【駅】中森明菜vs竹内まりや【Part4】
>>692
いちいち長いんだよ
ただ不正解を認められずゴネてるだけなのによーやるわ
その歳まで成長する機会を放棄してきたんでしょうね
そのまま「自分も正解だー!」と叫びながら息絶えていけばいいのでは? >>636
歌詞の意味から読み解かず、最初から純愛説「が」「を」とか勝手に結論から先に考えるのがアホ過ぎる
そんなもん本来の意味から外れて当たり前だろ
物事の順序無視、作者の意図もお構いなし、理解と解釈は同じとか自分を過信する
で、自分も正解だー!
随分と傍若無人ですね
あなたには駅は理解出来ません
わたしには理解出来ました
いくらあなたがゴネようがね 真理の光に導かれ、ジェニュイン・ラブ・マンが姿を現した。
Genuine Love!
「ジェニュイン、どうしたの?」
「「あれ、何も聞かないのかい?」
「もう分かったから大丈夫。」
「 ハ ハ ハ ハ ハ 、賢い子だね。」 誤読星では、批判や非難の体を混ぜて自己紹介する流儀があるらしい。
(これまでも)
考えた後で説明する際の、項目分けの見出しを見て、結論在りき
ととってしまう#&%星人。
一を聞いて十を知るのは難しくても、ある程度の説明で一般の人は
理解出来る。
(おかしな理解で、他をけなすこともない。)
心情的なことなので、難しい数学的な論理の素養が必要なわけでは
ない。
(自然科学の論理ではなく、説得的な論理)
家庭を簡単に壊せないといったことは一般的な理解としてあり、
結婚せずとも察しがつくうえ、
主人公が結婚相手を愛していて、壊そうとも思っていない状況では、
心境の劇的な転換の根拠には成り得ない。 別にこちらも全て正しいとは言って無いけどな
もし一部の式が間違ってたとしても、根本的な方向は正しいから最終的な答えは正解なのがわたし
作者の意図も理解しようとせず自分の思いついた結論から先に決めて話を捏ねくり回すから、式は崩壊していて当然答えも不正解なのがあなた
それでも不正解が気に食わず正解者と対等でなければ腹の虫が収まらない未成熟の出来損ないがあなた
ほんと見苦しい 哀れみ=捨て犬に対する気持ちねぇ…
このレベルの鈍い感性であーだこーだと長文書き散らしてももう読む気も起きん
作者が「を」と明かしてるのに、まだ「を」説にケチをつければ自分が優位になれると勘違い出来る思考回路からしてどうかしてる
>0494 昔の名無しで出ています 2024/02/06(火) 04:37:17.78
平和が訪れた後の世界。
せっかくの機会なので、
私だけ「を」愛してたという解釈を好きになるために。
↓↓↓
愛し今不幸な彼の元に行くのが良さそうに思えるがどうなのだろう。
やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。
後悔でも、「駅」の世界が軽くなってしまいそうだがどうなのだろう。
少し感傷に浸っただけなのだろうか。
憐憫の情だけでは、「心に残る」のは、後味の悪さのようなものに
なりそうだがどうなのだろう。 真理の光に導かれ、トゥルー・ラブ・マンが姿を現した。
「今回はトゥルーラなんだね。何で?」
「何でだろうね。」
「えぇ〜」
「冗談、冗談。筋道などの話には、真実が合うだろ。」 「を」だけ合わせても、心情の理解で破綻していたら、
楽曲を受けとめたことにならない。
成り立たない解釈で、答えが合っているというのも、非論理。
歌詞の言葉の意味を受けとめたうえで、
想像に委ねられた場面と合わせて可能性を示してきた。
循環論法側が、自身に向けられた批判を掠め取っても無駄である。
0494を引用しても、何の痛手もない。
彼に対する主人公の愛は無いとする解釈に対して、在り得る疑問を
示したに過ぎないことを読み取れない、引用する側の読解力の無さを
示すだけである。 なりすましのお馬さんに念仏を唱えるような状況でも、
決して空虚なことでなく、
書き記されて他の人の心に届けば意味があったとさ。 うるせぇポンコツ
「が」の可能性もあるんだー!だってよぉw
ねーんだよそんなもん
最低限の日本語が理解出来れば有り得ません
わたしには理解出来ました
ポンコツのクルクルパー子さんには理解出来ませんでした
竹内まりや先生からのお墨付きでーす >>699
× トゥルー・ラブ・マン
⚪︎ クルクルパー子さん ひとつ書き忘れた。
可能性は、恣意的に作り出すのではなく、
既にある。
文言から推論・敷衍が是認される可能性の中で、
例示を試みたのである。 御託を並べたところでその可能性とやらの先にあったのがこの言い草
>やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。 河合奈保子ちゃんが歌った駅無いかなー?
勘違いシンガーアクトレスよりよっぽど聴き応えありそうだ 「やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そう
だと思うレベルの話なのだろうか。」というのは、
彼への愛が強く残っているととる側からの当然の疑問である。
特定の相手に対する強い恋愛感情と、捨て犬を可哀そうだと思う感情
の位相の違いを指摘している。
別の相手を愛して、彼への恋愛感情が冷めたのが二年足らずの期間内の
ことになる、そういう懐かしさのレベルでは、彼への憐れみは、
捨て犬を可哀そうだと思うのと同じようなレベルになってしまう
のである。
#&%星人は、地球人の心の機微を無視して、自分の思い込みで
決めつける。 #&%星人は、竹内さんのファンというよりは、
山下氏の信奉者であると考えられる。
「Impressions」では、『まりやは当初、この曲を自分で歌うことに
難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的な」アプローチだから
というのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳
には、この曲はどちらかといえば、イタリア風に聞こえたし、また、
そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、
かなり憤慨していた事もあって、是非とも自分の手でアレンジして
みたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでに
こぎつけた。』とある。
創作時のイメージとして「駅」が歌謡曲的らしかったことや、
作詞・作曲者ではない山下氏が自分のイメージで変えようとしたこと
などが読み取れる。
他を批判するにしては、根拠が薄弱であり、
破綻した解釈で同じ側に立つのが#&%星人。
さて、竹内まりや盤の良さは、
歌声の魅力と、服部克久によるストリングス・アレンジにある。
それらは「駅」の世界観に合致しているが、
弦の音色の美しさを差し引いてしまうと、イタリア風ということの
違和感が前面に出てしまって、評価を得ることは出来なかったに
違いない。
(歌詞の解釈として「イタリア風」がどのようなものかは
明確でないが)
「メデタシ、メデタシ。」といっても、
評価されたのはオリジナルと通じ合う、
忘れ得ぬの愛の雰囲気だろう。
竹内まりや盤は、真実の愛として受けとめることによって、
聴き手の心のより深いところに入って来るのである。 「情」という言葉の意味としては、1.気持ち、2.思いやり、なさけ、
3.異性を慕う心、男女の愛、4.ありさま、などであり、
男女の愛を否定すると、思いやりやなさけになり、それは捨て犬を
可哀そうに思う気持ちと同じ範疇に入るのである。
恋愛感情を否定して情で説明して、捨て犬に対する憐れみとは違う
というのは、まやかしである。 >>625
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。 本質的な反論が出来ず悶える#&%星人↑(0710)
Pure Love !
見兼ねて姿を現したピュア―・ラブ・マン。
「久しぶりだね、ピュア―。」
「やあ、元気かい?」
「うん。今日はピュア―なんだね。」
「ああ。0624、0635を受けて、0646ではっきりと姿を現した
からね。」
「いつでも遊びに来てよ。」
「ありがとう。#&5星人とは大違いで嬉しいよ。ア ハ ハ ハ ハ。
『を』のつもりで書いても『が』と解釈出来たりはするけど、
その時の思いを書いただけのことを永遠の約束ととるのは思い込み・
決めつけの誤読だから、誤読星のパスポートかな。」
「うやむやにしておいて、また、何か言い出すんでしょ。」
「そうだね。君の洞察力には感心するよ。」 85年頃は明菜とマッチという作り上げられた恋愛がメディアをにぎわせた
わかってる井上陽水は明菜に「本当の恋をしていない」と歌わせた
本当の恋をしていなかった人に「駅」は十分に表現できなかった 井上陽水は凄いアーティストだと思った
近藤真彦との関係が本当の恋ではないかもしれんけど、当時はツッパリとかわがままとか言われていたのに、好きになった男には我を忘れるほど入れ込んでしまう意外な脆さを見せた中森明菜と言う人物像
それを「飾りじゃないのよ涙は」で先回りして見事に書き表してしまった 明菜は恋愛ごっこがしたかったんだろ。89年までずっと
歌と自分自身(あとはファン)と演じるのは大好きだったが男に熱を上げるほどのエネルギーまでは残ってなかった。駅の主人公とはタイプが違う 立場からして、不義理、パワハラ、営業妨害的なコメントが
まかり通り、その影響が続いている。 山下線-まりや号は、山下駅止まりとなっております
ご乗車、誠にありがとうございました
この先、まりや号は明菜本線に乗り入れとなります
引き続きタイムトラベルをお楽しみ下さい 三倉(茉奈佳奈)線-いのちの歌方面のまりや号と
河合線-けんかをやめて方面のまりや号をご利用のお客様は
お乗り換えです
日頃より竹内鉄道をご愛顧いただき誠にありがとうございます まりや、明菜はいなくなった
みゆき、ユーミン、聖子が残った。なぜか知らんが。小泉今日子は別人になった 竹内まりやのようにアプローチした明菜の駅が聞いてみたい。
竹内も例えば明菜のスローモーションみたいな歌い方を想像して作ったんだと思うけどな。 明菜のようにアプローチした まりやの駅を聴いてみたい
「せつない恋物語が似合う人だと結論を得」て
「めずらしくマイナーコードで一気に書き上げ」、
実際、歌詞とメロディは ちゃんとそう仕上がっているのだから
イメージして、そうなっていなければ、プロ失格だと思うけどな タッツー&しげさ
解釈オンチ(解釈方向音痴、解釈迷子)か分からないが、
人として潔く間違いを認めて、一般に分かる形で謝るべき 竹内>>松田>>(超えられない壁)>>>>>90年代以降の明菜>>>今の明菜≧今の松任谷=前田敦子
まともな耳で聞けば、比較対象にすらならんだろ。 >>720
工藤と安達が居なければ、中島も消えてたけどな。 明菜デビュー42周年記念日の今日公開された
「スローモーション - JAZZ -」
歌声とアレンジがとてもきれい
「駅」も絶対合うから聴きたいな 著作権侵害については主に親告罪であることから、
似ているからアウトの場合と、似ていてもOKの場合があるようで、
業界や当事者の感覚や対処によったりするのだろう
法律に規定されることにより違反が注目されたりするし、
創り出した人が正当に評価されるべきではあるが、
著作権の保護は政策的なものであり、人間の模倣自体を悪と考えて
罰する性質のものでもないだろう
そして、その道のプロが何十年も経ってから問題化するというのも
妥当性に欠けるので、「駅」も問題なしで確定していると考えるべきだ
似ているといっても境界ははっきりしない
「小さな鳩」も何かの曲に似ている感じがして、
シャンソンの「枯れ葉」が思い浮かんだが、そう思うのは私だけかも
しれない
メロディーラインが一部重なっていたり隣り合っていたりしても、
たとえば中央総武線・山手線が並んで近くに停車していたり似て
いながらも、違うところに連れてってくれるからいいというような
感じで受けとめる 駅って何かの曲に似てんの?
初めて聴いた時はサビの部分とか来生たかお辺りが作りそうなメロディに感じた