>>413 殿

「原点回帰」第二弾、外国人(ビュフォード・アルー)編です。

ビュフォードは73年から75年の三年間、アル―は74年途中から76年迄の
二年半の太平洋時代にフルで活躍してくれた助っ人なんですが、小生の中
で強烈な印象を残している訳ではないんですよね。。。これ、逆に申せば
助っ人としては極めて真っ当な御活躍を頂いた、ということなのかも。
→ビュフォードの印象は「広島市民球場でのオールスターで先頭打者ホー
 ムランをぶっ放した」ことですね。何かと露出が少なかったわがライオ
 ンズを、瞬間的乍ら全国区的に強く印象付けてくれました。
 あの「真紅のユニフォーム」と共に。

その意味で、小生の印象に残っているのは寧ろ「ちょっと残念な助っ人」。
その筆頭は「ウィンストン・ジェナス」。彼が入団した76年の球団ファン
ブックに「同じ中南米出身の阪急マルカーノ位には活躍出来ると思う」と
の彼自身のコメント。『おっ、今年は期待出来るか!?』との小生期待を
見事裏切ってくれました。。。

その年の夏休みに帰福した際、平和台でのデーゲームを見に行った後、球
場正面口にサインを求める子供達に囲まれる何やら助っ人選手らしき人影が。
彼こそジェナスでした。これも何かの縁かもと、手持ちのライオンズビニ
ールバッグにサインを頂きました。そのバッグ、今でも実家にありますが、
何だか微妙なお宝グッズです。。。