【駅】中森明菜vs竹内まりや【Part4】
馬だけでなく、犬にもなりすました#&%星人は、捨て犬の件に
喰いついたが、既に負け犬となっている。
ピュア―・ラブ・マンは、愛情深い人が捨て犬を見て胸が震えることも
知っている(そこには愛がある)し、
動物を保護する人々を愛してやまない。
犬のたとえは慣用表現に依っただけで、自身が犬を見下しているわけ
ではない。
#&%星人との闘いの中で、わんちゃんや、わんちゃんを愛する人々の
心を傷つけてしまったとすれば、申し訳ないと思うのであった。 ピュアー・ラブ・マンは、真理の光に導かれ、
地球人の心を介して姿を現す。
#&%星人の幻術は既に無力化され、多くの人々は幻惑されることは
ないだろう。
地球人も忙しい人は多い。
ピュア―が真理の光に導かれて、再び現れるのかどうかは分からない。 >>673
説明済み?
そのこちらの説明済みの「を」説>>281にそちらが絡んで来てケチつけたのが始まりなんですけど?
あなたはクルクルパーですか?
それともやっぱり事故とかで? >>673
>「ありふれた夜」に関する言語感覚の無さは、
あなたに言わせれば
「元彼を偶然見かけて、本当に愛しているのが旦那より元彼と気付くという深刻な事態なのに主人公には
『ありふれた夜がやって来る』」
わけでしょ?
こんな訳の分からんでっち上げストーリーを作り上げて言語感覚?
しかも元彼を見かけなからば元彼への想いにも気付かなかったはずなのに純愛?
で、私が正解だー!って?
さすがクルクルパーですね >>674
>やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。
こらこら、おばさんw
こんな事書き残しておいて今さら動物愛アピール?
でっち上げストーリーならべて私が正解だー!とかほざいて、失言と気付いた事は揉み消そうとする
そんなに自分が可愛いですか?
自分に甘く小汚い上にクルクルパーなのに? >>636
訳の分からん酔っ払ったような戯言書いとる暇があるならさっきと答えてください
「元彼が本当に愛してのは主人公」と言う超重要な設定が有るストーリーと無いストーリーが同時進行するのはどう言うつもりか?
その「元彼が本当に愛してるのは主人公」と言う設定が有るストーリーは「駅」にはそんな歌詞は無いのにどこから産まれた?
あなたに言わせれば主人公は涙が流れるほど愛していて、元彼も主人公だけを愛していたなら彼の元へ行くのがいいと思う、と言ってのにその話はどうなった?
「胸が震えた」のが今でも愛していると事の証明、と言うなら、
逆に今は他に旦那も居て、元彼への想いは愛では無く情だけど、昔愛しあっていて困難な状況で別れた苦い思い出も、懐かしさも有るような相手を偶然見かけた時に相応しい表現を示しなさい
そしてそれが「胸が震えた」より適切で有る事を証明してみなさい
そしてそのストーリーの中でラストの「ありふれた夜がやって来る」がどんな意味を持つ事になるのか説明してみなさい >>636
一部訂正
× その「元彼が本当に愛してるのは主人公」と言う設定が有るストーリーは「駅」にはそんな歌詞は無いのにどこから産まれた?
⚪︎ その「元彼が本当に愛してるのは主人公」と言う設定が有るストーリーは、あなたの「駅」の解釈にはそんな説明は無いはずなのにどこから産まれた?
です
あなたの解釈からの説明では、付き合ってた当時の2人の様子は分からないはずですからね
いわゆる恋人同士とは違って、不倫が前提なので、彼が主人公を本当に愛していたのか、ただの遊びだったのかさえ伝わりません
そもそもあなたは「が」説だった訳ですしね
わたしの解釈なら
「苦い思い出に残るような辛い別れだったのに、それでもなお懐かしさ(楽しかった、幸せだった)もある間柄だった」
と簡単に説明出来るのですがね
あなたまさか散々ケチつけたこちらの解釈をこっそりパクったんじゃないでしょうね?
解釈はパクっても、説明が追い付かないあたりいかにもアレですねあなたは >>636
作者は駅を悲しい物語と言ってたらしいですが
不倫していて、元彼の方が本気で愛しているのは主人公だと言ってくれたのに、それを信じずに別れてしまったなら、可哀想なのは主人公じゃなくて元彼の方ちゃいますの?w >>681
横レスだけど。元彼の真の愛を信じきれなかった主人公の憐れさでしょ。 自業自得ではあるけど童話の「金の卵を産むガチョウ」などと同類の悲しみ。 >>682
そもそも
「元彼が本当に愛してるのは主人公と言った。
でも主人公は信じられなかった」
と言う設定自体が明菜オタのでっち上げなんだからその横レスは無意味 あえて明菜オタのでっち上げ設定に付き合うと
元彼は覚悟を決めて主人公に告白をして、主人公は理由はどうあれ元彼を信じられずに別れた
となると一番哀れなのは元彼なのに、偶然見かけて真っ先に思いついたのが
「苦い思い出と懐かしさ」
とか
苦い思い出って向こうのセリフだろw
懐かしむ前に自分のした事を反省しろよw
しかもその後に「本当に愛してるのは旦那では無く元彼と気付いた。真実の愛を知った」
とか
とりあえず元彼と旦那に申し訳なく思えよw
つーか真実の愛なら偶然見かける前に元彼への気持ちに気付いとけよw
そしてそのエンディングには
「ありふれた夜がやってくる」
とか
旦那より元彼の方を愛してるとか、そんな深刻な事態に気付いた夜がありふれた夜って何だよw
でっち上げにでっち上げを重ねてツッコミ所だらけで意味不明
しかも主人公の性格は自分の都合でしか考えられないでっち上げ主の性格そのもの
こんな内容の曲を竹内まりやが書いて、中森明菜に提供するわけねーだろ >>684
違うよ。俺の解釈は作者の「私だけを愛していた」の線だ。
それを信じられなかった主人公は自業自得だけど憐れ、と言ってるのだ。 >>686
念の為に書いておくけど俺は明菜の「駅」は聞いた事はある筈だけど記憶に無い、全然覚えてない。 >>377
>他の人のアプローチも正しいと認めて初めて同等なのに。
この自分だけに都合の良い思考がもうね
自分が作者からきっぱり不正解と示されても認めたく無いだけじゃねーか
よく平等とか言えたもんだな見苦しい
なぜ歌詞の意味の話をしてるのに、歌詞の中にも無い設定を自分に都合良く根拠も無くでっち上げする人間を認めなくちゃいかん?
なぜ自説もろくに立てられんくせにこちらの説を否定する人間を平等と見なきゃいかん?
他人のアプローチを認めるとか言うなら、こちらの解釈がなんであれケチつけんな
自分が他人に「「を」「が」どちらの可能性もある」
と言う解釈を押し付けてる事に気付け
あなたは家事手伝いか何か知らんがもう少し世間の空気を吸いなさい
不正解側が正解側に遠慮も無く駄々捏ねて
「自分も正解だー!平等だー!」とか幼稚で無礼で厚かましい態度を実社会でもやってみたらいい
まぁ、そう言う事をやり続けて来た結果が今のあなたなのかも知れませんがね >>686
上の明菜オタの擁護かと思いました失礼
なるほど「今になって分かる私だけを愛していた事」
をそうやって解釈するのもアリかもしれませんね
人は弱いものだし、迷う事もあるしそれなら悲しい物語でも通じますね トゥルー・ラブ・マンが真理の光に導かれてやって来た。
「ピュア―でしょ。」
「そうだよ。」
「その姿は、どうしたの。」
「純愛は、真実の愛だし、永遠の愛にも繋がっているね。
英語だと、true love 、eternal love かな。」
「トゥルーラって呼んでいい?」
「もちろんだよ。」
「ねえねえ、ピュア―。」
「おいおい、おもしろい子だね。」
「冗談だよ、トゥルーラ。で、どうしたの?
もう、#&%星人の言うことは信用しないから大丈夫だよ。」
「そうだね。#&%星人は放っておけばいいさ。
真理は強要せず輝くのみ。」
「あれから『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う
心の哀しさよ』ていう、真知子巻きの『君の名は』を思い出し
ちゃったんだ。」
「凄い子だねぇ。」 真実の愛という点について、
「が」説は、前の説明より直接的に考えることも出来る。
私だけが愛していたというのは、たとえて言うと、複数の道路の
一方通行ではなく、一つの道路の一方通行である。
論理的には複数関係もありえるが、まともな歌にする人の心情としては
排除される。
片想いという言葉も、分解して意味を失わせれば論理関係が出てくる
が、人の気持ちの表現であるため、一途な恋愛に限られる。
「を」説は、既に記してきた通り。
付け加えるなら、
家庭を簡単に壊すことが出来ないというようなことは、
結婚しなくても十分に推察出来ることであり、
劇的な気持ちの転換には結びつかない。 終始、可能性として例を挙げているのを、#&%星人は理解出来ない。
省略した部分なども読み取ることが出来ない。
「昔愛してた」の字面に拘り、情という表現に逃げて、自分のほうが、
愛を好きか嫌いかにしか捉えない矛盾。
主人公が結婚相手を、情のレベルではなく愛しているのなら、
期間的に見て新鮮な愛情に包まれているはずであり、
そういう状況下、過去の想い出に胸が震えるという解釈は、
言語感覚と論理的把握力の不十分さによるものである。
他説を妄想・でっち上げと独裁しながら、
そのエンジン全開の決めつけで他説を批判する恣意性。
特別な出来事があった後に、それと対照的なありふれた夜がやって
来てしまうという心情を理解出来ない#&%星人の恥。
昔は肉が好きで良い思い出と苦い思い出があり、
今は魚が好きで、肉料理に魅かれなくなった人が、
肉料理を出されたときの心境は?
自分の設定のほうから「胸が震えた」の意味をこしらえる循環論法。 >>692
いちいち長いんだよ
ただ不正解を認められずゴネてるだけなのによーやるわ
その歳まで成長する機会を放棄してきたんでしょうね
そのまま「自分も正解だー!」と叫びながら息絶えていけばいいのでは? >>636
歌詞の意味から読み解かず、最初から純愛説「が」「を」とか勝手に結論から先に考えるのがアホ過ぎる
そんなもん本来の意味から外れて当たり前だろ
物事の順序無視、作者の意図もお構いなし、理解と解釈は同じとか自分を過信する
で、自分も正解だー!
随分と傍若無人ですね
あなたには駅は理解出来ません
わたしには理解出来ました
いくらあなたがゴネようがね 真理の光に導かれ、ジェニュイン・ラブ・マンが姿を現した。
Genuine Love!
「ジェニュイン、どうしたの?」
「「あれ、何も聞かないのかい?」
「もう分かったから大丈夫。」
「 ハ ハ ハ ハ ハ 、賢い子だね。」 誤読星では、批判や非難の体を混ぜて自己紹介する流儀があるらしい。
(これまでも)
考えた後で説明する際の、項目分けの見出しを見て、結論在りき
ととってしまう#&%星人。
一を聞いて十を知るのは難しくても、ある程度の説明で一般の人は
理解出来る。
(おかしな理解で、他をけなすこともない。)
心情的なことなので、難しい数学的な論理の素養が必要なわけでは
ない。
(自然科学の論理ではなく、説得的な論理)
家庭を簡単に壊せないといったことは一般的な理解としてあり、
結婚せずとも察しがつくうえ、
主人公が結婚相手を愛していて、壊そうとも思っていない状況では、
心境の劇的な転換の根拠には成り得ない。 別にこちらも全て正しいとは言って無いけどな
もし一部の式が間違ってたとしても、根本的な方向は正しいから最終的な答えは正解なのがわたし
作者の意図も理解しようとせず自分の思いついた結論から先に決めて話を捏ねくり回すから、式は崩壊していて当然答えも不正解なのがあなた
それでも不正解が気に食わず正解者と対等でなければ腹の虫が収まらない未成熟の出来損ないがあなた
ほんと見苦しい 哀れみ=捨て犬に対する気持ちねぇ…
このレベルの鈍い感性であーだこーだと長文書き散らしてももう読む気も起きん
作者が「を」と明かしてるのに、まだ「を」説にケチをつければ自分が優位になれると勘違い出来る思考回路からしてどうかしてる
>0494 昔の名無しで出ています 2024/02/06(火) 04:37:17.78
平和が訪れた後の世界。
せっかくの機会なので、
私だけ「を」愛してたという解釈を好きになるために。
↓↓↓
愛し今不幸な彼の元に行くのが良さそうに思えるがどうなのだろう。
やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。
後悔でも、「駅」の世界が軽くなってしまいそうだがどうなのだろう。
少し感傷に浸っただけなのだろうか。
憐憫の情だけでは、「心に残る」のは、後味の悪さのようなものに
なりそうだがどうなのだろう。 真理の光に導かれ、トゥルー・ラブ・マンが姿を現した。
「今回はトゥルーラなんだね。何で?」
「何でだろうね。」
「えぇ〜」
「冗談、冗談。筋道などの話には、真実が合うだろ。」 「を」だけ合わせても、心情の理解で破綻していたら、
楽曲を受けとめたことにならない。
成り立たない解釈で、答えが合っているというのも、非論理。
歌詞の言葉の意味を受けとめたうえで、
想像に委ねられた場面と合わせて可能性を示してきた。
循環論法側が、自身に向けられた批判を掠め取っても無駄である。
0494を引用しても、何の痛手もない。
彼に対する主人公の愛は無いとする解釈に対して、在り得る疑問を
示したに過ぎないことを読み取れない、引用する側の読解力の無さを
示すだけである。 なりすましのお馬さんに念仏を唱えるような状況でも、
決して空虚なことでなく、
書き記されて他の人の心に届けば意味があったとさ。 うるせぇポンコツ
「が」の可能性もあるんだー!だってよぉw
ねーんだよそんなもん
最低限の日本語が理解出来れば有り得ません
わたしには理解出来ました
ポンコツのクルクルパー子さんには理解出来ませんでした
竹内まりや先生からのお墨付きでーす >>699
× トゥルー・ラブ・マン
⚪︎ クルクルパー子さん ひとつ書き忘れた。
可能性は、恣意的に作り出すのではなく、
既にある。
文言から推論・敷衍が是認される可能性の中で、
例示を試みたのである。 御託を並べたところでその可能性とやらの先にあったのがこの言い草
>やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そうだと
思うレベルの話なのだろうか。 河合奈保子ちゃんが歌った駅無いかなー?
勘違いシンガーアクトレスよりよっぽど聴き応えありそうだ 「やけに哀しく心に残るのが、彼への憐れみだと、捨て犬が可哀そう
だと思うレベルの話なのだろうか。」というのは、
彼への愛が強く残っているととる側からの当然の疑問である。
特定の相手に対する強い恋愛感情と、捨て犬を可哀そうだと思う感情
の位相の違いを指摘している。
別の相手を愛して、彼への恋愛感情が冷めたのが二年足らずの期間内の
ことになる、そういう懐かしさのレベルでは、彼への憐れみは、
捨て犬を可哀そうだと思うのと同じようなレベルになってしまう
のである。
#&%星人は、地球人の心の機微を無視して、自分の思い込みで
決めつける。 #&%星人は、竹内さんのファンというよりは、
山下氏の信奉者であると考えられる。
「Impressions」では、『まりやは当初、この曲を自分で歌うことに
難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的な」アプローチだから
というのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳
には、この曲はどちらかといえば、イタリア風に聞こえたし、また、
そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、
かなり憤慨していた事もあって、是非とも自分の手でアレンジして
みたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでに
こぎつけた。』とある。
創作時のイメージとして「駅」が歌謡曲的らしかったことや、
作詞・作曲者ではない山下氏が自分のイメージで変えようとしたこと
などが読み取れる。
他を批判するにしては、根拠が薄弱であり、
破綻した解釈で同じ側に立つのが#&%星人。
さて、竹内まりや盤の良さは、
歌声の魅力と、服部克久によるストリングス・アレンジにある。
それらは「駅」の世界観に合致しているが、
弦の音色の美しさを差し引いてしまうと、イタリア風ということの
違和感が前面に出てしまって、評価を得ることは出来なかったに
違いない。
(歌詞の解釈として「イタリア風」がどのようなものかは
明確でないが)
「メデタシ、メデタシ。」といっても、
評価されたのはオリジナルと通じ合う、
忘れ得ぬの愛の雰囲気だろう。
竹内まりや盤は、真実の愛として受けとめることによって、
聴き手の心のより深いところに入って来るのである。 「情」という言葉の意味としては、1.気持ち、2.思いやり、なさけ、
3.異性を慕う心、男女の愛、4.ありさま、などであり、
男女の愛を否定すると、思いやりやなさけになり、それは捨て犬を
可哀そうに思う気持ちと同じ範疇に入るのである。
恋愛感情を否定して情で説明して、捨て犬に対する憐れみとは違う
というのは、まやかしである。 >>625
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。
>少なくとも平日は見ないだろう。 本質的な反論が出来ず悶える#&%星人↑(0710)
Pure Love !
見兼ねて姿を現したピュア―・ラブ・マン。
「久しぶりだね、ピュア―。」
「やあ、元気かい?」
「うん。今日はピュア―なんだね。」
「ああ。0624、0635を受けて、0646ではっきりと姿を現した
からね。」
「いつでも遊びに来てよ。」
「ありがとう。#&5星人とは大違いで嬉しいよ。ア ハ ハ ハ ハ。
『を』のつもりで書いても『が』と解釈出来たりはするけど、
その時の思いを書いただけのことを永遠の約束ととるのは思い込み・
決めつけの誤読だから、誤読星のパスポートかな。」
「うやむやにしておいて、また、何か言い出すんでしょ。」
「そうだね。君の洞察力には感心するよ。」 85年頃は明菜とマッチという作り上げられた恋愛がメディアをにぎわせた
わかってる井上陽水は明菜に「本当の恋をしていない」と歌わせた
本当の恋をしていなかった人に「駅」は十分に表現できなかった 井上陽水は凄いアーティストだと思った
近藤真彦との関係が本当の恋ではないかもしれんけど、当時はツッパリとかわがままとか言われていたのに、好きになった男には我を忘れるほど入れ込んでしまう意外な脆さを見せた中森明菜と言う人物像
それを「飾りじゃないのよ涙は」で先回りして見事に書き表してしまった 明菜は恋愛ごっこがしたかったんだろ。89年までずっと
歌と自分自身(あとはファン)と演じるのは大好きだったが男に熱を上げるほどのエネルギーまでは残ってなかった。駅の主人公とはタイプが違う 立場からして、不義理、パワハラ、営業妨害的なコメントが
まかり通り、その影響が続いている。 山下線-まりや号は、山下駅止まりとなっております
ご乗車、誠にありがとうございました
この先、まりや号は明菜本線に乗り入れとなります
引き続きタイムトラベルをお楽しみ下さい 三倉(茉奈佳奈)線-いのちの歌方面のまりや号と
河合線-けんかをやめて方面のまりや号をご利用のお客様は
お乗り換えです
日頃より竹内鉄道をご愛顧いただき誠にありがとうございます まりや、明菜はいなくなった
みゆき、ユーミン、聖子が残った。なぜか知らんが。小泉今日子は別人になった 竹内まりやのようにアプローチした明菜の駅が聞いてみたい。
竹内も例えば明菜のスローモーションみたいな歌い方を想像して作ったんだと思うけどな。 明菜のようにアプローチした まりやの駅を聴いてみたい
「せつない恋物語が似合う人だと結論を得」て
「めずらしくマイナーコードで一気に書き上げ」、
実際、歌詞とメロディは ちゃんとそう仕上がっているのだから
イメージして、そうなっていなければ、プロ失格だと思うけどな タッツー&しげさ
解釈オンチ(解釈方向音痴、解釈迷子)か分からないが、
人として潔く間違いを認めて、一般に分かる形で謝るべき 竹内>>松田>>(超えられない壁)>>>>>90年代以降の明菜>>>今の明菜≧今の松任谷=前田敦子
まともな耳で聞けば、比較対象にすらならんだろ。 >>720
工藤と安達が居なければ、中島も消えてたけどな。 明菜デビュー42周年記念日の今日公開された
「スローモーション - JAZZ -」
歌声とアレンジがとてもきれい
「駅」も絶対合うから聴きたいな 著作権侵害については主に親告罪であることから、
似ているからアウトの場合と、似ていてもOKの場合があるようで、
業界や当事者の感覚や対処によったりするのだろう
法律に規定されることにより違反が注目されたりするし、
創り出した人が正当に評価されるべきではあるが、
著作権の保護は政策的なものであり、人間の模倣自体を悪と考えて
罰する性質のものでもないだろう
そして、その道のプロが何十年も経ってから問題化するというのも
妥当性に欠けるので、「駅」も問題なしで確定していると考えるべきだ
似ているといっても境界ははっきりしない
「小さな鳩」も何かの曲に似ている感じがして、
シャンソンの「枯れ葉」が思い浮かんだが、そう思うのは私だけかも
しれない
メロディーラインが一部重なっていたり隣り合っていたりしても、
たとえば中央総武線・山手線が並んで近くに停車していたり似て
いながらも、違うところに連れてってくれるからいいというような
感じで受けとめる 駅って何かの曲に似てんの?
初めて聴いた時はサビの部分とか来生たかお辺りが作りそうなメロディに感じた