元近鉄のマイナーな選手を懐かしむスレ その4
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投手の小池
といってもロッテを蹴って松下経由で来た左腕秀郎ではなく
高卒で来た右腕の均
ファームの有望株として当時解説者だった岡本伊佐美さんに推されてたが
その岡本政権になっても一軍には上がれなかった
余談だが二人とも長野県の高校出身だ 中島裕司、豊原豊の大商大コンビ、大学時代は強打の3,4番だったが
ファームでも目立った成績も残せず退団 ABCで「草野球からプロへ」と取り上げられたのが唯一の輝きだった広政 >>3
監督はこのスレの管轄外だけどあえて・・・
西本監督と仰木監督の間に2人いた地味監督の一人が岡本さん
娘さんがプロテニスプレーヤーなのでそっち方面での知名度はあるにはある
しかしその1代前、関口さんは誰も知らないんじゃないかな
成績も地味(優勝でもドンケツでもない)
関口政権でのエポックは大石大二郎の獲得と抜擢、くらい >>6
ハリスとテリーリーをセットで覚えてる
谷宏明がエースだったっけ >>6
82年キャンプ時に
「目指せV3(3回目の優勝)関口バファローズ」みたいな横断幕は見かけたな
西鉄が3連敗4連勝した1958年日本シリーズ第5戦
巨人1点リードの9回裏二死三塁で関口の打球を捕り損ねたのを藤田元司が生涯悔やんでた 割合に人の言うことに流されるタイプだったようで
僅差のリードで迎えた終盤に先発投手がピンチを招いた場面
明らかに球威は落ちており替え時ではあったが本人の続投希望を受け入れたところ連打を浴びて逆転負け
という試合が数回あってそのたびに「お人好し監督」と揶揄された 監督が折れて交代を見送るのは当時の近鉄投手陣ではクサ魂ぐらい? 草が監督の時に投手に拒否られたことあったのかな
例えば野茂とか吉井とか何かありそうなんだが >>7
以前にも書いたことがあるが
当時のパ・リーグの強打者テリー(西武)とリー(ロッテ)の両方合わせた名前だからさぞかし結果残すだろうと思ったら三振の山 正式にはテリー・スティーブ・リー
スティーブも西武の外国人 記録を調べたら満塁ホームラン打つなどしてるからてんで打てないわけでもなかったようだが
ホームランか三振か、のよくありがちな外国人打者の成績 >>3
ドラフトの時期が来ると秀郎がロッテに当たり籤を引かれた瞬間の映像を今で思い出す
「あーあ、やっちまったよ」みたいなw
数年後近鉄入りの時は全く注目されなかった 1983年の外人選手はハリス、テリーリーの他に
マイク・エドワーズもいたのだが
すぐには思い出せない存在感の薄さだ デビュー戦で15失点した品田操人
今年で7年連続ドラフト指名を出した花咲徳栄の記念すべきプロ入り第一号がこの人だった 日生球場のロッカーからゴキブリが出てきたことを理由に退団した外国人は誰だっけ >>16
小池はウィキ見ても例の発言以外にもDQNエピだらけだな
行く先々で早々とお払い箱になって引退後も実績の割に指導者の声が全くかからないのも納得だわ 品田の当時は小野和義も育てた投手育成名人の稲垣監督が指導して、3年連続で高卒投手ドラフト指名だった。
因みに3年目は品田の弟で控えながら素材で広島に指名されるもファームでも登板なしのまま退団。
さらに翌々年も神田大介が横浜入り。今と違って地元選手のみ。
稲垣監督が急逝して、後を継いだのが岩井監督だったはず。 1975年のドラフト失敗はすごい、指名6人全員がほぼハズレ。
ここまで全員が活躍しないのは他球団でもないんじゃないかな。
指名選手全員がこのスレの主旨のマイナー選手になってしまった。 小池のあの時の態度はずいぶん批判を集めたが
それよりも指名を強行したロッテにはもっと問題がないか?
当時、小池は被害者という論調が全くなかったのが不思議
そして、のちに近鉄に無風で入ったのも、また不思議
在京球団じゃなきゃイヤだ!じゃなかったのかよw 小池本人はともかく
亜大の一般学生なんぞに ええ〜〜〜っ と言われる覚えはないと思ったなあ
明治のホークスファンで川崎のひどさ(面白さ)もよく知ってたけどさw >>6
関口さんは西鉄、岡本さんは南海の黄金時代のOB。1986年の岡本監督時代の西武とのデッドヒートは1988&89年の西武近鉄デッドヒートとひけをとらなかった。 畑山は阪神のお偉方なんやね
今の姿見たけど頭部以外は全くピンとこないw >>31
近鉄は結構歳食ってる社会人の選手を指名してたよね
石井は当たりだったけど、失敗も多かったような 小池は8球団競合だったから、特にロッテ指名の批判はなかったね。
でも社会人なら熊谷組に行くと言われてたのに大阪の松下に行ったのは周囲が騒がしくなって
東京から離れたという話もあった。
近鉄に指名された時は現役社会人選手なのに確か当日は実家でインタビュー受けてた。
会社やチームからも距離置かれてたのかも。 >>32
大久保は28歳の年にキャリアスタートだったか 入団時27歳の登記欣也とかもいたね
西本監督時代の近鉄のドラフト補強はどうも今一だった感じ >>35
落合もだけど、現有戦力を鍛え上げるのは得意だけど新たな補強はイマイチって感じなのかね 山口を指名せず福井を指名した事に代表されるように
どうも近鉄には色々新戦力補強にも制約がかかるような
内部事情があったように思える 福井の1位指名はいろいろなメディアで語り尽くされているが
熟々思うのは本社と現場の意思疎通の重要性、かな
決断すべき人がしかるべきタイミングに決断せず曖昧なまま組織として迷走し
破滅に至る、という アマチュア時代に酷使されたエースより控えの方が化ける例もあるから何とも言えないが…
1974年ドラフト見たら南海新井以外は阪急山口、巨人定岡、中日土屋、阪神工藤がちょっと活躍した程度でかなり微妙な面子だな
山口だって伝説級の投手扱いだけど195試合登板で福井より先に引退してるし >>39
村田、吹石、谷を獲得しているので、この年の近鉄の指名は
トータルとしては決して悪くないんだけどね。
>>25の翌75年の指名なんて壊滅的にひどいし。
結局山口を取れなくて大失敗って印象になっている。 >>40
ごめん、その3人に触れようとして書き忘れたわ
結果論だが1位村田2位福井なら何も言われなかっただろうな ドラフト制初期の1960年台後半は入団拒否も多い時代だったけど、70年代以降は手あたり次第指名みたいな事が少なくなってからも
近鉄はドラフト指名を蹴られることが多かった。そんな選手達の中には後に他球団に入団した選手は結構いる。
新井(後にトレードでやって来たのは皮肉)はともかくとして
池谷、佐々木、上水流、藤沢、市川、銚子、ぐっと時代下がって福留
活躍した人もいれば鳴かず飛ばずの人もいるけど、この辺の選手達、近鉄に入ってたらどうなったかな。
まあ市川は有田・梨田の壁で下手すれば石山より下になったかもだけど。 市川は実際、引退後談だけどその双璧の存在もあってプロ入り回避したと語ってる。
藤沢は社会人入り後ならどこでもチャンスあれば実績残してたかと、同僚の渡辺麿史は現役では活躍できずに
スカウトになったが。 >>43
そう、79年に4位で近鉄に指名されたけど拒否して法大進学 あの達川の複製版みたいな大洋の市川も近鉄の指名を拒否してたんや 近鉄を拒否した後、結局プロにならなかった選手の中には
金光や応武と言った後のアマ球界の大御所になった人もいるね。
応武なんかはもし入団してたら、やっぱり有田・梨田の壁で埋もれ
このスレの主旨に合う選手になっちゃったかも。 >>48
応武が近鉄入団して早稲田に行かなければ、
ハンカチはあんな風にならなかったかも? 2003年にいたロドリゲスっていう助っ人投手が全くピンとこない
7試合で3勝2敗 名城大学不滅のエース藤原保行
近鉄では2年目に1勝しただけだったが、8年も在籍していたとは意外 >>50
その後台湾で3球団に所属するも毎年同じような成績
台湾の野球ファンにとっても、そんなのいたっけ?って
やはりピンと来ない存在だろうな >>51
85年に西武に胴上げを見せられた試合で投げてたのを覚えている。
と言ってもラジオ中継だったので藤原が投げる映像を見る事は引退まで無かった。 近鉄もそうだけど、昔のパリーグの選手の給料は安いからね
早稲田のような一流大学から有名企業の実業団に入れるなら、そのほうが安定した人生になる 子どもの頃は親に連れられ年に一度のナンバ球場
確率論にのっとり負け試合ばっかりだったが
唯一勝った試合に敗戦処理で出てきた良川昌美
のちに審判になって再び名前を聞いた時には軽く郷愁に >>54
早稲田といえば加藤正樹はもうちょっとやってくれると思った 日生も藤井寺もプロ球団の本拠地としてはイマイチな環境だったが
当時の選手たちは辛抱してプレーしてたんだな >>51
名城がはじめて全国的に注目された79年神宮大会では
どっかというと後輩・小戸森の方が抑えていた
藤原が1位指名されるとはなあ >>59
国士館大や東海大を倒して準優勝か、当時国士館にはヤクルトのドラ1片岡
東海は原、市川、津末、木下、井辺とプロ入りした選手がいたし確かに快挙だね。
近鉄のスカウトはこの時に注目したのか、それより前から注目してたのか。 >>51
その1勝は、投壊して最下位となり西本監督が辞任した1981年
でも2勝目が遠かった
草魂や井本が絶不調で二軍から使えそうなのを手当たり次第に上げて投げさせてた
谷宏明もその中から頭角を表し翌年には二桁勝てたが藤原はこれっきり >>61
その日って確かダブルヘッダーで第一試合が石本、第二試合が藤原が
それぞれ初勝利だったような。二人ともこの年は結局その一勝だけだった。
石本は四年後に突如大ブレイクしたが藤原の二勝目は永久に来なかった・・・・ 前期後期制では日程が詰まるとダブルヘッダーが珍しくなかった >>63
大阪球場前の告知板に
カードの他に「シングル」って項目があったぐらいだからな 2シーズン制度は前期優勝チームが後期はプレーオフに備えて手抜きするなどの弊害が指摘されて10年間ほどで止めたが
今のCS制よりはずっとマシだと思うよ >>67
落合が「優勝争いが二度見られるって言うけど、消化試合が二度ある」と2シーズン制を否定してたが
当時のパ・リーグなんて年中消化試合なんだしダラダラと半年1シーズン戦うよりは良かった >>69
日シリの裏で川崎ダブルヘッダーやってたのは86年か 80年なんて日本シリーズの後に
前期の未消化試合をやってたね >>53
小山、山村、谷崎あたりと競わされていたような覚えがある。
でも後から入った小野(和義)や吉井にあっさり抜かれてしまった 吉井も育て方を間違えたら藤原らと同じ運命になってたかも知れん
相当なヘンコ(変わり者)だった 藤原保行が去って、翌年に藤原清景が入団。二軍のみで結構長くいた。 陽田浅吉
大学社会人経由の25歳で74年ドラフト外入団
77年だけなぜか使われた以外は殆どファーム
なぜか80年まで現役 90年代
ナマで見た一番速い直球はデラクルーズの158km/hだった
今では珍しくもない速さだな 一シーズンだけ起用されて、それ以外はさっぱりという選手がいますね オリックス“バファローズ”が優勝したが
優勝回数に近鉄“バファローズ”の4回(1979,1980,1989,2001)が含まれないのは
今のオリックス成立の経過からすると正当だがでもちょっと寂しい まあ、ベイスターズの優勝回数に
松竹ロビンスが含まれないのと同じでしょ >>79
板東英二やオバンドー(コチラの酷似性がw)を彷彿させる感じの名前 上林成行、尾西和夫と言った社会人出なのに全く鳴かず飛ばずだけど
長い事在籍してた謎の投手が近鉄には多かったような >>79
ヤフー掲示板に冷やかしスレ(トピック)があったな 平下が名コーチとしてあちこちからひっぱりだこになるとは近鉄現役時代には思えなかったな >>89
大村欠場のときに頭角を現してたんだっけ
間もなく阪神に売られたけど F1セブンの一員だったけど走力に関する記憶は全く無い 藤井寺の内野席から見る森谷の走塁はやっぱ痛快だったな 俊足や好守の選手ってどうしても印象が薄くなってしまうね 森谷は俊足だけど野球脳が無いからダメって散々言われてたな 近鉄には縁がなかったが平塚という野手もおったな
愛称梅さん >>103
これまた近鉄と関係なくてスマンが平塚は平田薫と被る >>105
吉田は上手かったね
痛烈ライナーの横っ飛びとかフラフラっと内外野の境目付近に上がったフライを背走してキャッチとか。
当時テレビ各局でやっていた好プレー大賞にもよく映像が使われていた
高柳、佐々木、加藤哲あたりはかなり吉田の好守に助けられたと思う 佐々木は引退後解説者兼タレントみたいに活動していた
今はどうか知らないが一時期ホリプロ所属で、出演していたラジオ番組で
歌も芝居もできないのにホリプロですと
共演者におちょくられていた 中日の高柳コーチが問題になったときドキッとしたけど別人だった 佐々木修は戦力外で他球団テスト落ちも、朝日放送解説になってテレ朝全国ネットのスポーツキャスターやってた。
あとジャニーズ野球大会の監督やってた縁か、息子がジャニ入り。 おはよう朝日ですのレギュラーだったところまでは見てた 佐野といえば池上だけど
ある時期になって急に投球内容が覚醒したのはビックリしたな 池上は草魂監督時代に1季だけ結果出せた
夏に怒濤の13連勝した時の8連勝目に貢献 13連勝あったなあ
1994年鈴木政権の下で唯一盛り上がった瞬間 近大呉工学部って子供ながらに選手名鑑で覚えたが、気づいたら呉から移転して近大工学部名義に。
福岡の学部も独自の野球部あるね。
池上は最後は権藤頼って横浜入った。滝川最後のエースとか言われてたが。 >>120,121
あれは何だったんだろうね
野球漫談家wの金村が、「当時、チームはバラバラで野茂はふてくされるし石井は白けてるしなんで勝ててるのか分からんかった」と述懐するほど、
ムードとしては良くなかった
これ聞くと、十三連勝したのも不思議だが、ここまで草が選手と、しかも投手だけでなく野手まで、距離感ができてしまったのかも不思議に感じる。 >>123
なまじ優勝してしまうと留任されてしまうので失速した説がまことしやかに流れてた記憶 >>123
押し付け指導が反発買ったのでは?
名選手すなわち名監督にあらず、というし
でも、落合が監督としてあれほど中日を強くしたのだけは説明できない 若手を抜てきしてレギュラー陣に危機感を持たせようとしたが結局打順を変えるぐらいでスタメンはほとんどかわらず
内匠なんかクサにすごく気に入られてたのにヨッシャーに代わると途端に出番減ってしまった >>127
元チームメイトのデルフィンと同じではないか 内匠の嫁がウグイス嬢だったなと思ってググってたら
ベテランの大野さんが12年前に亡くなってたことを知った >>94
2004年巨人戦1点ビハインドの10回裏二死二塁からショートがちょっと逆シングルで処理した打球が内野安打となり出塁
続く赤星の逆転サヨナラ打に繋げた記憶しかない
ちなみに2004年はその1安打だけでロッテにシーズン途中移籍 阿部健太があんなに大コケするとは誰も思わなかっただろう 近鉄の投手山村という二人思い浮かぶ
時代が違うが、一人はのちに審判になった達也、いま一人は阪神や楽天を渡り歩いた宏樹 達也のほうは西本監督が推していた
将来は10勝できるとも言われてたがなあ >>150
そんな例を挙げなくても
同姓で同年代といえば依田がいるじゃないか >>32
石井は西武が囲い込まないプリンスホテルの選手だからダメだと思った
西武が囲い込まなかったプリンスホテルつながりで
近鉄ではマイナーだった中島輝士
二軍選手に限りプロアマ交流戦出場OKになった頃に出てたのが切なかった 日ハムの住吉、ダイエーの佐藤、ロッテの丹波
このへんもアマ全日本の4番だっけ
いずれもプロでは不発 佐藤はヤクルトに移ってから主に控えで長く在籍したのか その時代で成績残したのは松中ぐらいだよな
松中も時間がかかったけど 高卒社会人で長年金属バットだったのにとんでもない活躍して今も現役な福留ってすごいな 外野手の福井は知らんかった
このスレはマイナー選手を語るスレだが、
投手の福井の如く“適度に”マイナーでないとレスが付かんな笑 プロ・アマ交流戦で当時ウエスタンの盗塁王だった森谷を2回も刺し
ドラフト指名を勝ち取った長坂健二 >>166
俺が全く通ってない70年代の選手なんだろと思ってたら90年のドラフト外の選手なんだ
1ミリも記憶になかったわ 1000安打の年少記録ではトップ10圏外ながら1500安打には歴代3位の早さで到達している小玉(パワプロ知識) 大島公一とのトレードで来た堀江賢治(堀江晃嗣)
3年目成績落としたとは言え幹部候補だった大島に対し
堀江はオリックス生え抜きでもないから出しやすいし
素人が見ても明らかに大損トレード >>175
一緒にオリから来た高嶋は一昨年に病死してたのね
打てる捕手として期待されてたと思うけど来てからは目も当てられなかったんだな
それにしても大島の移った途端の大活躍からのチーム日本一は見てて忸怩たる思いだった 元阪神の大阪偕星学園の監督が暴行沙汰らしいけど
一瞬この高校OBで阪神にも在籍してた米崎が脳裏をよぎった レギュラークラスだが
平野さんが死去していたようだ
ガラガラの日生球場で観客のヤジに応戦していた姿が懐かしい
引退後もラジオ大阪の解説者としてメチャ面白い話しを聞かせてくれた 何度も書いた話だが平野光泰と言えばKBSの解説時、
内野安打で一塁を駆け抜けた大石が塁審の東を跳ね飛ばした際
なんでそんなとこ(打者走者の走路線上)に立ってたんですかねとキレてたのが印象に残る
合掌 近鉄グループ内だが紳士服のバルモラルのCMにも大石共々出てたな 近鉄選手の面白エピソードトークは金村の専売特許みたいになってるが元々は平野が先駆者
現役時代からスポーツ紙の記者と仲良くなってネタを提供してチームの知名度を上げるよう努力していた
たしか、本人だけでなくカミさんも話が上手かったはず 西本監督時代のV戦士達が軒並み古希を過ぎて、こうして訃報に接することが増えていくんだろうなあ
寂しいわ 栗橋は6chのおはよう朝日に出たりテレビの仕事があったのに
こちとらラジオ主体の活動
球団関連のイベントに呼ばれてるのを見たことないし
何が違ってたんだろ
モーヤンこと小川亨も6chの解説者やってたよ 兄弟でスタメンが夢と語ってたが
弟は一軍に上がれなかったな すいません
アーノルドって全く語られないよね。
同じ感じでギルバートも。
もう1人の強烈な助っ人に隠れてしまったイメージも。 >>178
中高生だった俺にもスッと入ってくる解説だったなぁ
>>179
珍プレーで見たやつかな?
突き飛ばした大ちゃんのほうは何もなかったように平然としてた 冗談は顔だけにしなよ! のイメージが強いアーノルドというと >>190
そうそう、突き飛ばされた審判が気の毒な感じの
みのもんたのナレーションだったが明らかに審判の凡ミス 1989年だけ在籍したリベラ
シーズン最終盤に固め打ちしたが結局解雇されちゃったな
あの年はなにしろブライアントが凄すぎた >>188->>189
顔が爺むさいから2chではギル爺って呼ばれてたなw 実は10・12の前に西武と渡辺に一度引導の一発を放ったのがリベラ。
あまり語られてないが。。。。
しぶとく西武が生き返って、の10・12の結末。 藤瀬コーチの頭ポンポンポンしたりカメラのシャッター押すポーズしたり
HR打って帰ってきたときに色々やってたな >>193
自分が猛打賞達成してもブライアントの4タコしか記事にしてくれないみたいな
グチを言ってたことが新聞の片隅に載ってラテン系でもすねることがあるのかと嬉しくなった ポンコツを何度も連れて来ちゃったが
優勝の時にはマニエル、ブライアント、ローズと、
アタリも連れて来てたのね 確率でいうと高くはないが、当たるとデカいってことだね
その3人ともタイトル取れた
しつこくリベラの思い出を書くと、藤井寺のデーゲーム前の練習でダルそうにチューインガム噛みながら体操してた
こっちから声を掛けると膨らませてたガムが破裂してヒゲについていた
今はガムを膨らませる人もいなくなった 確率でいうと高くはないが、当たるとデカいってことだね
その3人ともタイトル取れた
しつこくリベラの思い出を書くと、藤井寺のデーゲーム前の練習でダルそうにチューインガム噛みながら体操してた
こっちから声を掛けると膨らませてたガムが破裂してヒゲについていた
今はガムを膨らませる人もいなくなった ギルバートは草魂がものすごく褒めていたね
「球団がようやく本気出して外国人を発掘するようになった。これからしばらくは期待できる」と記事には書かれていたがわずかその3年後に解散するとはなあ…… ギル爺が来た後は出番も減ったが2001年の優勝に少しは関わった新里
https://2689web.com/2001/KL/KL11.html
の試合で逆転の口火を切る二塁打は忘れない ちなみに13000人とあるが6000人ぐらいしか入ってなかった 何のために水増し発表してたんだろうね
100人ぐらいなら分からないけど2倍なんてすぐバレちゃうのに 大石大二郎と同時期に居たもう一人の大石
おかげで大二郎は登録が「大石大」となり
「山本山」みたいな感じになっちゃった >>207
もう一人は巨人から来た大石滋昭
大二郎は新人の頃は体が小さくパワーが無さげに見えるという理由で
なぜ獲得したのか訝る評論家がいた
体格の大小で力量を決めつける評論家が当時は、まだ居た 東都では走り屋で鳴らしていたし、連続無失策のリーグ記録も持っていたからプロでも守備要員とか代走とかで生きる道はあっただろうね
しかしこんな打てるようになるとは思わなかったね プロ野球28会 俺たちの甲子園
ttps://sun-tv.co.jp/special/koshien-100th/
テレビでオンエアされた本編では梨田吹石の他に橘が出ていたが
残念ながら投球シーンはなく打撃シーンだけだった マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。 安楽みたいに高校時代の無茶なピッチングフォーム矯正されたのが寺前
俺個人はあのフォームを一軍で見たかったが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています