黒柳徹子は昭和33年当時、最年少で紅白の司会をしたそうです。以前、『徹子の部
屋』に二葉さんが出た時言っていました。当時、二葉さんはコントラアルトとなっ
て初めて「夜のプラットホーム」を歌われたそうです。そのことを徹子がいうと
覚えていないようでした。また、その時、二葉さんが音楽学校の生徒名義で吹き
込んだ二枚目のSP「ブラームスの子守唄」が流れ、自分の声を二葉さんは「きれ
ない声ね」と笑みを浮かべて言っていました。黒柳徹子は若き日、二葉さんのス
テージの司会をずっとやってきた人です。後にザ・ベストテンの司会を引き受け
ていますが、当時既に40歳、その後、50代後半まで歌謡曲の司会でアイドルや演
歌歌手を相手にしていますが、司会者としてのキャリアの長さには驚かされます。
昭和50年代初めに始まった『徹子の部屋』は週5日、いまだに放送されており、
昭和20年代後半に二葉さんの舞台の司会をしていた徹子が平成14年、88歳の二
葉さんと対談するという、お互い50年間現役でなければありえないめぐり合わ
せが実現しています。平成14年の『徹子の部屋』出演時、二葉さんは徹子が昭
和33年、初めて紅白の司会をした時歌った「夜のプラットホーム」を歌われて
いるのも感慨深いものがあります。