作者の意図が絶対であるということに対するアンチテーゼとして
私は論じてきている。

それを理解せず、議論の中で人格非難に及んでいる。

解釈ということに関して、芸術も含め社会全般では、作者絶対という
見方はとられていないと考えられる。

そういう点で、私の見解は社会的なアンチではなく、整合性を保つ
主張である。


「駅」が聴き手の想像力に委ねている。

限定していないから、許される。

限定するほうが、背いているのである。

日本語としても、両方とれる表現である。