、ミッキー・カーチスほか 恋の片道切符を英語でジャズ風に歌ってた
ミッキーさん
そういえばこの曲はロカビリー三人男がそれぞれ
レコード出していたんだった 日本のみのヒットだね
日本人好みのメロディだし、片道切符 俺は「可愛いあの娘」や「恋の一番列車」の方が好き。 カレンダーガールは、唄って似合う人と似合わない人がいた 過疎っているので、クイズ作ってみました
歌詞の一部で、曲名を当ててください
@ そう そう そうそれでいいのよ
A ちょっぴりおセンチで 今はなぜか 変なのよ そんな事が
B 小さな弟 いつも意地悪するの
C どうするどうする お前なら どうするどうする
D われら強者(つわもの)が 敵前上陸
このスレの人達には、少し簡単すぎるかもしれません 瀬高さんが生きていたらいらっとしただろうな、あの発言 またまた過疎ってるので、187の答えです
@ロコモーション
Aすてきな16歳
B大人になりたい
C太陽を探せ
Dアンジェリータ 青山ミッチーの後を追うようにエンケンさんがお亡くなりに 日本語で唄った歌手、どれぐらいいますかね
コニーフランシス、ミーナ、フランスギャル
ジョニーティロットソン、ペギーマーチ、ダニエルドナン、クロードフランソワ
シルビーバルタンのCM、アルマコーガンの歌謡曲
唄ってた気がするけど、はっきり覚えていないのは、
ジョニーシンバル、パットブーン、マージョリーノエル、ジリオラチンクエッティ
誰かいたら教えてください スーザン・モーンの「ブルーナイト・ヨコハマ」が気になる どなたか、スパーク三人娘のラストコンサート、行きましたか
どんな感じだったか、知りたいですね
残りので、行くかもしれません 自分もそうだけど、ここの住人はほとんど
中学で英語を覚え始めた時期と、カバーに親しんだ時期が重なっていると思います
「悲しき足音」や「恋の片道切符」の作詞家、ハンク・ハンターが亡くなりました
「フットステップ」などは、中学英語では覚えられない言葉でした
懐かしい。ご冥福を。 悲しき足音」はユーミンの「冷たい雨」の元歌だよね。
「スティーヴ・ローレンス・悲しきあしおと」でググってみて。 足音…フットステップ
雨音…リズム・オブ・ザ・レイン
少年兵…ソルジャー・ボーイ
「悲しき」の題名で、直訳に近いのは、これぐらいかな
あとは、
片想い→ユー・ドント・ノー、のような、ひねりを入れたのがほとんど 監獄のお姫さまで
しゃれた看守のはからいで〜
が歌われていた ルージュの伝言はカラーに口紅とロコモーション
79歳の可愛いベイビー コリーン・ラベットの「帰らぬ少年兵」はミコちゃんが
カバーしているけれど
原曲が凄すぎたから越えることはできなかったかな
「悲しき少年兵」と同じで日本だけの独自ヒットだった
あれはシャングリラスの「家へは帰れない」の手法に似た曲だね この季節はテレビの音楽番組でクリスマスソング歌うことがあるから
漣さんとかの名前が出てきたりしてちょっとうれしい 平尾さん、生きていたら80歳の誕生日
陽気にジングル・ベルと行きましょうか
しっとりと別れのワルツ(蛍の光)の指揮を添えて 平尾さんと数々の曲でタッグを組んだ作詞家の山口洋子さん
平尾さんのロカビリー時代の追っかけやってたんだね 由比さおりのマシュケナダとか八代亜紀のヒットロードジャックのような
誰もが知ってるメロディーのありましたら教えてください
以外な人が歌ってると嬉しいです >>211
質問の意味が、わかりにくいけど
現役の人気歌手が、古いポップスを唄っていて
しかもそれが有名な曲、ということ? クワイ河マーチの、サル・ゴリラ・チンパンジーを思い出した・・・
ゆかりさんは来年でデビューから60年になる
サントリー胡麻麦茶のCMでは大脱走マーチが使われてるね 50's、60'sのカバーポップスを語るスレではスレチになる気もするけれど
歌い継いでくれている人がいるということで語るならいいのかな
前川清がオールディーズカバーのアルバム出しているね、日本語カバー率が
低くて原詩で歌っているものが多いけれど
内山田洋とクール・ファイブ時代にも
ニール・セダカの「きみこそすべて(You Mean Everything To Me)」のカバー
「恋さぐり夢さぐり」
エルヴィス・プレスリーの「I Want You,I Need You,I Love You」のカバー
「夢待ち人」なんてのも出している >>212
211ですがすみませんレス遅くなりました
そうですねJazz等を下敷きにした洋楽ポップスを日本人の意外な人が歌っているという意味です
八代亜紀さんは演歌の方ですから、そのような意味合いです >>214
ありがとうございます!
