川上哲治氏vs広岡達朗氏『確執の歴史について』
似た者同士とも言える二人の関係についてシブく語る趣旨のスレなのであります。 当時の西武の戦力ならば田淵監督でも十分Aクラスは行ける。しっかりした参謀は欲しい。
広岡監督→森監督ときた後では、陽のオーラが凄い。
負けてもヘッポコ采配とか書くのやめよう、などと
マスコミが叩かないで擁護に回るかも。 やっぱり黒田連れてきてコケたんじゃないの
それに陽のオーラなんていうけど負けがこんだらすぐ陰鬱、険悪になっていったぞ
貧乏クジひかされた元ホークスファンだが よく見たら川上氏や広岡氏そっちのけのスレになっておるな・・・・・ >>292
広岡達朗の単独スレはもう立たないのかな >>292
どんな話題もドンとこいという懐のヒロさよ
まあ それがスレというより殿堂板の良さであろう 巨人や原監督を口撃している最近の広岡氏だが、年と共に巨人愛が深まっている印象がある。
片道通行の一方的な愛で相手とのキャッチボールは出来ていないのだが。 川上氏は再登板しなかったのが良かった。14年のうち11回日本一。権威を保てた。
退任した時、54歳の若さ(現代の感覚では)。
大洋ホエールズの監督になるところを一度見たかったけど。 >>296
巨人も壁ぐらい置いといてやればいいのに 広岡さんを巨人の臨時コーチとして招聘してあげればどうだろう >>290
監督 田淵幸一
ヘッドコーチ 野村克也(助監督待遇・作戦コーチ兼任)
投手コーチ 東尾修
打撃コーチ 高畠導宏
バッテリーコーチ 柴田猛
守備走塁コーチ 島野育夫 ノムさんが参謀役で満足するかなぁ(˘・_・˘)
結構目立ちたがり屋の人だし。
牧野茂さんみたいな人は天職だと思いますが。 川上さんは年取ってから現場介入しなかったけれど広岡さんの方は・・・・・ 広岡さんは昭和の男だが空港職員を殴ったりはしない。 カワカミ邸の盆栽を荒らしたり
敗因になった選手の家に無言電話をかけたりするぐらいだよな 広岡さん吠える「10勝も出来ない菅野のどこがエースだ!」と。 広岡氏は100歳になっても元気だと確信する。
ドンは歳と共に丸くなったのだが。 川上さんが80過ぎた頃の番組だったか、イチローが詰まらせてヒットにする技術なんかを称賛して、
「打撃の神様っていうのはイチローみたいな選手ですよ」
「私みたいに足は遅い、守備は下手なんていう選手今の時代にプロでやっていけませんよ」
なんて自虐も交えて割と謙虚な発言もあったけど、
その手の発言する広岡氏ってのが想像出来んわね >>319
川上さんは榎本喜八選手が2000本安打を達成したときも祝辞を贈って
「榎本こそ打撃の神様の名にふさわしい」とコメントしているんだよね
野球の進歩、後輩たちの活躍をきちんと認める人だと思う
一方で、「王は自分のアドバイスを聞いていれば、4割打てていた」とも語っている >>319
川上が若いときはともかくプロ後期の守備のレベルは低かったからイチローと比べて劣っていたのは事実だろう。
特に自虐でもない。
一方広岡は当時のグラウンドに対応できる高度な技術を誇っていて、今の野手よりも精度が高い自信があるのだろう。
これもおそらく事実なのだろう。
川上も広岡も自虐でも謙虚でもなく事実を言ってるだけだ。 西武監督就任時(ちょうど50歳)でも現役選手以上に動けた広岡氏は
実演指導も行っている。石毛氏が認めざるを得なくなった一件。 以前どっかで読んだけどヤクルトがキャンプをしていたらメジャーの人が見に来て
「あの選手の守備はメジャーで通用する!」と指さした
指さした先には守備を指導している広岡監督がいたってマジなんだろうか 広岡は何年か前にアメリカに行って1Aで守備コーチをしたそうだ。
石毛が凄いというくらいだからよほどの達人なのだろう。 >>326
日米野球でむこうの監督が
「日本の選手は小柄だがあの男はちがうな!実にすばらしいボディだ!」
引退した有藤だった >>326
50近いジジイの俊敏性が若いプロ野球選手より良いって絶対にありえないからただの創作と見るのが妥当
近藤唯之みたいに取材しなくても記事書けるのがプロ野球の世界だから >>324
戦争のブランクがあったから低レベルは仕方がなかった
川上さんでさえ戦争で5年も野球から遠ざかっていた。 池永正明氏死去。仮に巨人に入団して川上哲治氏の下でプレイしていたらどうだったか。 >>326
西武時代にも広岡は自分で守備位置に就いて「やって見せる」教え方をしていたから、
ヤクルト時代に同じ場面があってもおかしくなないな
石毛によれば、どの選手より広岡の守備のほうがうまかったらしい >>323
93年に落合博満がFAを行使して中日から巨人に移籍した時に「落合君がウチに来れば
4割打てた」とダイエーの根本陸夫監督がコメントしていたのを思い出した。 ホークスは稲尾を監督にしていたら落合がFAで来たかもしれない
落合は稲尾に心酔していたから 広岡西武に来てたら間違いなく衝突する。
落合の自己管理能力は一応は評価するだろうけど。
何かしら難癖を付けて衝突するさ 広岡と落合はもし一緒だったらどうなっていたのだろう
落合は放置してても自分でコンディション整えていただろうし
45まで現役を続けていたのを見ても食事管理もきちんとしていたのは間違いない
衝突するとしたら広岡の「ベテランでも新人でも一線で扱って特別扱いはしない方針」なのかな 最初は対立もあったかも知れないが、結局落合のことを気に入って仲良くなりそう
毎晩落合邸に入り浸って奥さんの料理を食べながら野球談議をしたのでは? ちょっと距離を置いた関係ならばずっと良好な関係を維持出来そう。
あまり監督と選手との関係を長く継続しないほうがいい。 絶対対立する
広岡は落合を管理下に置いて従わせたいし落合は自己流でやりたい
水と油 田淵くらい従順でないとね
だから今でも仲が良いようで 野武士集団の西武が広岡さんの下で一つに纏まったのは選手に勝ちたいという気持ちがあったから
落合に果たしてそれがあったかどうか だから広岡西武は優勝した一年目で本来は崩壊していだが二年目は巨人を
倒すという共通目標がチームを繋ぎ止めた。
だから82年に中日でなく巨人に勝っていたらその時点でチームは終わっていたかも
知れない。 83年の日本シリーズはプロ野球史上屈指の名勝負でしょう。
西武も強いが巨人も強かった。 独り言は自分の日記帳に書いてろ
公共の掲示板に書き込むな 監督に就任したら、まずは主力選手はボロクソに貶される。若松勉などもそうだ。 >>357
落合だったらどう言われたんだろうな?
「どうでもいい試合で打率や打点を稼いでタイトルだけはとっていく」かな?
> 「この球団には最高の給料とりが2人います。だが、その選手は守れない、走れない。
>もう一人は、いいピッチングをしてても最後には打たれて負ける…」
> 自分に向けられたみんなの視線を感じた。田淵は東尾を目で探した。
> 「オレたちのことか?」
> 視線が合い、うなずいた東尾の顔は、眉がつり上がり、真っ赤になっていた。 尾花高夫みたいな創意工夫で成長したタイプは好まれそう。 今となっては40年前西武ではなくてロッテの監督に就任して欲しかったと思う。 ロッテの監督になったら「お菓子は百害あって一利なしだから全面禁止」と口に出して
問題になる姿が見える ヤクルトタフマンのCMに武上さんが出演していた記憶があるが、広岡さんにも
登場してもらいたかった。
「ここ一番にこの一本」ではなくて、「私を誰だと思っているんですか?」と
シニカルな表情を浮かべて帽子を飛ばす姿を。 >>363
森永も
他にロッテリアの事もディスってる 40年前に近鉄の監督に就任していたら草魂が槍玉に挙げられる筈 あんなどうしようもないチームにそもそも行かないだろうし。
パリーグのチームを軽蔑してた広岡さんが西武に行く気になったのは堤オーナーの球団経営への熱意に
感銘を受けたからであって。 ロッテの井口と広島の佐々岡が退任を発表した。チームが思うような成績を挙げられない時に監督が責任を取るのは当然のことである。
それなのにチームの責任不振の責任を取ろうともせずに監督の座にしがみついている者がいる。恥ずかしいことである。
日本ハムの新庄のような今後の飛躍が期待出来る監督ならば辞める必要はないが本来Bクラスに低迷するようなチームを任されていないのにBクラスに終わり、
責任を取ろうともしない監督など論外である。
あとシーズン開幕前から辞任を公表する監督も論外である。辞めるのであれば口にしたその時点で辞任すべきなのだ。
と、いう感じのコメントを近々発しそうなおじいちゃんがいる。 >>372
其のH監督、最後は禿鷹で故郷へ錦を飾るつもりか H監督は生まれは福岡で父親のM氏がM池工業監督として全国優勝。で神奈川のT海大相模にスカウトされたと。
神奈川に移って5年目に全国優勝。史上初めて異なる高校で優勝監督になった人。
K人のH監督が小学1年生と6年生だった時期に合致。
異なる高校で全国優勝を達成した監督はこれまで3人しかいない。この遺伝子を受け継ぐH監督は、そんなにショボい監督ではないと思うが。 アザラシに仲間と認識されそうな藤本さん。🦭近寄っても警戒されないと思う。
指名手配顔だが、この人は人格者の筈。 広岡達朗氏の各監督査定(想像)敬称略
ヤクルト・高津……8、DeNA・三浦……6、
阪神・矢野……2、巨人・原……1、
広島・佐々岡……3、中日・立浪……4
オリックス・中嶋……7、ソフトバンク・藤本……7
西武・辻……6、楽天・石井……3
ロッテ・井口……4、日本ハム・新庄……7
(10点満点で査定) 片岡スカウトは広岡監督との相性を考えて尾花高夫の獲得に踏み切った。
広岡監督ならば使いたくなるタイプとか。 広島コーチ時代の広岡氏は「巨人っていいな」と感じながら指導に当たっていた。
巨人では生きてはいけないような守備に難のある選手も広島では使わざるをえなかった。
広島コーチを辞してから川上邸を訪れた。もう川上監督へのわだかまりは消えていた。
「巨人を離れて初めて自分の至らなさが分かりました」
えらく謙虚に聞こえるが、その後に広岡氏らしい一言が。
「私を巨人のコーチとして、どうですか?」 >>384
地味だが息の長い活躍したからな
スカウトもお鼻高いお 西武の名脇役の選手のことは広岡さんは高く評価していた。
名前が思い出せない。「根本陸夫伝」という本に出ていた。 マジメな人はなんとか救いあげようとするタイプ。
ヤクルト監督に就任した頃などは練習中にタバコを吸う選手もいたりして大変だったらしい。
これは広岡さんでなくても怒る。 >>389
金森のことを「才能だけなら社会人野球で終わる選手」と言っていた反面
「金森は誰よりも一生懸命やっている」と褒めてレギュラーで使っていた
野村も金森を「練習の態度など若手の見本」と賞賛していたな