>>797
1970年というのは川添浩史がなくなった年です。
その年の11月に三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地
で割腹したんだよね。三島は割腹の前日だったかな
キャンティに行ってる(youtubeのビデオだかで、かまやつひろし
が言っていたような。)
松任谷由実は54年生まれなのでそのとき、16歳。72年に「返事はいらない」
というアルバムをアルファレコードから出すことでデビュー(アルファレコードは
川添象郎と村井邦彦の会社。二人がプロヂュース)73年に「ひこうき雲」という
アルバムを出す。このとき、キャラメルママという
バンドがバックを演奏(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆から成る)。
このひこうき雲については
MASTER TAPE 〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る〜
で検索。
半年で、荒井由実は松任谷と付き合いはじめる。
だから73年に付き合い始めた。この時に
ユーミンは19歳
だから、松任谷の家がサロンになったときには
荒井由実はいなかったことになる。
どうやってそんな人脈を集めたサロンに
できたのかは謎。正隆は71年にはじめて
音楽家として活動しはじめる。(拓郎のアルバムに参加させてもらう)
だから父親が実力者だったということになるけど、
父親の功三郎は東京銀行の横浜支店長というだけだった。