前川清さんですか!意外すぎます。面白そうです探してみます! 小柳ゆき「Lovin' you」→「レモンのキッス」
オレンジレンジ「ロコローション」→「ロコモーション」
こういう変化球系の曲もあったら知りたい 今日は大瀧詠一の命日
「さらばシベリア鉄道」の歌詞にある通りに「十二月の旅人」になった
元歌の「霧の中のジョニー」といえば、克美しげる
この曲も漣健児の訳
意外と漣作品が多かった 1月 訃報・青山ミチ(ヴァケイションなど)
2月 訃報・瀬高明(ジプシー・ウーマンなど)
3月 訃報・かまやつひろし(ティーンエイジ・ブギなど)
4月 訃報・ペギー葉山(マンボ・ロックなど) 訃報・曽根幸明(サニー曽根、藤田功)(ローハイドなど)
5月 訃報・北原じゅん(作曲家、エレキ番組審査員)
6月 訃報・鈴木カツ(音楽評論家)
7月 訃報・平尾昌晃(監獄ロックなど)
8月 スパーク三人娘としての活動終了を発表
12月 デューク・エイセス解散
その他
チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、ハンク・ハンター訃報など
あとよろしくお願い致します 「カウライジャ」→「星は何でも知っている」→「夜空」 奥村チヨ引退
最初に登場したのは、シルビーバルタンの「わたしを愛して」でしたね 和製シルヴィ・バルタン
東芝からコロムビアに移籍したミコちゃんの
穴埋め的存在というか、初期の歌い方はミコちゃんだった フレンチポップスのカバーは中尾ミエが一番いいな
中途半端なベストしか出てないからこのあたりの楽曲が
埋もれてしまっていて悲しい フレンチポップスの話題をしていたら
フランス・ギャルさんの訃報が 学年だとゆかりさんと一緒、1947年の昭和22年生まれ
フランス・ギャルのカバーは中尾さんが一番多いみたい
4曲かな
夢みるシャンソン人形
恋はおとなしく
涙のシャンソン日記
すてきな王子様 レコード大賞、録画していたのを見ていた
ペギーさんの紹介でシャンソン歌手と紹介されていた
細かいことだけど、シャンソンも歌っていたけれど、シャンソン歌手ではない
んだよね
何か紹介をつけるとすると、ポピュラーソング歌手とかかな
本当に細かいことなんだけど、ちょっと寂しくなった
フランス・ギャルの訃報はネットでも大きく出てる
夢見るシャンソン人形はカバーもよくされているし、CMとかでも起用
されている普遍的な楽曲だから認知度は高いね フランスギャルのcdでも買おうと思っていたら
亡くなった フランス・ギャル
たどたどしい日本語で歌った
夢みるシャンソン人形(岩谷時子・訳)
すてきな王子様(安井かずみ・訳)
の2曲が入っているベストCDがすでに発売されているからお買い求めです
今月、紙ジャケでボーナストラック付きのアルバムの復刻もあるようです
夢見るシャンソン人形+2にはこの日本語版の2曲がボーナストラックで入ります
ほりまさゆきに続けと、
カバーポップス歌手のシングルベストやアルバムの復刻もお願いしたいものです 夢見るシャンソン人形はアイドルの虚しさを歌った歌
歌唱力のある人間が歌い上げたからといって、曲は生きないと思う
もちろんミコちゃんや中尾さんのものもいいのだけれど
原曲のアンニュイな魅力にはさすがにかなわない
なにげに細川ふみえヴァージョンが良かったりもする
涙のシャンソン日記は中尾さんのがいい味を出している
安直な邦題だけど 金子由香利って2010年に引退してたんだね
知らなかった マージョリー・ノエルは2000年に亡くなっているね
同じ年にミッチー・サハラさんも 何年か前に、レスリー・ゴーアやアンディ・ウイリアムスが亡くなっている
自分にお迎えが来るのはいつか、この頃からよく考えるようになったけど
最近、はしだのりひこ、フランス・ギャルと立て続けに同時代歌手の訃報を聞いて
もう自分にも明日すぐにでもやってくるべく、身も心も備えようと改めて思っている
長らく聴いていない曲も多いから、時々は触れたり
そういうささやかな楽しみで、余生を過ごしますかな 飯田久彦
悲しき街角
花咲く街角
さらば街角
ルイジアナママ
コーヒーデート 「さらば街角」は飯田久彦盤はなかったような
倉光薫だけかな
ひよっこの「若い広場」
歌詞の「シルエット」「ハートがドキドキ」はハーマンズ・ハーミッツ
「愛の言葉を」はミコちゃんの曲のタイトル
「ベルベット」はチャコちゃんもカバーした「ブルー・ベルベット」
ポンポンポンというのはよくありがちなメロディーだけど
コーデッツの「ミスター・サンドマン」を真っ先に思い出した デル・シャノンには、「街角のプレイボーイ」という曲もあった
あまりヒットせず、たぶんカバーもされなかったと思う >>234
飯田久彦懐かしいな
ポケットトランジスター
トランジスターシスター
という曲もあったな 悲しき街角はうっかり八兵衛さんも歌っていた
ハッピーバースデー セブンティセブン〜 中尾ミエ Vチョコ
弘田三枝子 ルックチョコ
九重祐三子 ロッテガーナ
ミエさんのVチョコは、すごい勢いで、CMもガンガン流れたけど
一年ぐらいで見なくなった
ルックとガーナは長寿 森山加代子
月影のナポリ
月影のキューバ
シンデレラ
弘田三枝子
子供じゃないの
素敵な16歳 上原ゆかりで思い出したが
「可愛いベイビー」の後藤久美子(初代)、あの子今どうしてるんだろう
55年ぐらい前だから、60歳前後か >>241
ミコちゃんの「子供じゃないの」は当時は「子供ぢゃないの」という表記だったね
「すてきな16才」という表記は今も昔も変わらない >>242
後藤久美子
ゴールデンベストが出たのはびっくりしたけれど
コロムビアはチャコちゃん、金井克子、松島トモ子とか
2枚組ベスト出してくれてるね
でもトモ子ベストにシンデレラ入れなかったのはあり得なかった
佐川満男(ミツオ)も2枚組にしても良かったのに
今は幸せかい以降の楽曲より先に初期のベストが出たのも
びっくりだったけれど BS-TBS
SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜
1月21日(日) 23時00分〜23時54分
「ダイアナ」ポール・アンカ▽オールディーズの名曲を本人が語る
「ダイアナ」は1957年に、カナダ出身のポール・アンカが歌い、大ヒットさせたオールディーズの名曲。
全米・全英No.1を獲得したほか、世界中で900万枚以上のセールスを記録したといわれている。
プロのソングライターとプロの歌い手が分業でレコードをつくっていた当時、ポールは16歳にして、
自らこの曲を作詞作曲し、歌った。この曲の大ヒットで一躍、人気者となった彼は、続く「君は我が運命」、
「ロンリー・ボーイ」などでスター街道を上り詰めていく。曲のタイトルとなっている「ダイアナ」は、
思春期のポールが出会った女性の名前だという。ポールにインスピレーションを与えたダイアナとは、
どんな女性だったのか・・・
2016年の再放送 誰が歌っていたかわからないが
大人になりたい
夢のデイト
伊東ゆかり
悲しきクラウン
恋の約束
バケーションは弘田三枝子と伊東ゆかりだったかな
藤木孝
240000のキス 24000は平尾先生バージョンもねっとりしてていい 元祖沖縄アイドルの沢村みつ子さんは10年前の2008年に
お亡くなりになっている 「オールディーズがやって来る」は良コンテンツだった
コーラスグループ勢ぞろいだった回が良かった
「ザ・プラターズからザ・ピーナッツまで」
ダーク、デューク、ボニー、スリー・グレイセス、キング・トーンズ・・・
ダークさんはマンガさんが抜けて3人だったけれど
デュークさんは吉田さんや飯野さんがまだいて
ボニーさんは大町さんもいた
あれは2000年あたりの放送だったのだろう
グループを存続させていくのも大変
プラターズも色々とトラブルがあったようだね 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
VFK07 1958年2月8日は第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催された日
それから60年、記念すべき年
http://d.hatena.ne.jp/chocoramastudio/20111028/1319798061
なぜウエスタン・カーニバルの前に日劇が入るのかというと、ウエスタン・カーニバル自体は
昭和28年(1953)から東京ビデオ・ホールにて年二回づつ開かれ、日劇で行われた前年秋には
計八回目となるウエスタン・カーニバルが開催されている。日劇が会場になったのは初めてと
いう意味で、正確には第一回日劇ウエスタン・カーニバルとなる。東京ビデオ・ホールでの
ウエスタン・カーニバルはその後も継続的に続けられて、日劇と区別するためにビディオ・
ウエスタン・カーニバル(当時の表記)と呼ばれた。
第一回日劇ウエスタン・カーニバルでは寺本圭一がクレジットのトップになっている。
ロカビリー三人男として知られるミッキー・カーチス、山下敬二郎、平尾昌章は名前が
離れていて、最初から三人男として売り出されていた訳ではないことを示している。
出演者としてクレジットされているのは他に岡田朝光(ウェスタン・キャラバンのボーカル)、
関口悦郎(清川虹子の息子)、中島そのみ(後のお姐ちゃんトリオの一人)、朝比奈愛子
(雪村いづみの妹)、水谷良重、羽鳥永一。羽鳥が罫線で隔てられていて別扱いなのは
日劇所属のダンサーであるため。また水谷良重もナカグロ(黒い点)で他の出演者と
別扱いになっているのは、東宝宝塚劇場の火災で出演していたミュージカルが出来なくなり、
ウエスタン・カーニバルに急遽出ることになったためで、この出演者中もっとも一般的に
知名度が高かったのは寺本圭一ではなく水谷良重である。水谷(女優・水谷八重子の娘)は
当時、伊東深水(日本画家)の娘である朝丘雪路、東郷青児(洋画家)の娘、東郷たまみと
三人で七光会を結成し歌手活動に力を入れていた。 岡田朝光さんがダイアナとか歌っている映像があがっているね
真っ白なおじいさま ヘイ・ポーラ、けんかでデイト、素敵な新学期の
ジャケットと曲が流れた
スタジオでヘイ・ポーラをデュエット カバーポップスが陽の目を見るのはこの先もないのだろうな
ルーツなのに
本当に寂しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています