二葉先生は、戦後ずっと働きどおしだったとかで、
疲労からか高音がちょっとかすれるというような
違和感を持っていたらしいんだけど、
どこかで「水色のワルツ」を歌っていたときに、
高音部のところで喉に激痛が走ったらしい。
で、それから高音が急にでなくなり、歌えないと失望し、
実家に帰り、短刀で喉を切って自殺しようとされました。
でも、その時に「私はあの原爆のときになぜ助かったんだろう」
「多くの方々が亡くなって私が助かって、
 なのに今自分は自ら命を絶とうとしている」
という思いがよぎり、自殺を思いとどまり、
低い声でも歌えるように、自分でアルトの音域を作ったそうです。
音域を変えたころは「パダムパダム」などのシャンソンを
ステージで歌っていたそうです。
それからは、1曲1曲歌うときに、命をかけて歌おうと
決心されたといいます。