「限られた枠の中で登場する人物像」(0445)は、
「駅」で直接描かれた場面でのことに過ぎず、
その必須の前提であるストーリーは、一般社会の枠の話である。

その一般社会の出来事について登場人物を限定する根拠が
示されないままである。


芸術を含め社会全般との整合性は、私の都合ではない。


自説への「リスペクト」(0445)を、作品に対するリスペクトと
勘違いしている。


「が」の一例に関しては、自分で読み取って、自分に合うように
考えれば良い。

「が」の可能性を示したものであり、私の文学的才能は関係ない。
感想で可能性を否定することは出来ない。


「改竄ストーリー」という指摘は、「駅」が必須の前提のストーリーを
聴き手に委ねていることを認めない主張である。

「歌詞から汲みとれない」「でっち上げ」「謎キャラ」などの認識は、
想像に委ねられていることに関して「駅」の解釈を誤ったものである。