二葉あき子について語ろう
戦前の大歌手で唯一元気な二葉さんについて語ろう。
淡谷のり子は洋楽志向が強く
渡辺はま子は中国風で
二葉あき子は演歌じゃないけど古きよき日本の
歌を歌ってます。今もコンサートを開いたりしてるそうで。 >>482
うーん。確かにネ。でも伊藤久男さん辺りになると
2005年末にすがはらやすのりがクラシックの歌唱で、
イヨマンテ歌いましたけど、声量と技術は文句無いんですが、
やっぱり歌の味が出ていない気がする。
同様の感想が多かったですよ。
藍川由美っていう声楽家が小関さんの曲ばかりをピアノ演奏で
歌ったCDは良かった。「三日月娘」なんか、特にね。 >>483
歌の味はそれぞれの個性で天性のものだと思います。現在の非クラッシック系の歌手が
戦前の歌、歌ってるのを聴くと、オリジナルと比較してその貧相さにいやになります。
マイクなけりゃ唄えない歌手って何なんだろうって思ってしまいます。 >>479「クミコ」って誰?
>>483すがはらやすのりの歌は無難なんだよな。面白みがない。
つか、声量あるかなあ? >>484
異論はないが、霧島昇なんかはマイクなけりゃ唄えなかったわけだが。
日比谷公会堂でマイクなしで声を響かせられたのは藤山一郎、灰田勝彦、
藤本二三吉ってよく言われるね。松平も上野出身だがマイクなしだと声量がなかった。
特に昭和10年代にデビューした流行歌手はたいがい音楽学校でマイクの使い方を
習っているので、逆にマイクなしだとだめだめだった。 >>484
声楽家が活動続けるには毎日数時間の発声練習欠かせないと聞きます。
霧島夫妻は諸般の事情でこれが出来なかったんです。戦後の霧島さんは最早声楽家
じゃなかったんせすね。 >>486
戦前は良質なマイクもなく、録音方式も原版に直接行なっていたので、音楽学校出身者
以外は事実上歌手としては使えなかったようです。高峰さんも戦前二曲しか歌ってられない
と思います。
声楽科でマイクの使用法教えません。松原操さんがマイクの使い方知らなかったのは
有名です。 >>489
>戦前は良質なマイクもなく、録音方式も原版に直接行なっていたので、音楽学校出身者
以外は事実上歌手としては使えなかったようです。
それが間違いのもと。意外に音楽学校出身者以外の吹き込みは多いです。
乱暴にいいますが、じゃあ書生節の石田一松はどう?二三吉は音楽学校出たか?
二村定一は浅草オペラ出身ですよね?で、彼らは歌手として使えなかった???て話。
マイクの使用法教えたのは声楽科じゃないよ。第一、だれも声楽かでとは言ってない。
特に東洋音楽学校が顕著だが、機械音楽科(学校によって科目名はちがう)で
マイクの使い方、教えてたんだよ。
松原操の時代の上野には無かったが昭和10年代には上野でさえ
流行歌手となる選択肢が用意されていた。松原はそれ以前だから
マイクの使い方知らなくても不思議ではないですね。 先月発行された全国なつメロ会の会報では二葉さんと志村道夫が戦時中に歌った
「密林のた月」について思い出が語られています。この歌はかつて民放であった
松本清張シリーズドラマ「熱い絹」の中で歌われました。ベッドの上に正座して
主役の元日本軍人が感慨深そうに歌っていたそうです。小倉の懐メロスナック
「銀杏」ではこの曲を映像カラオケで歌えます。 年忘れにっぽんの歌(2002)の映像を
あげてくれる神はおらんだろうか? 最近 youtube に動画多いよね。
恋の曼珠沙華を緑の衣装で歌っているヤツとか、
二葉ちゃんの豊満な二の腕が強調されてムッチャ抜けるわ。
最高の女性、理想の人です。 あ〜〜〜、もう少し若かったら・・・
あき子ママンのブ厚い肉体に・・・ 今まで歌謡界の大御所女性歌手で100歳を超えてご生存だった
人はいるのでしょうか? 以前何かで菅原都々子だったか、藤山一郎のことを出しやすい声ですもんね、
と言っていたのを思い出した。
褒めてるのではなくけなしている感じだった。
だけど今いち分からない。
藤山一郎の声はいいと思うが。
むしろ菅原都々子の声はビブラート掛けすぎだと思うんだが。
違う女性だったかな。 >>500
100歳を越えている女性歌手では
河原喜久恵さん(今年で106歳)
高井ルビーさん(今年で104歳)
結城道子さん(今年で100歳)
の方々がご健在です。 >>502
そのお三方、どなたも知らなかったです
勉強不足です
当方20代ですが、皆様の情報心待ちにしております >>503
20代でこの3人知っている人はさすがに
ごく少数だろう
孫どころかひ孫の年齢だな 結城道子といえば上原敏と歌った裏町人生が有名だよね。
ちなみに俺は三十代前半。 >>502
事実? 高井ルビーなんか生きているとは思えんのだが >>506
事実かどうかは知りませんが、私の得た情報ではご健在のようです。
大正12年で歌手デビューされた方なんですね。驚きました。
私もこの3人のことはお名前と声しか知りません。
ちなみに私は17才です。 このスレが上がる度に二葉あき子が死んだのかと、気をもみながら見てしまう。 養老院の慰問があります。年寄りばかりなので昔の唄が好きです。
伊藤久男の百蘭の歌を唄いたいのですがカラオケがないので
書き込みできませんか。
「白蘭の歌」はいい歌ですね。「古き花園」から続く戦時中の大ヒットの
一つであるこの歌に私は一番心動かされます。「純情の丘」「父よあなた
は強かった」「お島千太郎旅唄」「なつかしの歌声」「春よいずこ」
「あの花この花」「めんこい子馬」「高原の月」「海の進軍」など、
激動の時代の中でどのような気持ちで歌われたのか、今現在ご健在という
ことで、ほんとうに貴重なお話です。戦時中、日々弾にあたらず生き抜く
緊張感とラジオで聴いた心安らぐ二葉さんのビロードの声を思い出すたび
に涙が出ます。
今年の初め、二葉さんのCDを取り込んだHDD搭載の車に母(昭和4年生)
を車に乗せ、どの曲までが記憶に残っているのか、流して確認しました。
母はとりたてて流行歌に強い関心を持つ人間ではありませんが、「古き花園」
「純情の丘」「白蘭の歌」「小島千太郎旅唄」「あの花この花」「なつかし
の歌声」「春よいずこ」「新妻鏡」「めんこい子馬」「高原の月」「緋房の
籠」「黒いパイプ」「別れても」「バラのルンバ」「夜のプラットホーム」
「恋の曼珠沙華」「さよならルンバ」「フランチェスカの鐘」「水色のワ
ルツ」の19曲についてラジオで聴いた記憶があり、それら全てが二葉さん
の吹き込みであったことに本当に驚いたようでした。60年以上前、流行歌
に特別の関心を寄せない女性(というよりはラジオで流行歌の流れる時間
帯に家事をせず聴き入るような時代ではありませんが)がこれほど鮮明に
記憶しているという事実に、二葉さんの歌の魅力や影響力を感じずにはいら
れません。昭和2年生まれの国立大学医学部名誉教授をして二葉さんを
大スターだったと言わしめるその存在の大きさと、庶民から知識層まで、
あらゆる階層の人間の心に残る名歌手であったという事実は、今後も伝え
続けて行かなければいけないと今更ながらに強く感じる今日この頃です。
二葉さんの名唱は歌手の中でも憧れとなっていたのは有名です。特に男性歌手
から称賛され、かの奥田良三が昭和19年ごろ、二葉さんが舞台で「ジャワのあ
けくれ」を歌っているとき、そでで「本当にうまい歌手だね」と感心し、戦後
、東海林太郎が二葉さんの「能里子の唄」を聴き、「僕もあんな歌が歌えたら
なあ」と羨ましがったといいます。東京音楽学校在学時、女学校の範唱レコー
ドを吹き込んだ経歴からも、二葉さんは官立音楽学校出身者(奥田)(後年国
立お茶の水女子大学教授)もしくは官立合格者(東海林)でクラシック志向の
歌手の羨望の的であったということも忘れてはならない事実だと思います。 「ジャワのあけくれ」といえば、以前CS放送の『ドラマチック昭和歌謡伝』
に二葉さんが出演した際、「ジャワのあけくれ」の思い出を語っていました。
当時二葉さんについて演奏していた『南十字星』というバンドの名前と曲名
の組み合わせが面白いとのことでしたが、50数年たった当時でも活動してい
ると司会者が伝えると「まあ、そうですか。会いたいわ」といっていました。
戦時中の古賀作品でも「青い花瓶」に次ぐ異色の名作と言えます。 「ジャワのあけくれ」を聴いてみました。歌いだしが「南十字の…」だから
バンド名が「南十字星」とつけられたのか、もともと命名されていたバンド
名なのか、その辺が知りたいですね。南国の異国情緒たっぷりの、ジャワ娘
が更紗の衣装を纏い、踊る姿が目に浮かびます。昭和17年3月の日本軍のジャ
ワ島占領後しばらくして発表されたこの曲は南方の異国への関心を掻き立て
る一方、占領統治と国威発揚という点において、当時の庶民が受け取った
心理的高揚感を伝える作品でもあります。 俺がよく行く新宿のナツメロスナックは、通信カラオケは入っていないけど、ナツメロのレーザーが揃ってる店で「白蘭の歌」を、よく歌います。
まだ、どの通信にも入っていないけど、各カラオケ会社のHPからリクエストできるから、頑張りましょう。 コロンビアから発売された二葉さんのリサイタルのビデオでは話題の「白蘭の
歌」を歌う二葉さんの姿が収録されています。テレビでは伊藤久男の持ち歌
として歌われていますが、この二人がデュエットした「白蘭の歌」は残念な
がらありません。両者を編集して繋げればオリジナルデュエットの名曲が蘇
ります。カラオケはレーザーでカラー版と東宝キネマ倶楽部のモノクロ版が
ありますが、カラー版は3コーラスしかありません。是非通信カラオケで歌え
るようみんなでリクエストしていきましょう。 「白蘭の歌」は映画のタイトルバック用に吹き込んだ音源がありますが、レコード
のモノラル音源より遥かにいい音質です。 現在、認知症などを発症したりしていないのであれば
歌なしでもいいので昔の話をして欲しい、、、
もう表には出てこられないのでしょうか? 二葉さんの最後のテレビ出演は平成14年5月放送のテレビ山口『ムーブ2002』
です。ご自宅で「フランチェスカの鐘」を青年と歌われていました。あと
「さよならルンバ」を踊られていましたよ。インタビューでは藤山一郎との
思い出について「藤山さん、怖かったわよ。だって上級生だもの」といって
らっしゃいました。上野在学中、藤山さんの「僕の青春」を聴いて流行歌歌手
になろうと思ったという二葉さんですが、怖かったというのは傑作です。 二葉さんは憧れの先輩を追うように流行歌歌手となり、その先輩と映画主題
歌となった「なつかしの歌声」「春よいずこ」「光に立つ」をデュエットで
吹き込みました。ご存じ「なつかしの歌声」と「春よいずこ」は後世に残る
大ヒット曲となり、今現在も通信カラオケで歌えるほど、懐メロファンの馴
染み曲として定着しています。歌手の間でも藤山さんの官立出身者贔屓は有
名で、「はい、官立はこっち!!」と掛け声がかかると、二葉さんは即座に藤
山さんのもとに駆け寄った口です。藤山さんは『春よいずこ』の映画の紹介
の際、主題歌を吹き込んだ二葉さんとのツーショット写真を使っていたよう
で、後年二葉さんはこのことに藤山さんの私への強い思い入れが感じられた
と語っていました。本当に奇遇で素晴らしいご縁だと思います。 映画の中でも二葉さんと藤山さんが共演できればどんなによかったことでしょ
う。残念です。二葉さんは昭和14年の『純情二重奏(前篇・後編)』に新曲
発表会の歌手役で出演していますので、その流れからも藤山さんが出演した
映画『春よいずこ』や『歌えば天国』の中で二葉さんと藤山さんが共唱する
シーンを組み入れても良かったのではないかと今更ながらに感じます。 今となっては戦前の二葉さんの動画は松竹映画『純情二重奏』(総集編)の
オーラスで出演歌手全員による「歌で暮らせば」の合唱シーンの数秒のみで
す。コロンビアの所属歌手が総出演ということで、同映画の全編と後編では
歌手の歌唱シーンがふんだんに盛り込まれているはずが、総集編では同名主
題歌が歌われるシーン以外はほとんどカットされています。この映画の前篇
と後編を全てご覧になった方、歌われた曲名やフィルムの所在等、情報をお
寄せください。 佐々木康監督に関する書籍やネット関係の資料には作品リストがあり、出演
歌手は確認できるものの、二葉さんの出演した『純情二重奏』に関しては新
曲発表会の歌手役としかデータがありません。公開年から推測すると前篇が
「伊豆はなつかし」で後編が「仏蘭西人形」だと言われます。実際はわかり
ませんが、信憑性はあります。ただ、東宝が『ロッパ歌の都に行く』の中で
昭和14年度ヒット曲集を展開したのに対し、コロンビアも同じ年、所属歌手
でのヒット曲集を展開させているはずです。この点からいうと、昭和14年の
コロンビアであれば、二葉の「古き花園」は絶対にはずせないヒット曲です
ので、これと「伊豆はなつかし」あたりではなかったのかと考えます。当時
24歳の歌姫が舞台で歌う映像が確実に存在したはずです。関係者の方、是非
情報をお寄せください。 二葉あき子さんの「二葉」は広島市内の出生地の地名「二葉の里」から、「あ
き子」の「あき」は安芸の国広島の「安芸」。昭和11年デビュー。現在92歳で
御健在。思えば、デビューの年(昭和11年)、西條八十作詞の映画主題歌「あ
の夢この夢」がヒットしラジオで流れたころ、広島では安芸広島藩第12代藩主
浅野長勲「あさのながこと」が96歳で存命中でした。マスコミでは最後の功績
のある殿様として取り上げ、話題となっておりました。最後の殿様は当時96歳
、天保13年生まれで昭和11年現在、実に元号を11(天保、弘化、嘉永、安政、
万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和)も生きた貴族院議員(従一位勲
一等侯爵)です。もしかすると当時、ラジオで安芸の国広島からデビューした
ばかりの歌姫のあどけなく美しい声を聴いていたかも知れませんね。黒船来航
時(嘉永6年)11歳、明治維新当時25歳であった天保男の耳に二葉さんの歌声
がどう響いたことでしょうか。
二葉さんは平成14年88歳まで現役でテレビの生放送に出演「さよならルンバ」
を披露されました。88歳といえば昭和51年のNHK思い出のメロディーに神長瞭
月が88歳でテレビに生出演し、「新金色夜叉」を披露。神長のデビューは明
治39年で国産レコード歌手一号といわれます。その神長のデビュー当時、新
派の俳優で芸人、パリ万博当時(明治30年)、日本人初のレコード吹き込み
を行った川上音二郎は現役で舞台に立っていました。(文久4年生まれで明
治44年、舞台で倒れ、鬼籍に入る)話題の最後の殿様、浅野長勲は明治維新
までは徳川12代将軍家慶、13代家定、14代家茂、15代慶喜、また天皇では仁
孝天皇、孝明天皇の時代から、二葉さんのデビューの年(二・二六事件)ま
でを見届けたということになります。その二葉さんもデビュー以前には米騒
動、関東大震災、満州事変、2・26事件を経てデビュー後は日中事変、大東
亜戦争、原爆投下・終戦を経て、高度経済成長、バブル経済(崩壊)、そし
て昨日の平成20年宮城内陸地震までを見届けている大歌手であります。黒船
来航から2・26事件までの激変の時代を生きた浅野長勲同様もしくはそれ以
上に、貴重な時代の生き証人であります。
このままお別れしましょう、、、
平成14年の大晦日「年忘れにっぽんの歌」で「さよならルンバ」を披露した
二葉さんは
皮肉なことにこのステージが最後の大きなステージとなった
歌の最中も平静を装っていたが、聴覚の衰えには勝てず
さぞかし悔しいステージだったことでしょう 二葉さんの晩年(80〜85歳)のコンサートは本当に素晴らしいです。歌詞の
記憶も、音程も完璧、そして一人芝居のセリフも、少し忘れたところはアド
リブで切り返し、爆笑を誘うなど、本当にキュートで楽しいステージだした。
昭和11年発売の「ビロードの月」や「乙女十九」、14年発売の「純情の丘」
など、また故郷のホールでは「めんこい子馬」も歌っています。テレビ東京
『なつかしの歌声』では「あの夢この夢」「荒野の夜風」も歌っています。
個人的リクエストとしてはデュエット作品の「高原の月」「緋房の籠」「あ
の夢この歌」「旅の舞姫」「黒いパイプ」をオリジナルデュエット者(霧島
昇、高倉敏、近江俊郎)が存命中に実現してほしかった。 「お島千太郎旅唄」や「新妻鏡」と、「パリの夜」「ボヘミアの夜」が同じ
歌手の吹き込みであるということ自体が信じられません。もっとも淡谷のり
子がシャンソンと新民謡を吹き込んでいるのと変わりませんが、ヒット曲と
いう点で、ジャンルの開きは二葉さんの右に出る歌手はいませんね。 確かに、全国的にヒットした戦時歌謡の「父よあなたは強かった」や「海の
進軍」の女性パートをソロで歌い、一方で、童謡「めんこい子馬」、戦前の
ブルースの傑作「古き花園」、そして日本調の流行歌から洋楽調まで対照的
な作品を数多く吹き込まれています。本当に器用で、品格のある大スターで
ありました。 二葉先生は、もっと大きく取り上げられてもいいと思う。
淡谷先生に比べて、二葉・渡辺のご両人を取り上げる機会が少ないのは、歌以外の面でしょうかね。 生存確認するためにこのスレに来てしまう
俺はいけないやつだなぁ
のり子、はま子、あき子
歌謡史上最も上質な三人娘でございます 二葉さんの戦時中の慰問について何かご存じのお方、お知らせください。 >>538
頼むからそこにシヅ子もいれてあげてくれ。笠置さんだってスターだもの >529
テレビ東京の「なつかしの歌声」の特別番組
「郷愁の歌まつり」では伊藤久男とのデュエット
で「白蘭の歌」を歌っています。ただし、二葉
さんのキーが低いので、かけあいの部分が多かった
ように思います。 中国(北支戦線)の前線部隊の慰問(市丸と)等で幸いにも緒戦で藤山一郎の様に南方戦線には行かなかったようです。末期は航空隊の慰問や軍港の慰問が多かったみたいです。航空隊といえば体当たりで生還しない部隊の事です。 >542
貴重な情報です、昭和何年の番組でしょうか?映像は録画されていますか?
>544
昭和45年夏の特番だったようです。因みに
翌年の夏の特番では、伊藤久男と菊池章子
とで「馬」をデュエットしています。 >546
先日のNHK「思い出のメロディー」で森さんが歌った「東京キッド」の音程
のことだと思います。確かにたどたどしく歌われていましたが、時代の証言者
という点で、貴重な出演であります。森さんは昭和50年代はじめに同番組の司
会を務められ、昭和53年の回では戦時中、南方各地で森さんの慰問公演を見た
後、出撃し、生還者となった数少ない方々と対面し、公演で歌った「花言葉の
唄」を歌われました。今や戦前・戦中を舞台人(歌手)として生き、今だ現役
でテレビや舞台で活躍しているのは森さんだけです。88歳というのは二葉さん
が現役を退かれた年齢と同じであり、また昭和51年、88歳の神長瞭月が同番組
に生出演した際も森さんが司会をされていることを考えると、88という年齢が
正に重なってまいります。ただ、二葉さん、森さん、神長さん、それぞれ、偉
大な功績を持つ、時代の証言者でありますので、今一度、時代背景や功績につ
いて、充分に検証・理解・評価をしてみて、ご発言をいただきたく存じます。
「二の舞」という表現ではあまりに、軽率で、ご家族の方々には失礼に感じら
れますので。
確かに。今の20代〜30代の歌手が60年後、80代後半となる西暦2060〜2070年に
全国放送のメディアに出演し、歌を披露できる者がどれほどいるであろうか。
>>549
今は歌手だけに限らないが一時期はドッと受けるがすぐに飽きられるという歌手が多いからな。
昔の歌手みたいに何十年たってもわすれられないという歌手は少なくなった 今年の思い出のメロディが生放送じゃなかったのは
森さんの放送事故を心配してだったようですね
二葉さんも2002年の年忘れが録画だったら良かったのになぁ >>551
それは違うと思う。北京五輪で旧盆前後の枠がなくて、且つ出演者の
スケジュールの都合があったからでは。 553=表向きの理由
551=実情
ではないでしょうか?
でも森さんの歌う「東京キッド」はすばらしかったですよ! >>554
例え音程が外れようが一生懸命歌ってたらいいのですよね。
それは二葉さんでも同じです。
2002年の年忘れでもファンは決してがっかりはしてないと思います。
途中何度も失敗して二葉さんはもう逃げ出したいくらいだったでしょう。
でも逃げ出さずに最後まで一生懸命歌った二葉さんには脱帽です。 コロンビアの通販カタログには二葉さんの吹き込んだ貴重な音源が色々とあり
ます。さすがに7枚組の全集はありませんが、ただ見るだけでも楽しめます。
毎月発行されているようですので、定期購読をおすすめします。 通販カタログ『さわやか情報』に紹介された軍歌・戦時歌謡大全集には「婦人
愛国の歌」「興亜行進曲」「嗚呼北白川宮殿下」「南進乙女の歌」「なんだ
空襲」など二葉さんが吹き込んだ貴重な音源がたくさんあります。 カタログ見ました。軍歌では「愛国婦人の歌」(皇国の)(抱いた坊やの)、
「空の勇士」、ラジオ歌謡では「牡蠣の殻」がありました。日本映画主題歌
全集では「古き花園」「純情の丘」「白蘭の歌」「なつかしの歌声」「春よ
いずこ」「お島千太郎旅唄」「新妻鏡」「めんこい子馬」「高原の月」「恋
の曼珠沙華」が収録されていました。名曲ばかりですね。
皇軍将兵および当時の日本人の心を歌っていると言う点で天皇陛下万歳!が正論でしょう。 11 二葉さんは昭和15年に御前演奏として「嗚呼北白川宮殿下」を伊藤武雄、高
橋祐子と共に皇族方の前で披露されています。皇室にも多くの支持者がいた
ことでしょう。
二葉さんは昭和15年に御前演奏として「嗚呼北白川宮殿下」を伊藤武雄、高
橋祐子と共に皇族方の前で披露されています。皇室にも多くの支持者がいた
ことでしょう。
忘年会のカラオケで二葉さんの「フランチェスカの鐘」を歌いました。古関
裕而作曲の名曲です。映画にもなりましたが、フィルムが現存していないの
がとても残念です。(二葉さんが出演して歌っています) 「純情の丘」と「あの花この花」はコロンビアからカラオケDVDが出ていま
す。いずれも美しい乙女が野辺を散策するシーンがあり、イメージどおりの
動画となっています。昭和14年に発売された西条八十の曲が70年経った今、D
VDカラオケで歌えるのですから、曲の普遍的価値を感じずにはいられません。
西条は「二葉さんの歌を会社から頼まれると、僕はなぜか幸せを求めて旅を行
く小鳥のイメージが浮かんでくるので、よく旅の歌を書いた」といっています。
ポイントサイトのアンケートで紅白に出場させたい歌手という項目があったから
実際には出演できないことは分かっていながらも、お名前を書かせていただきました♪ 携帯の着信音を「懐かしの歌声」の前奏、メール着信音を「春よいづこ」の間奏にしてみたw 「春よいづこ」の歌詞をぐぐっても出てこないので書き取ってみましたが、
これであってますか?
思ひ出は思ひ出は 青い背広の涙に滲む紅の跡
ああ思ひ切ない幻の 春はいづこぞ雨が降る
諦めて諦めて 泣いて乙女の辿るは愛の別れ道
ああ小鳥鳴く鳴く我が心 春はいづこぞ雨が降る
呼んだとて呼んだとて 風は冷たい涙を誘ふ別れ風
ああ夢は帰らぬ青草の 春はいづこぞ雨が降る 二番目の「ああ小鳥鳴く鳴く〜」は「ああ小鳥鳴け鳴け〜」でしょう。
>>568
ありがとうございます
よく聴いてみたら「ああ小鳥鳴け鳴けぅ〜ぅぅ」のように聞こえますが、
最初の「鳴○」は明らかに「鳴け」と聞こえるので、おっしゃるとおりですね
この曲ではみられませんが、藤山さんの戦後の歌唱でしばしば、
長くのばした音の後半で口が閉じ気味になって母音が「ウ」に近くなることがありますが
これも同じ現象みたいです
ところでこの曲、本来バリトン歌手である藤山さんの低音がしっかりと響くように
作られているようで、3番の「誘ふ」の「そ」の音など、二葉さんはちょっと苦しそうですね 一番の「涙に滲む」の「に」と二番の「辿るは愛の」の「あ」はそれぞれ子音
と母音の違いがあり、低音での明瞭な発声は「に」の方が遥かに難しいのです
が、藤山さんは見事に低音部を強調して発声されています。「青い背広の涙に
滲む紅の跡」までブレスなしで一気に歌うのは息使いも苦しくなり、まして低
音のこの部分で喉を掘り下げ、力を込めるのは相当に困難なように感じます。
みなさんカラオケで実践してためしてみてください。 ♪君〜にあ〜う〜う〜れしさの〜む〜ね〜に〜ふかく〜♪ >>573
もう高齢だから年を越せただけでもすごいということでしょう。
572にある二葉さんの「水色のワルツ」はとてもモダンで美しい曲ですね。
ところで、歌の詞にある「水色のハンカチ」は明治32年生まれの藤浦洸が
昭和25年に発表したものですが、これより4年後に発表された岡本敦郎の
「高原列車は行く」の中では「汽車の窓からハンケチ振れば」とハンカチ
を“ハンケチ”と言っています。明治、大正世代には“ハンケチ”がごく
ごく自然な言い方だった当時、ハンカチとは逆に奇異に聞こえたかも知れ
ませんが、それが現在定着した日本語発音の先取りのようにも感じられ、
非常にモダンな響きを醸し出します。ハンカチと歌った二葉さんは大正4年
生まれ、ハンケチと歌った岡本さんは大正13年生まれ、と10歳も若かった
ことを思うと何とも滑稽な話だと思います。 「高原列車は行く」の作詞家、丘灯至夫(おかとしお)は大正14年生まれで
岡本氏よりさらに年下。福島出身で、一方の藤浦も長崎県平戸の出身。共に
田舎の出ということだが、あえて言えば、丘は商工学校出身。藤浦は同志社
の神学部を中退して慶応大学文学部に入り直しているところからも、キャン
パスでの斬新な言い回しが詞に表わされたのかも。 質問します
〜水色のワルツ〜はモノラルとステレオの二種ありますが、ステレオでのピアノ伴奏は誰ですか?あまり上手いとは言えないですが ようつべに、2000年以降の二葉さんの映像があがってないのは
うp主さんの優しさなんだろうな お若い頃の萌える写真のお勧めありませんか?
オ・・・いえ、待ち受け画面や壁紙にしようかと・・・・・ 『水色のワルツ』藤浦洸作詞・高木東六作曲
高木が疎開先の長野県伊那でふと浮かんだ曲で
当時、新曲ばかりのコンテストがあり
藤浦洸に作詞を依頼したもの。
コンテストにはビリから二番目で評判はよくなかったが、
昭和24年12月19日録音
昭和25年2月発売。楽譜は翌3月発売
ラジオの「希望音楽会」にたびたび歌われるようになる
昭和27年台本・藤浦洸、音楽・高木東六
上原謙、折原啓子で「水色のワルツ」が映画化される。
以上「ラジオ深夜便」の解説を拝借しました