(余裕もないので、出来れば最後に)

竹内まりやファンの呪縛も解きたい。

「駅」が当て書きであるとすれば、完成されたオリジナル作品に
対して、作者も解釈する側に立つ。

アレンジが自然な範囲のものであれば、当て書きの核心は残る。

アレンジャーに合わせて受けとめるのも自由であるが、
オリジナルの世界に添って受けとめるほうが、本来の「駅」の姿
と考えられるのである。

「を」でも「が」でも、愛を失った切なさは、後味の悪さとは違うと
思われる。