コーセー化粧品歌謡ベストテンについて語ろう
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これは、俺の青春時代だった。
とくに、宮川先生そして、丸木陽子さんは忘れない。
みんな知っていることをかきこんでくれ。 ♪コ〜セ〜、ケショ〜ヒ〜ン、カーヨーオーベストテ〜ン♪
学校から急いで帰って毎週聴いてたよ。 77年の春から夏にかけて、よく聴いてた
覚えてるのは「恋愛遊戯」、「渚のシンドバッド」、「勝手にしやがれ」
「イミテーションゴールド」、「帰らない」など
当時はアイドルの曲より、おしゃれな楽曲が多くランクインしてた 資生堂とカネボウのタイアップ曲はランクインしなかったんだよね。不自然だった。 小学生の頃、母がよくこの番組をかけていた。
あるとき、「それでは、涙のリクエストです」と言って曲が流れた。
悲しい思い出の曲をリクエストするコーナーだと思って聞いていた。
やけに長いジングルだなと思った。
チェッカーズというグループを知ったのはそれからしばらく経ってから。 今でも、思い出すけど、丸木陽子さんってかわいい声していたなあ 懐ラ板のはまだ壊滅してんだな
まあ、間借するよりとしたらこの板ぐらいのもんか 中学生の頃、よく聞いてたよ。
>>5
そうそう(笑)。
「君の瞳は10000ボルト」とか「不思議なピーチパイ」とか、世間でヒットしてる曲がランクインしない(皮肉)珍しい音楽ベストテン番組。 コーセの前は三和シャッター歌謡ベストテンだったの
覚えてる人いますか ♪コ〜セ〜、ケショ〜ヒ〜ン、カーヨーオーベストテ〜ン♪
学校から急いで帰って毎週聴いてたよ。
↑
その前に、文化放送の、愛川欽也司会のベストテン番組がや、
ニッポン放送のオリコンのランキングを発表してた、
日産ラジオプラザもあった。
コーセーは、相本久美子が司会してたな。
何年か前、FMの開局特集か何かで、
終了した番組のりばいばるみたいなことやってて、
コーセーもやってた。
宮川先生が、鍵盤叩きながら曲の解説してたり。 演歌に縁がなさそうなFMだけど、大阪しぐれや帰ってこいよはランキングされた。
でも一際個性的なランキング番組であることは間違いない。 >>12
うっわ懐かしい!!
「ナンバァワンっ!!」
あの番組いつ終ったんだ?
まだ机の上にレコードプレーヤーが鎮座ましましていたわい。
コーセー化粧品のテーマソングは、
いまだに耳に残ってるよな。
80年代土日は、ラジオにかじりついてチャートをチェックしてた、
小学生から高校生、懐かしいですね。
>>11
♪さんんわー さんんわー さんわシャッター 歌謡ベストテンー でしょ。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1326746203&owner_id=7016333
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杉山清貴&オメガトライブや1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ/ソロ初期時の杉山清貴/菊地桃子 等のプロデューサーとしても知られております
トライアングルプロダクション/バミューダ音楽出版社長 藤田浩一 儀
かねてより病気療養中のところ 平成21年10月11日18時24分 享年62歳にて永眠いたしました
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます
なお通夜 葬儀は近親者のみで過日相済ませました
つきましては「藤田浩一さんを偲ぶ会」を下記の通り執り行うことと致しましたので ご参席賜りますようご案内申し上げます ご参列頂ける場合は、会場の予約の関係がございますため、 専用メールアドレス(shinobukai.1120@gmail.com)まで、@お名前、A携帯電話番号、B携帯メールアドレス等をご記載の上、本日11月4日(水曜日)一杯までに、ご連絡頂けますよう宜しくお願い致します 75年から宮川さんが辞める89年まで中抜けあるけど聴いてました
90年からはカウントダウンジャパン 今はラジオ聴かなくなっちゃったなあ ダーーイアトーーン ポップス ベストテン♪ も印象深い。
学校 半ドンで 超特急で帰宅して聴いてたよーーーん。 シリアポールな>ポップスベストテン
歌謡評論家(!)の伊藤強と宮川先生って声がちょっと似てて、よく混同した。
>>4
同世代乙w
当時はFM東京はオシャレだったからな、細川俊之のワールドオブエレガンスだっけ
とか。歌謡曲はAMという住み分けがあったのかな。
何だったか土曜のすぎやまこういちの番組では
カラオケコーナーがあってオリジナルの物を
流していたんだよな。結構録音したんだけど。 >>23
あったあったw 俺もとった
その番組のそのコーナーで「カラオケ」という言葉と概念を初めて知ったよ
世のカラオケブームの何年も前だよね 70年代半ばかな? >>22
俺が聞いてたときはセーラ・ロウエルで
「ハーイ、セラです♪」の挨拶で始まってた。
そういえばセーラはコーセーのCMに昔出てたんだよな。
スレチだが。 >>24
74年中ごろ〜77年初めくらいに録音したけど、以後の記憶がない
番組がなくなったのか、コーナーがなくなったのか オリコンでは小ヒットの夏女ソニア(コーセーCMソング)がこの番組だけは年間ベストテン入りwww 70年代後半から80年代前半のイメージはトーキョー、高層ビル、ニューミュージック、スタジオミュージシャン、クロスオーバー、ウォークマン、FMエアチェック、MTV、なんとなくクリスタル、etc
夢いっぱい腹いっぱいな日々だったね。
まだトーキョーが若者を魅了していたあの頃。 COUNTDOWN JAPANのwiki見て不思議に思うのだが、昭和50年に三和シヤッターからコーセー化粧品にスポンサーが変わり、
新パーソナリティの宮川さんのパートナーは丸木陽子(FM東京アナウンサー、当時)が担当、とあって、
昭和60年6月に丸木さんが急逝(享年27)となっているが、これだと昭和50年に17歳ってことになるけど、17歳で局アナってありえるの? そういえばなんか不思議だな
享年37なら納得できるんだが 確か放送の前日に急に亡くなったんだよね。
宮川さんが泣いてたけど、ショック過ぎて番組どころじゃなかっただろう。
コーセー化粧品歌謡ベストテンを聞いて、3時からセーラさんの
ダイアトーンポップスベストテンを聞くのが好きな高校時代だったなあ。
セーラさんのDJがめっちゃカッコ良かったんだよね。
そのセーラさんももうこの世には居ない(´;ω;`) 丸木洋子さんの「続いては♪」の声が大人で魅力的で知性的な感じでした。 一番とサビとかよく編集されてたな
短い曲はフルサイズだったが 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
H8MTK 紙ふうせんの冬が来る前に、
が年間1位になったのはこの番組だけだった。
ほかの番組では年間20位にも入ってなかったのにね。 テーマ曲が印象に残ってる番組
コーセー歌謡ベストテン
全国歌謡ベストテン
キューピーバックグラウンドミュージック KOSE Your Songs BEST10で同じ曲のジングルを使用している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています