あゝ戦前の男性歌手! 第2ステージ
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演歌師、浅草オペラの人々、流行歌手、軍歌歌手、歌う芸人、
懐メロブームで復活できた人、できなかった人など、様々な
「戦前の男性歌手」を語り合いましょう。
前スレ
あゝ戦前の男性歌手!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1118835187/ 強烈な個性の歌手っいうとやっぱり限られてくるのかな。
藤山一郎、楠木繁夫、東海林太郎、上原敏、伊藤久男、霧島昇、中野忠晴、徳山l、灰田勝彦、ディックミネ、二村定一、榎本健一、‥‥
そういう連中と比べたらマイナーな歌手を漁っても獲物は少ないな。
一地方で騒がれてる横田良一だって、そんなめちゃ上手いわけじゃない。 別に個性がなくても、一流の人は一流なんじゃないの。
藤山一郎は個性はないように思えるが、逆に個性がないという個性があるのかな。
生きているならともかく、亡くなった歌手はマイナーなら尚更忘れ去られていく。 ディックミネの暴露本にあった名前がゴロゴロ出てくるな
あの本はスキャンダルというより歴史的資料だ >>554
霧島昇の晩年の話は胸が痛んだ。
ヒロポンは怖いね。
ヒロポンを ポンと打ったら ポンと死に 松平晃なんか藤山一郎の良きライバルとして現れて昭和10年前後はコロムビアのヒットシンガーだったのに何時しか後進の霧島昇らに追い抜かれ、藤山一郎がコロムビアに移籍したのと入れ替わるようにマイナーレーベルのタイヘイに移ってしまった。
程なくタイヘイは日米開戦に伴い富士音盤(キング)に統合されて松平晃は新譜が出せなくなり、戦後も単発的にレコーディングしたが様々な不幸が重なって歌手生命が潰えたのは残念。
決してマイナーな歌手ではなかったし唄うジャンルも広いし戦争まで時間があったのに、何が理由で精彩を欠いていったのかな? 運がなかったのかな。
松平のピークは昭和13年ごろまでで、仰る通り霧島昇の台頭やら藤山一郎のコロムビア復帰やらで、落ち目のようになったが、松平も腐らないでそのままコロムビアに粘っていれば、また違っていたのかもしれない。
破格の移籍金を用意されたからと言って、なぜタイヘイレコードになんて行ったのか…
結局はやはり運がなかったんだろうね。
戦後のブラジル巡業からの云々も彼の運の無さから来たものとしか思えない。 >>557
ただ単にヒットが出せなくなっただけじゃなくて、何か理由があって干されたのかな。
映画で共演した市川春代とのロマンスが破れて自殺を図り、その後も同じく映画で共演し「花言葉の唄」をデュエットした伏見信子とスピード結婚&スピード離婚を引き起こすぐらいスキャンダラスな人物だったようだし。
中国戦線へ慰問に行った際に現地で流行してた「何日君再来」を気に入り帰国後レコーディングしたもののお蔵入りされ、渡辺はま子が吹き込み直したバージョンが結局世に出たのも彼が干されていた証なのかもね。 >>546
三丁目文夫、上手いと思うよ。今の時代、あれだけ歌える人はいない。
