一発屋製造工場だった理由がようやくわかった

ヤマハは音楽は歌ったり弾くだけじゃなく、自分で作って演奏する楽しさを普及させ、楽器を買ったり音楽教室に誘導するために
曲は誰でも作れる事を見せるために始まった。

ポプコンはアマチュアの曲を売るためのコンテストであり、アーティストを育成するノウハウはなく、芸能プロでもなかった。
(ただし長渕剛とチャゲ&飛鳥は特別扱いで、曲をきいて賞を取れなくても俺が面倒見るから長くやっていこう!という熱心な担当がついていた。)
ちなみにその人が1番重視するのは、良い詞が書けるか。作曲編曲はアレンジャーがついてどうにでもなる体制は整っていたことと、多少の音程は響けば良いらしい。
みゆきのようなズバ抜けた人を輩出したのもなるほどと思った。

ヤマハは支部から優勝者を出すと社員が出世できる仕組みなので、見込みのある人には作曲や編曲を教えられる人みんなで協力して曲を作り上げる。が、売れたらハイ次と次のアマチュアを探す。
驚いたのがヤマハは地方でのネットワークが強いので、黙っていても20万枚は売れるとは言われていたが、1位取るためにはもっと…と暴露した人もいた。
プチ一発屋が多かった理由に納得。

円広志は社長に「うちでできるのは印税をあげることだけだからその資金で次の人生を考えて」と言われたほど。

対抗して始まったソニーのオーディションはアーティストを発掘し育てる趣向だったのでこちらのが力を持つようになっていく。
堀江淳・五十嵐浩晃・ハウンドドッグのようなポプコン出身者と間違うような一発屋も出しつつ、
尾崎豊や大江千里、村下孝蔵などを発掘したから仕方ない…
佐野元春や渡辺真知子はポプコンで入賞止まりだったのをソニーに声をかけられてデビュー

しかし円広志は実は夢想花でソニーからデビューの話が進んでいたのだが、白紙にしてまでポプコンで優勝取ることに賭けたらしい。クリスタルキングも入賞後に外注曲でデビューの話があったがポプコンに賭けた。
その時期はそれくらい影響力あったが、
トムキャットを最後に一発屋すら生まれなくなり、
ライブハウスでファンを掴んでデビューするバンドが増えたり音楽の多様化で衰退し終了。ら