あゝ戦前の男性歌手! 第2ステージ
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演歌師、浅草オペラの人々、流行歌手、軍歌歌手、歌う芸人、
懐メロブームで復活できた人、できなかった人など、様々な
「戦前の男性歌手」を語り合いましょう。
前スレ
あゝ戦前の男性歌手!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1118835187/ タイヘイは大ヒット曲がどの歌手も出せなかったのかな。
北廉太郎もポリドールに行ってヒット曲が出せるようになったね。
わずか2年間だったが。 元々ニットーレコードには東海林太郎と林伊佐緒が居た
だが結局他社に移籍してから芽が出てスター歌手になった
いずれにしてもニットーがタイヘイに吸収合併される前のこと 林伊佐緒のマイフレンド時代はニットーにいた頃かな。
でも、林は歌手というより作曲家のイメージが強い。
ヒット曲に限れば、自身が歌唱してヒットした曲よりも、作曲家として他の歌手に提供してヒットした曲の方が多いでは。 タイヘイには、スター歌手はいたんだがな。
ジャズに力入れてたし、良かったんだが。
戦前だから、あまりモダンな歌はウケなかったのか? 日本調は、そんなに実はないんだよな。
浪花節歌謡は日本調か。 戦前は芸者歌手が多かったね。彼女らはほとんど日本調。
男性歌手だと東海林太郎と高田浩吉ぐらいか。 鶴田六郎氏の「長崎の精霊まつり」を手に入れたのですが、歌詞が二種類あるのですか? 上原は股旅とか戦時歌謡のイメージ。
バタヤンはマドロス。 >>709
股旅ものも一種の日本調では?
バタヤンもデビュー曲は股旅ものの「大利根月夜」で、いきなり大ヒットしたし。 股旅ものと日本調は別物と思っていたが、よくよく考えたら同じなんだね。
伴奏に三味線が入るときもあるし。
ポリドールは股旅ものを含む日本調の宝庫だね。 戦死しなかったら、戦後も大活躍してたね。
戦後も死なずに生きた戦時歌謡歌手の小野巡や塩まさるは、戦後はパッとしなかったが、
上原はむしろ戦後向きの歌手だったろう。 上原が応召される頃には全盛期に魅せた美声は既に失われていた。映画出演や皇軍慰問などのハードスケジュールで体調を壊して薬を多用したのが原因というが、メンタル的にも辛いものが重なったのでは。
特に皇軍慰問で赴いた戦地での惨状を目の当たりにして、スターとして色々と控除される事が心苦しくなっていたらしい。
そんな状態で万が一、生きて戦地から戻ったとしても、再びマイクの前に立てただろうか。 上原のたより物の末期「仏印だより」を聞くと、確かに声は荒れてはいるが、歌唱力が落ちた訳ではない。
むしろ、渋みが増したとも言える。 バタヤンもポリドールからデビューした当初、東海林太郎と上原敏の先輩達に倣って丸眼鏡をかけた姿で唄ってた。
ホントはバタヤンの不自由な片眼をカモフラージュするために会社側が眼鏡をかけるよう指示したんだけどね。 上原敏さんは、戦後の活躍は難しかったと思う。声も歌唱も。 上原敏は戦死して落ちぶれた姿をさらさなかったから、それはそれで良しとするしかないか。
同じポリドールの北廉太郎も亡くなるのは早かった。昭和15年に20歳で死去。 ポリドールは北廉太郎の急逝以降、歌手層の厚みが急激に薄くなったように思う。
東海林太郎が昭和16年にテイチクへ移籍、近江志郎(近江俊郎)も同年退社、翌17年には上原敏が出征と、スター歌手がバタヤン以外続々と消えていった。
そう云えば女性歌手も結城道子が消え小林千代子がタイヘイに移籍、青葉笙子も結婚引退して、目玉はアイドルスター高峰秀子ぐらいしかいない。 確かポリドールは戦後の一時期、国内流行歌の発売を停止してたはず。
>>720の指摘の通り、スター歌手がいなくなっちゃったのね。
バタヤンまで戦後はテイチクに行っちゃうし。 戦後しばらくは昭和22年から25年にかけて細々とリリースしてたけど
残留した戦前からのポリドール専属男性歌手は三丁目文夫ぐらい? 東海林太郎は戦後ポリドールに復帰して
「鴛鴦道中」のリメイク盤や「さらば赤城」を出しましたね 東海林は戦後、ポリドールの他にいろんなレコード会社を転々としていた。
ヒット曲も戦前のようには出せず、忸怩たる思いだったろう。 ポリドール、如月俊夫がいたじゃない。
近江志郎は戦前はほぼ無名だったからスターとは言えないわな。 鶴田六郎氏の曲では何が好きですか?活躍されたのに一般的に知名度が低いのは何故ですか? >>727
やっぱり後世に残る大ヒット曲がないからでしょ 鶴田六郎には古賀メロの名曲「港の恋唄」がある。それしかないと言えばそうだが。
同系歌手に高倉敏がいたが、彼も目立ったヒットがない。強いて言えば「恋のマドロス」ぐらいか。 カラオケにも鶴田六郎は入ってないしそういう要望も寄せられないほどなんだな 鶴田六郎は、昭和40年代の懐メロブームに乗れなかったのが大きいわね。
テレ東のなつかしの歌声には出たことはあるけど、レギュラーではなかったようだし。 鶴田六郎や高倉敏は地方自治体や企業のPRソングを多数吹き込んでいる。要はレコード会社に便利に使われてしまったんだと思う。
高倉敏はソロデビューしてからも暫くはコロムビアリズムボーイズ→日蓄男声合唱団の一員として活動してたようだし。 高倉敏は昭和30年代初頭に胃ガンで亡くなっている。懐メロブームには間に合わなかったのよね。
鶴田六郎は平成初期まで生きていたわ。
高倉も鶴田(苗字だけ見ると東映仁侠スターみたい)も、当時歌手志望だった作曲家の市川昭介を内弟子にしていたわね。 >>733
昭ちゃん先生はベテランだが売れっ子ではない歌手2人の付き人をしてたんだね。
だから歌手が売れるためにはヒット曲を生み出さねばならない、万人にうけるヒット曲にするにはどうするか客観的な観点で研究もしたんじゃない?
だから都はるみの演歌から「イルカにのった少年」のようなアイドル歌謡、「ハクション大魔王」などのアニメソングまで幅広く作り出せたのかも。
師匠2人を反面教師として… まぁそんな深い考えがあったかどうだか知らんが、独学で作曲を会得、分かりやすい曲を作ろうと心掛けていたという。 「長崎の精霊まつり」・「天下の為さん」も売れなかったんですか? 鶴田六郎のヒット曲とされるのは、「港の恋唄」のみと言われている。
「天下の為さん」は紅白出場曲だったかな。
鶴田は、実演ショーではすさまじい人気を誇ったが、その割にはヒット曲が少ない珍しいタイプの歌手だろう。 鶴田さんは、懐メロブームの時はまだまだ現役で出来ていたよね。
戦前にもヒット曲あるじゃん。 >>737そうなんですか。ビクター時代の「カタカナ忠義」等もヒットしたと思いましたが。18曲入りの復刻CDも発売されているのでヒット曲が多数だと思っていました。 歌唱力はあるから、実演では自分の持ち歌以外に他人のカバーも歌ってウケたんじゃないの?
今でもインストアライブとかでよくあるわ 鶴田六郎は、晩年はたまに請われて市民講座のカラオケ講座の先生をしていたという。
第一線を退いても、少なからず歌には関わっていたようだ。 訂正で、映像は「港の恋唄」が昭和歌謡大全集で一度だけ流れただけですね。2コーラスだったのでしょうか?声量や容姿はどのような感じでしたか?「長崎の精霊まつり」・「天下の為さん」もなつかしの歌声では放送されたようです。 >>743
その回の昭和歌謡大全集を見たことはある。
確か、鶴田が亡くなったばかりで、司会のコロムビアトップは
「鶴田六郎さんね。ようがしょの六さん。例えば飲みに行く?と聞くと、ようがしょ(OKの意味)、と返事をよくしたから、ようがしょの六さんって呼ばれてた」
と鶴田のエピソードを披露していた。
さらに「高倉敏の元を離れた当時歌手志望の市川昭介を、ぼくが紹介して鶴田さんの所に行かせた」
みたいな主旨の発言もしていた。
歌唱映像は、見るからにオッサンで(年齢を考えればしょうがない)衣装も普段着。ステージ衣装はすでに持ち合わせていなかったのだろう。
ただ歌唱力は健在。声も伸びがあるし、見た目より劣化はしていなかった。 ↑あの時はまだ鶴田さんは存命だったよ。
衣装はマドロス風だったよ。 >>747有難うございました。YouTubeに上がったことはないんですね? YouTubeにも一度上がってたような気がする。
私はビデオに録画したんだが、YouTubeへのアップ方法が分からんのですよ。 >>749そうですか。解りました。私もVHSはアップしたことがないです。 霧島昇の歌声癒されるね。特に一発の珈琲からいい曲だなあ。 鶴田さんが元気な時に、年忘れ〜や思い出の〜に出て欲しかった。
晩年は渋かっただろうなあ。
テレビ局は、そういう貴重な歌い手に出演依頼しないんだよな。 >>752
鶴田浩二は映画の大スターだし気難しくて自分だけ特別扱いして欲しそうだから出るのは無理だったよね
…と思ったけど、この鶴田さんはたぶん六郎のほうだねw 高倉敏がリズムボーイズのメンバーからソロに転じて間もない頃の歌声「青空に歌ふ」
https://youtu.be/v1zGZVtledQ
若く伸びやかな歌声、戦時下とは思えない明るい青春讃歌で、戦争さえなかったらこういう青春歌謡路線でもっとモダンな楽曲を歌えたはず。 関係ない話だけどクレヨンしんちゃんでしんのすけたちが童謡を歌うCDがあって園長先生が「大きな古時計」を歌ってるんだけど、園長先生の歌声を聴くと中野忠晴を思い出した >>751
それも好きだけど、「胸の振子」と「サム・サンデー・モーニング」が大好きだ。 https://goo.gl/FAWbVt
この記事って本当なの、、?
ショックだ。。 胸の振子は名曲だよね。霧さんの歌唱がまた素晴らしい。 白虎隊は、藤山一郎と霧島昇が歌ってたけど、霧島昇の方が好き。 https://m.youtube.com/watch?v=F3RDyxgI46U
戦後初期にポリドールで活躍してた平野繁松の詳細が全くわからない
民謡歌手と思われるが代表曲はドンパン節しかないのか >>754
なんか池真理子の「愛のスウヰング」に似た曲調だなと思ったら、作曲者は同じ平川英夫だった。
この方、服部良一のお弟子さんなんですね。
昭和21年に発表された「愛のスウヰング」も、敗戦直後の混乱した世相を思わせないカラッとした明るい曲。 貝塚正という歌手がいます。
発声が素晴らしい。
今でもお元気かな? >>763
1898年6月29日生まれで、1934年4月12日没だそうです。 ↑詳しいですな。消息分かるなんてビックリ。
しかし、貝塚さん、若くして旅立たれたなあ。 SPレコードのアーティストという本に生没年が乗ってるからそれを写しただけだよ。 演歌師、浅草オペラの人々、流行歌手、軍歌歌手、歌う芸人、
懐メロブームで復活できた人、できなかった人など、様々な
「戦前の男性歌手」を語り合いましょう。 語り合おうとしても、もうネタ切れか?
北廉太郎や三丁目文夫、一色皓一郎みたいなマニアックな歌手までもう出ちゃったし。 既に散々語られてるんだろうけど二村にハマってる
青空やアラビヤの唄あたりは知ってたんだけど百萬園やヅボン二つが面白い >>770
おめでとう!
前も誕生日に書き込んだ人かな?
二村定一、最近聞き始めたのでびっくり >>768
まだ語り尽くしてはいないよ。
北廉太郎についても、もっと考察出来るし >>771
終戦前(昭和20年8月15日以前)までと違うの?
もっとも、終戦直前は連日の空襲に2度の原爆投下と国内が大混乱して、たとえ軍歌や戦時歌謡であっても歌ったり聞いたりする余裕なんてなかったと思う。 北廉太郎はCDがあるしまだ語り合うネタになる
二村とかの昭和初期も好きだしね。
戦前は戦争前までだから昭和16年12月7日までが戦前?
それとも日華事変の昭和12年までになるの? >>775
戦前・戦中・戦後に分けたら、戦前は大東亜戦争前までに当てはめるのが妥当かも。 そうだよ。松島詩子の夫。
道頓堀行進曲、紐育行進曲くらいかな。CDて聞いたのって。
ほかにジャズソングのレコードつてあるのかな。いい声だからあるんなら聞いてみたい 私の青空~二村定一ジャズ・ソングス
ニッポン・モダンタイムス シリーズ~SWING TIME~
この2つがツタヤのネットレンタルで借りられるとはいい時代になったもんだ
両方ともAmazonで在庫なしだったからとりあえず借りてみたが良かったな 内海一郎、聴いた事ないなあ。
CDなんてないよね? 戦前からの歌手で存命なのは、三丁目文夫と志村道夫だけ?
現役歌手はいないよな。 菅原都々子も戦前から歌手でしたよ。
子供の頃から歌手でしたから。 すいません、スレタイ戦前の男性歌手でしたね。
女性では小笠原美津子さんが最高齢だと思われます。
https://m.youtube.com/watch?v=GtuzQRgBGkg いえいえ。こんな時代だからこそ、色んな情報知りたいです。
男性で現役の歌手はいませんかね? テイチクがSPの金属原盤をジャンクしてしまった事を、このスレッドで知った。
道理で 楠木繁夫やディックミネの復刻盤で酷い音質のが混じってるのか。 テイチクはノイズ多いよね。
まあ、あのノイズが味があるんだが。 詳しいなお前ら
アメリカなら30年代や40年代の有名な歌手や曲がたくさん思い浮かぶが
戦前の日本の音楽は本当に知らないな 東海林先生のCD買いましたよ。
選曲が良いよ。
これからの時代は、ヒット曲以外の復刻の方が売れるかも。 東海林太郎のCD、曲目解説に一部間違いがあったけど、良かった。
すみだ川が発売されたのは、昭和12年だよね? 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8CXYD 林伊佐雄さん、凄いじゃないですか
マスコミが無視し続けたので、最近知った。 >>797 もべーちゃんもおめでとうー
べーちゃんのおすすめがあれば教えてください 先日『武田鉄矢の昭和は輝いていた』でなつかしの歌声で歌われた鶴田六郎の『天下の為さん』が放送されたのですが、同日の『港の恋唄』はハンドマイクですか?スタンドマイクのセットでしたが! ↑港の恋唄は、ハンドマイクだよ。
前に放送された。
しかし、鶴田さんは美声だよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています