We Are HOUND DOG [ハウンドドッグ] Act2 [無断転載禁止]©2ch.net
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一般人ならff一択。元ファンだったら、バラード系は除くとすると、
普通はアップテンポの8ビートのロックンロールが選ばれるだろうな。
初期ならRock'n Rollerとかかな?
知名度の高いあたりだとだから大好きロックンロールとかか(ださいが)。
メンバーチェンジ後だったらやっぱシンセのリフが分厚く来る曲かなー。
いわゆるKnock Me Tonight系統の曲群。 >>797
3コードで何ちゃらという歌詞はあったけど、
単純な3コードの曲はないよね。
ロックンロールという定義自体良く分からんが、
例えばミスMとか、
ffなど、本当にロックンロールかと言われれば、
正真正銘の正統派ロックンロールではない気がする。
まあ、矢沢とかの楽曲も、
厳密に言えばロックンロールじゃなくなっている気もする。
ベイビーと言えば、
ロックになるって感じなのか? 初期の曲は男っぽさに加えてある種のダサさと情けなさが同居しつつ、
それらが曲によっては絶妙のバランスでブレンドされて独特の雰囲気を醸していた。
その辺は藤村とか海藤とか高橋の個性によるところが多かったのかな。 > おちょくられた夜
> ねえ、先生
・・・どっちもカズキヨだ・・・ ねえ、先生
1999年のツアーだったと思うが
これを歌う前後のMCで大友が
「ロックンロールの基本のような曲」みたいな感じの事を
言ったのが印象深かった 同じ題材を扱っても、
藤村が作詞作曲 → ねえ、先生
大友作詞、八島作曲 → Blackboard Jungle
違いが歴然 初期はいかにも邦楽Rock好きが多かったけど
愛と勇気路線になってから地方の暴走族というかヤンキーというか特攻服軍団みたいなのが増えて嫌だった記憶があるなあ
聴いてたのはLoveくらいまででだんだん冷めていった
野音2daysと武道館5daysが自分の中ではピークですね うちの田舎じゃヤンキー系はBOOWYに流れてたからドッグのファンにはいなかったな。
BOOWY人気に火がつく直前の'85年後半-86年初頭ぐらいはまだヤンキー系のファンもいたのかな。 うちの田舎は
DOGでもBOOWYでもなく
THE MODSやBLACK CATSw
クリームソーダ持ってる奴けっこういたしねww >>801
だな。そう思うよ。
そういうバランスが好きだったのかもしれんね。
だから、俺はBRASH BOYまでのドッグで十分お腹おっぱいにできるよ。
途中、初期の頃の曲すら全然聴かなかったけど、50才過ぎて改めて初期を聴くと、良さを再認識した。 >>809
boowyは(デビューこそ'82年だが)実質売れたのが'86年になってからだから、
Hound Dogと比べると後発隊ってイメージがある。その点で言うと、
ModsとかBlack Catsの方が初期のHound Dogと共通点があると言うか、
比較の対象として相応しいのかもね。
特にBlack Catsに関しては初期のDogとの類似性が(多少だが)ある気がする。
浮気のパレットキャットそっち路線だし。 >>812
なるほどね
パレットキャットをBLACK CATSがやったら最高だし
東京ストリートロッカーを83年の大友が歌ったら見事にはまりそうw 初期ハウンドドッグの象徴 ≒ 藤村一清 ってことでおk? >>814
それは飛躍し過ぎじゃね?
ただ、浅いファンだと大友のワンマンバンドと思われがちだけど、
この6人いてのハウンドドッグだったのは間違いないよね。
もちろん、パワーバランスは偏っていただろうけど、
脱退メンバーの功績は大きい。 初期は一人のメンバーが作詞作曲した曲を持ち寄るパターンが多かった。
大友は作詞含めても曲にあまり関与してない。(ただし大友の作詞作曲も3曲あるが)
分業制が増えてクレジットに大友作詞が増えてくるのはBrash Boy以降。
メンバーチェンジ後は外部ライターの松尾・松井と大友の三人で作詞してたが、
Voice以降、大友作詞で松井が添削するパターンに以降。 作曲はできるが作詞を外部に委託する永ちゃんや氷室とは対照的に大友は作曲ができない作詞も外部作家との共作が多い
しかしバンドではお山の大将という悪い形だよ 作詞といえば、少し前、武田鉄矢のラジオで
今後は作詞も人間に代わり、AIが担うなんて話をしていた。
売れる曲を作るのに、売れる為の歌詞をAIが
過去の莫大な売れた曲の歌詞データから導きだすみたいな事を
言っていた。
歌詞なんてと思ったけどデータからなので、AIの真骨頂だろうね。
それに少し似ているのが、プロの作詞家なんじゃないかと思った。
ワードや言葉のチョイスなど、売れる歌詞を作ってくる。
ぱっと浮かんだのはffとかラストシーン。
ffなんて、原曲の歌詞にはストーリー性があるけど、
プロになると、ストーリーより、日本人ウケする言葉を並べている。
ffやラストシーンは、情景がぼんやりというか抽象的で
良く分からない。
その点、メンバーが作ると、やはりストーリーになっちゃう。
ほんと、プロとは違うよね。
ただ、>>801の様に、メンバーらしい歌詞というのは
やはりメンバーしか作れなくて、
だけどそれでは売れないというジレンマがあったんだろうね。
現にffは大ヒットしたし、ラストシーンも名曲に仕上がっている。
大友は「やりたい様にやってきた」って言ってたけど。 そりゃあ大友はやりたいようにやって来たわな。曲は他人に任せて歌うだけだし、バンドの名義は私物化できたし。 大友はやりたいようにやってきたよ
なにせ大友がいなかったら活動できないバンドなんだし
2005年にHOUND DOGは解散してたら
こんなに泥沼化してファンが離れることもなかったろう まぁファンでもなければ誰が曲を作ったなんてのは関係ないわな
仮に解散騒動の時に大友さんが追放されて新しいボーカルが加入したとしてもバンドは続かなかっただろうし
どちらにしても福田さんからクビを告げられる運命だったと思う
そういう意味では大友さんの「俺が歌えばハウンドドッグ」という言葉は間違っていない
でもファンはそうじゃない
結局のところ、大友さんも蓑輪さんも鮫ちゃんも皆んな大事なファンを見捨ててるんだよ 事務所からHOUND DOGは金にならないから解散ツアーをやって解散してくれ
やってくれたらそれぞれに退職金を出せるんだ。
このマザーからの通告に反発した結果だよ
現に全盛期に比較すればCDの売り上げは落ちてライブの動員も減り人気はかなり落ち着いていたが長い息をしてきた中堅バンドの位置であったね。
あそこで大友康平にまだ身銭を切ってバンドをやる気があれば6人でのHOUND DOGは見れたと思う。 解散ツアー(2005年)やってたらどんな規模だったかな?
武道館3DAYS,大阪城2DAYSは余裕だったかな? >>823
いきなり解散発表
これまでの感謝を込めた解散ツアーなら各都市アリーナ会場でも埋まったんじゃないかな?
例えばオメガをリリースしてからのツアーをやってる最中に追加公演として久々武道館公演が発表されてそのライブで解散すると発表したら武道館は争奪戦になっただろう。
2005年に正式に解散して金や大友のイエホック独立問題など諸々のことを清算して時間が流れ、2011年震災復興、頑張れ日本公演で再結成とかやってればよかった。 >>824
なるほどね?正式にあの時
解散してれば時間が解決し
たまに同窓会的なライブができてたってことか? 疑問符をつける必要もないくらい無く明白。解散してればすべてがうまく行っていた。
というか、解散じゃなくてもマザーとは契約終了して「活動休止」で十分だった。
それ以降は自分の食いぶちは自分で見つけろ、とだけいってソロ活動に移行すればよかった。
メンバーもガキじゃないんだから、バンドを続けたら金が支払われなくなるぐらいは分かってたろうし、
大友から直接「金は自分で稼いでくれ」って告げられたら納得してただろう。
そうならなかった理由としては、一つじゃないけど、主要な要因としては
・大友はソロ名義でやっていくのに不安があり、バンドの名前で活動を続けたかった。
(バンドを一旦休止してしまうと再開する目途が立たなくなる可能性があった)
・大友とメンバー間できちんと直接話し合いしていなかった。
(まあこれは昔からだと思う。大友は重要な事になると口をつぐんでしまう)
・大友は単に「ハウンドドッグの名前で続ける」ということしか考えていなかったが、
現実的にはマザーを出て6人で続けるのは不可能だった。(インディーズでドサ周りレベルでやるなら別だが)
大友本人と違って、この点を大友の嫁(イエホ)はちゃんと把握していた。
大友本人がどこまでメンバーを切り捨てようと思っていたかはわからないが、
少なくとも、大友の嫁にとっては、メンバーはどうでもいいというか、
むしろ単なる給料泥棒としか考えていなかった。
いろいろ言われている大友の嫁だが、
「ハウンドドッグの名前で大友が活動を続ける」という目的を達成するためには、最高の仕事をしたと思う。
ただ、いかんせん、大友の嫁にとっては音楽もバンドもメンバーもどうでも良かったので、
ハウンドドッグは形だけのものになり、メンバーは全員クビになった。
大友は嫁に頭が上がらないし、まあ、結果的に自分の希望である「ハウンドドッグの名前で活動を続ける」という目的は
達せられるので、嫁の書いたシナリオどおりに役を演じきった。
こんなところだろう。
こう書くとまたキチガイ信者が10年前のコピペを貼ってくるかもしれんなw >>825
そう思うよ
泥沼化を招いたのだから恨まれるよりそっちの方がよっぽどいい。
>>826
それに尽きるな
メンバー間と大友の間に十分な話がされてなかった。
重要な事態となると大友は口をつぐみ逃げてしまうこの悪癖は直ってなかったし歳食ってもそのまんまだった。
6人でマザー辞めてインディーズ活動に移行してまでHOUND DOGはやりたくなかったのか少なくともHOUND DOGという名前を大友康平は死守したかったのだろうね
HOUND DOGの大友康平というのが彼の肩書きだから >>826の書き込みしたへたれ
>>251の件はどう説明するんや?おぇ!
>>251よく読んで貴様が思ったことを思った通りにここに書いてみんかい! >>828は置いといて
少なくとも蓑輪さんと大友さんは何回も話し合いを重ねたみたいだけどね
これは蓑輪さんが自分で言ってる >>828へ
>>251は全部イエホック側がでっちあげた捏造だよwwww ここに書き込んでいる人達の子供っぽさと頭の悪さを見てると綺麗に解散してたとしても批判は多かったと思う 俺は>>831とは違うけど確かに>>832のレス見てるとバカっぽいw そんな本人達しか分からない事を
推測して言い合っていても仕方ない。
他人の考えにイラッとしたら
You Tubeで水曜日のダウンタウン 大友康平の
「だひょ〜ん!」でも見て笑おうよw 『ねえ先生』と『BLACKBOARD JUNGLE 』の違いはそのまま藤村と大友の才能の差であり、
また、 曲そのものの良さで勝負していた初期と、こねくり回したアレンジで聞かせようとするメンバーチェンジ後の差でもある。
関係ないけど、BLACKBOARD JUNGLEって、映画「暴力教室」の原題からとってきてたんだな。 >>835
BLACKBOARD JUNGLEって、
作曲は八嶋だよね。
作詞の実力の差を言っているの?
まあ、アレンジはさ、
時代が変えさせる事が大きいからね。
その頃って、できるアレンジも増えてきていたし、
BLACKBOARD JUNGLEの時に、ねえ、先生みたいなシンプルな楽曲作りをしていたら、売れないだろうし、
プロデューサーやレコード会社の人が許さないんじゃない?
メンバーも歳くったし、
この2曲を比較するのが無理あるわ。
もちろん、オレも初期のが好きな一人だけど。 尾崎は学校のこと歌ってたけど決して揶揄とかしてたわけでもない
HOUND DOGはそんな歌まで歌って八代の中学生のために動いたり行動派だったと思った >>831みたいな書き込みするやつも相当頭悪いと思うけど
もっと救いようがないのは>>833 >>838
「まるで刑務所さ」だの「人を蹴落とすことばかり教えられた」だの学校ディスってた奴が
中学校の校歌作詞するとかほとんどギャグだよな。
それにしても学校側はなんでもっとちゃんとした作詞家に頼めまなかったんだろう。
やすっぽいJ-POPの歌詞にしか見えん。 大友は藤村を解雇した直後のファンクラブの会報で
「藤村にはまた曲書いてほしい」とか未練たらしく言ってたそうだが、
クビにされた奴がそこまでお人好しに協力してくれると思ってたのかな。 >>845
それは初耳、ビックリw
旧メンバーって海藤は自分の意志で脱退、高橋は一方的に解雇通告
藤村は失踪でOK? ネットの噂でしか知らんけど、
当時の会報(グレイハウンドだっけ?)とってた人とかこのスレ見てないかね? wikiに普通に書いてはあるけど、所詮あれも書籍とかからの二次情報だからなー。
昔の芸能人関連の書籍とかって内容の信憑性低いしねえ。 初期のライヴDVD見ると、普通の女の子が
沢山会場に来ていたけど、
当時は女の子のが比率多かったのかね?
不良じゃない、あまり洗練されていないw女の子が
ドッグを応援したり泣いたりしているのを見ると
何か、グッとくるもんがある。
まあ、今となってはオレと同年代だろうから、
俺同様、完全なる中年化しているだろうけどw 不良になれない中途半端な奴がメインリスナーだもの。
ただ、結局そういう「普通の輩」がパイとしては一番デカかったので(当たり前だが)、
そのおかげで(全盛期は)売れたわけだ。
本物の不良がメインリスナーだったらあそこまで売れなかったと思う。 自分もあの時代を通ってきたが
不良の女は前にも書いたが
MODS、BLACK CATS、横浜銀蝿wだったな
DOGは普通の子ってイメージしか残ってない
ちなみに当時クラスにいた
地面につきそうなスカートはいて腹が見えそうなくらい
短く改造したブレザー着てた女はティミー(クリームソーダ)の
ステッカーをぺちゃんこに潰したカバンに貼ってたw
今考えるとダサいけど、いい時代だったな そういう普通の女の子に支持されていたんだろうが、
今の大友のライヴはどうなの?
ファン層、男女比率も含めて教えて! 例の一人ハウンドドッグでやった50回記念の武道館では
席が埋まらないもんだからアジア系のサクラの女が沢山やとわれたと聞いた >>853
マジか?
人件費分が尚更赤字になるので、にわかに信じられないなあ。 実際行った奴の書き込みが当時のスレで見られるよ。
キャパが全然埋まらないもんだから、わざわざ座れる席を少なくして満員に見せかけるなど涙ぐましい努力をしたらしい。
明らかにハウンドドッグなんて聞いたことも無いだろうと思われるアジア系外国人の女性を多数見かけたという書き込みもあった。 しかし2005年の武道館「帰還」も初動のチケット売れ行きはかんばしくなかったよ
これが6人での最後のライブになるとマザーからアナウンスがあったので完売したんだよ
何も発表がなかったら最後の6人での武道館もスカスカだったと思う >>854
「やとわれた」という表現が悪かったかな。
要するに招待席とか前の方に陣取ってた奴らが普通のライブなら業界関係者のはずなのに、
2006年の1人ハウンドドッグの武道館ライブではなぜか業界関係者は殆どいなくて、
どうみてもファンじゃなさそうな水商売系のやつらとかフィリピン系と思しき奴らであふれていたので、
主催者側がチケットばらまいて席を埋められるだけ埋めたんだろう、という憶測が流れたって感じだな。
武道館のキャパが埋まらなくて満員に見せかけるため仕方なく一部の席を封鎖したのは本当。 >>857
普通なら開放する
西、東スタンドと南東、南西の後方を閉鎖
アリーナも前後の間隔を余計にとってたなw
よって言うほどガラガラ、スカスカではなかったが
通常の武道館客席使用なら、ガラガラには違いなかったw
>>856
2005年の武道館は確かにマザーからのアナウンス後に
即売り切れ、立見、北東、北西までも開放しこれも売り切れ
あのアナウンスがなかったら空席は目立ってたと思う >>859
だな
「帰還」の後にはツアーもやって元旦に50回目の武道館、大友の50歳記念の武道館ライブも予定されてたんだよね ffの原曲(歌詞が違うやつ)は、シングル発売前のコンサートで聴いたけど、
きっと曲名はffだったんじゃないよね?
なんて言う曲名だったんだろうか。
歌詞も蓑輪が作ったんだろうな。
自分が作った詩を、作曲家に上塗りされ、
しかも大ヒットしちゃった時に、蓑輪はどう思ったんだろう。
前にも書いたが、オレは最初の歌詞のがドッグらしくて
好きだな。「愛がすべてさ」という所は嫌いだが。 もともと大友が詞をつけてたけど、レコード出す段階で松尾由紀夫の詞に替わったんだろ?
俺は個人的には松尾の方が好きだけど。大友の歌詞はいまいちしみったれてる感じがして。
ただ、松尾の詞は描写が希薄と言うか、聞いて情景が浮かんでくる詞ではないな。 ffでの松尾の起用は「もう後が無い!」という崖っぷちに立ったバンドの大勝負だよな。 ffのヒットがなかったらソニーに契約切られてたかもしれんもんな ff、大友の作詞だったのか。
ナイトトレインやアフターコンサートに通じる、
どちらかといえば、フォークソングっぽい歌詞は
洗練されていない感じで、何かを訴える的な要素もあって
良いんだけどな。売れる売れないは別として。
作詞が大友だと、仮曲名は「give me love 」だと思うな w ナイトトレインもそうだが蓑輪の初期のバラード系の曲は、
本人曰く「永ちゃんの二番煎じになっちゃう」ってことで本人的には劣等感があったそうだ。
八島のいわゆる大仰な「ど・バラード」系の曲と比べると素朴なのが多いよね。
アフターコンサートは初期ハウンドドッグのファニーな部分を担っていた藤原にしては
異色なほどシリアス系の詞で、「こんな詞も書けるんだ」とひきだしの多さに感心した。 ラストの武道館で気になったのが
MCで大友が「俺」としか言わないんだよね「俺たち」じゃなくて「俺」
なんというか分かりやすい人だなというかw
