元近鉄のマイナーな選手を懐かしむスレ その4
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佐野といえば池上だけど
ある時期になって急に投球内容が覚醒したのはビックリしたな 池上は草魂監督時代に1季だけ結果出せた
夏に怒濤の13連勝した時の8連勝目に貢献 13連勝あったなあ
1994年鈴木政権の下で唯一盛り上がった瞬間 近大呉工学部って子供ながらに選手名鑑で覚えたが、気づいたら呉から移転して近大工学部名義に。
福岡の学部も独自の野球部あるね。
池上は最後は権藤頼って横浜入った。滝川最後のエースとか言われてたが。 >>120,121
あれは何だったんだろうね
野球漫談家wの金村が、「当時、チームはバラバラで野茂はふてくされるし石井は白けてるしなんで勝ててるのか分からんかった」と述懐するほど、
ムードとしては良くなかった
これ聞くと、十三連勝したのも不思議だが、ここまで草が選手と、しかも投手だけでなく野手まで、距離感ができてしまったのかも不思議に感じる。 >>123
なまじ優勝してしまうと留任されてしまうので失速した説がまことしやかに流れてた記憶 >>123
押し付け指導が反発買ったのでは?
名選手すなわち名監督にあらず、というし
でも、落合が監督としてあれほど中日を強くしたのだけは説明できない 若手を抜てきしてレギュラー陣に危機感を持たせようとしたが結局打順を変えるぐらいでスタメンはほとんどかわらず
内匠なんかクサにすごく気に入られてたのにヨッシャーに代わると途端に出番減ってしまった >>127
元チームメイトのデルフィンと同じではないか 内匠の嫁がウグイス嬢だったなと思ってググってたら
ベテランの大野さんが12年前に亡くなってたことを知った >>94
2004年巨人戦1点ビハインドの10回裏二死二塁からショートがちょっと逆シングルで処理した打球が内野安打となり出塁
続く赤星の逆転サヨナラ打に繋げた記憶しかない
ちなみに2004年はその1安打だけでロッテにシーズン途中移籍 阿部健太があんなに大コケするとは誰も思わなかっただろう 近鉄の投手山村という二人思い浮かぶ
時代が違うが、一人はのちに審判になった達也、いま一人は阪神や楽天を渡り歩いた宏樹 達也のほうは西本監督が推していた
将来は10勝できるとも言われてたがなあ >>150
そんな例を挙げなくても
同姓で同年代といえば依田がいるじゃないか >>32
石井は西武が囲い込まないプリンスホテルの選手だからダメだと思った
西武が囲い込まなかったプリンスホテルつながりで
近鉄ではマイナーだった中島輝士
二軍選手に限りプロアマ交流戦出場OKになった頃に出てたのが切なかった 日ハムの住吉、ダイエーの佐藤、ロッテの丹波
このへんもアマ全日本の4番だっけ
いずれもプロでは不発 佐藤はヤクルトに移ってから主に控えで長く在籍したのか その時代で成績残したのは松中ぐらいだよな
松中も時間がかかったけど 高卒社会人で長年金属バットだったのにとんでもない活躍して今も現役な福留ってすごいな 外野手の福井は知らんかった
このスレはマイナー選手を語るスレだが、
投手の福井の如く“適度に”マイナーでないとレスが付かんな笑 プロ・アマ交流戦で当時ウエスタンの盗塁王だった森谷を2回も刺し
ドラフト指名を勝ち取った長坂健二 >>166
俺が全く通ってない70年代の選手なんだろと思ってたら90年のドラフト外の選手なんだ
1ミリも記憶になかったわ 1000安打の年少記録ではトップ10圏外ながら1500安打には歴代3位の早さで到達している小玉(パワプロ知識) 大島公一とのトレードで来た堀江賢治(堀江晃嗣)
3年目成績落としたとは言え幹部候補だった大島に対し
堀江はオリックス生え抜きでもないから出しやすいし
素人が見ても明らかに大損トレード >>175
一緒にオリから来た高嶋は一昨年に病死してたのね
打てる捕手として期待されてたと思うけど来てからは目も当てられなかったんだな
それにしても大島の移った途端の大活躍からのチーム日本一は見てて忸怩たる思いだった 元阪神の大阪偕星学園の監督が暴行沙汰らしいけど
一瞬この高校OBで阪神にも在籍してた米崎が脳裏をよぎった レギュラークラスだが
平野さんが死去していたようだ
ガラガラの日生球場で観客のヤジに応戦していた姿が懐かしい
引退後もラジオ大阪の解説者としてメチャ面白い話しを聞かせてくれた 何度も書いた話だが平野光泰と言えばKBSの解説時、
内野安打で一塁を駆け抜けた大石が塁審の東を跳ね飛ばした際
なんでそんなとこ(打者走者の走路線上)に立ってたんですかねとキレてたのが印象に残る
合掌 近鉄グループ内だが紳士服のバルモラルのCMにも大石共々出てたな 近鉄選手の面白エピソードトークは金村の専売特許みたいになってるが元々は平野が先駆者
現役時代からスポーツ紙の記者と仲良くなってネタを提供してチームの知名度を上げるよう努力していた
たしか、本人だけでなくカミさんも話が上手かったはず 西本監督時代のV戦士達が軒並み古希を過ぎて、こうして訃報に接することが増えていくんだろうなあ
寂しいわ 栗橋は6chのおはよう朝日に出たりテレビの仕事があったのに
こちとらラジオ主体の活動
球団関連のイベントに呼ばれてるのを見たことないし
何が違ってたんだろ
モーヤンこと小川亨も6chの解説者やってたよ 兄弟でスタメンが夢と語ってたが
弟は一軍に上がれなかったな すいません
アーノルドって全く語られないよね。
同じ感じでギルバートも。
もう1人の強烈な助っ人に隠れてしまったイメージも。 >>178
中高生だった俺にもスッと入ってくる解説だったなぁ
>>179
珍プレーで見たやつかな?
突き飛ばした大ちゃんのほうは何もなかったように平然としてた 冗談は顔だけにしなよ! のイメージが強いアーノルドというと >>190
そうそう、突き飛ばされた審判が気の毒な感じの
みのもんたのナレーションだったが明らかに審判の凡ミス 1989年だけ在籍したリベラ
シーズン最終盤に固め打ちしたが結局解雇されちゃったな
あの年はなにしろブライアントが凄すぎた >>188->>189
顔が爺むさいから2chではギル爺って呼ばれてたなw 実は10・12の前に西武と渡辺に一度引導の一発を放ったのがリベラ。
あまり語られてないが。。。。
しぶとく西武が生き返って、の10・12の結末。 藤瀬コーチの頭ポンポンポンしたりカメラのシャッター押すポーズしたり
HR打って帰ってきたときに色々やってたな >>193
自分が猛打賞達成してもブライアントの4タコしか記事にしてくれないみたいな
グチを言ってたことが新聞の片隅に載ってラテン系でもすねることがあるのかと嬉しくなった ポンコツを何度も連れて来ちゃったが
優勝の時にはマニエル、ブライアント、ローズと、
アタリも連れて来てたのね 確率でいうと高くはないが、当たるとデカいってことだね
その3人ともタイトル取れた
しつこくリベラの思い出を書くと、藤井寺のデーゲーム前の練習でダルそうにチューインガム噛みながら体操してた
こっちから声を掛けると膨らませてたガムが破裂してヒゲについていた
今はガムを膨らませる人もいなくなった 確率でいうと高くはないが、当たるとデカいってことだね
その3人ともタイトル取れた
しつこくリベラの思い出を書くと、藤井寺のデーゲーム前の練習でダルそうにチューインガム噛みながら体操してた
こっちから声を掛けると膨らませてたガムが破裂してヒゲについていた
今はガムを膨らませる人もいなくなった ギルバートは草魂がものすごく褒めていたね
「球団がようやく本気出して外国人を発掘するようになった。これからしばらくは期待できる」と記事には書かれていたがわずかその3年後に解散するとはなあ…… ギル爺が来た後は出番も減ったが2001年の優勝に少しは関わった新里
https://2689web.com/2001/KL/KL11.html
の試合で逆転の口火を切る二塁打は忘れない ちなみに13000人とあるが6000人ぐらいしか入ってなかった 何のために水増し発表してたんだろうね
100人ぐらいなら分からないけど2倍なんてすぐバレちゃうのに 大石大二郎と同時期に居たもう一人の大石
おかげで大二郎は登録が「大石大」となり
「山本山」みたいな感じになっちゃった >>207
もう一人は巨人から来た大石滋昭
大二郎は新人の頃は体が小さくパワーが無さげに見えるという理由で
なぜ獲得したのか訝る評論家がいた
体格の大小で力量を決めつける評論家が当時は、まだ居た 東都では走り屋で鳴らしていたし、連続無失策のリーグ記録も持っていたからプロでも守備要員とか代走とかで生きる道はあっただろうね
しかしこんな打てるようになるとは思わなかったね プロ野球28会 俺たちの甲子園
ttps://sun-tv.co.jp/special/koshien-100th/
テレビでオンエアされた本編では梨田吹石の他に橘が出ていたが
残念ながら投球シーンはなく打撃シーンだけだった マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
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