まあ、地味だというのは同意だ。 松平晃はニットーに吹き込み始めた時から「女性問題で東京音楽学校を退学になった」と噂されたくらいだからそれで世間を狭くしたのかもね。 霧島昇の妻、ミスコロムビアこと松原操もヒロポンに蝕まれた。終戦直後に旦那とデュエットした「三百六十五夜」のボロッボロな歌声はホントに痛々しい。彼女はこれを最後に人前で唄うことはなかった。
楠木繁夫と三原純子夫妻もヒロポンに蝕まれて歌手人生どころか人生そのものを夫婦ともども縮めてしまった。 なのに、今でも覚醒剤に手を出す歌手がいるのって、悲しいよね。 真面目な霧島さんがヒロポンに手を出したのが不思議じゃない? >>564
当時は疲労倦怠感を取り除く市販薬としてフツーに売られてたからハードスケジュールに追われる歌手や芸人の間に広まったのが悲劇のはじまり。
決して今のノ○ピーやAS○Aのような快楽目的とは違うよ。 そう、当時はヒロポンが現在の栄養ドリンクと同程度の認識で使われてた。 そうなんだ?じゃあ、ヒロポン中毒になった人は気の毒じゃん。
ディック・ミネさんなんかは遊び人だったが、ヒロポンには手は出さなかったんだな。 昔、ヒロポンは薬局で「ファイト一発」みたいなキャッチフレーズで売り出されていたから、割と気楽に手を出していた人も多い。
一方で、賢い人はこの薬はヤバいと認識し、手を出さなかった人も少なくない。
ディックミネは後者なんだろう。あと、女に手を出すのが忙しくて、ヒロポンどころではなかったのでは。女のポンポンで大満足? もともとヒロポンは戦時中に軍隊や軍需工場に出回っていたが、それは兵士の士気高揚と労働者の増産に向けた突貫作業を促すためだった。
慰問のために軍隊や軍需工場を訪れた歌手や芸人たちも、ハードな旅まわりで積み重なる疲労といつ空襲に遭うか分からない極度の不安や緊張におそわれる中、現地でいわば嗜好品のように勧められるうちに身体が求めるようになり、終戦後薬物中毒に陥ってしまった。
二葉あき子でさえ舞台公演中、声の調子が悪くてついヒロポンを打って乗り切ったことがあったが、ひどく後悔して二度とヒロポンに頼らなかったらしい。 とすると、霧さんはずっとヒロポン中毒だったって事? デカいアノ方の本によると、医師がいうにはヒロポンの副作用というのは二十年から二十五年ぐらい後で出てくるらしい。70歳前後になって内臓ヤられて皆バタバタ死んでいったんだって。
霧島昇は亡くなる前に錯乱状態に陥った。 錯乱状態になった割にはテレビは普通だったような。
大晦日も出演していたしなあ。 霧島の錯乱状態は最晩年だったらしいから、昭和59年に入ったあたりからかな。
昭和58年の大晦日の年忘れが最後の年忘れ出演だったはず。
藤山一郎は、そんなものには手を出していない…はず。 そうなんや?
霧さんの奥さんは大丈夫だったんかなあ?
ヒロポンがなければ、霧さんの歌手活動は更に続いたかも。 >>574
ナニがデカい人の暴露本によると、霧島昇が錯乱しだした頃に松原操も同じように頭がおかしくなった。んで、夫婦そろって庭の木によじ登るんだって!?
結局、霧島昇が亡くなって程なく、松原操もこの世を去った。多分ヒロポンを打ちはじめた時期が同じだったんじゃないか?
当時珍しい中出し婚で結ばれた2人だし、ヤクを打ってイロイロと‥ しかし、デカい人はよく裏事情を知ってるね。
デカい人は霧さんとは親交なかったろうに。
おしどり夫婦も、晩年は大変だったんだな。 ミネはその頃、日本歌手協会の会長だったから、会員歌手との接点は何かしらあったはず。
おしどり夫婦だったからこそ、夫婦で仲良く錯乱してたわけだ。 それでも霧島松原夫妻はまだいい方。
同じくヒロポンに手を染めた楠木三原夫妻に比べたらね。 西日本新聞HPに九州にゆかりのアーティストの足跡を追った「九州近代歌謡遺聞」という連載シリーズがある。
その昭和流行歌篇が松平晃の特集だったが、これを読んで驚いたわ。
http://www.nishinippon.co.jp/feature/kayouibun/article/32967
いくら軍歌や戦時歌謡に自分の声が合わないからといって、何も浪花節に凝って喉を潰さなくても… ぐらもくらぶのCDに松平晃の歌が入ってたな。「酒くめど」って藤山一郎の「我は旅人」と同じ歌なんね。こっちのは初めて聞いた。どっちもいいが松平のは生涯を知ってると悲しい感じがするね。 松平晃さんは、戦後はシャンソンなどに興味を持っていた。
松平さんのシャンソン、聴いてみたかった。 松平晃は日本国内で終戦をむかえ、その年の大晦日のNHKラジオ「紅白音楽試合」にも出場して「花言葉の唄」を歌った。
藤山一郎が翌年夏ジャワ島からやっと帰国したのに比べて一足早く幸先のよい再スタートを切ったはずなのに、レコード会社との再契約もままならず又くすぶってしまった。
ちなみに藤山一郎は帰国後すぐにNHKラジオに出演、「銀座セレナーデ」などでレコーディング再開、さらに「夢淡き東京」をひっさげて映画出演までこなす忙しさだった。 戦前の芸者歌手スレで松平晃のエピソードを見つけたけど、市川春代との恋が破れた時は睡眠薬で狂言自殺を計ったり、レコーディングに遅刻して途中突然泣き出したりムチャクチャw。
とにかくエキセントリックで恋多き男性だったようだね。そりゃ段々使いづらくなって業界での立場が悪くなってくわ。 そういうエピソードは面白ければ面白いほどうかつに信じられないけどね。特にネットの情報は眉唾の姿勢もないと。 古賀政男と恩師・江口夜詩の確執に松平晃が巻き込まれたエピソードは有名だけど、松平さんはその恩師との関係も一時マズくなったみたいだね。
お互いコロムビア在籍中なのにある時から松平さんの歌う江口先生作品がなくなってるし、昭和25年にコンビ復活するまで時間かかってるから、そう推測するんだけど。 え、古賀と江口の騒動に松平さんが巻き込まれたって、どんな事件? 昔の歌手の醜聞は耳目を集める為に誇張されてる部分も大きいと思うけどな
ミネさんの後世に残る大仕事が暴露本になるとはなあ >>586
海軍軍楽隊から東京音楽学校に進んだ音楽エリートの江口夜詩に対して、明治大学マンドリン倶楽部出身の古賀政男は強烈な対抗心を持っていた。
「影を慕ひて」で古賀-藤山コンビが生まれたように「忘られぬ花」で江口-松平コンビも生まれた。そこへ藤山一郎が学業優先でレコーディング活動を休止、窮地に立った古賀は「サーカスの唄」を藤山の代わりに松平に歌ってもらい大ヒットしてしまう。
そして松平をめぐって古賀と江口が取合い、三角関係に似た状況が一時期生まれたが、結局、松平は江口を選んだ。やがて古賀はテイチクへ移籍、古賀が松平と組んだのは「サーカスの唄」を含め数曲にすぎなかった。 >>588ありがとうございます。
しかし、松平晃を取り合う必要があったのか?
同じレコード会社なのだから、江口とも古賀とも組ませれば良かったのにね。 奥田良三氏のCDが欲しいが、売ってないね。
半分クラシックの世界にいた人だから、振り返られる事が少なくて残念。 奥田良三が所属したポリドール=ユニバーサルミュージックは復刻版の制作販売に消極的な印象がある。 奥田良三を特集した番組がNHKでやるらしいね
4月11日の午前5時40分から約10分 おお、それは凄い!
ポリドールは、なぜ復刻版出さんのかなあ?今ならまだ買う人いそうだけど。 ユニバーサルから4枚ばらばらで出るね。
ジャズ編、クラッシック歌曲編、軍歌編、流行歌編とジャンル別なのがうれしい 私も探すよ!
マイナーな歌手のベスト版も出してくれんか?
如月俊夫なんて美声だよなあ。 4月に他界した戦前歌手、多いね。
季節の変わり目だからなあ。 松竹映画「純情二重奏」に、コロンビアの歌手が総出演。
中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇らの歌っている姿が見られます。 日活多摩川オールトーキー第1作といわれる「花嫁日記」にも松平晃がダンスホールでの歌のゲストで登場してる。
ホントは最初の嫁、伏見信子と俳優として共演した「初恋日記」を見てみたいが、新興キネマ作品は戦前の日活作品以上に残ってないからなあ。 「純情二重奏」は今ようつべにうpされている
消されないうちに見た方がよい 藤原義江の素晴らしい容姿と歌声が、松竹映画「撃滅の歌」で見られます。
ただし戦争末期に作られたムチャクチャな戦意高揚映画で、昭和20年3月公開されてます。
主題歌の鬼畜米英撃滅の歌は、作曲・山田耕作、作詞・野口米次郎、歌・藤原義江と超一流の顔ぶれなんですが、
時代とはいえ、聞くにたえない・・・歌でした。 日系2世のリキー宮川はジャズシンガーとして
活躍する一方、PCL映画に俳優として数本出演している。
エンタツアチャコ主演の喜劇映画「あきれた連中」から成瀬巳喜男監督作品「サーカス五人組」まで幅広い。
だが昭和12年の支那事変勃発以降は資料を見る限り目立った活躍をしていない。4年後の日米開戦までディックミネや灰田勝彦のように花を咲かせる余裕はあったのに。
日米開戦後は軍属として南方に派遣され、米英軍捕虜の通訳を担当したとか。終戦後は不遇で酒に溺れ、昭和24年に大阪の十三で38歳の若さで没した。 >>609
恐らくひどいアル中だったんでしょうね。
アメリカ生まれのモダンボーイが戦争で芽を摘まれ、追い込まれ、
戦後再びジャズが歌える世の中になったのに返り咲くこともなく、
不遇のまま十三(じゅうそう)のような大阪の場末で死ぬなんて… 戦前派の生き残りも少なくなったな。
時代と言えば時代だが、寂しいわな。 いままた、新しい戦前が始まる…
昨今の国際情勢をみてると、そんな気になるね となると、新しい戦後には世界中の人間はあらかた死んでるんじゃないのかね。
戦争テクノロジーが先の大戦より格段に進化してるし… 軍国歌謡を歌える歌手がいないね。
小野巡も筑波高もいないし。 塩まさるもね。
もう戦時歌謡を聞いて共感できる世代も少ない。
歌は世につれ… >>616
3日遅れですけどオメデトウございます。
べーちゃん(二村定一)も生きてれば115歳なんですねw >>618
二村定一ファンになったのは今年になってからなんだけど
同じ誕生日だと知って狂喜乱舞しましたw 二村さんの魅力は、何だろう?
根強い人気があるね。 二村定一を含めて昭和初期、それもヒトケタに活躍した歌手には華(はな)やかさと共に儚(はかな)さを感じるわ。
昭和10年代になるとモダニズムが洗練されてヒトケタ当時の楽曲も歌唱法も古くさくなるし、後半は戦時体制下で最早受け入れられなくなってしまう。
二村が戦争末期に満州へ渡ったのは酒が飲みたいからだけではなく、やはり国内では居場所がなかったからだろう。結局、満州ではソ連軍の侵攻に遭って命からがら日本に逃げのびるハメになったが。 鶴田六郎氏の「長崎の精霊祭り」の裏面の曲は何ですか?インターネットの、どこにも情報が有りません。 >>622
A1238 流れの子守唄(作詞 石本美由紀 作曲 上原げんと 唄 永田とよこ) コロムビアのLP全集付録冊子のデータからなので
現存数とかはわかりません。 二村定一の歌い方は、力みがなくて嫌みなテクニックもなくて、それでいて歯切れが良い。
もうあんな歌い方ができる歌手は出ないね。 >>624
たまにある。
専門店とかネットオークションをチェックするといいよ 鶴田六郎、シブいなあ。晩年、歌の教室で教えてたんだよね。 >>629
作曲家の市川昭介が歌手を目指していた頃の師匠だよね。
港の恋唄ぐらいしか知らないが… >>631
巨根歌手とかチンポミネとかさんざん書かれてたからなw >>630
港の恋唄が代表曲なんだろうね。
ユーチューブで戦前の歌も聴けるよ。 「懐かしの昭和メロディ」
12月24日 テレビ東京 19:58〜21:54(途中中断あり)
VTR出演
美空ひばり、川田正子、鈴村一郎、菊池章子、ペギー葉山
松山恵子、村田英雄、植木等、高倉健、ディック・ミネ
服部富子、渡辺はま子、東海林太郎、霧島昇、加山雄三
錦野旦、山本リンダ、大場久美子、ジェリー藤尾、美空ひばり >>634
最初東海林太郎かと思ったが、彼は根はクラシックだから違うか。
高田浩吉は俳優だが、サイレント映画からトーキーに変わる際、訛りを矯正するために小唄を習っていた。
だから日本調歌謡がどの男性歌手よりも嵌まっていた。
正統な日本調歌謡男性歌手は、高田しか思い浮かばないかも。 井田照夫などどうかね。
井田照夫は「浪花節と兵隊」とか「都々逸と兵隊」というヒットを出している。
高田浩吉はたしかに日本調歌手としては申し分ないが所詮役者との二足草鞋だ。
純粋に日本調の歌謡曲歌手というなら井田照夫ではなかろうか。 井田照夫は高田浩吉ほど人口に膾炙されていない。確かに高田は歌手が本業ではないが…
弟子の鶴田浩二は吉田メロディーの影響もあってモダンな曲が多いが、鶴田の話題はここではスレ違いだった。失礼。 戦前のジャズ歌謡が好きなので、CDを買った。楽しみだな。 バートン・クレーン(現在の厚切りジェイソン的な人)の歌も面白いよ YouTubeにはあるね。CDもあるかもしれない。
バートンは特にうまいわけじゃないけれど、味がある。「夜中の銀ブラ」あたりは笑える。 バートン・クレーンは歌手として活動しながらジャパンアドバイザーの新聞記者も務めていた
厚切りジェイソンもお笑い芸人として活動しながらIT企業に務めてる
やっぱり厚切りジェイソンの元祖みたいな人だな 修正 ジャパンアドバイザーじゃなくてジャパンアドバタイザーだった バートンは程なくしてアメリカに帰っちゃうんだよね。戦後しばらくして再来日したけど、その時は歌手活動は一切しなかったとか。
一連のレコーディング曲は大ヒットとまではいかず、ナツメロアルバムにも収録されることも多くはない。
淡谷のり子とか天野喜久代などとデュエットした曲もあるのに、もったいないような。 テイチクから「杉狂児作品集」っていうCDを出さないのかな 杉さんは、俳優にしては上手いよね。
歌手としての人気はどうだったんだろう? もし出せるとしたら20曲くらい収録してほしいな
1 うちの女房にゃ髭がある(デュエット、美ち奴)
2 細君三日天下(デュエット、美ち奴)
3 のぞかれた花嫁(発禁盤)
4 のぞかれた花嫁(改訂盤)
5 あなた、なんだい(デュエット、市川春代)
6 ラグビー節
7 海のトンチンカン
8 恋の冒険(アバンチュール)
9 恋愛特急列車
10 道行シャンソン(デュエット、美ち奴)
11 ガッチリ貯金(デュエット、美ち奴)
12 この若さでね
13 若いチャイナさん
14 僕の武勇伝
15 全く満州いゝですネ
16 夢と兵隊
17 ニュースと兵隊(デュエット、塩まさる)
18 青春華(デュエット、ディック・ミネ、服部富子)
19 貴方しっかり(デュエット、美ち奴)
20 突撃サラリーマン あなたのあたし
↑これも良いよね。メロディーが素晴らしい。 >>650
これも良い歌なんだけど、これはコロムビアだからな… 杉狂児は老齢になってからもテレ東の懐メロ番組に良く出てたね。
歌い方はエノケンみたいな感じだったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています