モデル・歌手・女優★西内まりや★スレpart8 [無断転載禁止]©2ch.net
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,l゙:.:.'i ブリュブリュッ
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,i´ :.:o。。;゚;ё;゚;.:.:.o。゚。.:.`'. オギャー
゙''¬---――''''''゙゙゙''―-┘ BLIEVEの高音で叫ぶところいいわ。曲作っているみたいだし音楽の才能はあるよ。 昔、西内まりやとかいう何やっても中途半端な人いたけど
今はどうしてるんだろう? >>7
ホークス、こいつのせいでクライマックスシリーズ敗退するな >>11
ひろろんワロタw
ヒバゴンの間違いじゃね? ひろろんってのは西内まりやにつけてもらったあだ名だな
うっぴーずは西内にあだ名をつけてもらうのが恒例になっている
認知されると次から、それで呼んでくれるらしい >>13
顔面に老人斑浮き出てるおっさんがひろろんって、バカかよw 西内まりや、「バドミントンをやっとけば良かった」と後悔する毎日
モデル西内まりや(22)が初主演する映画『CUTIE HONEY -TEARS-』が、1日全国公開した。
しかし、いまいち振るわなすぎた本作の話題作りだったため、西内が“迷走”したプロモーションを展開し、芸能界から批判を浴びている。
西内の迷走には同事務所所属の今井絵理子参院議員(32)、観月ありさ(40)、荻野目洋子(47)も頭を抱えている。
「2004年に公開された佐藤江梨子(34)主演の『キューティーハニー』のようにセクシーさを押し出すわけでもない、
2004年版焼き増しなので、公開初週の10月1-2日の週末興行ランキングでトップ10に入ることもなく、20位以下だった。
そんな状況になることを見越してか、初日舞台挨拶では、西内が体を張っていたというが中途半端。
モデルなら森星(24)、山本美月(25)、グラビアなら稲村亜美(20)、朝比奈彩(22)、久松郁実(21)、歌手なら大原櫻子(21)、きゃりーぱみゅぱみゅ(23)、
女優なら有村架純(23)、武井咲(22)、高畑充希(24)、波瑠らが第一線で活躍。
観月ありさはすべてこなしたが、西内はすべて中途半端だ。
「西内は、露出度の高い衣装で、ショートパンツにロングジャケット、その下には胸の谷間がよく見える黒のトップスという姿で登場しました。
劇中以上の露出度ではないかという過激さだったため、映画界からは場違いと批判が相次いだ。
美脚や胸の谷間を強調した見出しとなり、『キューティーハニーで、なんで本編でこの衣装を着なかったんだ?』と、批判していた。
そんな格好をしてきた西内自身は恥ずかしかったのか、ジャケットの胸元を締めようとする仕草を何度も見せ、
気にしているようでしたが、これでは芸能人ではなく、処女、または、健康診断を受ける就職内定者あるいは女子学生のように恥ずかしがる女の子みたいな感じだ。
さらに、週末興行の結果が出た3日、サングラス部門で「第29回日本メガネベストドレッサー賞」を受賞した西内は、壇上でこんなコメントを残した。
「一般企業の参加者もたくさんいる会場でのスピーチの際に、カメラマンからのフラッシュに『今日はたくさんのハニーフラッシュで……』と、
映画本編では使われていない“ハニーフラッシュ”という言葉を織り込んだんです。
囲み取材でそのことを聞かれると『偶然出ちゃったんですよね〜、本当、偶然』と説明していましたが、「記者たちからは『あざとい』との声も上がっていた」 観月は人前では、弱音を吐かないが、西内は、人前で弱音を吐いていては、どうしようもない。
初日では「いろんな意見を聞きたいです。なんでも言っていただいて構いません、私なりに一生懸命頑張りましたし」との発言もしていた西内。
西内の精神状態がヤバイという。敵対事務所の圧力に屈したこともあり、情緒が不安定。
西内が2014年度第56回日本レコード大賞新人賞受賞に視聴者はおろか、観客からも「八百長」ではないかと罵声を浴びせられる始末。
精神状態がおかしくなり、情緒が不安定になってしまった。
「バドミントンやっとけば良かった」とテレビで漏らすなど、芸能界入りに後悔するようになったという。西内まりやの実家は、芸能界ではなく、筋金入りのスポーツ一家である。
西内の父親がプロ野球ソフトバンクの専属トレーナーや元大関千代大海(40、7月31日、師匠の元横綱千代の富士死去(享年61)に伴い、14代目九重親方を襲名)の整体師を務め、
母親は、トライアイスロンで世界3位、競泳では国体で優勝した筋金入りの元アスリートだ。
姉は2014年ミスユニバース日本代表で2位、従兄弟は高校ラグビーで全国大会代表選手に選ばれ優勝を経験、2019年ラグビーW杯日本大会の代表候補にもあがっている。
西内まりやは、バドミントンでは、中学全国大会に出場、福岡県や福岡市の中学大会で優勝したこともある活発で辣腕の女の子だった。
2020年には東京五輪開催を控えている、
2016年リオ五輪で高橋礼華(26)、松友美佐紀(24)ペアが金メダル、奥原希望(21)が、シングルで銅メダルを獲得した。
「バドミントンやっとけば良かった、東京五輪では金メダルを取れたかもしれない」と毎日、後悔する西内、
日本バドミントン競技連盟ですら、「西内まりやは五輪代表になれる逸材だったと悔やむほどだった、代表なら金メダルも獲得できる可能性も高かった」と評価していた。
バドミントンの女子五輪日本代表は、金メダル候補と呼ばれていて、西内の想いの本音が出たのだろう。
西内の事務所は、所属タレントが売れなければ、全裸になってヌード写真集の発売をさせる事務所でもある。
観月、今井、荻野目以外の女子は乳首、性器を隠した全裸ヌード写真集を発売させられる羽目になっており、西内も全裸にさせられるのは時間の問題である。 946 名前:名無シネマさん(東京都)(ワッチョイ 87e6-Z5Hg [153.229.99.223]) [sage] :2016/10/19(水) 00:59:07.03 ID:RAD24RsT0
ハニーさん・・・
AEONサイト上映25分前映画チケット販売数:20161018 (22:15 集計)
***85 *12357 *77 CUTIE HONEY −TEARS−
KINEZOサイト上映25分前映画チケット販売数:20161018 (00:25 集計)
販売数 座席数 回数 映画(作品名)
***39 *2511 *18 CUTIE HONEY −TEARS− 三代目JSBの”レコ大買収”で疑惑再燃? 西内まりやが敵対事務所関係者に潰され芸能界追放寸前
三代目J Soul Brothersの日本レコード大賞1億円買収報道を受け、2014年に歌手デビューを果たしてすぐにレコード大賞や日本有線大賞で
新人賞を獲得したモデルで西内まりや(22)に、音楽ファンから今まで以上に疑いの眼差しが向けられてしまった。
■歌手デビュー直後に新人賞を即受賞の謎
デビュー以来、モデルとして女性人気が高まっていた西内は、2014年夏に1stシングル『LOVE EVOLUTION』で歌手デビュー。同曲はオリコンのシングルランキングで最高19位にチャートインした。
さらに同年、決して人気を博したとは言い難い状況で、TBSが主催する第56回レコード大賞の最優秀新人賞や第47回日本有線大賞新人賞を受賞。
翌2015年も第57回レコード大賞で優秀賞、第48回日本有線大賞で優秀賞を受賞した(同回の日本有線大賞を獲得したのは三代目JSBの『Summer Madness feat. Afrojack 』)。
昨年のレコード大賞における三代目JSBの1億円買収騒動に大きく関わったと報道され、EXILE、三代目JSB所属のLDHはバーニングプロダクション系列の事務所でavexと関係が深い。
そんな西内が所属するのは、ライジングプロダクション。現在は、バーニングプロダクション系列の事務所ではなく、音事協加盟事務所にすぎないライジングは、avex、吉本興業との関係のみで、
何とか凌いでいるが、安室奈美恵(39)の営業権をavexとバーニングに略取され、さらに安室がavexに完全移籍でじり貧状態、
既に、ライジングは吉本興業との関係の方がウェイトが大きいという。avexは、西内の営業権を確保するために、敢えてごり押したという。
ライジング所属の観月ありさ(40)が吉本興業に依存していることだ。吉本側が観月の営業権をバーニングから略取して現在、吉本興業が観月の営業権を確保している。
観月は、バラエティー番組では、吉本興業の番組しか出なくなった。吉本興業がライジングを傘下にしたいために動いているのだという。
EXILE、三代目JSB、AKB48の買収報道が話題になるにつれ、疑いの目は三代目JSBのみならず西内にも白い目てみられるようになった。
まるで西内の受賞も「出来レースで間違いない」と言わんばかりに「やっぱり」「証拠が出たのは大きい」「avexのお陰だね」などと納得する音楽ファンがネット上に相次いでいる。またメディアからも非難が再燃。 2年前の最優秀新人賞時点で「大原櫻子(21)ではなく西内が受賞はおかしい」と一部メディアで非難が飛んでいたが、今回あらためて「(西内の受賞は)キナ臭い」と指摘する記事が出ていた。
「ずっと出来レースを疑われていたが、LDHの1億円買収報道でより鮮明に怪しくなった。本人の意思や事務所の“黒い戦略"があったどうかは定かでないが、
レコード会社avexであることが審査に影響している可能性は高い。
今年は騒動が大きくなったので、西内が賞を回避するにしてもノミネートするにしても怪しい。「いずれにせよ、西内の楽曲が大衆の支持を得ていないのが1番の問題」(報道関係者)
2016年9月には主演映画『CUTIE HONEY-TEARS-』の主題歌でもある6thシングル『BELIEVE』をリリースするなど歌手活動は継続中だが、世間を“BELIEVE”させる日はまだまだ遠い。
西内まりや潰しに反ライジングの事務所が総出で打って出た、西内の元同所属、安室奈美恵の逆襲もあい、
敵対事務所が武井咲(22)、剛力彩芽(24)、有村架純(23)、高畑充希(24)、広瀬すず(18)、山本美月(25)、新川優愛(22)、新川優愛(22)、二階堂ふみ(22)、中條あやみ(19)らをプッシュしたため西内は出番は皆無。
西内のごり押し戦略は観月ありさの仕事にも影響が出ている。
2年前まで10代、20代からの支持は圧倒的だったが、いまや、新川優愛、広瀬すず、山本美月、中條あやみの方が圧倒的に支持があり、西内は不人気だという。
西内は、現在、殆ど仕事がない状態に陥っている、avexはいま、JSB買収問題やピコ太郎の営業で、西内はもはや、戦力外の扱い。
ライジングは、観月ありさが看板女優なので、西内プッシュはもうできない。
ライジング所属国仲涼子(37)のごり押しが引き金で2004年NHK背任事件も発覚し、海老澤勝二会長(82)が辞任に追い込まれた。
EXILE、JSBのレコード大賞買収疑惑で、再燃した西内のごり押し問題が、マスコミ界を賑わすことになれば、西内は芸能界から追放されることは必至になり、
観月ありさはライジングから吉本興業に移籍することを口実にしして、吉本興業の傘下になるという。
avexは、ライジングが吉本興業の傘下になるのを阻止したいがために、西内まりをレコード大賞にノミネートしたことが、みえみえなのだ。 オシャレの手本は誰?
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1位 ローラ
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23歳の誕生日おめでとう! 胸キュン満載の新月9…西内まりや主演「突然ですが、明日結婚します」 西内まりや主演の月9 キャストに酷評「深夜ドラマみたい」「AV(女優)みたい」
西内まりや(23)とflumpool・山村隆太(31)が出演する“月9”ドラマ『突然ですが、明日結婚します』(フジテレビ、23日スタート)の残りのキャストが11日発表されたが、
「何せ1月11日のギリギリまでキャストが決まらなかったため、撮影はもちろん、何もかもがバタバタ。出足が遅かった分、宣伝部は大急ぎでPRを展開していますが無理だろう」
今月スタートの月9といえば、半年前から主演は竹野内豊(46、研音所属)で決まっていたものの、竹野内側の申し入れにより、立ち消えに。企画は振り出しに戻り、11月には女優の栗山千明(32)にオファーも蹴られ
大慌てでキャスティングしたのが、スケジュールの空いていたモデル西内と、演技未経験の歌手山村だった。
西内の主演が決まったのが16年12月16日だったというから、フジテレビが役者から嫌われていたことである。
また、今回、新たに発表されたキャストは、沢村一樹(49)、山崎育三郎、杉本哲太、山賀琴子、鍵本輝(Lead)、加藤諒、中村アン、岸井ゆきの、古舘寛治、石野真子、葉山奨之。
沢村以外は、「このひと誰?」と言う感じで、「深夜ドラマ」はおろか「AV」以下だ。西内はAV女優にも大敗を喫してしまう。
今ひとつ派手さに欠けすぎるどころか体をなしていないためか、
早くも視聴者からは「深夜ドラマみたい」「なんかショボい」「月9俳優のレベル、下がりすぎ」「AV女優みたい」「AV以下」といった声が相次いでいて、酷評、悪評は半端ではない。
日本のドラマを牽引してきた“月9”しかし、今回に限っては、「TVガイド」「ザ・テレビジョン」も特集記事は皆無で、深夜ドラマよりも相手にされず、
AVよりもストーリーが貧弱企画も貧困であることから、無視され、映す価値のない幽霊状態である。
「竹野内が所属する研音が穴埋め的に送り込んだ沢村ら俳優を中心に、他は断らなさそうな俳優をうまくかき集めてきたという印象」であるが、
AVよりもキャストが集められなかったことに、フジテレビの潜在市場価値が暴落してしまった。
それより気がかりなのは、西内の精神状態。西内が所属するライジングプロダクションは、稼ぎ頭だった室奈美恵(39)がエイベックスに完全移籍し、抜けてからというもの西内をさらにゴリ押し。
近年の同プロは、タレントの売り方にことごとく失敗していることもあって、西内にかかる重圧は相当のものだが。 「さらに、良くも悪くも注目される月9主演となれば、世間の声に耐えられるかどうか……」
モデルや歌手としても活躍する西内だが、すべてが“不器用かつ貧乏”“ごり押し”“学芸会”“大根”“デカイだけ”“AV女優よりも価値がない”と揶揄されることも多い。
案の定、月9主演が発表されてからというもの、「すべてが中途半端で、何屋さんかわからない人」「中高生には人気あるんだろうけど……ピンとこない」「AV女優の方が上」など、
ネット上には辛らつな声が飛び交っている。そんな世間の評価を受けてか否か、西内自身、今回の抜擢について「(月9は)演技を始めてからは一つの目標でもあり、遠い存在だった」と控えめにコメント。
どこか「月9の器ではないことは、わかっている」とでも言いたげだ。
「プロデューサーは、『今回は特に、月9ラブストーリーを担う男女二人のキャスティングは攻めの姿勢で臨みたいと思っていた』などとコメントしていますが、
“結果的に”攻めの姿勢どころか、「まるでパロディー」「学芸会」「AV以下」になってしまったことは、視聴者にもバレバレ。
フジテレビは、昨秋視聴率が20%を超えた人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系、新垣結衣(28)主演、歌手星野源(35)も出演)をヒントにしたらしい。
その、二番煎じを考え、今回のキャスティングを思い付いたらしい。
「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌「恋」を星野が歌い、昨年の紅白歌合戦に出場し、今年3月の(春高)選抜高校野球大会の主題歌に選ばれた。
西内、山村の起用は、歌謡音楽業界の意向が反映された。「突然ですが……」の主題歌は西内が担当する、主題歌がヒットなら、第59回日本レコード大賞に西内まりやを推そうとする動きになる可能性も取り立たされている。
「月9ドラマ」よりも「日本レコード大賞」、ドラマが「従」、歌が「主」になっている。日本レコード大賞はTBSが制作し中継する。
「逃げ恥」はドラマ(新垣結衣)が主役だが、「突然ですが」は主題歌が主役であり、180度違うのだ。
放送開始後、このキャスティングが必然であったことを証明できるがいいが、確率は0%。
早くも「大コケ確実」といわれている同作。月9史上最低視聴率を記録した『ラヴソング』を下回るような事態になることは必至の状況で、史上最低の視聴率2%も予想されている。 アンチやって長いが
AV女優みたい、という発言はあまり見かけなかったぞw
キャバ嬢ぽいとは思ったがw
相変わらずゴリ押しするなあ
音楽なんて良くなきゃゴリ押ししても売れないのに 月9はもう危篤状態?フジテレビと西内まりやは末期症状の窮地に
窮地に立たされた西内まりや(23)しか月9をオファーしなかった現状に、フジテレビはもう末期症状に陥った。主演を務める月9の制作発表会見で、西内は休業宣言を模索していたことが判明した。
収録と放送の時期について「実は海外留学の予定でした」と告白したため、フジに月9を制作する余裕すらなかったことを意味する。
ドタバタの現場でいい作品が撮れることもなく、低迷が続くが、西内主演の視聴率が5%なら、フジテレビはドラマ月9の制作を打ち切る方針も視野に入れている。
会見でバレた月9の苦しすぎる舞台裏、西内の視聴率が4%なら日枝久会長の引責辞任問題に発展
1月23日スタートの月9ドラマ「突然ですが、明日結婚します」の制作発表会見が8日都内で行われ、
モデル西内まりや(23)、西内の相手役を務めるflumpoolのボーカル山村隆太(30)らが出席した様子は殺伐としていた。
同作は結婚したい銀行員(西内)と結婚したくないアナウンサー(山村)のラブコメディー。
会見で西内は、作品の収録放送の時期について「実は海外留学の予定でした」と3か月から1年の留学を中止しての出演だったことを告白していた。
米国で演劇や音楽などを学ぶ予定だったという。ドラマ、映画、CM、歌手をやっても批判が相次ぎ、休業して大学進学も考えていたらしい。
バドミントンを捨てて芸能界入りした西内、2016年リオ五輪で、高橋礼華(27)、松友美佐紀(25)のペアが金メダルを獲得すると、後悔する毎日で、
仕事をやっても、辛い日が続いたため、休業を模索していたこともバレてしまった。
西内は、「縁とタイミングがあると思い、やるしかないと覚悟を決めました。集中して演じたい」と意気込んだが、12月16日にオファーされた。
11月頃に栗山千明(32)を主演にする方向だったが、栗山も最終的には蹴った(辞退)。
山村もオファーが12月上旬ったことを明かし、「家族に『突然ですが、月9に出ます』と言いました」と苦笑い。
かつて、視聴率が取れていた頃の月9は、主演やメインキャストは早ければ3年ほど前、遅くても1年ほど前には押さえているのが当たり前だった。
ところが、視聴率が下落するにつれ、オファーしても断られることが増えてしまったため、今回のドラマのように1月11日のギリギリに ならないとキャストが決まらなくなってしまった。
かなりドタバタの現場となるだけに、視聴率が取れるようなおもしろいドラマがなかなか出ないのはそのあたりが大きな原因。しかし、未だに改善される気配はなく、このまま低迷が続きそうだ。
とはいうものの、キャストにその当たりの裏事情を“口止め”することもなく、
まるで視聴率が取れなかった時の言い訳にでもしようとしているのが垣間見えることになってしまった。つい、この間まで、超高給取りだったフジテレビ管理職社員の世間ずれも露呈した。
今回のドラマの企画(テーマ)も富裕層向け、エリート総合職銀行員と在京キー局アナウンサーを高卒モデル西内と大卒の歌手山村が演じる、
西内が銀行員役、山村がアナウンサー役が既にミスキャスト、西内ではなく慶大在学中の二階堂ふみ(22)、アナウンサー役に嵐の櫻井翔(35)を配役にするならまだしも、西内が銀行員では話しにならない。
月9の歴代最低視聴率は6.8%、西内月9ドラマの視聴率は4%台どころか2%台を予想する関係者もいて、末期症状で、
言って悪いがもう危篤状態、フジテレビも今回の月9ドラマの視聴率が前代未聞の5%割れなら、月曜9時台のドラマ枠を打ち切らざるを得なくなる。
そうなれば、日枝久フジメディアHD兼フジテレビ会長(79)の引責辞任にも発展し、亀山千広フジメディアHD取締役兼フジテレビ社長(60)も退任を迫られる可能性すら出ている。
西内まりやごり押しの悪評が観月ありさの仕事にも影響
西内まりやがドラマ月9起用されたり、日本レコード大賞の最終候補にあがっていることに、放送業界、音楽業界、映画業界、演劇業界から「何やってるんだ」と批判が相次いだ。
西内批判によって、同事務所先輩の観月ありさ(40)の仕事が取れなくなった。
観月ありさは、20年以上もドラマ、映画で主役を張った女優で、演技も漸くうまくなった。
一方、能力のない西内がごり押しでドラマの主役を務めたり、日本レコード大賞の最終候補にノミネートされたことに、芸能関係者が反発、観月の仕事にも影響が出ている。
西内が「バドミントンやっとけばよかった、留学しておけばよかった」と後悔しなければいいのだが…、
悪評プンプン西内“月9”視聴率が4%なら、フジテレビは窮地に陥り、日枝久会長、亀山千広社長の進退問題に発展し、観月ありさは仕事がなくなる危機に直面する。 ■新人俳優賞
橋本環奈『セーラー服と機関銃-卒業-』
さすが環奈ちゃん 無茶苦茶なこと書いとるなwwwwwwwwwwwwwwww
視聴率2%台を予想する関係者もいてとか
深夜番組でもあるまいし
これまで西内まりやは、いろいろなドラマで主演やってきたけど
そんな悪い数字なんかとったことないぞ
前回の主演ドラマ・ホテルコンシェルジュ
■■■■■ 7月クールドラマ 視聴率ランキング(単純視聴率) ■■■■■
1位 14.45% 花咲舞が黙ってない
2位 11.55% デスノート
3位 10.74% 恋仲
4位 *8.96% ナポレオンの村
5位 *8.83% エイジハラスメント
6位 *8.02% 探偵の探偵
7位 *7.91% ホテルコンシェルジュ ←ココ
8位 *7.84% ど根性ガエル
9位 *7.31% 最強のふたり〜京都府警 特別捜査班
10位 *7.14% 民王
11位 *6.14% 37.5℃の涙
12位 *5.90% 表参道高校合唱部!
14位 *5.79% まんまこと
15位 *5.22% 美女と男子
16位 *5.12% 経世済民
17位 *5.04% リスクの神様
18位 *3.84% HEAT
19位 *3.55% 僕らプレイボーイズ 熟年探偵社
20位 *3.53% ちゃんぽん食べたか
西内まりやのドラマは、業界でも十分及第点の評価です。
TVマンが重視しているのは視聴率の他に、以下の3つです。
■同クールでの順位
7月クールは、年間を通して最も数字が下がるクールとして有名なのは常識です。
クール下位では批判されますが、中間より上位の為、健闘したとの評価です。
■同ドラマ枠での歴代順位
西内は 『 TBS火10枠 』 で歴代2位の好成績でした。
■同時間帯での順位
火曜10時ドラマでは 西内8% > 仲間由紀恵5% > AKIRA3.8% 西内の圧勝です。 ※業界評価のまとめ
西内のTBS火10枠は、設立2年目で固定視聴者の居ないGP帯、最弱枠として有名です。
堀北真希でも5%、現在の香里奈も5%です。
西内は 『 最弱のTBS火10枠 』 で平均8%をとり、枠の歴代2位 クールでも中間上位と高評価
「恋人にしたい音楽アーティスト」ランキング
■女性部門
1位:西野カナ
2位:miwa
3位:YUKI
4位:西内まりや ←
5位:aiko
6位:安室奈美恵
7位:山本彩(NMB48)
8位:吉岡聖恵(いきものがかり)
9位:きゃりーぱみゅぱみゅ
10位:大原櫻子
10〜50代の女性を対象に
「ファッションアイコンとして注目している女性有名人」についてアンケート調査を実施
1位 ローラ
2位 きゃりーぱみゅぱみゅ
3位 水原希子
4位 安室奈美恵
5位 藤田ニコル
6位 桐谷美玲
7位 中村アン
8位 西内まりや
9位 ぺこ
10位 佐藤ありさ 西内まりやの可愛さが尋常でわない
西内まりやの可愛さにやられた CD買った
今頃西内まりやの可愛さに気づいた。 私の脳には時差があるようだ
とりあえずあれよな、西内まりやの可愛さ神
西内まりやの可愛さマジで どーしたん? ハンパな。
いやまて西内まりやの可愛さなに 歌のうまさなに
西内まりやの可愛さがオーバーキルすぎる
西内まりやの可愛さについて語りまくろか笑
最近西内まりやの可愛さ増してる ■TBS火10ドラマ 平均視聴率ランク
1位 ガッキー 逃げ恥
2位 深田恭子 ダメ恋
3位 木村文乃 マザーゲーム
4位 黒木華 重版出来
5位 西内まりや ホテル ←ココ
6位 武井咲 せいせいするほど
7位 舘ひろし なるようになるさ
8位 水川あさみ 東京スカーレット
9位 深田恭子 女はそれを許さない
10位 堀北真希 まっしろ
11位 香里奈 結婚式の前日に
トップ ガッキー 13%
中間位 西内 武井 8%
最下位 堀北 香里奈 5% 【ドラマ】flumpool山村隆太の“濡れ場”ツイートに西内まりや「そういうコメントやめて下さい( ̄^ ̄)」 [無断転載禁止]・2ch.net
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1484740990/ フジ“月9”3月終了を視野に入れたことに芸能界が猛反発
凋落が止まらないフジテレビの“月9ドラマ”。日テレ水10、テレ朝木9、TBS日9が看板枠になり、フジ“月9”は陥落した。
その、1月から放送開始の西内まりや(23)が主演する『突然ですが、明日結婚します』も大爆死が予想され、
関係者の大半が視聴率は4%台と分析、なかには、2%台と予想する関係者も、相当多かったという。
ついに、“月9”枠自体の3月いっぱいでの打ち切り情報が流れ始めている。西内まりや主演ドラマの視聴率が4%以下なら、
月曜9時台の連続ドラマの制作は困難と判断、番組を打ち切ると同時に、日枝久フジメディアHD会長兼フジテレビ会長(79)、亀山千広フジメディアHD取締役兼フジテレビ社長(60)の引責辞任に発展する。
“月9”は1962年4月から本格的にスタートし、1980年10月から1987年4月までは一旦、バラエティー番組「欽ドン」(萩本欽一(75)司会)が放送されたが、
1987年4月に連続ドラマが再開し、織田裕二(49)主演『東京ラブストーリー』などのトレンディードラマや松嶋菜々子(43)主演の『やまとなでしこ』、
江口洋介(49)主演『ひとつ屋根の下』、木村拓哉(44)主演の『HERO』『ロングバケーション』『ラブジェネレーション』などで高視聴率を記録した。
しかし、2014年『極悪がんぼ』(尾野真千子(34)主演)が全話平均視聴率で10%を割ってからは急降下。昨年春の福山雅治(47)主演の『ラヴソング』で挽回すると期待されましたが、
全話平均8.43%という結果に終わり、月9史上最低視聴率6.8%という不名誉な記録に終わった。
さらに、10月から放送された山田涼介(23、Hey!Say!JUMP)と桐谷健太(36)が共演の『カインとアベル』も、全話平均8.2%と惨憺たる数字で、
月9史上初の視聴率全話1桁だったことで、さらに、不名誉な記録に終わり、フジは『カインとアベル』がスタートする前、1月期での月9挽回を狙い、研音所属の竹野内豊(46)を口説いていた。
しかし、研音や竹野内サイドが企画や脚本が面白くないという理由で断ったんです。本音は、福山雅治のように“負の連鎖”に巻き込まれたくないことから辞退した。
これにより、「竹野内が主演なら」という条件で出演を内諾していた瑛太(34)も固辞。スタッフは完全に戦意喪失状態に陥ったという。「結局、竹野内に代って西内が主演を 務めることになったのですが、実績を見る限りヒットする材料が、全く、見つからない。西内は一昨年、
いきなりTBSのドラマ『ホテルコンシェルジュ』(2015年7月-9月期、火曜午後10時)で初主演を務めましたが、全話1桁で平均7.9%と最悪でした」
西内が出演すると必ず、各業界からクレームが来る。『ホテルコンシェルジュ』では、日本旅行業協会、日本ホテル協会、日本観光旅館連盟、日本レストラン協会から苦情が相次いだ。
西内の演じたホテルウーマン評判が芳しくなく、外国人観光客の評判を悪くするだけで、日本が誇る『おもてなし』の文化を汚すと旅行業界、
ホテル旅館業界、レストラン業界、料亭業界から批判と苦情が相次いだという。
西内『ホテルコンシェルジュ』終了後の火曜午後10時台のドラマの視聴率は10%超で、昨年10月-12月期『逃げるは恥だが役に立つ』
(新垣結衣(28)主演)では平均視聴率は14.5%、最終話の視聴率は20.8%を記録しており、西内一人負けの印象だった。
西内は歌手として、第58回日本レコード大賞最終選考にノミネートされたが、
史上初めて1万枚に満たない9000枚の売り上げで日本レコード大賞最終選考にノミネートされたことから、歌謡音楽関係者から、西内に対する批判が相次いだという。
関係者ばかりではく、音楽歌謡ファンからも9000枚の西内ではなく、世界で活躍した「PPAP」のピコ太郎や「BABYMETAL」に与えてほしい声が大半だった。
さらに、昨年10月に公開された初主演映画『CUTIE HONEY-TEARS-』も大惨敗。「公開2週目で、既にどこで上映しているか見つからないほど客が入らなかった。
その西内が10%以上の視聴率を稼げるとはとても思えない。そのため、
『突然ですが、明日結婚します』を最後に、月9枠の撤廃まで囁かれているんです」これも時代の流れになるが、芸能事務所関係者が抵抗している。
ジャニーズや研音、アミューズら各事務所は“月9”存続を求めている。
“月9”といえば、ここ数年研音(1月-6月期)、アミューズ(4月-6月期)、バーニングプロダクション系列(7月-9月期)、ジャニーズ事務所(10月-12期)の4事務所が枠を決めて、制作をしていた。
西内によって“月9”が消滅することに猛反発である。レコード会社とのタイアップもあるので、
“月9”消滅は芸能界にとって死活問題でもある。危篤状態“月9”で瀕死に陥ったフジテレビはついに決断を迫られている。 ■■■■■ 7月クールドラマ 視聴率ランキング(単純視聴率) ■■■■■
1位 14.45% 花咲舞が黙ってない
2位 11.55% デスノート
3位 10.74% 恋仲
4位 *8.96% ナポレオンの村
5位 *8.83% エイジハラスメント
6位 *8.02% 探偵の探偵
7位 *7.91% ホテルコンシェルジュ ←ココ
8位 *7.84% ど根性ガエル
9位 *7.31% 最強のふたり〜京都府警 特別捜査班
10位 *7.14% 民王
11位 *6.14% 37.5℃の涙
12位 *5.90% 表参道高校合唱部!
14位 *5.79% まんまこと
15位 *5.22% 美女と男子
16位 *5.12% 経世済民
17位 *5.04% リスクの神様
18位 *3.84% HEAT
19位 *3.55% 僕らプレイボーイズ 熟年探偵社
20位 *3.53% ちゃんぽん食べたか 父さんずっと西野カナのこと 俺の彼女って呼んでたんだけど、最近は西内まりやの事ばっか話しだした。 西野カナはもういいと?って聞いても 俺にはまりやだけや。 カナの話しはするなってうるさい
西内まりやの可愛さが尋常でわない
西内まりやの可愛さにやられた CD買った
今頃西内まりやの可愛さに気づいた。 私の脳には時差があるようだ
とりあえずあれよな、西内まりやの可愛さ神
西内まりやの可愛さマジで どーしたん? ハンパな。
いやまて西内まりやの可愛さなに 歌のうまさなに
西内まりやの可愛さがオーバーキルすぎる
西内まりやの可愛さについて語りまくろか笑
最近西内まりやの可愛さ増してる ■日常生活の中で流れている音楽を認識できるアプリのShazamは、世界で最もポピュラーな音楽アプリの一つであり、
日本でもその総ダウンロード数は700万回を突破しており、国内での音楽検索回数は8,000万回に達している。
Shazam Japan 邦楽年間ランキング (2015年) 6位 西内 まりや ありがとうForever...
ここだとダウンロード年間ランキングで西内は6位
http://www.musicman-net.com/business/52922.html
西内まりや 全歌唱 自分調べ
発売された持ち歌以外でオンエアーされたものです。
一節ハミングも含みます
2012/_4/25 ピカルの定理 夏祭り
2013/_2/13 ピカルの定理 お気の毒あいうえお体操の歌
2013/_5/_1 ピカルの定理 ナオミゼラブル
2014/_1/_7 明治製菓CM 「カラバレ」の歌
2014/_8/_9 ちゅーぼーですよ 喝采 (ほかの番組でもたくさん)
2014/_8/19 レコメン! さよなら
2014/_9/_7 堂本兄弟 未来へ
2014/_9/13 ミュージックフェア タカラモノ〜この声がなくなるまで〜
歌うたいのバラッド 浪漫飛行
2014/_9/20 ミュージックフェア 幸せな結末
2014/10/17 どぅんつくぱ どぅんつくぱのテーマ
2014/12/_3 FNS歌謡祭 幸せな結末
2014/12/12 どぅんつくぱ 恋人がサンタクロース
Happy Xmas (War Is Over)
2015/_2/_7 ミュージックフェア 黄砂に吹かれて
2015/_3/23 バナナ♪ゼロミュージック うれしはずかし朝帰り
2015/_4/15 水曜歌謡祭 秋桜 微笑みがえし
2015/_5/20 水曜歌謡祭 男の子女の子 お化けのロックンロール
ハリウッドスキャンダル ああ無情
2015/_5/27 水曜歌謡祭 夢の中へ
2015/_6/_8 SMAPxSMAP 未来予想図U 糸 天城越え
2015/_7/_4 王様のブランチ きよしのズンドコ節 喝采
2015/_8/_2 RISING_PEACE_FES_2015 We_are_the_world
2015/_8/19 バナナ♪ゼロミュージック First_Love音頭
恋するだけが夏じゃない
2015/_8/25 Seventeen_学園祭2015 宝物
2015/12/_2 FNS歌謡祭 輝きながら promise
2015/12/30 レコード大賞 春よ,来い SEPTEMBER
2015/12/31 ライジングフェス 蛍の光 Ride on time
2016/_4/30 バナナ♪ゼロミュージック Happy Birthday to You
2016/_5/_7 バナナ♪ゼロミュージック LOVEマシーン
2016/_5/19 レコメン! けんかをやめて
2016/_5/21 Sound INN "S" けんかをやめて 波乗りジェニー 月9
初回ワースト*8.5%|突然ですが、明日結婚します(西内まりや)
最高ワースト*9.1%|カインとアベル(山田涼介)
最低ワースト*6.8%|ラヴソング(福山雅治)
最終ワースト*8.1%|ビブリア古書堂の事件手帖(剛力彩芽)
平均ワースト*8.11%|カインとアベル(山田涼介) 突然ですが、明日結婚します
主題歌 「Motion」
まりやちゃんのアップテンポで
クールでカッコいい歌がキター
https://twitter.com/mariyalovefight/status/824223588555198466
ちなみに土曜 夜9時NHKの綾瀬はるか主演・精霊の守り人 悲しき破壊神
の初回視聴率は8.2% 西内まりやの代表作品のドラマ「スクラップティーチャー教師再生」、再放送しないまま、TBSの火曜ドラマ
(現在松たか子・満島ひかり主演の「カルテット」を放送している時間帯で、ホテルコンシェルジュを放送していた時間帯)でリメーク。
ちょっと複雑。 なんか酷いことになってるなぁ
晒しものだ
「突然ですが、明日結婚します」(月9)
平均視聴率
1回8.5% → 2回6.9% ドラマがこけるのは事務所としても想定内だろうね
相手役が役者初挑戦の素人なんだし
そこで主題歌を西内まりやにすることを条件に受けたんだろう
ドラマがこけても主題歌がヒットすれば悪くない
https://www.youtube.com/watch?v=P7ozSW5Dk08 そんな事を言ってみたところで
世間的にはダメタレントの烙印を捺されるわな 本編で渋めの脇での起用が多い父親役の人見るためにドラマ見てるけどね とっとと見切りつけてもっと可愛い子を売り出せよ低能営業 ファンサイトの掲示板なので、URL貼らんが、 Yahooで検索すればでてくるアソコね。
いまは削除されたが、具体的な内容まであったらしい。
久坂秀三郎:高杉真宙 高杉東一:吉川史樹 吉田栄太郎:田中碧海 入江杉蔵:吉野翔太
沢渡岬:丸山瀬南 楠本風磨:今野貴之 美濃部健人:深澤嵐 大崎沙莉:唯月ふうか
木ノ内誠:広田亮平 三島奈美:山谷花純 品川まなみ:小島あやめ 金沢瑞貴:笠井海夏子
上野まりや:松井珠理奈 田町のん:高月彩良 土屋大輔:田中偉登 月岡隆一郎:下山葵
金田拓朗:齊藤稜駿 日置祥太朗:冨澤風斗 高崎瑞希:刈谷友衣子 福島恵里菜:松井愛莉
両国愛里紗:佐々木彩夏 目白花菜:吉本実憂 水島成吾:田中冴樹 緑山加恋:美山加恋
砧祐里:恒松祐里 赤坂愛美:江野沢愛美 青葉結菜:黒島結菜 世田谷まりえ:飯豊まりえ
港美音:向井地美音 北条(きたじょう)真里乃:桑島真里乃 八木山香澄:三吉彩花
太白遥:福原遥 川岸なつみ:栗栖なつみ 金本明莉:深沢明莉 奥田みのり:萩原みのり
新栄(しんさかえ)まりあ:廣岡まりあ 梅田朔:真山朔 早良透子:三浦透子
熊山成美:秋月成美 久茂地ことり:重本ことり 百道浜(ももちはま)環奈:橋本環奈
山崎もも:椎名もも 問御所勝利(といごしょ しょうり):佐藤勝利
(緑山、砧、赤坂、青葉、世田谷、港、北条、八木山、川岸、金本、奥田、新栄、梅田、早良、熊中、久茂地、
百道浜、山崎、太白、問御所の20人はTBSリメイク版で追加設定) 86. 匿名 2017/02/05(日) 20:59:13 [通報]
西内って実は短足だしなぁ
+9
-3 西内まりやにバッタリ会って神対応
昔、二コラの雑誌にサインをお願いしたら
「どこのページにサインしますか?」
「どのページの私がお気に入りですか?」
「そちらの色紙にも書いたほうがいいですか?」
とすごく気遣いしてくれた
サインした後に再び会った西内まりやさんは、
10メートルくらい離れていたのに
こちらに気づいて再びお辞儀してくれて
なんて礼儀正しい子なんだと思った
さすが昔からファンサービスいいよね
https://www.youtube.com/watch?v=CSyfUwe2G48 キモヲタにも媚びて「ネ申対応」とか言ってもらわなきゃいけないから大変だよな
小さい女の子と写ってる写真があったけど
あんな指と指しっかり握るなんてキモオタオヤジとは
ねーからwwwww ウンコアイドルのキモデブヲタと生理感覚変わらないって事さ。 スクラップティーチャーのTBSで乗りメイクの話って本当なの?検索しても数件しか出てこない 西内まりあ主演ドラマ
「突然ですが、明日結婚します」(月曜・後9時)第6話の平均視聴率
8.5%→6.9%→7.6%→7.6%→6.6%→6.2%(月9ワースト記録)
参照
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170221-00000064-sph-ent 2話で面白いなりそうな気配があった。
で、3〜4話みたけどグダグダ。
見切りつけられて今に至る。
そんな感じか。 し、初回が8.5%だからうほど見切りはつけられてないと思う 【ドラマ】〈フジテレビ〉月9史上初の5%台...「突然ですが、明日結婚します」3週連続ワースト更新 ★2©2ch.net
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1488255858/ ンハァンフゥってずっと言ってて
いったい何を歌ってるのかよくわからないからな 8.5 6.9 7.6 6.6 6.2 5.0
5%台っていうか、5.0%じゃねーか。
次回4%ありえるな .
.
東京都三鷹市 元ニコ生主の莉里子よ https://i.imgur.com/XYIO6ri.png http://imgur.com/a/iO1sL(リスカ)
(整形後) http://i.imgur.com/SLcz3dS.jpg (整形前) http://i.imgur.com/zPvxpx5.png
不倫とか浮気・密会や不道徳な行為はね 著名な小説家もしているの だから私もやっている
ヘラって撮ってもらった黒歴史の私のヌードも見せてあげる https://i.imgur.com/vZeIuO3.png
■2015年2月 釣りニコ生主コジコジと沖縄旅行でオフパコ
2015年2月2日-3日...沖縄旅行でセックス/やり捨てされ逆ギレ
2015年2月4日.........莉里子の父親から電話があって脅されたとコジコジに放送で暴露される
2015年2月6日.........リスカ画像UP
2015年2月9日.........ツイ全消し/コミュ爆破逃亡
http://imgur.com/a/58WQC
■2016年6月 バンドマン兼ニコ生ツイキャス配信者と密会 その3日後に穴るセックス〜継続中
http://imgur.com/a/Lx8o2
●早川莉里子●土井莉里子●土井寧々●土井剛●早川剛●星崎●りりこ●りりこし●にゃんぱす
●ね子●にゃこ●みんち●めう●ねね●猫又●剛
※名古屋のゲイ風俗ホストとも肉体関係※ ■西内まりやの番宣での態度に批判も「つまらなそうに見える」■
9日の番組に、西内まりやがドラマの番宣のためゲスト出演した
VTR中のワイプに映る西内は無表情で映ることが多かったと芸能ライター
視聴者からは「つまらなそうに見える」「態度悪すぎ」と批判の声が出たとも
西内まりや、番宣なのに「無表情でやる気ゼロ」!? 「月9大コケの影響?」「プロ失格」の批判
http://news.livedoor.com/article/detail/12791029/ 三越伊勢丹会長&社長退任騒動がフジテレビにも飛び火
凋落が話題になる事が多い慶大閥三越伊勢丹と早大閥フジメディアホールディングス。三越伊勢丹の石塚邦雄会長(67)と大西洋社長(61)が3月末で退任することになったが、
三越伊勢丹騒動の余波でフジMHDでも日枝久会長(79)、No.2の嘉納修治社長(66)、亀山千広取締役フジテレビ社長の引責辞任に繋がるという。
現在、その象徴的なものが月9、現在放送中「突然ですが、明日結婚します」の視聴率は壊滅的、月9初回6.6%最低記録を更新、第5話で5.0%に急落し、月9史上最低視聴率だった。
今回のドラマ低視聴率で、最も被害を受けたのは「月9」主演の西内まりや(23)よりも寧ろ、同事務所先輩の観月ありさ(40)である、
西内は低視聴率のイメージで今後の人生はともかく、観月ありさの女優人生に大きく影響を与えるという。
三越伊勢丹が業績不振を理由に会長・社長が退任、杉江俊彦専務(56)が昇格するが、フジMHDも嘉納、亀山を更迭し、後任に遠藤龍之介取締役(60、フジテレビ専務)をフジMHD兼フジテレビ社長に昇格し、
日枝会長も辞任する可能性が浮上、それだけ、日枝久、観月ありさが土俵際に追い詰められている。 観月ありさなんてもうトシなんだからさ〜
ありさとかまらやとかもうね 西内まりや叩かれる理由、所属事務所の“八百長”が原因か
モデル西内まりや(23)の出世を阻止する動きが芸能界の創意だという。西内は、173cm長身で、2013年には「20歳以下でなりたい顔」No.1にも選ばれた。
しかし、複数の敵対事務所が西内所属のライジングプロダクションの復権を阻止する動きに出ているからだ。
フジ月9ドラマ「突然ですが,明日結婚します!」の視聴率4.9%と月9史上過去最低、昨年に主演を務めた実写映画「CUTIE HANEY-TEARS-」の興行収入はたった540万円、
歌手活動でもたった9000枚の売上にも拘わらず、昨年の日本レコード大賞最終選考にノミネートされたことに、芸能界が反発した。
西内は“無謀と背伸びのライン”を攻め続けていることに“八百長”“ごり押し”の声が囁かれてしまい、複数の敵対事務所が猛反発した。
彼女から感じる薄っぺらいさも露呈し、AV女優以下との烙印すら押される羽目になった。
西内に対する厳しい声の原因に拍車をかけたのが、安室奈美恵(39)が前事務所ライジングとトラブルになりavexに完全移籍したことも、
芸能界でライジング批判に繋がり、ライジングの再浮上を阻止したい狙いもあるからとみられる。 西内まりや、「月9」の不振でラジオ番組終了へ
モデル西内まりや(23)主演の「月9」ドラマ「突然ですが、明日結婚します」(フジテレビ)の視聴率が4.9%に終わり「月9」史上最低視聴率になったことから、
パーソナリティーを務めるラジオ番組「西内まりやのMa-Realらじお」(文化放送、水曜夜11:30-11:45)と「for You...」(TOKYO FM、日曜午前11:30〜11:55)が3月末で放送を終了することになった。
TOKYO FM「for You...」では、ラジオのリスナーから不満が相次いでいた。
西内の語彙力の欠如も露呈したため、日曜の日中に、西内の番組を聞きたくないリスナー(聴取者)から批判と不満の声が相次いでいた。
西内MCの前番組で、ジャーナリスト内田恭子こと木本恭子(40)がMCを務めていたた「内田恭子のウチココ、ウチだけ、ここだけの話」のトーク番組が人気を誇ったが、
昨年3月に、「ウチココ」の番組、突然、打ち切られ、リスナーからの批判が相次いでいた。
テレビもダメ、映画もダメ、歌もダメ、モデルもダメ………、西内はラジオのMCからも抹殺されることになった。 ドラマで三十路前の役やっても違和感なかったもんなぁ。
ホウレイセンを境に弛んでくるとバアサンだ。 西内まりや、きゃりーぱみゅぱみゅの2人が干される可能性 西内まりや に入れて1位にしましょ♪
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生まれ変わったらこんな顔になってみたい女性芸能人ランキング
https://www.u-stat.net/stat.php?id=1047
【GTO 2012・2014】好きな出演女優ランキング【先生役・生徒役】
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【女性芸能人ランキング】彼女にしたい有名人は誰ですか?【人気投票】
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【最新版】好きな女優 人気ランキング
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fb066eefa9c8dfde04e64ec79e9f4f90) 碑文谷バラバラ殺人事件って、覚えてる・・・?
小池百合子と鳥越が争った都知事選挙の直前に発生した
犯人は長期の引きこもりニートのはずなのに、腕のけんすいだけでマンション外壁を三階まで
よじ登って侵入したというあの事件
どうやらガチの対日工作員だったらしく、パチンコ利権から完全な報道統制が敷かれたらしい
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1469615198/137- mariya_nishiuchi_official
https://www.instagram.com/p/BTvONL7By_g/
まりやちゃん更新ありがと
比較的元気そうで良かったお(´;ω;`) 西内まりや体調不良で入院が判明、精神疾患とウイルス性胃腸炎と診断される、「月9」視聴率史上最低お呼び「レコ大」八百長ノミネートでストレスが溜まり倒れる 前から思ってたけど自分に酔ってるな、この子。
悪い子じゃないんだろうけど。 精神的ダメージが大きいと、免疫が下がって疾病に懸かりやすくなりますからねぇ。 フォロワー爆買い
タイアップゴリ押し
なんだかよくわからん賞ねじ込みまくり
これだけのことをしておきながら自分は無垢のつもりでいるのがね(笑)
過去に「いじめにあって」とか言ってたのもそういう構図なんだろうな 2大低視聴率といわれた川口春奈が秋元康のドラマ作品に出演でワクワク「ストーリーにすごく興味が湧く」、一方、西内まりやは芸能界追放へ グループの所属でもないタレントを推してやる理由がない 西内まりや に入れて1位にしましょ♪
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【GTO 2012・2014】好きな出演女優ランキング【先生役・生徒役】
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【最新版】好きな女優 人気ランキング
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【女性芸能人ランキング】彼女にしたい有名人は誰ですか?【人気投票】
https://www.u-stat.net/stat.php?id=162
好きな女性芸能人ランキング
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生まれ変わったらこんな顔になってみたい女性芸能人ランキング
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fb066eefa9c8dfde04e64ec79e9f4f90) エイベックスが西内まりやから飯豊まりえにシフト、来年にも歌手デビューへ
西内批判が相次ぎ、エイベックスも西内の支援打ち切り、飯豊まりえをプッシュ みきちゃんの今日の予定ですよ〜^_^
下村実生(フェアリーズ)
06月01日(木)
雑誌「Seventeen」
下村実生(フェアリーズ)
AbemaTV「イマっぽTV」
毎週木曜日レギュラーMCで出演
#44おもしろ食べ合わせ大実験!梅干し+???=チーズケーキ!
https://abema.tv/channels/abema-special/slots/8y1R29GJzxM1zf 中条あやみ、小松菜奈がシャネルのファッションモデルショーに出演 手のひらで震えた ヒァッ
それが小さな勇気になっていたんだ
ヒィァッ 絵文字は苦手だった ヒァッ だけどキミからだったらワクワクしちゃう
返事はすぐにしちゃダメだ ハァって 誰かに聞いたことあるけ ヒッど
駆け引きなんて出来ないの
ヒィハァー 好きなのよahahahah ビハァ
恋しちゃったんだ ヒァッたぶん気づいてないでしょう? ヒハァ〜
星の夜 願い込めて ヒィ CHERRY ヒィ
指先で送るキミへのメッセージ
間奏♪
恋のはじまり ヒィ 胸がキュンとせまくなる ヒヤァッーー
いつまでも待ってるから ヒイィ〜
春の冷たい夜風にあずけてメッセージ 夢もちぼうも無いジャミーズ帝国に勇敢に立ち向かった解放軍みりあーズだったが下品で下劣で下衆な皇帝下村の卑劣な攻撃と血を血で洗う抗争に疲れ戦地を離れ平穏に暮らす道を選ぶ
月日は流れ
ジャミーズ帝国はにくべんみき軍団と名前を変え軍団員にジェニファー、馬場、入江、吉澤、塚本を入れ勢力を伸ばしまひろは目から笑みが消え誰もが救世主を待っていた
これは川音、みりあに続き反撃の狼煙を上げたジェダイ遠藤軍団とダークサイドのにくべんみき軍団との聖戦を描いた物語である。 >>126
音楽の日だっけ
毎年出てたけどついにかーやったー
西内まりや に入れて1位にしましょ♪
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【女性芸能人ランキング】彼女にしたい有名人は誰ですか?【人気投票】
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生まれ変わったらこんな顔になってみたい女性芸能人ランキング
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【GTO 2012・2014】好きな出演女優ランキング【先生役・生徒役】
https://www.u-stat.net/stat.php?id=703
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fb066eefa9c8dfde04e64ec79e9f4f90) 西内まりや芸能界追放必至、安室奈美恵が小学館、文藝春秋、ライジングプロダクションなど相手取り、名誉毀損、威力業務妨害、職安法違反で損害賠償訴訟を求め提訴 安倍晋三首相がライジングプロダクション関連叩きに着手、平慶翔問題で激怒し復讐を敢行、今井絵理子、上原多香子、島袋寛子の相次ぐ不倫、西内まりや、比嘉愛未の性交を報道し攻撃 映画・ドラマの重鎮・亀山千広フジテレビ社長解任による失脚に裏方、スタッフ、役者らが激怒、解任された最大の戦犯・西内まりやが芸能界追放危機に EXILE・HIROが上戸彩と結婚に続き、EXILE・TAKAHIROが武井咲とできちゃった婚入籍でわかった、バーニングとエイベックスがオスカープロモーションにシフトを加速へ、ライジングプロ切り捨てがより鮮明に
西内まりやさん に入れて1位にしましょ♪
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【女性芸能人ランキング】彼女にしたい有名人は誰ですか?【人気投票】
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こちらのも上位にいるから1位にしましょ♪
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【GTO 2012・2014】好きな出演女優ランキング【先生役・生徒役】
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こちらはどちらも何故か現在0票・・・
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生まれ変わったらこんな顔になってみたい女性芸能人ランキング
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fb066eefa9c8dfde04e64ec79e9f4f90) 西内まりやがNYコレクション、パリコレクションのオーディションを受けていたことが判明、9月にNYコレクションにモデルとして出演 実話、くっさー _| ̄|○、;'.・ オェェェェェ
西内まりやに入れて1位にしましょ♪
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生まれ変わったらこんな顔になってみたい女性芸能人ランキング
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西内まりや に入れて1位にしましょ♪
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fb066eefa9c8dfde04e64ec79e9f4f90) 明日発売の[文春砲]
⇒発覚大スクープ:<期待の月9女優に何が?>西内まりや、所属事務所「ライジング」社長・平 哲夫氏に対してビンタ一発で全治1ヶ月の大怪我&事務所内を大暴れ!−これが原因で西内まりやは干されていたのだ!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171115-00004948-bunshun-ent
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/8864 【アンティークコーナー】西内まりやさんの自宅【画像あり】
https://goo.gl/HF1vKY 明日発売の[週刊女性]
⇒発覚大スクープ:西内まりや、ライジング・平 哲夫社長ビンタ事件の発端は、あの安室奈美恵の元マネだった!
http://www.jprime.jp/articles/-/11122 ファンが集まるスレで言うのもなんだが誰も知らないタレントの醜聞を晒されてもな。
こういうのはとりあえず秘密にして売れてから武勇伝として語る類のものだろう。
それか 誰にも知られることなく 事務所を辞めさせるとか。
いずれにせよ表に出す話じゃないと思う。 ルックスは芸能人張れるレベルだけど
いかんせ豆腐メンタルで精神的に弱くてすぐにメンヘラに傾く。
本人にとっては幸せな選択かもな。
またやりたくなったら、自分のペースで好きな仕事だけ始めればいい。
まあ少しのんびりして、時々笑顔をみせてくれるだけでいいよ。 またまたライジングプロダクションに疑惑が浮上、強姦(強制性交容疑)の疑い、元所属の高橋メアリージュンが枕営業の後遺症で子宮頸癌と潰瘍性大腸炎を発症していたことが判明、損害賠償を求め提訴も視野に 友達から教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
0G7FS 事実上の引退
もう日の目を見ることは無いし、ロビンなんて無名の集りに捕まった時点でw オスカープローションによる露骨なライジング潰し、呂敏が西内まりやと交際は事実上政略恋愛 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
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全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
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日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
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当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
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それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
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球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
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「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
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一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
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決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
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オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
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1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
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松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
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ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
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過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
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決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
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悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
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オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
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松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番=E井出竜也への緒焔�149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
球速が落ちた分だけ、経験を積み、知識が増えた。
次回登板は19日の阪神戦(ナゴヤド)、その内容しだいでは中6日の通常ローテーション入りも検討される。 松坂大輔の第1戦は、19年前と同じストレートで始まった。
4月5日の巨人戦(ナゴヤド)。1番・立岡宗一郎が見送った外角球は、残念ながら球速が正しく表示されなかった。
全96球で終えた投球では最速が142kmだった。
ちなみに今なお語りぐさとなっている19年前のデビュー戦は4月7日。
本拠地での登板を望む西武本社を、監督の東尾修が説き伏せた。
日本球界の宝。そのフォームや投げっぷりを「東京ドームのマウンドの方が合う」と総合判断したものだった。
片岡篤史に対して155kmを投げ込んで伝説となっているが、1番・井出竜也への初球も149kmを計測していた。
当時の選手名鑑によると身長180cm、体重78kg。今も童顔は変わらないが183cm、93kg。
トレーニングにより体の厚みは増しているが、球速が落ちているのは年齢からくる衰えというより、右肩の故障で苦しんだからに他ならない。
日本球界での公式戦登板は、ソフトバンク時代の2016年10月2日の楽天戦(コボスタ)以来。
先発となると西武時代の'06年9月26日ロッテ戦(インボイス)までさかのぼる。
大いに注目されたマウンドの結果は、すでに広く報道されている。5回を8安打、3失点。5三振を奪い、3四球を与えた。
1回の失点は立岡の内野安打がきっかけだし、3回は野手の間に落ちる不運な安打が続いた。
それでも無死満塁の大ピンチにマギーを遊ゴロ併殺打に打ち取った(この間に2点目は失う)し、
3点目はなおも続いた2死三塁から遊撃手の京田陽太の一塁悪送球によって失った。
「松坂さんというスーパースターと初めて対戦できることはすごく楽しみでした。緩急があり、なかなか自分のスイングをさせてもらえませんでした」
共通の知人を通じて昨オフに初めて松坂と食事する機会に恵まれた坂本勇人は、四球、右前打、投ゴロの3打席をこう振り返った。
一方、適時失策してしまった京田は「松坂さんの久しぶりの登板をぶち壊してしまった」と猛省。
松坂の黒星もそうだが、1点差で敗れた試合だけに責任を強く感じていた。
バッテリーを組んだ大野奨太も「何とか粘っていた。あそこで打たれないのはさすが」と話したように、自責点2での敗戦投手は責められない。
あと1イニングでQSクリアー、不運な打球、味方の失策……。すべて事実だ。
ただ、だからといって「松坂は復活した」という声が挙がるのも安易というか、松坂という投手に対して、いささかハードルを低く設定しすぎてやしないかとも思う。
不運、失策は野球につきものだ。そうした自分にはコントロールできないことも含め、フィールドを支配してきたのが松坂だ。
過去の言動や振る舞いから見ても、松坂が「野球の神様」の存在を信じているのは疑いないが、それはご利益やご加護を望んでいるのではなく、
野球に真摯に向き合っている自分を、そしてここ数年のように試練から逃げずに立ち向かう自分を見守ってほしいと考えているのではなかろうか。
プロにとって一軍のマウンドは、誰かに立たせてもらう場所ではなく自分の力で立つ場所だ。
そういう意味ではキャンプからの投げ込み数、オープン戦での登板機会はともにチームメートと比べてはるかに少なく、そこには「松坂だから」という声もまとわりつく。
決して特別待遇というわけではないのだろうが、チームへの無形の貢献度が必要以上に強調されている感は否めない。
ここから先に求められるのは有形の貢献度、すなわちチームに勝利をもたらす結果を残し「やっぱり松坂」と言わしめることだ。
5イニングのうち3度は先頭打者の出塁を許し、うち2度は失点に直結している。
オープン戦から顔をのぞかせていたクイックモーションのバランスの悪さは、そのまま3盗塁へとつながっている。
つまり、いきなり走者を許すと、容易に得点圏へと進まれてしまうということだ。
松坂が勝つための課題は明白。だからこそ、降板後の松坂は唇をかんだ。
「オープン戦と公式戦は違うけど、それに近い状態で投げられた。特別な感情もなく、フワフワした感じもありませんでしたが、勝ちにつながらなかった。
悔しさしかありません。何とか粘れたとは思うけど、僕みたいなタイプだと(走者を許せば)球数が増える。何とかしたかった」
苦しみを乗り越え、試合で投げられたことで満足してしまうような投手なら、右肩故障以降のイバラの道など歩もうとしなかったはずだ。
勝ちたい。抑えたい。投手なら誰もがもっているであろう本能と欲求だが、松坂はさらに強い。
体重が93kgになり、球速が142kmとなった今の松坂は、78kgの華奢な体から155kmを投げ込んだ18歳の松坂と本質は変わっていないのだ。
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