しかしあんなに顔が変わるなんてなあ・・・上の世代の小田さんや拓郎さん、同世代の佐野や桑田らと比べても顔変わり過ぎやろ大友 心にやましいものを持ったまま人前に出てるんだからそりゃー顔も歪みますわな。
ぶっちゃけ、メンバー全員解雇した後は、
「俺は50回武道館やった大友康平だ」しかセールスポイントが無くなり、
それをテレビのバラエティ番組とかで自慢げに話す痛々しさは見てらんない。 ここで聞きたい事とか書き込むと、最初はその事について
俺の知らない事とかをレスしてくれて、みんな良く知っていて関心したり、
嬉しかったりするんだけど、
その後の多くは、大友の悪口で終わるんだよなw
俺はさ、初期ファンで、今でも初期だけで良い思いをさせて貰っていて、
バンドの方向性が変わった所で歴史が止まっている。
だからメンバー脱退劇とかあまり知らないので愛憎が無いんだよな。
その前に、曲とか、声とか、歌い方とかが嫌で離れているから
メンバーが戻って復活してコンサートを始めてもCD出しても
買わないと思うんだ。
だけど、ここで大友批判をする人は、きっと復活を歓迎し、
コンサートに行くんじゃないのかな。
本当にこのバンドが好きなんだろうなと思うよ。 >>871
歌い方とか分かるわあw
私はアンビシャスとか大好きなんだけどBRIDGEに次いで売れたGOLDが凄く苦手でね・・・ねっとりした歌い方というか
あの頃から歌唱法を変えないと声が出なくなってたんだろうけど
アルバムがショボくて売り上げ激減したというBACK TO ROCKのツアーではアレンジを大幅に変えておちょくられた夜をやってた
そこからBRIDGE、RIVERを経てまた声は安定するんだけどね、ねっとり&がなり系の歌い方で
話変わるけど動員が目に見えて落ちる流れが止まらない状態のアクロスザレインボウツアーは内容は良かったなあ
BRIDGE、RIVERで何かもうシングルは売れたけどライブは低迷しちゃってる感が凄かったなあ
RIVERツアーなんかレギュラーのホール最終ライブでスタッフがミスするわ大友MCとちるわで終演後にメンバーめっちゃ不機嫌だったw(移動するJRで遭遇した >>871
ここに書き込んでる奴らだっていろんなのがいるさ。全員が全員「6人で復活!」なんて望んじゃいない。
俺は'90年にファンやめて以降、蓑輪・鮫島の解雇報道が流れるまで全く聞いてなかった。
だから復活とか6人ドッグとかは正直どうでもいいし、別に今後ライブ見れなくても構わないんだけど、
大友はメンバーに対して形(金)の上でも気持ちの上でもケジメとして謝罪しなければならないと思っている。
昔の曲は今でも割と好きだよ。 ライブってROCK MEあたりまでは良かったんじゃないのか? NO NAME HEROES、シングルカットの15の好奇心、大地の子供たち、って売れるわけないだろっての続け過ぎ
その後もTELL ME WHY、でっかい太陽、GLORY、FLYだし
曲の好みや良し悪しは別として世間一般に売れるか?新たなファン獲得の要素があるか?っていうと無いだろこれ 一番売れてた頃('88-'89位?)は事務所の力が強かったせいか、タイアップが多かった印象。 RIVERはかなりタイアップついてるのに売り上げも動員も落ちて最悪だったんだよなあ
90年代になると世代交代ってことだろうね音楽雑誌(CDデータやパチパチ)にもほとんど出なくなってくる
VOICEの時は一応ヒットしたシングルambitiousとOnly Loveの後のアルバムだから発売直後はプロモーションでインタビューとか出てたけど >>876
ONLY LOVEまでは良かったがそこからブリッジまでおかしな感じだったな?
>>878
ツアー初日の横浜アリーナも空席があったし、ファイナルリバーの武道館3日も
満員にはなったが完全な売り切れにはならなかった。地方も空席が目立つように
なったのはまさにこの頃。それでも後期(2000年〜2005年)に比べると
売り上げ、動員共に全然マシなんだがww 80年代後半はツアーやりつつアルバムも作ってプロモーションもやって
仕事バリバリやりすぎてるな あの頃は「コンサート何回やったか」を自慢してたからなあ。
凄いと言えばすごいけど、そういう体育会的ノリを嘲笑してたバンドもいた。 誰もマネできない体育会系のノリを体現してたバンドだが人気があったのは事実だし
それが好きだった人たちに支えられてたバンドかな 年間100本とか連続公演記録とかそんなんばっかだったからな
藤沢映子ですら「最近のドッグはそういうのを押しだし過ぎててちょっとダサいんじゃね」みたいなこと書いてたw
気の毒だったのは同じ事務所のレッズとかまで同じノリで年間に何十本ものツアーを組まされてたことだなあ でもコンサートを大事にしてたからファンから愛されてたのは事実だと思う
他のバンドが売れたらコンサートをやらなくなる中でドッグだけはやり続けたからね
でも大友さんの声が出なくなったのはコンサートのやり過ぎも大きな原因だとも思う 確かにな
俺は分裂騒動後に大友がちゃんと新メンバー集めて年に何十本とは言わないが
大都市とその周辺で10本程度でもライブ活動を続けてりゃもっとファンが残ったと思う
大友がそっぽ向かれたのはメンバーを裏切った上に全盛期の発言が全て嘘でしたと言わんばかりのタレント転身が原因だもんなあ ffで売れる前からライブは盛んにやってたし
事務所の方針もライブのクオリティが高い奴らを抱えてるってのが売りだったと思うよ
尾崎、スライダーズ、レッズ然り
大都市ではデカイホールや体育館だが地道に地方の会館に来るのが各地のファンを大切にしてるということも作れたし
85年〜90年あたりは馬車馬並みに働いてたが大友喉がやられて高い音が出なくなったりして91年には喉を痛めて宮城のライブをとばしてこともあったし酷使してきたツケはでてるよね それでもROCK MEの頃まで煙草やめなかったんだよな大友w タバコ(1日2箱)、酒、コーヒー(1日10杯)のうちの
2つを辞めろと医者に言われ
タバコとコーヒーを辞めたんだっけ? BRIDGEからROCK MEの3年かそこらの大友ってなんか物凄く痩せたり太ったりを繰り返してたよな
日本を救えでドラム叩いてる姿なんか首まで贅肉でぶっとくなってたり福岡の夢の島だと明らかに腹が出てたり
今のブルドッグみたいなたるんだ顔も不摂生のせいなのかね・・・単も一時期ぷっくらしてたけど他メンはほんと太らないね
そういやコーヒー飲めないで思い出したけど「負け犬」を初めて読んだ時に
ライブ前に大友が用意されたコーヒーに「飲めない」ってキレるところ
あそこで飲めるのが「ミルクティーだよ!」って怒鳴っているところを想像してプッと吹いた記憶が もともと童顔だからか引き締まって精悍な顔つきなんだよ
ROCK MEのときは小太りか その精悍だった顔も今やシワシワダルダルで目も力無くオーラの欠片も無くなっちまったな
バンドメンバー、ツアースタッフ、事務所の企画に茶ぐまやファンに支えられていたのに自分の魅力と過信して挙句がこのザマだ 何で初マキシのBIRDってあっという間に廃盤になったのかね >>895
あの数年前から急激に売り上げが落ちたからあまりプレスしなかったのでは?
カップリングの2曲も悪くないし良いマキシだったと思うんだがw 90年代はまだCD売れてたのにドッグの売り上げってそんなに落ちてたんだね シングル、パワーオブラブ
アルバム、ROCK MEあたりから
売り上げ落ちてきてたね
Mステや、HEYHEYHEYなど結構TV出て
たんだけどね
90年代は渋谷系とか小室サウンド全盛だから
ドッグみたいな体育会系バンドは急激にダサいもな
として、感じられたのかもしれない 90年代前半までは、まだ全盛期80年代の
貯金があって、ビッグネーム扱いだったし
ブリッジのヒットも大きかった
90年代後半になると、貯金も尽きてきて
ワンパターン曲連発で、ファンも離れていき
売り上げ、動員減少してきた感じだな
武道館も97年がラストだったね
(ラスト05年は別として ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています