【エンヤトット】岡林信康 第5集【エレキ】
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2009年以降、再びバンド編成を復活させた岡林氏。
野外フェスへの参加(フジロックとCDJ 同じ年に両方参加した稀有なミュージシャン)や
美空ひばり関連公演への参加など、一時期より積極的になった。
さて今年は。。。。
関連サイトは2以降に。
へぇ〜知らんかった、今夜は朝まで踊りましょのDVD復刻盤が発売されてたのか。
VHSは発売された20年前当時に買って、テープが擦り切れるぐらい何回も見たな〜。
保存盤としてDVDも買ってみよう。 >>549
自分は3032円の楽天ブックスが一番安いと思い買ったが、3006円のアマゾンの方が安かった… >>550
情報ありがとう。
今の時代、DVDで3000円チョットで買えるんだ。
ちなみに20年前に買ったVHSは5800円だった。
決して高いとは思わなかったけど。 DVD、日比谷公会堂公演の時は
スペシャルパッケージだったのかなぁ? 新入りですんません。最近のコンビニで売られている下衆い本で、放送禁止の歌が紹介されていて
YouTubeで「手紙」を聴いてショックを受け、「山谷ブルース」で魅了され、「君に捧げるlovesongで」
ファンになりました。スレがあって嬉しいです。
皆様のレスを読んで、岡林さんの事を知れて良かったです。 >>553
新入りでも関係ないさ。
ここに居る連中は下手な音楽評論家以上の連中がいるし、レコード会社の奴も見ているみたいだし。
まぁ岡林の音楽を起点にしていくと日本の音楽界だけでなくワールドワイドの音楽ジャンルにまで通じざるを得なくなってしまうからなぁ。
冗談抜きで。 たしかに古くからの岡林ファンには奇特な人が多い。
さんざん篩にかけられても落っこちなかったわけだからね。 昔の写真見るとやばそーな感じだけど、今は落ち着いたインテリ風の
おもしろいオッサンという印象。 俺も厨房時代に 「手紙」 を初めて聴いたときは日本の異常な現実にショックを受けたなあ
ちょうど担任の先生 (社会科) が “あの問題” について教えることに熱心な人だった 私が小学4年生の時の担任の女教師は、毎月の目標を「差別はしない」と決めつけていた。
【差別】ってなんだろうと思ってた。
そして、授業が終わって帰る前には「友よ」を歌わせてた。
岡林さんを最近知って、YouTubeで聴き、なんと!岡林さんの歌だったのかとびっくり。
ちなみに私はオルガン担当だった。(ピアノを習っていたので)
「手紙」を知らなかったので、今思うとそういうことかと。
私が部落というものを知ったのは、中学2年生の時に奈良に引越ししてからです。
転校1日目にして、学校の門の前で大人達が差別反対!と書かれたゼッケンを付け、座り込み。
クラスの生徒の何人かも同じゼッケンを付け、授業を受けていて、異様だったので母に聞いたんです。
「手紙」を聴いて、差別というものを知って、では私は差別しないかと言うと嘘になります。
それでも岡林さんの歌には引き込まれます。素晴らしいと思います。
もっと聴きたいと思います。もし、お薦めのCDなどがあれば教えて下さい。 >>558
「友よ」はあの頃多数発売された、フォークのカバー物LPなどで
第三者の歌(カバー)が収録されたケースがあって、
オルガンやハモンドなど鍵盤楽器の伴奏が多かったな。
>>557
ウチの高校時代の担任も大学時代が紛争中だったから
岡林さんの「手紙」をカバーするのは十八番でしたな。
顧問をやっていた軽音部の学生バンドを従えて文化祭で
「性と文化の…」「おまわりさんに…」「NHKに…」など
ヤバヤバなナンバーをバンバン歌いまくってた。 >>559
ヤバヤバな歌!聴いてみたい〜
>>554さん有難うございます。WiKiを覗いてみましたが、おっしゃる通りですね。驚きました。 おまわりさんといえば、京番茶のCM思い出した。
おまわりさん役で出てたね。 岡林といえばパンクだろ、「それで自由になったのかい」は最高にパンキッシュや 最近のライブのフィナーレで、イメージは民謡臭いオッサンのイメージになってる 公演によって、アレンジが違うのでナンだけど
「今日をこえて」もパンクだね。
2007年秋の日比谷野音でやった時、そう思った。 ああ、日本語が変ですね。
ここに書いてある。フォークの神様 岡林信康
確かにとても上手くまとまっているなぁ。これを参考にして聴いてみるのもいいかも。
です。 昔のwikipediaの岡林の項目は酷かった。
ここ数年で見違えるほど良くなった。 へぇ〜見てみたかった。
山谷ブルースとか手紙とか、カラオケで歌えるのかな? 「山谷ブルース」はあった
たしか画面にはあの街の風景も映されてたような
スナックで歌った時は座が白けて気まずい思いをしたっけなw >>569
今の日本に当てはまるトコロもあるからかなww
今日のお〜仕事お〜は辛かったあ〜っ♪てかあ。まだ、仕事があるだけ今よりマシな気もする。
岡林さんの目にはどう映ってるだろう。 >>570
「山谷ブルース」
岡林さんとて、いまは歌わなくなった部分があるからなぁ… >スナックで歌った時は座が白けて気まずい思いをしたっけな
ということに関しては、御大も以前は、「さすがに宴会(ちょうど
岐阜の山奥の農村に引っ込んでいた頃)の席でチューリップのアッ
プリケは歌えんがな」と随分前に書かれていたことを思い出した メディアや岡林本人も「岡林といえば山谷ブルース」というイメージと思ってるみたいだが、
俺はそんなイメージは全く無い、岡林といえば「私たちの望むものは」これ以外に考えられない。 マジで!?あああああああああ知らなかったああああ!!! 今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ。
どうせ、どうせ山谷のどやずまい。ほかにやることありゃしねえ。
中学時代から聞いています。いまだに新鮮です。
勉強もできんかったし、はやくおとなになりたかった。
中津川のフォークジャンボリ行きたかったなー。 私も毎日仕事が終わると「今日の〜仕事は辛かった〜」と口ずさんでいます。
本当に頭に残る歌詞ですね。 山谷ブルースはYMOの「ライディーン」の原曲。
これ豆な。 岡林さんの曲や歌詞ってリピートが多い気がする。
何か意味があるのかな。 >>571
だけど俺たちゃ 泣かないぜ
働く俺たちの 世の中が
きっと きっと来るさ そのうちに
その日にゃ泣こうぜ うれし泣き
80年代に彼のコンサートで 「山谷ブルース」 を聴いたとき
この歌詞を歌わなかったので 「あれっ?」 と思った
歌ってもむなしくなるだけだもんなあ・・・ >>581
アメリカのブルースとかフォークがそうだからじゃないのかな。 >>583
そうかぁ〜色々な人や曲にリスペクトされていた人みたいだもんね。
Wiki読んだら、ピンクレデイまで出ていたし、頑固そうな人だと思ってたんだけど、
音楽には幅広い寛容さがあったのかな。 最初からずっとソロ歌手?
GSにいてウエスタンカーニバルとか出た?世代的にはありそうだが >> 585
関西フォークムーブメントの中、高石友也のコンサートに飛び入り参加したのがきっかけ。
以降高石友也事務所に所属し、URCグループの中で活動していたが、労組寄りの音楽活動に嫌気がさし、逃亡入院、が公的(?)な略歴。
事務所の方針でGS=歌謡曲の反対側の立場、と言う事になっていた。
ミュージシャンの当人達には当時そんな感情は一部を除いてさほど無かったようだが。 御大本人は、自分でエレキを持つまではGSにはそうとう
反発あったのよ。「俺がこんだけハードなメッセージやって
るときに、何がGSや 何がジュリーや」だったが、それも自分
でロックやるようになって、左翼少年的なんでも頭デッカチ
判断であったことに気ずいたと「村日記」(絶版)によれば。 ボブ・ディランがフォークコンサートのイベントで初めてエレキギターを弾いて歌ったとき
聴衆は激怒したとあるけど、岡林のときもそういう反応はあったのかな?
昔のフォークファンはそういう点ではムチャクチャ保守的だったそうだが 「東京以外での地方では、全っ然受けなかった」と。
激怒ではないが、「シ〜ン・・だぜ(笑)全く受けない。
もしロックで受けてたら、やめて田舎に引っ込もうなんて
思わんかったやろうな。全然受けなかったから、もう歌う
のはやめやと思うたんです」 ・・で、そういう状態であったということは当時、
客席側も、岡林本人が以前そう思ってたようにエレキ=
「何がGSや 何がジュリーや」と、そのまんま思って
たことなんだろう。ホント、当時の団塊の客層っての
は革新のようでいて、実はそういうとこ保守的だわね
ちなみに後年は、御大もムッシュかまやつ(元スパイダース)
とも仲良くなり、80年前後に御大をサポートした渡辺茂樹は
元ワイルド・ワンズでした。 ムッシュかまやつは70年代のフォークブーム到来のときは
ちゃっかりとその路線に方向転換してたなあ
♪四葉のクローバー ノートにあった・・・なんて歌を >>590
>当時の団塊の客層
フォーク歌手がメジャーなヒット曲など出した日にゃ
「あいつは堕落した」と拒絶されるような時代 テレビに出たら「そんなに金が欲しいのかねw」とかあざ笑ってそう。 >>588
フォークではないけど
米国ではカーペンターズが曲の中間部にエレキギター演奏を
入れただけで「裏切り者!」と反発するファンがいたとか
『愛にさよならを』だったかな 岡林と日本舞踊・家元のジョイント
俺の地元の福岡では6月にある
昨日の新聞には大きめの広告が >>593
吉田拓郎もそれでブーイングを浴びた
客席から「帰れ!帰れ!」
フォークの世界に嫌気がさしたのもわかる 今でもパンクとかインディーズ界隈はそんな感じじゃね? >>593>>598
そのころの保守的なフォークファン
60代の今はどんな音楽を聴いてるんだろうね 何をやっても受け容れてくれるファンよりも
真剣に聞いてくれているという事なのでは。 いやそんなことはない
信者的ファンもあほだが
騒ぎたいだけのバカも多かったのだろうし
何よりも音楽はイデオロギーじゃない >>602
受け入れるなり批判するなりにしてもあまり即座に判断しない方がいいかもな
泉谷によると岡林がはっぴい引き連れて出てきた時も大ブーイングだったらしい あまり知られてないのか知られてるのか
知らんが(なんなんだ)当時は同じ事務所ということも
あったろうけど、高石もジャックスをバックにディランの
和訳カバーとかやってたんだけどね。
どうもしわ寄せは、岡林のほうに行ったんだよね
本人も回想で、「なんで俺ばっかりやねん、みたいなとこは
あったかな」のようなことは語っていたと思うが。 皆さん、本当に詳しくていらっしゃって
貴重な情報ばかりで… チューリップのアップリケきくと何故かじゃりんこチエ思い出す。 ドレミ楽譜出版が復刻版でスコアブックを出していた。「金色のライオン」までの頃の奴。
同時発売は泉谷しげると山崎ハコと何故か大滝詠一。¥1600+税 60代になって何を聴いているかというと、今でも岡林信康を聴いている。
洋楽では今でもロ−リング・スト−ンズを聴いているように。
それから岡林師の影響を受けて宗教音楽、讃美歌、聖歌、ゴスペル等も聴くようになった。
子守唄にはシュ−ベルトも聴いている。 最近のシンガ−ソングライタ−たちの作る歌は、すっかりガキ向けになってしまい全く面白くない。
ただ岡林信康をリスペクトしている新人シンガ−ソングライタ−文月メイには注目している。 東京のアオイスタジオから7月の岡林公演連絡ハガキが到着。
昨年末の日比谷公会堂公演アンケートをまじめに書いた人に
送られているようだ。
こんな事、2007年まで毎年春にやっていた
岡林さんの京都公演をやるイベンターさんが
送ってきたハガキ以来、久々だ。
2007年日比谷野音から大きな公演場所が多かったが
ようやく元の規模程度になるのかなぁ? 渡辺茂樹氏も逝去。ご冥福を。60代のミュージシャンが
バタバタ逝くので大滝含め過去にいっしょにやった人の
名前が出るとつらいですね。御大は長生きしてほしい。 今年は札幌エゾジャズ祭りには出るのかしら。
昨年は席選びに失敗したので今年あるのなら見やすい席にしたい。 >>616
チャッピーが岡林のアレンジを行ったきっかけって、何だったんだろう。
60年代後半のGSとフォークの時代だったら絶対に水と油だったはず。
R.I.P. 元Hi-Fi-Setの山本さんも60代で急逝。(山本潤子の旦那)
前身の「赤い鳥」は関西発でURCレーベルとも
少々縁がある。「竹田の子守歌」の縁も。
葬式には分家の「紙ふうせん」も来て
「赤い鳥」に近い形で歌ってくれんかな?
次が岡林さんって事は…あってほしくない! 先日のNHKラジオ深夜便で岡林の「月の夜汽車」をオンエアー ヒロ伊藤氏(カメラマン)が5月11日に亡くなりました。
1946年8月生まれで岡林と同じ歳でした。
事故で左腕を失ったハンデを周囲の人々には感じさせず、多くのミュージシャンのアルバムジャケットや写真集を手掛けました。
岡林に関しては川仁忍氏が亡き後、アルバム「ストーム」以後の全てのアルバムジャケット写真を撮影されました。
1991年、岡林がモンゴルに訪れた際にはバンドメンバーと共にツアーに同行しました。
1993年には地上波で岡林との友情を描いたドキュメント番組が放送されました。(テレビ東京)
自分も一度コンサート会場でお見かけしたことがあります。二人のカメラマンの友人を亡くした岡林の現在の心境はいかがなものかと思っています。
心よりご冥福をお祈りいたします。 九段会館、遂に取り壊しへ
老朽化に耐震補強コスト高い事など
戦前は「軍人会館」で、戦後はGHQの接収を受け、
占領終了後は日本遺族会が国から借用していた。
今後は多目的利用が出来るものに改築する。
日比谷公会堂もかなり古い建物だから、いずれ改築話が出るだろうな。 九段会館て311で卒業式死亡事故が起きたところか
まだあったのか 6月14日Weekly biz、ガチ!bout170 文月メイのインタヴュー記事の中で
文月メイが影響を受けた日本のアーティストの筆頭に岡林信康の名前を挙げている。
そういえば彼女のデビュー曲「ママ」は、どことなく岡林調である。 昨年出演された札幌大通り公園のテント会場のエゾジャズ祭りに今年は
出ないようです。
ジャズじゃないのに出ていたのが謎だが、年上のおっさんおばさんに囲まれて
料理食べながら楽しかったわ 9月の栃木県のチケットが今日発売らしい
http://www.nasu-hh.com/2014/okabayasi.html
札幌はともかく、本州の東京から北って岡林は何年振りだろう?
25年ぐらい前、大宮駅近くの新星堂でアナログLP「狂い咲き」を買ったら、
レジのおっちゃんが嬉しそうに「若いのにこういうの聴くんだ、
実はボクもこのライブの時、野音に観客でいたんだよ」と話してくれた。
新星堂みたいなチェーン店のレジで、個人的な話をするレジの定員なんて
めったにいないので凄く印象に残っている。
もうこの方も定年を過ぎただろうし、大宮の新星堂自体なくなってしまったが。 >>630
9月に栃木で公演…
7月は秋川(東京都下)で公演。
なんか、また小さめの箱でやる方向に戻ったのかな? 栃木かあ・・・遠いなあ。でも今まで一度も生歌を聴いたことが無いから行きたいなあ〜 7/13(日)東京都下・秋川公演
ぴあなどの扱いでないから、会場へ電話予約してチケット予約した。
オペが言うところ、今回は本人含めて、ピアノが入る6人編成との事。
そうなると、今回はDr.K BANDは入らず、エンヤトット組だけかな?
岡林さん、故・大瀧詠一宅も近いから、寄っていくかなぁ? 秋川って渓谷があるところかな
東京在住者でも行ったことある人少なそうなところだね
路線図見たら八王子までわりと近いし、とんでもない所でもなさそうだ このおっさん、もっと政治臭いおっさんだと勘違いしてたよ >>635
昔はいろいろ言われて傷ついたからね。
今は時代をちょっとおちょくる程度ですよ。
そのへんは公演行って、MCを聴いて下さい・ 今日ライブか
何人ぐらいお客さんいたか行った人教えて >>637
秋川きららホール(キャパ702人)公演
当日券の販売が多いタイプの公演ですが、
満席にはなりませんでした。600人ほど。
16:35開演→18:55終了
最後尾にデジタルコンソール(24ch)と
と集音マイク設置して、公演をライブ録音
していたようだ。
チケット代が安いので、Dr.Kの3人は出演なしで、
2007年以前の小会場公演に近い雰囲気となった。
前半は平野さんとアコースティックセット(+ピアノ)。
後半はエンヤトット大会だが、始まり「お祭りマンボ」から
恐ろしいくらいに盛りあがった。
「山谷ブルース」で遊ぶ岡林さんも久々に復活した。
ENはピアノ伴奏で「自由への長い旅」
(岡林さんはギター弾かなかった)と
エンヤトット「今夜は朝まで踊りましょ」の2曲。 >>636 でも手紙とかチューリップとかは頑なに歌わないって聞いたけど チューリップのアップリケはよく歌っている。
私達の望むものはと手紙は一生歌わない。 この1年ライブを聴く機会がないので今夜は朝まで踊りましょのDVDを
久々に見てる。
20年前から同じことやってるのか・・・
ルックスは今のほうは渋くていい ローリング・ストーンズは81年の刺青の男のツアーからほぼ同じ事を演ってる 質問
岡林信康URCシングル集+8 DISC 2 12曲目の「私たちの望むものは」の
音源だけ歌詞カード書いて無いので、どなたかご存知ですか?
イントロで鈴木茂?のギターで始まるバージョンです。 >>647
CDの帯には(1971.3.29アオイスタジオ)と記入されているので
いわゆるボツになったテイクではないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています