永遠に〜尾崎紀世彦〜キーヨ 3曲目
今日の偲ぶ会は入口に藤村俊二と徳光和夫の花輪が飾ってあった。
飲み仲間だったのかな? この人いい人だったと思う。芸能界に馴染めなかっただけで
心許せる友人や家族には優しかったんだろうな。
もうこれで芸能関係とは終わったね。
向こうで好きな所で好きな歌を歌ってるね。 >>148
そう思う
実力があっても評価されない(活躍の場がない)芸能界って何なんだろうって
今更ながら思うよ “和製トム・ジョーンズ”と紹介するところで、よりによってトムさんの
「恋はメキメキ」を流すフジテレビのセンスに脱帽(悪い意味で)
息子さん(名前のテロップは「紀世彦2世」)、キーヨに似てたなぁー
北陸の片田舎なので出席なんて出来ませんでした・・・orz キーヨは声の質から言って、和製トムじゃなくて和製エンゲルだよ >>150
これは酷い。
時代背景を考えても「ラヴ・ミー・トゥナイト」か「シーズ・ア・レイディ」か「よくあることさ」。 >>149
レコード大賞・歌謡大賞を獲ったんだから、評価されなかったというのはないと思う
たぶん晩年はという意味でしょ。
晩年の評価は決して不当なものだとは思わないよ。
上手けりゃ売れると思ってる人には不当に感じるかもしれないけど。 音楽番組の質が落ちたし製作側の作り手も落ちた。
「ミュージック・フェア」とかも変になったし・・・
「また逢う日まで」しか歌わせないのだから新曲も出さんわな。
まぁいずれにせよ日本人歌手でこれだけ洋楽を歌える歌手はいなかった。 キーヨとピーノの共演も見たかったよね。
凄いカンツォーネの共演になったはず。 >>159
あなたもですか。
昨日の北日本新聞の芸能欄に大きく「お別れ会」の模様が出てましたね。
キーヨさん、お神輿は喜んでくれたんだろうか? それにしても一向に癒えないこの喪失感・・。
年齢的に自分の人生も、得るものよりも失うものが遥かに多くなってきた。 >>150
テレビ局の人間が、キーヨがカバーしていた当時のトム・ジョーンズ
の曲を知らない世代だったのかも・・・
この人のファーストアルバムは洋楽ばかりだけど
当時20代であれだけ歌うのは凄い。日本ではいない。
50〜60代の声であのナンバーを聴きたかった。もう一生生歌は聴けない。
30回以上ライブ・コンサート聴いてるがもっと聴きたかった。 エンゲルベルト・フンパーディンクの「太陽は燃えている」も、本人よりも尾崎氏の方がうまい。
実力あるから、晩年もライブで稼いでいただろうからお金には不自由はなかったでしょう。
でも、アルコールで身を崩したようですね・・・
これもひとつの天才の行き方なのか・・ 彼が亡くなったから松崎しげるを聴こうという気にはならない。 確かに。松崎は全く及ばない。
布施明かピーノ松谷なら、一流だからある程度満足出来るが。 >>161
こちらはいっぺんの記事もなかったですよ。
田舎でもこうも文化水準が違う。北日本もうらやましい。 ライブに足繁く通っていたファンに訊きたいのだが、
何年頃のキーヨがベストでしたか? 若い頃の「これでもか」と言うくらい力任せの歌い方も凄かった。
30代後半から歌唱法が変わり力みも消えて声の素材の良さが目立った。
自分は50代が一番好きですね。60代もいんですけどね。
コンサートホールの音響にもよるし・・・最後のプレミアムコンサートは
素晴らしかったね。「羅針盤」CDにして欲しかった。
たぶん聞く人それぞれ好きな年代違うかもね。
兎に角もうこんな歌手は出てこないでしょう。 「また逢う日まで」はあの当時が一番いいね。
「さよならをもう一度」は晩年の物が好き。
洋楽は「明日に架ける橋」「マイ・ウェイ」を60代の声でライブで聴きたかった。
「ダニーボーイ」「慕情」はたぶん世界で一番上手いでしょう。 「あなたに賭ける」のTV出演やライブの映像が見たかった・・ 風貌も歌声もコーカソイドみたいで本当に大好き。
今でも日本の歌手の誇りです 追悼盤のゴールデン・ベスト、なんだかスルメみたいな曲が多いね。
最初はちょっと物足りなく感じても、聴くごとに味わいが増していくような・・・。
それにしても「サンシャイン・ラバー」を聴くたび「E気持」や「夏のお嬢さん」が
脳内で一緒に演奏されてしまうのが困るw 日本語が綺麗な歌い手は良いよね。
桑田佳祐や福山雅治は見習うべき 金曜日の妻たちへ 尾崎紀世彦特集はいつ放送されるのですか それにしても「また逢う日まで」があんなに売れすぎたのは
良かったのか悪かったのか・・・と思う。
そのおかげでキーヨを一発屋呼ばわりする奴等も多かったし。
他の名曲や洋楽のカバーが埋もれがちだったし。 >>121
my地方でやっと再放送ありました
お待たせ〜
ttp://www1.axfc.net/uploader/Na/so/40214 また逢う日まで
阿久悠 「作詞家として最初の勲章になった」
この曲は、作曲家の筒美京平がルームエアコンのCM曲(演奏のみ)として作ったのが最初だった。
2度目は、それに阿久悠が詞をつけて 『ひとりの悲しみ』 (歌:ズー・ニー・ヴー)というタイトルの曲となった。
1970年の安保闘争で挫折した青年の孤独を歌詞に込めたというが、レコードは売れなかった。
普通ならそこで終わっているはずの曲だったが、執念の3度目のお色直しが見事に成功! >>182
執念のリメイクが実ったという珍しい例だな
朱里エイコの出したLPはこれですべてCD発売されたので
この方のも発売されますよ。 >>182
ちなみに、そのエアコンのCMソングにも一応、歌詞はあったそうです。
制作だけされて結局、採用はされなかったようなのですが。 CMオンエアー曲だったら一部しか
かからなかっただろうね
「また逢う日まで」じゃなくても
違う作品で世に出てたと思うけど松崎しげる程度の評価でなかろうか・・・
「また逢う日まで」は阿久さんも尾崎紀世彦にもプラスだったと思う。
その後はあまりに歌唱力がありすぎて作る方は難度の高い作品ばかりで
素人受けしない。3年目あたりから難しい曲ばかりだった。 そりゃ素人が歌えない曲だろう。
「かがやける愛の日に」なんて覚えれないしね。歌えない。
「しのび逢い」はいい曲だったけどね。
「サングリア」はある程度いくと思ったがダメだった。
「星女」あれはいい曲だね。尾崎しか歌えない。でも大潟村には永遠に残る。
>>185
「また逢う日まで」 の元歌であるエアコン (三洋電機) のCM曲って、
「若いってすばらしい」 のヒットでおなじみの女性歌手・槇みちるが歌ってたんだねえ。 洋楽ヒット曲のエッセンスをうまく料理する筒美京平センセイ
「また逢う日まで」では、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」
の進行をうまくパクってる また逢う日まで、オリジナル・テンポだと遅い気がしない?
後年CMなんかで使用される時は、だいたいテンポが早くなってた。
リアルタイムでの記憶が無い世代なので、CDで聴くとどうも違和感・・・。
カラオケで歌う時もテンポ上げないと気分がのらないw >>193
大和証券のCMで流れるとなんとなく気になって見てしまうのはそのせいだったのかなw
筒美先生だと、ヒデとロザンナ「愛の架け橋」なんかグラスルーツの「百万年の想い」そのまんまだけど…
>>194
報ステで流れたアナログ盤らしき音源は、プレーヤーの速度がちょっと早くて違和感があったなぁ 今の歌は、カラオケとタイアップして素人にでも歌えるような簡単な歌・ノリのいい歌を出して売り出す方法を取っている。
当時は、カラオケこそないが、やはり素人でも歌えるようなものが流行ったのであろう。
もっとも、誰が聴いても「いい曲だ」と思える曲はその限りではない。
「また逢う日まで」もそう簡単に歌える歌ではないが、いい歌だから流行った。
この方法を尾崎氏は曲げなかったのだろうね。
残念ながら、カラオケでは「また逢う日まで」の他に「さよならをもう一度」「サマー・ラブ」くらいしかないが、どれも難しい。
ゴッドファーズァザー愛の歌は歌いやすいよ
昔中年の人が歌っていました、紅白でも歌って名曲 カラオケにないのかなぁ 「また逢う日まで」が上手く歌えればうけるね。
「さよならをもう1度」もね。
出来れば原曲キーで歌えれば臨場感出る。 何かの映画かTVで
「さよならをもう一度」をのど自慢で歌おうとして盛大にコケた
オッサンがいたような。 >>198
名曲だけど、あの日本語詞がどうも・・・。
キーヨさんの歌唱やアレンジは満点以上の出来映えなので、よけい気になる。 今日も金曜日のスマたちへ放送するけどキーヨの追悼番組まだやらないよ
こんなすばらしい歌唱力の歌手もうでないよ。 朱里エイコみたいにアメリカでも
でコンサートできたと思うのに。アメリカで成功した日本の歌手は朱里エイコ
ぐらいなものらしいよ。 朱里エイコは劣化も早かった。
40代後半は全盛期と比べて別人になってたね。
しばたはつみも声も落ちてたし。
人より突出した美声の持ち主はその維持が難しい。
>>204
>朱里エイコは劣化も早かった。
晩年の外見上の劣化もひどかったよなぁ。
中学生時代の俺は、彼女のミニスカ姿の写真をオカズに・・・w アルバム「サマー・ラブ」聴いたが、いくつかの曲はドラムの音が大きすぎる。
あれでは、尾崎氏の美声が伝えきれないのでは? 歌い方がソフトなのと曲調が大人しい。
後の「星女」もだしね。 >>62
>>113
>>118
>>160
>>169
ピーノ松谷氏、歌に味がないし一本調子だし絶賛するほどじゃないですね。
カンツォーネ・オペラとかクラシック系によくいる、声だけに頼る真面目な歌い方だから1曲聴いただけでお腹いっぱいです。
>>208
発売当時キーヨさん40代だよね?
力まかせの(実際は違ったかもしれないが)若い頃の歌唱より、大人の余裕が
感じられるあの歌唱のほうが好きかも。制作サイドもきっと当時の中年層を
ターゲットにしてたであろうし。
>>132
懐メロ番組や90年代〜晩年のゲストでさようならをもう一度やふたりは若かった歌ったよ。(また逢う日は一切歌わない)
まあ最低二曲は歌わせるべきだ。尾崎紀世彦ヒットメドレーのコーナー特別作って3曲歌わせてもいいくらいだ。 昔、「夜はヒッパレ」で、ミスチルの「イノセントワールド」を簡単に歌い上げた。
最後に、「こんなつまらん歌作るな!」と、笑いながら言っていたなあ。 >>213
キーヨさん流のリップサービスかな。
サービスになってないけどw 去年ハワイでの「父の日」の写真でご家族に囲まれての表情は
温和で本当の彼の素顔ではなかったろうか・・・
歌は引退してももっと長生きしてほしかったね。 それにしても尾崎姓の有名人に
カリスマティックな人が多いのは何故だろう。 NHKみんなのうたで「冬物語」を丁寧に歌っていた尾崎さん。
どんな歌でも唄いこなせるんだね。 尾崎氏は丁寧に歌うねえ。
声量がある、いうイメージがあるが(確かにあるとは思うが)、ライブのとき
「僕はそんなに声量はあるとは思わない。でも、水泳をやっていたせいか、ロングブレスには自信がある」
と言ってらっしゃいました。
でも、若いころはともかく、黒タキシードであご髭に白いものが混じりだしてからは、丁寧に歌うようになられた感があります。
「サマー・ラブ」なんて、カラオケで歌うと、声は出るが、細かいところのビブラートが難しく、あのようなきめ細かい歌い方ができない。 ずっと前ですが
のど自慢のチャンピオン大会でサマーラブをうまく歌っている人を
見ました、この歌をうたえる人はチャンピオン大会まで出られるぐらい
うまくないと歌いこなせないと思う。 ある時期から歌唱法を変えましたね。
「また逢う日まで」から4年位経ってかな。
言葉や歌詞を大事に歌う歌い方は・・・
声はいくらでも出せるけど歌詞を大事に歌う50代は絶品と思います。
よく比較される松崎しげるはウオッカでキヨは上質のワインと思います。
尾崎紀世彦以上の歌手にこれから先出会う事はもうないでしょうね。 >>220
そうですか・・
やはりレベルが格段に違うのですね。
多分、のど自慢チャンピオンのひとは十八番中の十八番をだしてきているのでしょうから・・
キーヨはサマーラブ以外にも、持ち歌たくさんあるからすごいですね。
それがプロのシンガーですね。 >>219
すみません、ロングブレスって、何ですか? 奥田民生がライヴで「また逢う日まで」を歌ってるじゃないか
ようつべに上がってた >>225
そんなに上手くなかったぞ。
まあ、奥田民生もキーヨをリスペクトしているのは分かったが。 「ダニー・ボーイ」これを紀世彦バージョンで弾き語りで歌う。
パブの姉ちゃんにうけたなぁ。
次は「ジョージア・オン・マイ・マインド」これも紀世彦バージョンで。
ギター練習中。こうなったら備前の尾崎紀世彦になってやる。 新聞番組欄最後の活字かもね・・・
これで若い世代が彼の歌を聞いてくれればいいね。
日本でこんなに歌の上手い歌手がいたんだって
そしてこれから先こんな歌手はもう出てこないかもしれないって。 隠してた闘病生活の間にも来る複数の仕事の問い合わせ。
でも闘病を隠すためにマネージメント停止を告げたらそれが失踪報道に、か
なんてこった… バッチリ録画した。
今夜は酔っ払いなので、明日シラフのときにじっくり観ようかと思う。 プロダクションと失踪騒動の少し前から契約終了、ということになり、プロダクションも連絡がとれなくて・・ということになっていたが、
真相はこういうことだったのですね。
興味本位に自宅まで押し掛けるレポーターが、うっとうしいですね。
でも、最後の姿は、やせて辛そうでしたが、笑顔は本物でしたね。 youtubeで、いい気分で尾崎氏の歌聴いていたのに、嫁が横から「早く寝ろ!」と・・・
もう、何回も言うから、キレてしまって近所に響くくらい大声で怒鳴ってしまった。
でも、せっかくの週末のいい気分を壊されて、まだイライラする。。。。。。。。。。 キーヨ最期は家族に囲まれて幸せだったんだな
良かったよ しかし晩年の失踪報道に一発屋呼ばわり・・・
マスゴミはただ面白おかしいだけのものを持て囃して来たのだな。 >>237
尾崎紀世彦をまったく知らない若い世代の人は「へえ、一発屋だったんだ」と洗脳されちゃうけど、40代以上の世代は「サマーラブ」のヒットを知ってるから、一発屋だなんて誰も思ってないよ 彼は一発屋ではないでしょう。
あまりにも「また逢う日まで」のインパクトが強いだけ。
「さよならをもう一度」「マイ・ベター・ライフ」「サマー・ラブ」は結構売れましたよ。 ゴッドファーザーにしても、71〜72年頃は充分売れてたからねぇ 番組ディレクターは何故親友の尾藤イサオを呼ばなかった?
最大のミスだ
デブスバハア渡辺真知子がウザかった。
昨日巨人の優勝決定試合見てたらたまたま操作を誤りチャンネル間違えて直前で金スマ知った。
もっと昔の映像流してほしかった。
番組ディレクターは何故親友の尾藤イサオを呼ばなかった?
最大のミスだ
デブスバハア渡辺真知子がウザかった。
昨日巨人の優勝決定試合見てたらたまたま操作を誤りチャンネル間違えて直前で金スマ知った。
もっと昔の映像流してほしかった。